第29話:至高の神格と専属侍女団
白亜の大聖堂に朝を告げる鐘の音が重々しく鳴り響いた。
前夜のソフィアによる決死の懇願から一夜明け、迎賓館の最奥に位置する謁見室には、冷え切った空気が張り詰めていた。
正面の上座には、長旅と周囲の過剰な熱気に当てられて疲労の色を隠せないレンが腰掛けている。そのすぐ斜め後ろには、純白の聖衣に身を包んだ筆頭聖女ソフィアが、一切の隙のない完璧な礼儀作法で控えていた。昨晩、涙ながらにレンの足元へすがりついていた悲壮感は微塵も表に出さず、法皇庁の頂点たる筆頭聖女としての凛とした気品をたたえている。
その二人を仰ぎ見る形で、床に膝をついていたのは、法皇庁の世俗権力を握る教皇とその側近である枢機卿団の長老たちであった。
「……聖人レン閣下。昨日は下級修道女たちに対し、類まれなる奇跡の妙薬と天上の温熱を賜りましたこと、心より感謝申し上げます」
教皇は恭しく頭を垂れながらも、その視線の端でソフィアの様子を鋭く観察していた。彼らの本来の思惑は、この気難しいとされる異国の『神の御子』が少しでも不快感を示せば、専属案内役であるソフィアにすべての責を負わせ、「神託を損ねた偽りの聖女」として大地下修道院へ永久幽閉することにあった。
だが、レンの口から飛び出したのは、彼らの謀略など欠片も意に介さない、極めて事務的な「現場の労務改善」の通達だった。
「教皇様、単刀直入に用件を伝えます。昨日、中庭の冷水で作業をしていた下級修道女たちですが、今日からあのような無意味な屋外雑務は一切禁止にしてください」
謁見室の空気が一瞬で凍りついた。教皇が額に汗をにじませ、恐る恐る顔を上げる。
「は……? 雑務の、禁止でございますか……? しかし閣下、あれは教理に基づく魂の清貧の行であり――」
「あの重度のあかぎれとしもやけを見たでしょう。あんな環境で冷水仕事を続けさせたら、せっかく塗ったヘパリン類似物質軟膏の効果も台無しですし、傷口から雑菌が入って壊死や蜂窩織炎を引き起こすリスクが高すぎます。医学的にも労務管理の観点からも論外です」
レンは淡々と、前世の店舗管理者としての常識を並べ立てた。
「それから、彼女たちは本来、僕の正妻たるソフィアの配下であり、身の回りの世話を担うべき侍女たちですよね。それなら、彼女たちの所属を正式にソフィア様直属の専属侍女団として再編します。これからは雑用ではなく、僕が立ち上げる薬品工場の調合補助や、ソフィアの身辺警護・給仕を担当してもらいます」
「な……っ!?」
枢機卿の一人が息を呑んだ。
(筆頭聖女たるソフィアを形骸化させ、地下へ幽閉しようとしていた企みを、神の御子は完全に看破しておられたのだ……! 雑務の禁止を名目に、法皇庁が握っていた下級聖職者の管理権を力尽くで剥ぎ取り、ソフィアの直属部隊として再組織化するだと……!?)
レンはそのまま、昨晩の脳内シミュレーション通りに淡々と要求を続ける。
「当然、冷え切った大部屋ではなく、しっかり暖房の効いた個室か清潔な宿舎を用意してください。それから、使い捨てカイロの定期配給と、相応の給金も法皇庁の予算から支給してください。彼女たちにはこれから、僕の工場の重要な中核スタッフとして働いてもらいますから」
レンにとっては「せっかく治した皮膚を再び悪化させないための環境整備」と「これから稼働させる薬品工場の清潔な作業員の確保」という、至極合理的で当たり前の指示に過ぎなかった。
だが、それを聞いた教皇と枢機卿たちの脳裏には、かつてない戦慄が走っていた。
教皇は震える膝を石畳に擦り付け、額を床に打ち付けるようにして平伏した。
「め、滅相もございません……! すべては神の御子であられるレン閣下、そして筆頭聖女ソフィア様の仰せの通りに……! 直ちに下級修道女たちを専属侍女団として承認し、最上級の宿舎と給金を教皇庁の特別会計より計上いたします……!」
「あ、うん。話が早くて助かります」
(おや……? なんかすごく物分かりがいいな。法皇庁のお偉いさんだから、もっと予算や規則を盾に渋られるかと思ったのに)
あっさりと要求が通ったことに安堵し、レンはほっと胸をなでおろした。
その背後で、ソフィアは青い瞳を驚愕に見開いたまま、石のように硬直していた。
(……あ、あり得ない……! 私が泣きつき、懇願する間もなく……レン様の一言だけで、あの狡猾な教皇猊下と枢機卿団が完全に平伏してしまった……!?)
