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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第97話 トート

 店を出たあとの温泉郷は、ようやく熱をほどき始めていた。


ついさっきまで人声で膨らんでいた商縁通りも、今は湯気の向こうで輪郭がやわらかい。遅くまで灯りをつけていた店も、ひとつ、またひとつと戸を閉め始めていた。


それでも、今日の熱までは消えない。


共鳴鈴を胸に抱えて帰る女。

「やっぱ七曲目だろ」「いや最後だ、最後」と湯上がりの顔で言い合っている若い連中。

音舞殿の方を何度も振り返ってから、ようやく歩き出す客。


舞台は終わった。

終わったのに、町の中ではまだ歌が生きている。


あれは、かなりいい終わり方だった。


ゼノは夜気を吸い込みながら、一人で家へ戻った。


ミラベルは取った。

ノクシアの次も動き出した。

リリアンのことは――今は横に置く。


明日からはまた現場だ。


飯場。

仮宿舎。

基礎。

そして、いよいよダンジョン。


 家へ入って灯りをつけた瞬間、急に静かになった。


さっきまで人の声の中にいたせいだろう。机と椅子と、紙と炭筆しかない自分の部屋が、妙に広く見える。


ゼノは上着を脱いで椅子の背へ引っかけ、そのまま机の前へ座った。


紙を広げる。


王都外れの耕作放棄地。

仮設飯場の位置。

宿舎。

沈み始めた基礎。

その先に、まだ形を持たないダンジョンの入口。


ここまではいい。


ゼノは炭筆を持ち、紙の上へ線を落とした。


入口前の広場。

人の流れ。

初級探索者用の浅い層。

採取層。

訓練用の広い空間。

団体向けの回遊路。

鉱脈を見せる場所と隠す場所。

水脈の引き込み。

最初は閉じておいて、何度か潜った人間だけが気づく裏導線。

あえて遠回りさせる曲がり角。

一度「帰ろう」と思わせておいて、もう一歩だけ踏み込みたくなる配置。


するすると出てくる。


滑るみたいに出てくる。


そこで、手が止まった。


「……いや」


ゼノは紙の上を見たまま、小さく呟いた。


これはただの思いつきじゃない。

構造だ。

しかも、遊ぶ側の発想じゃない。作る側、嵌める側、回す側の発想だ。


ゼノは前世でダンジョンに詳しかったわけじゃない。


ゲームはやった。

漫画も読んだ。

好きだったと言えば好きだ。


だが、こんなふうに、入口の顔から深層の見せ方まで、建てる側の理屈で細かく浮かぶほど知っていたかと聞かれたら、絶対に違う。


「……おかしいだろ」


今さらだった。


今さらだが、かなりおかしい。


ゼノは炭筆を置いた。


机に肘をつき、しばらく紙を見下ろす。

それから顔を上げた。


「おい」


誰もいない部屋で、少し強い声を出す。


「聞こえてんだろ」


沈黙は長くなかった。


《リュケオン:聞こえてるぞ》

《エモーシア:急に怖い顔しないでちょうだい》

《ラグゼル:何だ》

《フィクサル:用件を言え》

《ノクティア:夜に呼び出し? 悪くないわね》


ゼノは椅子に深く座ったまま、机を指で軽く叩いた。


「前から変だと思ってた」

言う。

「俺、ダンジョンなんてそこまで知らねえんだわ」


少し間。


《リュケオン:へえ》

《ゼノ:へえ、じゃねえよ》

《エモーシア:でも出てくるのよね》

《ゼノ:出てきすぎなんだよ》

《ラグゼル:ふむ》

《フィクサル:それで》


ゼノはそこで目を細めた。


「俺にダンジョン寄りの知識、流したやついるだろ」

はっきり言う。

「誰だ」


部屋が静かになる。


