秘密
一人で来た陣は部屋に上がると、ベッドに座って航平をジロジロと見た。
航平は緊張のあまり、回転イスに座ったまま、くるくると回った。
陣はベッドに座ったままだし、航平はくるくる回っている。
「おい、いい加減、隣座れよ」
陣が呆れたように言って、航平は回るのをやめた。
「う、うん」
航平はドキドキしながら立ち上がり、陣の横に座った。
ベッドに放り投げてあった枕を手繰り寄せると、無意識に抱きしめた。
枕のふちをいじっていると、陣が手を伸ばして、航平の手を握った。
「じ、陣……」
「目、閉じろ」
航平は枕を強く抱きしめた。
ぎゅっと目を閉じる。息が唇にかかる。
枕の中身が飛び出すのじゃないかというくらい強く抱きしめた。
やわらかい唇にへなへなと力が抜けた。ぽろりと枕が床に落ちた。
陣が気付いて枕を拾って航平に渡した。
「枕置いて」
「う、うん」
枕を置いて二人で横になる。
何か握りしめるものが欲しい。
手で探っていると陣に押さえつけられた。
「顔近づけろよ」
陣の掠れた声と真っ赤な顔は初めて見た。
顔を寄せ合ってもう一度キスをした。
唇を擦りつけ、角度を変えて触れてみる。
陣は腕を伸ばして航平の背中を抱きしめた。
陣のキスは乱暴だった。
それから、しばらく二人ともじっとしていた。陣は黙って家に帰った。
次の日も陣はやってきた。
キスはしなかったが、ただ抱きしめられた。
航平と陣の関係を何も知らない拓巳はケーキをくれた。
けれど、航平は、ケーキより陣に夢中だった。
お風呂に入ってもテレビを見ていても、寝る前も常に陣の事を考えた。
細いけれど、筋肉が付いた腕。
夢中で抱き合いながら、ふと理性を取り戻した時の陣の恥ずかしそうな顔も大好きだった。
航平が、陣を好きだと気付いたのは、小学校の三年生の時だった。
中学一年生だった陣は、その時も拓巳を見ていた。
拓巳ばっかりに優しい。
でも、時々、航平の事も気にかけてくれる。
そんな時、得した気分になって嬉しかった。
陣をひとりじめしたい。
拓巳の事なんかあきらめて、好きだと言ってほしい。
陣とずっと一緒にいたい。
航平はベッドに寝転がって天井を見ていた。
たった一度だけど、陣とキスした。それを思い出すだけで体が熱くなる。
「航平っ」
姉の沙織の声が階下から聞こえた。
「ちょっと降りて来なさいよぉ」
「何だよっ」
人がせっかく気持ちよく思い出していたのに――。
「早く来なさいよっ」
何度も大声で呼ばれて、がくりとする。
「何?」
玄関に行くと、姉は電話を片手に持っていた。
「拓巳のお母さんからよ。あんた、行かなかったの? 陣と拓巳、船に乗って東京へ行ったらしいよ」
「え……?」
「船はもう出たって」
船は出た。
航平は、はだしのまま家を飛び出した。
「航平っ」
姉が悲鳴をあげる。
航平は走った。アスファルトが足の裏に刺さるようで走りにくかった。
かまっている余裕なんてなかった。港へ向かって走った。
知らない。てっきり、高校は県内を受けていると思っていた。
東京へ行くってどう言う事? どうして? 二人でってどういう事?
港が見えてきて船着場へ着いたが、船の姿かたちはなかった。
何度も目を凝らした。もしかしたら、まだ見えるかもしれない。
いや、まだ船は出ていないかもしれない。
陣たちは乗り遅れて、近くの砂浜で時間を潰しているかもしれない。
うろうろと港を歩き回って、本当に人が誰もいない事にはっきりと気付いた。
鼻がツンとする。
こらえ切れないものがのどの奥から込み上げてきた。目頭がひりひりする。
「うわーっ」
航平は海に向かって叫んだ。
陣っ、陣っと何度も叫んだ。
一度も好きだと言わなかった。けれど、今になってもの凄く後悔している。
言えばよかった。断られてもいいから、好きだって言えばよかった。
でも、十歳の航平に出来る事は、泣いてわめいて叫ぶしかなかった。
散々泣き喚いた航平は、血だらけのまま基地に行った。
足でちゃぶ台も何もかもをぶち壊した。
三人で一生懸命作った基地は、航平の片足であっけなく潰れてしまった。
姉は航平が狂ってしまったと思ったのだろう。
彼らが去って、しばらくは幽霊を見るような目で航平を見ていた。
航平はめちゃくちゃに荒れてやろうと思った。
けれど、島で不良をしようと思っても誰も相手をしてくれない。
近所は、年寄りと漁師、農家しかいない。
そんな環境で、航平の家はパチンコ屋だった。
繁盛していたけど、盗みを働く気は起きなかったし、かっこ悪すぎて航平は一人でうじうじしていた。
二人の事は絶対に許さないつもりだった。
置いてけぼりにされた。
見つけ出してコテンパンにしてやる。
航平は、復讐するつもりで生きた。
それから数年たち、偶然、拓巳の姿を見た。
航平が高校生の時だった。
目を疑った。
拓巳がテレビに出ているのだ。
華奢で色白の彼が――。
あの頃とは変わらずかわいい顔だった。
白い服を着てケーキを作っている。パティシエというのだそうだ。
パティシエのテレビ王を決める番組だった。
拓巳は優勝した。
拓巳の勤める会社がテロップに出て、航平は必死で書きとめて、すぐさまインターネットで調べた。
ずっと東京にいたのだ。
さっそく手紙を書いた。
会いたい、会いに行くからと強引に書くと、返事が来た。
いつでもおいで、と彼は歓迎してくれた。
黙って東京へ行ってしまってごめんな、と書いてあった。
嬉しくて涙が止まらなかった。
それまで裏切られた事を恨んでいたのに、すっかり許してしまっていた。
今すぐ飛んで行きたい。
拓巳がいるなら、必ずそばに陣がいるはずだ。
航平は、あきらめていなかった。
陣に会わなきゃいけない。
心から会いたかった。
復讐も考えたけど、どうしても憎む事は出来なかった。
復讐するくらいなら、好きでいる方が幸せだ。
あの時、ほんの少しだったけど、二人で一緒にいた時間は航平の宝物だった。
それを自分でぶち壊す事は、基地を壊すほど安易ではなかった。