第77話 王都の外れに、次の火を置く
王都の朝は、昼へ向かうほど綺麗になる。
石畳は乾き、窓は光を返し、人も馬車も“正しい流れ”の中へ戻っていく。
昨日の拍手も、王都の裏で拾った掠れ声も、そんなものは最初からなかったみたいな顔で、街は今日も整っていた。
レオニスに会う前、ゼノは少しだけ足を止めて、王都の外へ続く方角を見た。
城壁の向こう。
街のさらに先。
自分が昔、追放された時に降ろされ歩いた道。
王都の外縁を越えた先には、今はもう誰も手を入れていない耕作地がある。
荒れた畝。
放棄された水路。
土だけ残った、忘れられた土地。
そのさらに先に、温泉郷へ続く草原が広がっている。
ゼノにとって、あそこは“捨てられる側へ続く場所”だった。
だが今は違う。
あれは境目だ。
王都と温泉郷の間。
古い秩序が薄くなって、まだ誰のものにもなっていない場所。
だったら、置ける。
次の火を、あそこへ置ける。
――
レオニスに通されたのは、前と同じ私的な応接の間だった。
広い。
だが、見せつけるための豪奢さはない。
必要なものだけが整えられた、王子が本気の話をする時の部屋だ。
ラウスが壁際に立っている。
侍従長もいる。
昨日の公演の翌日だから、もう少し空気が緩んでいるかと思ったが、そうでもなかった。
王都の人間は、終わった翌日の方が仕事の顔へ戻るのが早い。
「来たか」
レオニスが言う。
「昨日はありがとうございました」
ゼノは一礼した。
「まず、その礼を」
「礼を言われるほどのことはしていない」
レオニスは短く返した。
「いい歌を聞かせてもらっただけだ」
軽い言い方ではない。
だからこそ、ゼノにも真っ直ぐ届く。
「勇者たちにも、ちゃんと届いていたように見えました」
ゼノが言う。
「見えていたなら、それでいい」
レオニスはそう言ってから、少しだけ目を細めた。
「だが、今日ここへ来たのは礼だけではないな」
「はい」
「顔に出ている」
ゼノはそこで少しだけ笑った。
この人は、本当にそういうところだけ妙に鋭い。
「次の話があります」
レオニスは椅子の背へ軽く身を預ける。
「言え」
ゼノは、一度だけ息を整えた。
ここからの話は、昨日拾ったエマのことだけではない。
もっと大きい。
王都で歌って終わるつもりのない話だ。
「王都の外れの土地についてです」
ゼノが言う。
レオニスの目が、ほんの少しだけ動く。
ラウスも顔を上げた。
「どのあたりだ」
侍従長が先に聞く。
「王都の外縁を越えた先です」
ゼノは言った。
「今は使われていない耕作地があります。その先に、温泉郷へ続く草原が広がっている」
「……あそこか」
ラウスが低く言う。
「放棄された畑が続いている一帯」
「はい」
レオニスはまだ何も言わない。
だが、その沈黙は“続きを言え”の沈黙だった。
ゼノはそのまま続ける。
「あそこに、ギルドとダンジョンを作りたいです」
部屋の空気が一拍だけ止まった。
ラウスはさすがに表情を崩さなかったが、侍従長の目がほんのわずかに細くなる。
レオニスだけが、じっとゼノを見ていた。
「……面白いことを言う」
王子が言った。
「本気です」
「だろうな」
レオニスは短く言う。
「お前は冗談でそんな顔をしない」
そこで少しだけ口元が動いた。
「だが、規模が急にでかくなったな」
「温泉郷だけを強くしても、いずれ限界が来ます」
ゼノは答えた。
「歌も、客も、人の流れも、今のままだと全部温泉郷に寄りすぎる」
「だから、王都との間に置くのか」
「はい」
レオニスの視線が少しだけ鋭くなる。
ちゃんと分かってきた時の目だ。
「ただの中継地じゃありません」
ゼノは言う。お
「王都の外れ。温泉郷の手前。その境目に、新しい流れを作るんです」
「ギルドを置く理由は」
侍従長が問う。
「人を集めるためです」
ゼノは即答した。
「冒険者。荷運び。職人。護衛。採取者。回復役。ダンジョンを置けば、人は自然に動きます」
