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20.笑顔

 あの日、どのようにして彼を見送ったのかも思い出せない。

 いつものように少しの笑みをたたえて、さようならを言っておいたならそれでいい。

 そうではないなら、もう二度と次の第二土曜日が来ないことを願うしか無い。



 父があの屋敷を買ったのは、私が8歳の時だった。

 以前住んでいた家の記憶はほとんど無いが、何度かの引越しを経て落ち着いたのがあの大きな屋敷だった。

 元からあまり家に帰らなかった父と、なぜか年に数回しか会えない母、ようやく彼らと一緒に暮らせるのだと、夢が叶うのだと、子ども心にはしゃいでいた事を覚えている。


 けれど夢は夢でしかなかった。

 相変わらず父はほとんど屋敷には帰らなかったし、元より、屋敷には母の部屋すらなかった。

 年に二度、そう、たった二度、新年と先祖の供養の日、私たちは3人になった。

 私は3人でいる時、いつもニコニコと微笑んだ。そうすれば、何事もなく、あの虚しいだけの家族ごっこが終わったから。


 別にそれはどうでもいい。

 そんな家庭がごまんとある事ぐらい、大人になるうちに理解した。

 ただ一つだけ、大人になっても理解出来ない事があるとすれば、彼らは去り際に必ず私に『愛してる』と告げたこと。

 私に愛を告げたその足で、母は愛人の待つ家に帰り、父はまたいなくなる。

 それが私の18年。


 そして19年目に…二人は亡くなった。

 二人が一緒に亡くなった。

 そこからはもう何もわからない。

 何も…わからない。




「クレアちゃんごめんなさいね。今試験期間中なんですって?私のことはいいからオリバーと勉強したら?」

「いいえ、シンシアさん。仕事を頂けるのは本当にありがたいのです。ご存知だと思いますが…その、あまり生活に余裕が無いので。あ、でも、夕食のあと少しだけオリバーさんをお借りしても…」

「フフフ、少しと言わず永遠に持っていっていいわよ。…なんちゃって」

「えっ…?」

 シンシアさんの顔を見れば、ちょっと悪戯気に微笑んでいる。

「冗談よ」

「は、はぁ」


 あの勉強会の日から2週間半。

 私は試験真っ只中ではあるが、シンシアさんの家庭教師は休むことなく続けていた。 

 実のところ生活のために働くというのは言い訳に近く、ただ単に、シンシアさんと話す事が楽しかったのだ。


「ではシンシアさん、今日はドレスの流行を辿りながら社交界の頂点…歴代の王妃殿下と国王陛下についてお話ししますね」

「楽しみだわ〜!賛否両論あるけれど、私はキャベツ巻きの時代は好きよ」

「ええ、面白い時代ですよね。現在に比べると王権が強かった時代です。実は…王権の強さと、ドレス、髪型の流行にはものすごく密接な関連があるのです」

「まぁ、そうなの?」

「…ええ。では、シンシアさんにはこれから…王の寵愛を競う女たちのドロドロのファッション戦争についてお話し致しますわ。…ご準備…よろしくて?」

「…ごくっ。…ええ」

「着せ替えが嫌いになるかもしれませんよ…?」

「…勉強ですもの。先生、お願いしますわ」

「フフフ、はい。では……」


 高等女学校時代以来の女性同士の会話。

 シンシアさんは勉強の時は可愛らしい生徒のように見えるけれど、やっぱり人生においては先輩で、時々ハッとするような気づきをくれる。


「クレアちゃん、もし恋人が浮気しちゃったらどうする?」

「…え?」

 だけれど、今日のお茶会はドキッとするような内容だった。


「ちょっと聞いてくれる!?セドリック…オリバーの父親なんだけど、彼とは私が16の時から恋人同士だったの」

「ま、まあ!16歳…!私初めて男の子と話したのは大学の入学式の日ですわ!」

「えっ!?…それ、本気で?」

「え、ええ。ずっと女子しかいない学校でしたから縁がなくて……」

「ちなみにその入学式の時の男の子が…」

「オリバーさんですわ」

「………あの子、何をポヤポヤしてたのかしら……」

「え?」

「…コホン、とにかく、セドリックとは16からの付き合いなんだけど…彼は3つ年上なのよね。それで、私の前にもお付き合いしてた女性がいるのよ」

「ま、まぁ…!」

 だ、大丈夫かしら。大商会の会頭の恋愛遍歴なんて聞いてしまっても大丈夫かしら。

 

 そんな私の心配など一切気にする事なく、シンシアさんの話は続く。

 私は初めて聞く、少女時代の夢物語ではない、現実世界の恋の話に少しだけ引き込まれてしまったのだった。

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