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第84話 再起

 ぽたりぽたり、天の雫が闇を打つ。

(なるほど──死んではじめて明鏡止水の境地に、辿り着けたか)

 ぽたりぽたり、肌を打つ。雫は止まず雨のように流れていく。

(なんてね──そろそろお呼びかな、ジブン)


 天から降る心地いい雨の正体は、見上げるとてもひどい泣き顔だった。


「ナキか、人前では絶対に泣くなと言ったのにどうしてだい?」

「だだ、だってアキトがこてんぱんに負けたって──へ? アキトぉ?」

「どこで覚えたんだその言葉。こてんぱんとは心外な……少し早めのお昼寝をしていただけじゃないか」


 泣きじゃくる獣人のナキ。溢れる涙で前が見えない彼女に、返ってきた余裕げな男の言葉。

 肌を濡らしていたその特別な涙(ギフト)は、自分にはもう必要がない。癒やされた体で冷たい床から起き上がったアキトは、すぐそばにあったへたれたナキの耳と頭の毛を片手で撫でた。


 当然のように蘇りその場を立ち上がった男は、涙を無駄に流すナキを慰めながらも、すぐに周囲を見渡した。

 顔見知りの団員たちからの驚きの視線と、同時にどこかもの悲しい雰囲気を感じる。すっかり荒れ果てた悲惨なパーティー会場の中をアキトは一歩、一歩、前へと向かい歩いていく。


 すると今立ち止まった彼の足元の前に、何か、複雑に絡まった形状のリングが、ふらふらと蛇行しながら転がってきた。


(ん? この魔力……たしか、ジブンのした事前の占いで魂種(コンシード)の適性があった二人か)


 アキトはそれを床に横倒れになってしまう前に拾いあげた。

 輪っか状に丸まった愛らしい鉄の兎の耳に、複雑に絡みつく蛇の姿。


(修復できないほど癒着したようにも見える二つの残骸……いや、ひょっとすると知恵の輪か……? ──ふふっ……解けないパズルは後のお楽しみだな)


 手に乗せた、まだ熱量の残る謎の知恵の輪をよく観察しながら、やがて彼はそれをポケットの中へと大事に収めた。


「その涙、そうだね……もったいないから他の手当をしてあげなさい。タキは遊ばずにナキのお守りを頼んだよ」


 アキトは振り返ると、先ほどから自分の後ろについて来ていた獣人兄妹に向かいそう告げた。


「え、アキトうごける?」

「もういいのかよアキトっ?」


 伝言は二度は告げない、あとは自分たちで考えて行動をすることだ。驚き唖然とするタキとナキを置き去りにし、ぼろついたマントを翻す。そうして背を向けたアキトは、今挙げた右手を軽く揺らしてみせた。


 右手を下ろし、また前へと歩き始めたアキト。アキトはふと、目についた神妙な顔をしていた団員の一人に視線を配ると、その団員の小刻みに震える手に己の手をそっと重ねた。そして団員の男の汗ばむ手と恐怖を解すようにし、握り込んでいた一本の剣を静かに預かった。


 予想通りにミラールーム内での戦いは長期化、味方クランの混合軍がボスの待ち受けるパーティー会場に合流したものの、硬い鱗に包まれた竜への決定打はまだ与えられず。使えるリソースにも限りがあり、贅沢は言っていられない。アキトは有り難く団員の握りしめていた大事なその武器を頂戴した。

 そして次に、目覚めた道化師の彼が歩みを止めず向かった先は、気迫を失った背をした青髪の男の元だった。


「タイキ。この戦い、犠牲なしで勝てるほど甘くはない。少し……近道をしただけだ。あの二人は存分に力を発揮し、できる仕事を果たした。そしてこれからは、この不甲斐ないジブンの命も使うんだ。──躊躇なくね」

「アキトさん……」


 失ったものを悲しむなとは言えない。それはタイキにとって、とても頼りにしていて、同時にとても守りたいものだったのだろう。その喪失感は、シロツメ支部でも異物である道化師の男には到底計り知れない。

 だがこの作戦で竜の首を取るための犠牲は既に織り込み済み。そして、アキト自身の命とて例外ではない。


「チエミの【メビウス】にハヤトの【ヴィーゼ】。どちらも最高のギフトだった。次はキミが魅せる番だ。そうだろう?」


 アキトが占ったように、彼ら二人の冒険者には他にはない秘められし才能があった。魂種(コンシード)というキーアイテムを食らうことで、二人の素晴らしいギフトは確かにその花を開かせた。だからこそ最後は立派にタイキと肩を並べて戦うことができた。それは冒険者としてシロツメ支部の団員としてとても誇らしいこと、悲しむ必要なんてない。きっと彼らは今もどこかで二人して微笑んでいることだろう。


 そして冒険者アキトは、項垂れた青髪の彼を目の前にして問う。次は、キミの番だと──。


「……はいっ!」


 悲しんでいても何も前には進まない、ならばそろそろスイッチを切り替える時だ。

 チエミとハヤト二人の先輩冒険者が最後に残した言葉とあの笑みを思い出したタイキは、アキトに向かいただ力強く返事をした。


「ドラハハハ、夢から醒めた死に損ないどもに今更何ができる!」


 竜は彼らを嘲笑う。ストックした数多のギフトを腹の中で混ぜ合わせ、ついに最強の光の戟を手にした今、一度心を折り負かした冒険者たちの奮起など歯牙にも掛けないものであった。


「「もちろん……お前の相手だ!」」


 立ち止まっている暇はない。後悔している暇があるなら渡された新たな剣を今握る。

 散っていった冒険者たちの魂に誓い、嗤う巨竜の息の根を止めるまで、この戦いを勝手に終えてはならない。

 タイキは握りしめる剣を上に構え、アキトもナイフをゆったりと下に構える。狙うは、やはり竜の首ただ一つ。


 込み上げるなけなしの勇気と怒りを魔力に換えて握りしめて、あるいは聳え立つ巨悪の狡猾さを上回る愉快な策略を微笑みの裏に忍ばせて。命の燃え尽きぬかぎり、命知らずの冒険者たちは堂々と再起する。

 首をもたげて嗤う竜が大きな大きな影を落とし、強大な雷光の戟を唸らせ待つ。この絶望じみた物語(たたかい)はまだ何も終わってはいない──。

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