昨晩まで自分を陥れようとしていた罠が、レンのたった数分の発言によって跡形もなく粉砕されたのだ。それどころか、名ばかりだった自らの直属配下に、完全な待遇改善と法皇庁の予算に裏付けられた実権が与えられた。
(私が要求したわけでもないのに……。レン様は、私の立場と尊厳を守るためだけに、法皇庁の最高権力者たちをその足元からねじ伏せてくださった……。これこそが、我が夫……真の神の御子の御力……!)
ソフィアの胸の奥で、恐怖と絶望は瞬く間に消え去り、底知れぬ熱を帯びた絶対的な狂信と敬愛へと塗り替えられていった。
◇
数時間後。大聖堂の回廊に、新調された清潔な侍女服を纏った見習い修道女たちが整列していた。
その手には、レンから配給されたカイロが大事そうに握りしめられ、昨日まであかぎれで血を流していた指先には、しっとりとした潤いが戻っている。
「皆様、心してお聞きなさい」
ソフィアが凛とした声を響かせると、少女たちは一斉に姿勢を正し、狂信的な熱を宿した瞳を向けた。
「私たちを過酷な苦痛から救い出し、専属の侍女としてお召し抱えくださったのは、至高なる神の御子、聖人レン様にございます。これより私たちは、レン様の求められるものは全て差し出さねばなりません。そして進められる聖なる事業――薬品工場のすべてを命がけでお支えするのです」
少女たちは胸の前で両手を固く組み、冬の回廊を震わせんばかりの気迫で唱和した。
「「「はい! 至高なるレン様!!そして筆頭聖女ソフィア様のために、」」」
居並ぶ侍女たちの双眸には、もはや教皇庁の教理など微塵も残っていなかった。宿舎も給金も、凍える指先を癒やした奇跡も、すべてを与えてくれた唯一無二の主へ、全存在を差し出す覚悟だけが燃え盛っていた。
その様子を遠くの柱の影から見守っていたレンは、「うん、みんなやる気満々で工場作業の手順もすぐ覚えてくれそうだな」と呑気に頷いていた。
――だが。その認識の甘さを、レンは数時間後に身をもって思い知ることになる。
◇
昼下がり、迎賓館の私室へ戻ったレンは、上着のボタンに手をかけた。
「ふう、午前中の打ち合わせだけで肩が凝ったな。少し服を緩めて――」
「滅相もございませんっ!!」
突如として室内に響き渡った悲鳴のような叫び声とともに、扉の脇に控えていた侍女4人が滑り込んできた。
「至高なるレン様が、御自らの手で衣服に触れられるなど言語道断でございます!」
「あ、あれほどのお手を煩わせるなど、私たちの首が幾つあっても足りません!」
「えっ、ちょ、何!? ただ上着を脱ぐだけ――」
レンの弁明は一切聞き入れられなかった。熟練の連携を見せる侍女たちによって両腕を優しく、しかし万力のような確実さで固定され、あっという間に上着が脱がされる。靴が脱がされ、靴下が脱がされ、襟元のシャツがふわりと肌触りの良い室内着へと着せ替えられていく。
「あ、あの、自分で着替えられるから! むしろ一人でやらせてほしいんだけど!?」
「いいえ! ソフィア様より『レン様の求められるものは全て差し出せ』と仰せつかっております! 至高なる御身に一切の労苦をおかけすることは許されません!」
完全なる着せ替え人形と化したレンが青ざめて硬直しているところへ、昼食を載せた銀のワゴンが運ばれてきた。