神たちは、こういう時だけいやに間を取る。


《リュケオン:俺じゃない》

《エモーシア:私でもないわ》

《ラグゼル:違うな》

《フィクサル:俺でもない》

《ノクティア:私は夜と舞台の方。地の下は専門外よ》


ゼノは机を指先で、とん、と叩いた。


「全員違う?」


返事がない。


その返事のなさが、一番分かりやすかった。


いる。

絶対いる。


ゼノは椅子にもたれ、少しだけ口元を歪めた。


「ほら」

言う。

「出てこいよ」


沈黙。


「関与した以上、最後まで面倒見ろ」

続ける。

「俺の頭に勝手に図面仕込んだ責任、取れ」


《リュケオン:出てきなよ》

《エモーシア:ばれてるわよ》

《ノクティア:往生際が悪いわね》

《ラグゼル:ここまで来たら隠す意味はない》

《フィクサル:観念しろ》


ゼノは完全に偉そうだった。


「俺、今さら遠慮しねえからな」

紙の上の図面を叩く。

「半端に触ったなら、明日から働け」


少し置いて、知らない声が落ちてきた。


《名無しの神:……実に粗雑な呼び出し方だな》


初めて聞く声だった。


若くはない。

老いてもいない。

よく通るのに、軽くない。

静かな声なのに、どこかで音を測っているような感じがある。


ゼノは少しだけ背筋を正した。


「お前か」


《名無しの神:まだ名乗っていない》


「じゃあ名乗れ」


短い沈黙のあと、その声は、まるで余計な手順を省くみたいに言った。


《トート(名無しの神):トートだ》


ゼノの目がわずかに動く。


「トート」


《トート:そうだ》

声は平坦だった。

《トート。書記、知恵、測定、言葉、月。お前の世界で言うなら、エジプト神話の名で呼べばそれで通る》


リュケオンが、待ってましたみたいに騒ぐ。


《リュケオン:出たな、盤面好き!》

《エモーシア:やっとね》

《ノクティア:引っ張ったわねえ》

《ラグゼル:やはりお前か》

《フィクサル:腑に落ちた》


トートは、その騒ぎごと切るように言った。


《トート:騒ぐな。話が散る》


その一言だけで、空気が少し締まる。


軽くない。

だが堅すぎもしない。

理屈の通る場所へ、会話を戻そうとする声だ。


ゼノは少しだけ笑った。


「思ってたより真面目だな」


《トート:雑な相手に合わせて崩れる趣味はない》

トートは即答した。

《トート:それより本題へ入れ。お前は、自分の発想に異物が混じっていると気づいた。そこまでは正しい》


「で、お前が入れた」


《トート:補助した》

トートは訂正する。

《トート:正確に言えば、お前にないものを丸ごと押し込んだわけではない。お前の中にあった構想に、盤面として成立するための理を少し与えた》


ゼノは眉を上げた。


「盤面」


《そうだ》

トートの声は、そこで少しだけ温度を持った。

《トート:入口で何を見せるか。どこで迷わせるか。どこで成功体験を与えるか。どこで欲を起こさせるか。どこで引かせ、どこでもう一歩踏ませるか。ダンジョンとは単なる穴ではない。構造化された遊戯であり、淘汰であり、選別であり、反復の快楽だ》


ゼノは思わず黙った。


そこだった。


気持ち悪いくらい自然に浮かんでいた発想、その骨だ。


階層の役割分け。

成功体験の置き方。

少しずつ開く気持ちよさ。

戻ってきたくなる盤面。


自分だけのものじゃなかった。


「……やっぱりお前か」

小さく言う。


《トート:当然だ》

トートは答える。

《トート:お前の構想には最初から素質があった。町とダンジョンを分けず、一体の循環として見ていた。その発想は悪くない。ならば盤面の理を少し与えれば、形になると判断した》


