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第26話 夢の中、リリス・アルモンド

 竜曜日午前5時42分。航海を続けた大型船、その船室、03号室の開いた扉の隙間からひっそりと明かりが溢れた。


 心地よく波に揺らぐベッドの上で、古い本を胸に抱えながら眠る赤髪の少女は今、一体どんな夢を見ているのだろうか。


「うにゃむ……こだい魔術書……でへへ……」


 珍しい寝言だ。彼女は夢の中でも、その胸に抱えた買ったばかりの本を読み耽っているようだ。


 そんな無防備な寝顔は中々拝めない。

 元よりガライヤの民である彼女は、冒険者そして魔術師として出発した成長の途上。おそらくこれからもその人生を選び、疑うことなく魔道と冒険の道を、熱心に努力を重ねて突き進んで行くのだろう。


 しかし、共に成長をしていく仲間たちとの楽しい航海もずっとは続かない。彼女も誰も、いつか演じていたその役が終わるべき時が来る。その時に、彼女は一体どんな表情(かお)をしているのだろうか。


「きっと、いつものようなむくれたお顔で、ツンと言うんだろうね」


 思わず、赤い髪をそっと静かにかきあげる。すると、見えてきた可愛いおでこがある。手に触れたそこにまだ僅かに熱がこもっているのは、彼女の得意とする火のギフトで魔法の発練を頑張った証だろうか。


「んにゃ……てぇ……むくんで……にゃい……。んん……?」


 赤髪の彼女の眼前を覆っていた大きな影が離れていく。


 ぼやけた不鮮明な視界には、誰かがいる。

 目覚めたばかりの働かない寝ぼけ眼を擦り上げる。そしてリリス・アルモンドは今、まだ眠そうな欠伸をしながら、自分の前に居るその顔を見つめた。


「やぁ、おはよう」


 ベッドから仰向けの彼女の視界に映るのは──。

 少し鬱陶しい長さの黒い前髪に、オニキスのような光る黒い瞳。言われてみればなかなか端正な顔をしているが、どことなく変態味も感じる。


 しかしどこか、その姿がいつもより物足りないのは何故だろう。


 きっといつもはある、あの長い三つ編みの尾がそこにないからだ。確か、昨日の戦闘中に彼は相手に勝つために己の髪を躊躇なく、ばっさりと切ったのであった。


 そんなことを目の前で微笑を浮かべて静止した男の面から、リリスは読み取り思い出していく。


 だが、やはりあの尾のように長い三つ編みがあった方が落ち着くものだ。それに帽子もない。それも被せてあげた方がいいだろう。


 リリスはもう一度目を閉じて、夢のイメージを膨らませていく。魔術師に大切なのは何よりもイメージ力と彼女は師から習ってきたからだ。


 「これも神が大魔術師に与えたお題なのだろう」──そう思ったリリスは、得意なお題ではないものの、夢の中でも魔法の訓練を始めてみた。


 派手なピンクの帽子を被せようとしたところ、途中で何度か、石の舞台で仁王立ちをしていたあの道場の大男が彼女の練るイメージの邪魔をしてきたが、大丈夫、彼女は大魔術師。正しく練り上げたイメージをもって、もう一度その目を見開いた。


「あれ? まだ寝ぼけているのかい? フフ、かわ──」


 ピンクの帽子も、長い三つ編みも、そこにはない。さっき見たものと同じ姿がただそこにある。


 しかし今、彼の声を聞いた瞬間にぞくっとした。このゾクゾクとした感覚が、到底夢とは思えない。


 全身を一瞬通った寒気から何かを悟ったリリスは、目の前の怪しい男面がそのヤバイ台詞の全てを言い切る前に、ベッドから飛び跳ねるように驚いた。


「ってぇ!? な、なななッ、なんで入って来てんのよーーっ!!!」


 これは幻、いや起こり得ない現実。やはりリリスの眠る船室にいたのは、冒険者アキトその変人の姿に他ならない。


 何故、彼が自分の割り当てられた部屋に侵入しているのか。眼前に図々しくもいた不審な男から、後ろに飛び退いたリリスは横に転がっていた魔術書に気づき、それを思わず小さな背に慌てて隠す。