「お腹も空いたし、とりあえずご飯を……」
レンがテーブルのフォークへ手を伸ばした瞬間、今度はソフィア自らがスッと割って入った。
「レン様、触ってはいけません」
「……はい?」
「神の奇跡を起こすレン様の手を、世俗の食器なんかで汚してはいけません。さあ、口を開けてください」
ソフィアは銀のフォークで一口大に切り分けた柔らかな肉料理を掲げ、至極真面目な顔でレンの唇の前へ差し出してきた。周囲では十数人の侍女たちが息を呑み、崇高な儀式を見守るかのように両手を組んで熱い視線を注いでいる。
「い、いや、フォークくらい持てるよ!? 自分で食べられるから!」
「レン様。妻である私の役目を奪わないでください……! さあ、あーんです」
「あーんって……!?」
逃げ場のない包囲網の中、レンは観念して口を開けさせられ、咀嚼する以外の動作を完全に封じられた。食事の間中、水差しを持つことすら許されず、コップが唇に当てられるたびに全員から「神の御子が喉を潤された……!」と感涙の吐息が漏れる始末だった。
そして、夕刻。
「……もう嫌だ。今日はお風呂に入って早く寝よう……」
精神を極限まで削られたレンが浴室へ向かうと、脱衣所には湯気とともに、白い麻布を構えた侍女たちが整然と2列に並んで待機していた。
「……あの、皆さん、そこで何をしているのかな?」
「お湯加減の調整、洗髪、背中の流し、湯上がりの拭き取りに至るまで、すべて私どもの神聖なる義務にございます」
「一緒に入ってくる気なの!? 冗談じゃない、お風呂は絶対一人で入る!!」
「なりませぬ! 滑って至高なる御身にお怪我でもあれば、法皇国全土が神罰で滅びます!」
「滅びないから!! 出てって!!」
レンは全力で浴室の内鍵を閉め、かろうじて湯船の単独占有を死守した。
だが、安息の時間は長くは続かなかった。
風呂から上がり、自室へ戻る廊下の途中で、ふと尿意を催したレンは個室(厠)へ駆け込んだ。
さすがに中まで入ってくることはなかったものの――個室の木製扉のすぐ外からは、数人の気配がピタリと張り付いているのが嫌でも伝わってきた。
「レン様、紙の補充は万全でございます」
「外にて清め用の温水と清潔な白布を構えております」
「いつでも心置きなく、御用をお足しくださいませ……!」
(心置きなく足せるわけないだろぉぉぉっ……!!)
扉の向こうから伝わる狂信的なまでの忠誠心と待機態勢に、レンの膀胱はキュッと縮み上がった。
着替えも、食事も、風呂も、果てはトイレに至るまで完全に包囲された24時間の完全奉仕体制。
用を足し終え、扉を開けた瞬間に一斉に深々と頭を下げる侍女たちの頭上を見つめながら、レンは激痛を訴え始めた胃を抱え、涙目で懐の胃薬の特大瓶を強く握りしめるのだった。
◇
【秘儀の受戒と完全無欠の生産ライン】
迎賓館の私室で、レンは朝から机に頭を突っ伏していた。
着替えも食事も風呂も、果てはトイレの扉の外まで完全に包囲される生活が始まってから、わずか3日。このままでは人間としての尊厳どころか、精神が摩耗して消滅してしまうという本能的な危機感を抱いていた。
(……このままじゃ絶対に駄目だ。何とかして、あの子たちの異常な熱量を僕の身体から引き剥がさないと……!)