「勝手に適性判定すんな」


《判定ではない。観測だ》


言い方がいちいち腹立たしい。

でも、筋は通っていた。


なら、遠慮はいらない。


「よし」

ゼノは指を組んだ。

「じゃあ明日から手伝え」


少し間が空く。


《トート:……命令形か》


「当たり前だろ」

ゼノは平然としていた。

「関与した以上、最後まで面倒見ろ。入口、基礎、階層構造、初回導線、探索者の気持ちの乗せ方、そのへん全部だ」


《トート:図々しいな》


「今さらだろ」


《リュケオン:それはそう!》

《エモーシア:たしかに今さらね》

《ノクティア:あなた、この男に見つかった時点で負けてるのよ》

《ラグゼル:諦めろ》

《フィクサル:責任は取れ》


トートは、明らかに不本意そうに一拍置いてから言った。


《トート:……分かった》

声は変わらず真面目だった。

《トート:今後はダンジョン構築に加担する》


ゼノはそこで少しだけ口元を上げる。


「加担、って言い方いいな」


《トート:協力と呼ぶには、お前の態度が横柄すぎる》


「でもやるんだろ」


《トート:やる》


「加護は?」


《トート:話を勝手に進めるな》


「落とせよ」

ゼノは即答した。

「半端な知識だけ流されても困る。導線把握、階層設計補助、入口印象、そのへんは要る」


また少し間が落ちた。


渋っている。

だが逃げる気配ではない。


《トート:……最初は“導線把握”と“階層設計補助”》

やがてトートが言う。

《加えて“入口印象補助”を少し。だが盛りすぎるな。最初から複雑にしすぎれば、盤面は死ぬ》


「分かってる」

ゼノはすぐに頷いた。

「最初から全部開ける気はない」


《トート:ならいい》


《リュケオン:仕事始まったな!》

《エモーシア:これでまた一歩進むわね》

《ノクティア:ほんと、神を働かせるの上手くなったわね》

《ゼノ:遠慮してられないだけだ》

《フィクサル:いつものことだな》

《ラグゼル:だが悪くない》


ゼノはそこで、ふと思い出したように顔を上げた。


「……待て」


《トート:何だ》


「お前ひとりで来る気か?」


今度はトートが少し黙った。


「ダンジョンだぞ」

ゼノは言う。

「入口と導線だけじゃ足りねえ。帰ってこられる空気、回復、循環、再生、そのへんも要る」


《トート:……》


「呼べるんだな」


《トート:呼べなくはない》


「呼べ」


《トート:お前は本当に遠慮がない》


「必要だから言ってる」

ゼノは机に肘をついたまま返す。

「町ごと抱えるなら、作るだけじゃ駄目だ。潜らせて、戻して、また潜らせる流れが要る。ダンジョン単体で考えたら死ぬ」


《エモーシア:それは正しいわね》

《ラグゼル:循環の視点は必要だ》

《フィクサル:維持の理がない構造は脆い》

《ノクティア:ほら、呼びなさいよ》

《リュケオン:ここまで来たら豪華にいこうぜ!》


トートは、観念したみたいに淡々と言った。


《トート:……イシス》


トートがその名を落とした瞬間、部屋の空気が少し変わった。


静かだった。

けれど、ただ静かなだけじゃない。

張るような静けさだ。


ゼノは無意識に姿勢を正した。


「来てるのか」


少し遅れて、女の声が落ちてきた。


《イシス:呼ばれたから来たのよ、トート》


やわらかい声だった。

なのに、薄くない。

布で包むみたいに耳へ入ってくるのに、その奥に刃みたいな芯がある。


《トート:来るのが早い》


《イシス:あなたが誰かに巻き込まれている時は、大体そうでしょう》

そこで少しだけ笑う気配がした。

《イシス:それに、あなたが呼ぶなら、無視する方が面倒だもの》


ゼノは思わず言った。


「夫婦かよ」


《トート:違う》

即答だった。

《トート:エジプト神話の初歩からやり直せ》


《イシス:私はオシリスの妻で、ホルスの母》

イシスの声は静かだった。

だが、訂正に迷いがない。

《イシス:トートは夫ではないわ。けれど、魔法の理を教えてくれたのは彼。術式の組み方、言葉の編み方、見えないものへ名前を与えるやり方――そういう“魔術の骨”は、彼から受け取ったもの》