「しーっ。──どうやらここからまた乗り換えるみたいさ。早く準備をイチゴちゃん。ほら髪がぼさぼさだ、フフフふふ」


「ふぇっ!? のり……ふぁえ? っげぇ!?」


 立てた人差し指を、喚く彼女の乾いた唇に押し当てる。アキトは目覚めたばかりの彼女の眼前で、「乗り換え──」そう意味深な言葉を告げて微笑った。


 ベッドの隅で身を縮こまらせていたリリスは、人差し指を立て、前のめりに迫ったその黒髪の男の顔を、引き攣った顔で見つめ返す。


 そして今、目の前の微笑の仮面を貼り付けた男から、そっと手渡された手鏡をおそるおそるもリリスは手に取る。

 映る姿を目を凝らし見れば、おでこまで剥き出しの赤いぼさぼさの髪、目元には暗い隈があるのが確認できた。


 これは表に出れるような顔と髪ではない。

 そんな風に、リリスが苦い顔で睨めっこしていた小さな鏡から、今ふと目を離すと──さっきまで目の前で微笑をしていたはずの男は、もうその背を向けていた。


 こうはしてはいられない。

 ベッドに腰掛けたリリスは、急ぎブーツの紐を結び直し、壁に立てかけていた大事な古杖を取る。しかし途中で首を振り返り、ベッドの上に忘れかけていた古い魔術書も放り込むように鞄の中に詰めた。


 【ise会】の文字と、威勢よく咲き誇る花柄。そんな見慣れたクランの証が金刺繍された緑のマントが、静かに遠く揺らいでいる。目に入れたその男の姿・足音が、やがて木のドアをするりと抜けていく。


 魔術師リリス・アルモンドの冒険は、まだまだ終わらない。寝癖のついた赤髪を櫛に下ろし、鞄を杖先に引っ掛けて船室を飛び出す。


 掲げられた右手が、今出た船の廊下の先でおどけたように揺れている。「はぁ」──彼女は短く息を吐き、慌てていたその表情を少し緩めた。


 赤い髪の魔術師は、振り向かない帽子の男の背を追いかけた────。











「ほな、またしばらくお別れや。二日目、竜曜の神技も大いに頼んだで? この調子でウィンウィンの、お互い最高のパートナークランでいような? そうそう、今度はお小遣いの渡し方もちょっと考えとくわ、意地悪な親や思われたくないからな。ふふふふ」


「こちらとしても、そうしたいさ。フフ」


「ええ、竜曜の神技でも必ず、最良の結果を持って帰って参ります。──では、そろそろ降りましょうか」


 竜曜日、午前5時58分。

 シロツメ支部の一行は、船内から表の甲板へと遅れて出てきたパジャマ姿のマリモ代表に、それぞれしばしの別れを告げた。


 別れの挨拶と激励を終え、欠伸をしたマリモが髪を解いてくれていた従者を連れて、また船内へと引き返していく。


 サイカン本部のパートナークラン(仮)として、そして葬魔七曜血選の二日目に、一人も脱落することなく挑むことになったシロツメ支部の五人。


 今ゆるやかに減速し、接岸し止まった黒い帆の大船から、五人はさっそく久々の地へと降りていく。



「んーーーー! ──って、なんかここ……シロツメやサイカンの港じゃなさそうだけど? 一体どこなわけ……?」


 慣れない船から降り、リリスは一度気分のリセットをするように、腕を上に大きな伸びをした。だが、踵をつけたその場から見渡した──あまり見覚えのない景色に彼女は首を傾げていた。


「記憶違いでなければ、サイカンの港の様相ではないですね。航海時間からしてまだバークローズ王国内、どこか辺境の港でしょうか」


 ミタライは隣にいたリリスが何気なく投じた疑問に同調し、顎に手を当てた。


 やはりそこは五人の誰も見覚えのない、そんな湿っぽい雰囲気の港だ。現在地がどこであるかは定かには分からないが、まだバークローズ王国内の地であるとミタライは推測する。


 マリモ代表に裏のオリンピックとも冗談混じりに称された、【葬魔七曜血選】。開催場所の特定を防ぐために、あえてこのようなどことも知れない街の港に船を停めたのかもしれない。


 皆が降り立った見慣れぬ港の周囲を訝しげに探る中──。

 一人、遠方へと歩き動き出したアキトは、ちょうど港にいた新聞売りの子供から駄賃を渡し新聞を2部、購入した。


 さっそく手にした一部を、両手に開いていく。


⬜︎世界新聞

「激写! トランプメン、ついに捉えたその素顔と正体!」


まさかのバークローズ王国の騎士団員!?