レンは懐から特大の胃薬の瓶を取り出し、白湯で一気に流し込むと、勢いよく顔を上げた。
解決策は一つしかない。彼女たちを「専属侍女」から、本来の目的である「工場の現場作業員」へとシフトさせ、業務に没頭させることだ。
「ソフィア、専属侍女団の全員を大聖堂の地下工房へ集めてください。いよいよ、薬品工場の立ち上げ作業に入ります」
「はい、レン様! レン様が御自ら率いられる聖なる事業……直ちに全員を招集します!」
ソフィアは胸の前で手を組み、敬虔な眼差しで頭を下げて駆け出していった。
◇
大聖堂の地下工房。かつては教団の雑多な祭具や儀式用の香油が埃をかぶっていた広大な石造りの空間は、教皇庁の特別予算によって徹底的に清掃され、真新しい作業台が整然と並べられていた。
そこに整列したのは、新調された侍女服を纏った見習い修道女たち、総勢50人。全員が、神の御子の第一声を一度たりとも聞き漏らすまいと、瞬きすら惜しむような熱烈な視線をレンに注いでいる。
壇上に立ったレンは、咳払いを一つして切り出した。
「ええと、皆さん。今日からこの場所で、軟膏とカイロの本格的な製造を開始します。それに伴い、非常に重要なお知らせがあります。皆さんの最優先任務は、僕の身の回りの世話ではなく、この現場における製造業務です」
侍女たちから小さなざわめきが起きた。すかさずレンは、彼女たちを日常から切り離すための論理を展開する。
「薬品の製造において、最も恐ろしいのは雑菌の混入と分量のズレです。服に付着した埃、呼気に含まれる飛沫、手の皮膚に常在する菌……そうした微細な汚れが製品に混ざれば、薬は人を救うどころか毒にすら変わります。つまり、これより行う作業は極めて厳格であり、皆さんのすべての集中を注いでもらわなければなりません」
レンは前世の食品加工工場やクリーンルームの衛生マニュアルを思い出しながら、用意していた白布の頭巾、口元を覆うマスク、清潔な作業着、そして薄手のゴム手袋を掲げた。
「作業エリアに入る前には、全員この防護具を着用すること。次に、この薬用石鹸と流水で爪の間まで30秒以上入念に手を洗い、アルコール液を吹きかけて完全に乾燥させること。そして作業台では私語を一切禁止し、原料の計量は1ミリグラムの狂いも出さず、秤の目盛りを正確に読み取ってください。……これを徹底できない者は、この場に立つ資格はありません」
レンの意図は極めて単純だった。
細かすぎるルール、厳しい衛生管理、息の詰まる無言の作業――前世のアルバイトなら誰もが嫌がる過酷な規律を課すことで、彼女たちの過剰な熱意を適度に冷まし、意識を作業へと縛り付けること。そして何より、業務で疲れ果てさせれば、自分の部屋に押し寄せてくる余力などなくなるはずだ、という計算だった。
だが――。
正面に並ぶ少女たちの反応は、レンの予想の真逆を行っていた。
「……お聞きになりましたか?」
「ええ……。己の身を清浄な白布で覆い、手足を清め、一言も発さず、寸分の狂いもなく物質を調和させる……」
「これぞ、選ばれし者のみに許される【聖なる秘儀の受戒】……!」
少女たちの瞳に、凄まじい光が宿った。
彼女たちにとって、レンから下された衛生管理マニュアルは、単なる作業手順などではなかった。神の御子がもたらした「奇跡の物質」をこの世に具現化するための、極めて神聖で冒涜の許されない「至高の典礼作法」として脳内変換されたのだ。
「「「至高なるレン様!! 謹んで、その秘儀をお受けいたします!!」」」
地鳴りのような返答が地下工房に響き渡った。
(……あれ? なんか引くどころか、余計に気合が入っちゃってない……?)
レンの背筋を冷たい汗が伝った。
◇
それからの地下工房の光景は、レンの知る「作業現場」の概念を遥かに超越していた。
防護具を纏った少女たちは、まるで神前の儀式に臨む神官のように無言で整列し、砂時計で正確に30秒を計りながら指先を擦り合わせて洗浄を繰り返した。アルコール噴霧の工程では誰一人として身じろぎもせず、一糸乱れぬ所作で作業台へ向かう。
私語は完全にゼロ。室内に響くのは、天秤のわずかな金属音と、薬匙が粉末をすくう微細な摩擦音だけだった。
軟膏の基剤となる油脂の温度管理では、温度計の目盛りに5人がかりで視線を集中させ、1℃のズレも許さず火加減を調整する。カイロの原料となる鉄粉、活性炭、塩の調合では、配合比率の誤差を「神への不敬」と見なし、ミリグラム単位の計量を完璧にこなしていく。
前世の熟練工ですら数週間を要する作業手順を、彼女たちは狂信的な集中力によって初日だけで完全に身につけていた。ミス率は驚異の0%。それどころか、作業効率はレンが想定していたスケジュールの5倍以上の速度で跳ね上がっていった。