「ダンジョンまで要るか?」
ラウスが聞く。
「要ります」
ゼノは頷いた。
「理由のない人の流れは弱い。ですが、稼ぎと目的がある場所には根が張る」
レオニスは黙って聞いている。
「そして、温泉郷が隣です」
ゼノは続けた。
「潜る。稼ぐ。傷む。疲れる。だったら、そのまま温泉郷へ流せる」
「勇者たちも、か」
レオニスが言う。
「はい」
ゼノは答えた。
「昨日見て、やっぱり思いました。勝って帰ってきても、あの人たちはすぐには休めていない。王都の中だと、どうしても“勝者の顔”を求められる」
そこまで言って、一度だけ言葉を切る。
「でも、王都の外れなら違います」
ゼノは言う。
「王都からは近い。でも、王都の顔を外せる。温泉郷に寄れば、なおさらです」
レオニスの目が、そこで少しだけやわらいだ。
多分、その部分には確かに引っかかったのだろう。
「勇者を休ませる場所、か」
王子が小さく言う。
「ただの保養地じゃ弱いです」
ゼノは言った。
「だからギルドが要る。人が来る理由が要る。冒険者が集まり、王都の外でも稼ぎが回る場所。そのうえで、傷んだ者が湯へ流れる」
「音楽の会場は、どこに入れるつもりだ」
侍従長が問う。
ゼノは少しだけ口元を上げた。
そこを聞いてくれたなら、もう半分は通じている。
「ギルドの近くです」
ゼノは答える。
「でも、酒場の延長みたいな粗いものじゃない。きちんとした会場です」
「何のために」
ラウスが聞く。
「戻ってきた人間に、終わらせる場所を作るためです」
言ってから、ゼノは自分でも少しだけしっくりきた。
「終わらせる?」
レオニスが聞き返す。
「はい」
ゼノは頷く。
「戦って帰る。傷を負う。仲間を失う。勝つ。負ける。そういうのを、王都じゃ飲み込めない人間が必ず出る」
昨日の勇者たちの顔が浮かぶ。
笑っていた。
でも、終わってはいなかった。
「だったら」
ゼノは言う。
「飯と湯だけじゃ足りない。音が要る」
部屋の中が少しだけ静まる。
レオニスは、その一言をちゃんと聞いた顔をした。
「歌か」
「歌じゃなくてもいいです」
ゼノは答えた。
「楽器でも、朗読でも、芝居でもいい。でも、“言葉にできないものを置く場所”は要ります」
ラウスが低く言う。
「王都の中には、そういう場所がない」
「あります」
ゼノは否定した。
「でも、王都の中にある時点で、どうしても“見せるための場”になる」
「外れなら違うと?」
「少なくとも、少しは顔を外せます」
ゼノは言う。
「それに、温泉郷が隣です」
レオニスはそこで、ようやくはっきり笑った。
「結局そこに戻るか」
「戻ります」
ゼノも少しだけ笑う。
「温泉郷は強いので」
そこでゼノは、一度だけ言葉を切った。
「ただし」
レオニスが目を上げる。
「ギルドも、ダンジョンも、土地も、俺の持ち物にする気はありません」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
侍従長が静かに問う。
「では、誰の管理に置くつもりですか」
「国です」
ゼノははっきり言った。
「王都の外れに作るなら、なおさらです。ああいう場所を個人や一部の貴族に握らせたら、次は利権の取り合いになる」
ラウスが目を細める。
「……なるほど」
「ダンジョンで人が動く。ギルドで依頼が回る。宿が埋まり、飯屋が儲かり、荷が増え、道が使われる」
ゼノは続けた。
「その流れの中心を国が押さえるなら、取れる金はちゃんと国庫へ入る」
レオニスは、黙って聞いている。
「その金を道へ返す。治安へ返す。兵へ返す。勇者の保護へ返す。王都の外れに捨てられていた土地を、ちゃんと“人が生きる場所”に変える」
「暮らし、か」
レオニスが小さく繰り返した。
「はい」
ゼノは頷いた。
「王都の中だけが整っても、外れが腐ってたら意味がない。外れが整えば、温泉郷へ流れる人間も増える。温泉郷が潤えば、また王都へ返る。その循環を作りたいんです」