彼がレイピアから繰り出すその華麗なる剣技、花札という異世界の遊戯で巧妙に隠蔽しているが……その技はあの四属性のギフトを誇った聖騎士、シデン・レイラと瓜二つである。


特例で聖騎士の称号を得た彼女は、デモンズソースの事件を最後に死亡を確認されたはずだが……?


真相はいかに、詳しい続報が待たれる。


世間を賑わすD級殺人鬼、その正体が暴かれる時は近い!


(タイムレポーター カレン)

⬜︎



 そして、もう一部。



⬜︎世界新聞

「D級賞金首、怪人トランプメン御用達と噂のポン酢&豆店が世間で流行の兆しか? 店名は【豆・PON!】」


彼の好物であるポン酢と豆が、世間でも支持と人気を得つつある!?


豆・PON!が売り出す自家製のポン酢は、こだわり抜いた柑橘系の果物の風味がガツンと来る、そんな女性にも受けそうなフルーティーな味わいに仕上がっている。

メイン展開する二種のポン酢の商品名は【黒い虎ぽん!】と、【白い虎ぽん!】。

黒は鍋などに合うスタンダードタイプであり、白は黒よりも一段、酸味と果汁感のある仕上がりだ。白はサラダなどにかけると、とても美味しいのでおすすめだ。


そして忘れてはならないのは、この店のもう一つの看板・コンセプトである豆。

中でも売れ筋は、甘く炊いた金時豆と黒豆のハーフ&ハーフ。

大人も子供も食べられる、そんなスイーツより罪悪感のない栄養価の高い甘い豆は、健康志向の富豪たちにも人気を博しているのだとか?


店内には等身大のトランプメンのパネルが置かれていたり、商品の購入者を対象とした限定カードをイベントで配っている時もある。

本人直筆、激レアサイン入りカードをゲットするチャンスか!?


この記事を読み興味を持った方は、是非是非とにかく一度足を運ぶ価値がある。ポン酢&豆専門店【豆・PON!】は、そんなホットなスポットに違いないだろう。


(漫遊アナザーグルメ ジマシー)

⬜︎



 いずれの新聞もアキトが最初に無作為に広げたページに、トランプメンに関する真偽不確かな記事が載っていた。


「フッフ……なるほどね」

 

 購入した同じ世界新聞、二つの新聞の違いは何なのか。単なる日付違いか、それとも──。


 アキトは今歩み寄って来たミタライに、謎の解けた新聞を一部、渡す。


 手渡した際にアキトに何かをぼそりと、耳打ちされたミタライ。彼女は彼に言われた通りに、先に目を閉じつつ思考をし、それから受け取った新聞をめくっていく。


「これは……」


「どうやら既に、そういうことらしい」


 アキトは束ねられたもう一部の新聞を、瞬く間に抜き出したレイピアで一気に貫いた。


 すると、そこにはユラユラと──何も書かれていない無地の紙面が、港に吹いた潮風に紙の擦れる音を立て騒いでいた。


 不可解な耳打ち、そして今目撃した奇妙な新聞の有様に、ミタライはアキトと目を合わせ、黙って深く頷いた。


 港で子供から購入した2部の新聞。その得体の知れない違和感を見抜き秘密裏に共有した、アキトとミタライ。


 そうこう謎の港での時間が経つにつれ、やがて出航し去っていく黒船。そしてまた入れ替えるように、港へと新たに現れた中型船が一隻。


 赤い竜を模った威厳と勢いのある船首が、港で待つシロツメ支部の五人のことを、鋭い眼で真っ直ぐに睨んでいた。


 竜曜の神技、次の舞台へと向けた出航の時は近い。アキトたちは波の上に漂う竜の首の元へと、足並みをそろえて歩き出した。

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