「す、すごいな……。教えた通りに完璧にやってくれてるけど……なんか、空気が重いというか、宗教儀式そのものなんだけど……」
レンが作業台の間を巡回しながらポツリと漏らすと、ソフィアが静かに歩み寄ってきた。
「レン様。あの子たちは皆、自らの命を捧げる覚悟で調合に臨んでいます。レン様からいただいたあのカイロと軟膏は、彼女たちにとって神の慈悲そのもの。それを自らの手で生み出す栄誉を得たのですから、魂のすべてを注ぎ込むのは当然です」
「いや、魂までは注がなくていいからね!? あくまで安全第一の軽作業だから!」
だが、レンの言葉が届くことはなかった。
休憩時間を告げても、侍女たちは「至高なる御業を中断するわけにはまいりません」と作業台から離れようとせず、レンが「休むのも業務命令です!」と指示してようやく湯茶を口にする始末だった。
◇
そして、操業開始からわずか数日後。
教皇庁の最高意思決定機関である大評議会室に、悲鳴に近い報告がもたらされた。
「きょ、教皇猊下!! 大聖堂の地下より、物資の集積報告書が上がってまいりました!!」
青ざめた顔の補佐官が差し出した羊皮紙を奪い取り、教皇は眼鏡の奥の目を剥いた。
「な……なんじゃこの数字は!? 奇跡の温熱袋が日産3000個、あかぎれを瞬時に癒やす天上の軟膏が日産1000壺だと……!? まだ稼働して数日しか経っておらんのだぞ!?」
「は、はい! 本来であれば高度な魔導士が何日も祈祷を捧げてようやく数個抽出できるかどうかの霊薬が……地下の工房から、途切れることなく吐き出されております!」
枢機卿たちが戦慄の面持ちで立ち上がった。
「あり得ん……! 奇跡とは、選ばれし聖職者が一生をかけて手にするものではないのか!?」
「それを、昨日まで冷水で雑用をしていた見習い修道女たちにやらせ、この短期間でこれほどの量を……!?」
「神の御子は……奇跡を『量産』しておられるのだ……!」
教皇の手から羊皮紙が滑り落ち、カサリと床に落ちた。
「……恐ろしいお方だ。我らの足元にいた最も無力な少女たちを束ね、一切の無駄を削ぎ落とした絶対服従の生産部隊へと作り変えた……。彼女たちはもはや教皇庁の信徒ではない。神の御子レン閣下のためにのみ奇跡を紡ぐ、完全無欠の眷属と化したのだ……」
もしレンがこの生産体制をそのまま法皇国の外へ持ち出し、民衆へ直接配給し始めればどうなるか。
教皇庁の権威など一瞬で吹き飛び、信徒の信仰はすべてレンへと雪崩を打って移動する。教団の生殺与奪の権は、完全にレンの掌中に握られたのだ。
「逆らうことなど、もはや絶対に許されぬ……。直ちに全教区へ通達を出せ。レン閣下のお求めになる資材、原料、人員……すべてを最優先で差し出せと!!」
教皇は震える声で命じ、天を仰いだ。
◇
その日の夕方。迎賓館の私室へ戻ったレンは、満足げに息を吐いた。
「ふう、現場がうまく回り始めてよかった。みんな作業に夢中だったし、これなら僕の周りにつきまとう暇もないだろう。今日こそは、一人でゆっくりお茶を飲んで休めるぞ」
レンがソファーに腰を下ろし、自分で淹れたお茶に手を伸ばした――その瞬間だった。
ガラリと扉が開き、防護具を脱ぎ捨てて再び純白のエプロンドレスに着替えた侍女たちが、整然と隊列を組んで雪崩れ込んできた。その先頭には、満面の笑みを浮かべたソフィアが立っている。
「「「レン様、お疲れ様でございました!!」」」
「……えっ?」
「レン様のお導きのおかげで、本日の生産目標を大幅に前倒しで達成いたしました! つきましては――」
ソフィアが胸を張り、誇らしげに告げた。
「浮いた時間のすべてを使い、専属侍女団全員でレン様の夜のお世話に全力を尽くします! さあ、本日の湯浴みと夕餉、そして就寝前の肩もみの準備は万全です!」
侍女たちの瞳には、日中の作業を完璧にやり遂げた達成感と、主へのさらなる狂信的な忠誠心がギラギラと燃え盛っていた。
「……え、嘘でしょ? 疲れてないの……?」
「レン様のために奇跡を紡ぐ作業など、疲れどころか魂の歓喜にございます! さあ、上着をお脱ぎくださいませ!」
「お湯の温度は、レン様のお好みに合わせ完璧に調合いたしました!」
「自分で脱げる! お風呂も一人で入るって言ってるでしょぉぉぉっ!!」
レンの悲鳴が夜の迎賓館に木霊した。
業務を効率化させた結果、余剰時間がすべて「身の回りの過剰奉仕」へと再投資されるという最悪の永久機関が完成してしまったことに、レンが気付いた時にはもう手遅れだった。