侍従長が静かに口を開く。
「つまり、国営の導線にするわけですね」
「そうです」
ゼノは答えた。
「私営の夢物語じゃなく、王都の外れを国の利益に変える。その利益を、国が人に返す形にしたい」
「誰か一人の懐が肥える形だと、すぐ腐ります」
ゼノは続ける。
「でも、国が取って、国が回して、その分だけ人の暮らしがましになるなら、あそこはただの稼ぎ場じゃなくなる」
レオニスはそこで、ほんの少しだけ笑った。
「お前は本当に、商売の顔で政治を言うな」
「政治の顔で商売をすると腐るので」
ゼノは言う。
「金は、流れが見えてる人間が話した方がいいです」
ラウスがほんの少しだけ目を伏せた。
呆れ半分、納得半分という顔だ。
《視聴者数:1,369,842》
〈コメント:ここで国営って出るの強い〉
〈コメント:ゼノの格が一気に上がったな〉
〈コメント:ちゃんと国が儲かって暮らしが良くなる話になってる〉
〈コメント:これ王子が乗る理由がめっちゃ強い〉
《ラグゼル:いい。私腹ではなく流れにしろ》
《ルヴェリア:育てるなら、根からよ》
《フィクサル:話が太くなったな》
《エモーシア:人の暮らしまで見てるなら、もう夢じゃないわ》
侍従長が机の上で指を組んだ。
「ただし、土地の扱いは簡単ではありません」
「でしょうね」
ゼノは言った。
「王都の放棄地でも、勝手には触れない」
「耕作地跡なら、名義の整理がいる」
ラウスが言う。
「境界も曖昧だ。誰も使っていない土地ほど、後から口を出す人間が増える」
「それも分かってます」
「ダンジョンはなおさらだ」
侍従長が続けた。
「勝手に作れるものではない。管理権、危険度、収益、治安、全部に線が要る」
「だから、ここへ来ました」
ゼノははっきり言った。
レオニスは、その返しに少しだけ目を細める。
「つまり、私を使う気だな」
「使わせてください」
ゼノは答えた。
「王都の外れを放っておいても、次に腐るだけです。だったら、流れを作った方がいい」
「腐る、か」
「はい」
ゼノは頷く。
「王都の中に居場所がない人間。王都に戻りきれない勇者。王都の中心では息が詰まる職人。そういう人間が、結局外れに溜まる」
昨日拾ったエマの顔がよぎる。
王都の外れには、もう人が溜まり始めている。
「だったら最初から、捨て場じゃなく流れ場にした方がいい」
レオニスは、そこで少しだけ椅子にもたれた。
「お前は本当に」
小さく言う。
「一つ拾うと、その周りまで全部動かしたがるな」
「拾ったものだけ立たせても、周りが腐ると結局潰れるので」
「欲張りだな」
「そうかもしれません」
レオニスはしばらく黙っていた。
その沈黙は、否定の沈黙ではない。
計算している時のものだ。
「ギルドを置けば、人が来る」
王子が言う。
「ダンジョンがあれば、なおさら流れる」
「はい」
「その先に温泉郷がある」
「はい」
「そして会場を置く」
「はい」
「お前、最終的には王都の外れを一つの町にする気だろ」
ゼノは、そこで少しだけ笑った。
「多分、そうなります」
ラウスが小さく息を吐いた。
呆れ半分、納得半分の顔だった。
「……最初からそこまで見ていたんですか」
侍従長が聞く。
「最初からではないです」
ゼノは答えた。
「でも、王都で歌って、勇者を見て、昨日の夜に別の声を拾って、だいぶはっきりしました」
「別の声?」
レオニスが目を上げる。
ゼノはそこで、エマの話をした。
裏道で肉包みを抱えて走っていたこと。
掠れた喉。
盗みで食っている若い連中。
エマという女の子。
イグニスがその声を拾ったこと。
全部を長くは話さない。
だが、必要なところだけは落とした。
王子は最後まで黙って聞いていた。
「……なるほど」
話を聞き終えたあとで、そう言った。
「昨日歌って、今朝には別の声を拾ったか」
「拾ってしまいました」
ゼノが言う。
「そして、そいつも今の構想に繋がる」