《トート:余計な言い方をするな》


《イシス:でも、力そのものは私の方が上になった》

さらりと言う。

《イシス:そこは認めるでしょう》


《トート:否定はしない》

少し間を置いて続けた。

《トート:術を組むのは俺だ。通す力はお前の方が強い。役割が違うだけだ》


そのやり取りだけで、二柱の立ち位置が見えた。


トートは、理を組む。

盤面を整え、言葉を与え、構造に筋を通す。


イシスは、それを通す。

守り、満たし、再生させ、術を現実へ落とす。


なるほど。

そりゃ強い。


ゼノは机に肘をついたまま、まっすぐ聞いた。


「手伝ってくれますか」


《イシス:まず、何を作るつもりなのか聞かせて》


「町と一体で回るダンジョンです」

ゼノは即答した。

「潜るだけの穴じゃない。戻ってきたら飯がある。湯がある。休める。買える。また来たくなる。そういう流れごと作る」


少し間。


《イシス:……なるほど》

声が、ほんの少しだけ変わる。

《イシス:ダンジョンと暮らしを分けていないのね》


「分けたら死ぬんで」

ゼノは答える。

「ダンジョンだけ立派でも、町が貧相なら続かない。町だけ綺麗でも、ダンジョンがつまらないと人は来ない」


《イシス:いい考え方だわ》


その一言が、妙に深く響いた。


イシスはそこで、少し考えるような間を取った。

それから、静かに言った。


《イシス:なら、ひとつ入れましょう》


「何を」

 

《イシス:魔術師のためのダンジョンよ》


ゼノの指が、机の上で止まった。


「……魔術師の」


《トート:ああ。いい》

今度はトートが続ける。

《トート:お前が今描いているのは、探索者全般に向けた盤面だ。戦士も、採取者も、団体も入れる。悪くない。だが、それだけでは浅い》


《イシス:魔術師には、魔術師だけが欲しがる迷宮があるの》

声が少し低くなる。

《イシス:ただ敵を倒すための階層じゃない。術式を試したくなる場所。魔力の流れそのものを読みたくなる空間。間違えば危ないのに、正しく踏めば深く潜れる場所》


ゼノの背中に、ぞくりと何かが走った。


それは確かに、面白い。


探索者全体に向けた入口とは別に、魔術師だけが食いつく階層を持つ。

普通の冒険者には少し面倒で、でも術者にとっては宝の山みたいな構造。


「具体的には」

ゼノが聞く。


《イシス:魔力溜まりのある区画》

《トート:術式反応で開く扉》

《イシス:詠唱と無詠唱で反応が変わる壁》

《トート:一定量の魔力を流さないと起動しない転位陣》

《イシス:逆に、力任せに流しすぎると崩れる部屋》

《トート:魔力の質で道が変わる分岐》

《イシス:そして、深層には“術を学ぶ者”しか欲しがらない報酬》


ゼノは、思わず笑いそうになった。


「それ、めちゃくちゃ面白いな」


《トート:当然だ》

《イシス:ただし、雑に作ればただの嫌な迷路よ》


そこだった。


嫌な迷路じゃ駄目だ。

意味が要る。

魔術師が「うわ、めんどくせえ」と思いながらも、次はもっと上手くやれると感じる構造でなければいけない。


「魔術師のダンジョン、か」

ゼノは図面の端へ新しい線を引いた。

「通常導線とは別口にするべきだな」


《トート:別にしろ。戦士向けの盤面に術者の理屈を混ぜると、どちらも死ぬ》


《イシス:でも、完全に切りすぎても駄目。表からは見えない。でも、ちゃんと同じ迷宮の下にある。そういう気配が要るわ》


「隠し枝か」


《トート:枝というより、知った者だけが触れる第二の顔だ》

《イシス:気づかない者はそのまま帰る。気づいた者は、帰ってきたあとも頭から離れない》


いい。

かなりいい。


ゼノの中で、一気に輪郭が出る。


入口は三つ。


初心者向けの表導線。

採取や回遊のための中導線。

そして、最初は存在すら見えにくい、魔術師のダンジョンへ繋がる裏導線。


普通の探索者には、ただの壁。

ただの行き止まり。

だが、魔力に敏い者、術を扱う者、あるいは一定条件を満たした者だけが、その先に気づく。


「いいな」

ゼノは小さく呟いた。

「それなら、ダンジョン自体に格が出る」


《ラグゼル:客層も分かれるな》

《エモーシア:魔術師は、難しいものほど欲しがる時があるものね》

《リュケオン:いいじゃん! 隠し職業ダンジョンみたいで!》

《フィクサル:だが調整を誤るな。難しさと理不尽は違う》


「分かってる」

ゼノは答える。

「腹が立つだけの仕掛けは二流だ。解けた時に気持ちよくないと、誰も戻ってこない」


《トート:理解が早いな》


「お前がさっきから言ってるの、それだろ」

ゼノは図面を見ながら言う。

「初見で全部は解かせない。でも、二回目に来る理由を残す。三回目で、ああそういうことかってさせる。魔術師のダンジョンなら、そこをもっと濃くすりゃいい」


《イシス:ええ》

イシスの声が、ほんの少しだけ満足そうになる。

《イシス:魔術師は、力だけでは飽きるの。難しさに理が通っていて、その理を自分で解いた実感があると、深くハマる》


《トート:だから盤面が要る》

《イシス:だから循環も要る》


ゼノは笑った。


「役割分担、綺麗だな」


《トート:綺麗でなければ続かん》

《イシス:雑に強いだけでは、すぐ壊れるもの》


机の上の紙へ、また線が増える。


通常探索路の外側に、薄く重ねるように魔術師区画。

術式反応の扉。

魔力溜まり。

反射する壁。

起動条件付きの転位。

学ぶ者ほど深く潜れる構造。


「これ、深層に行くほど“敵”より“術”が主役になるな」


《イシス:そう》

《イシス:魔術師のダンジョンは、斬るためのものではなく、読むためのもの》

《トート:ただし、読むだけで抜けられるほど甘くもするな》


「そこは分かってる」

ゼノは頷いた。

「術を間違えたら、ちゃんと痛い目は見た方がいい」


《イシス:でも死なせすぎない》

《トート:戻ってきて、悔しがって、次を考える程度がいい》


その加減が、一番難しい。

だが、その難しさが今はたまらなく面白かった。


「じゃあ」

ゼノは炭筆を握り直した。

「明日から、通常の入口基礎を進めつつ、魔術師区画の枝も仕込む」


《トート:最初から露骨に見せるな》

《イシス:でも、気配は残して》

《フィクサル:見えないが確かにある、くらいがいい》

《ノクティア:気づいた時に“何あれ”ってなる顔、好きなのよね》

《ゼノ:お前はそういうの好きそうだな》

《ノクティア:でしょう?》


ゼノは紙の上へ、さらに濃く線を落とした。


入口前の広場。

三つの顔を持つ導線。

その奥に、もうひとつ。

まだ名を持たない、術者だけの顔。


これだ。


これで、ダンジョンはただの集客装置じゃなくなる。

町の芯であり、遊びであり、挑戦であり、学びであり、癖になる場所になる。


やれる。

かなりやれる。


《リュケオン:うわ、めっちゃワクワクしてきた!》

《エモーシア:普通に潜る人も、魔術師も、どっちも取れるわね》

《ラグゼル:客層が厚くなる》

《フィクサル:悪くない》

《ノクティア:入口だけでもう見に行きたくなってきたわ》


「よし」

ゼノが言った。

「じゃあ決まりだ。通常導線とは別に、魔術師のダンジョンも入れる」


《トート:ようやく言葉になったか》

《イシス:その方が、あなたの町には似合うわ》


ゼノは、そこで少しだけ口元を上げた。


「なら、お前らちゃんと働けよ」


《イシス:相変わらず偉そうね》

イシスが少し笑う。


《トート:だが、まあいい》

トートは真面目なまま言った。

《トート:盤面は組んでやる》


《イシス:帰ってこられる理も添えるわ》


そこまで揃ったなら、もう引く理由はない。


夜は深い。

でも、眠くはなかった。


明日からまた現場だ。

飯場。

仮宿舎。

基礎。

そしてダンジョン。


その下には、もうひとつ潜る顔がある。

術を読む者のための迷宮。

魔術師のダンジョン。


ゼノは炭筆を握り直した。


町の芯は、まだ深くなる。


今夜の図面は、昨日までの図面じゃない。

入口の下に、もう一枚、薄くて危険で、ひどく面白い顔が増えた。


それを思うだけで、少し笑えた。


夜更けの部屋で、ゼノはもう一本、濃く線を引いた。

 

――――

次回

 第98話 迷宮の口


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