「はい」
エマひとりを育てて終わる話ではない。
王都の外れには、ああいう声が多分まだ転がっている。
ミラベルとは違う。
置いたままなら腐る。
「面白い」
レオニスが言う。
「嫌いじゃない」
ゼノはそこで、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
この人の“嫌いじゃない”はかなり強い。
「ただし」
王子が続ける。
「面倒だぞ」
「でしょうね」
「土地の整理、利権、古い名義、放棄地の権利主張、ダンジョンの管理権。全部、王都の一番面倒なところが噛む」
「でしょうね」
「しかも、お前が置こうとしているのは、王都の外れだ。城の内側でもなければ、完全な外でもない。一番揉めやすい場所だぞ」
「だから、面白いんです」
ゼノは言った。
レオニスが、そこで本当に少しだけ笑った。
「その返しは好きだ」
侍従長が無言でこめかみを押^_^さえる。
ラウスは目を伏せた。
多分、また始まったと思っている。
「いいだろう」
やがてレオニスが言う。
ゼノは顔を上げる。
「すぐに許可は出せん」
王子は続けた。
「だが、測らせる。土地の現況を洗い、放棄地の名義を洗い、使える線を引かせる」
「ありがとうございます」
「礼は早い」
レオニスは言う。
「まだ、動かすだけだ」
「それでも十分です」
「ギルドの件は、王都側で誰を噛ませるか考える。ダンジョンは危険度次第だ。半端なものを作れば、ただの死地になる」
「分かってます」
「音楽の会場は、後回しだ」
侍従長が言った。
「まず人の流れが要る」
「そうですね」
ゼノは頷く。
「でも、設計だけは最初から入れたい」
「なぜ」
ラウスが聞く。
「後から足すと、どうしても余り物の場になるので」
ゼノは答えた。
「最初から“ここには音がある”で作った方がいい」
レオニスは、それを聞いて頷いた。
「正しい」
王子は言う。
「後から足した慰めは、だいたい弱い」
その一言に、ゼノは少しだけ驚く。
でも、昨日勇者たちを見ていたのは、この人も同じだ。
勝って戻った人間に必要なのは、褒美だけではない。
多分そこは、レオニスもちゃんと見ている。
「案を出せ」
王子が言った。
「温泉郷との導線。ギルドの規模。ダンジョンの想定。会場の位置。全部まとめろ」
「やります」
「あと」
レオニスが少しだけ目を細める。
「例の掠れ声の子。あれは今どこだ」
「宿です」
ゼノは答えた。
「イグニスに預けてきました」
レオニスが、一拍だけ止まる。
「よく預けたな」
「俺もそう思います」
ラウスがほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
「なら、急いで戻れ」
王子が言う。
「その種は、乾く前に植えろ」
ゼノは、その言い方が少しだけ好きだった。
「はい」
立ち上がる。
王都の外れ。
使われていない耕作地。
その先の草原。
温泉郷。
ギルド。
ダンジョン。
音の会場。
全部、まだ何もない。
でも、何もないから置ける。
部屋を出る前、レオニスが最後に言った。
「ゼノ」
「はい」
「王都の外れは、昔から“捨てる場所”にされやすい」
ゼノは振り返る。
「なら」
王子は静かに言う。
「お前がやるなら、“拾う場所”に変えろ」
その一言が、胸の奥へきれいに落ちた。
「……そのつもりです」
ゼノは答えた。
部屋を出る。
廊下を歩きながら、ゼノは小さく息を吐いた。
話は通った。
いや、まだ通り切ってはいない。
だが、火はついた。
あとは戻るだけだ。
イグニスのところへ。
エマのところへ。
そして、まだ名前のない次の歌のところへ。
王都の外れを、捨て場ではなく流れ場へ。
国が回し、人が潤い、その先でまた音が鳴る場所へ。
そう決めた時点で、もう戻れない。
でも、戻る気もなかった。
――――
次回
第78話 湯気の中で、次の声を待つ




