七、
「ふう~」
手をつけた棚をぴかぴかにするには、丸一日かかった。棚にある商品をよく見てメモをとりながらやっていたこともあるが、時間がかかった一番の理由はきれいにするのに時間がかかるほど汚れていた、ということにほかならない。
商品は薬、体内に取り入れるものもあるのに、こんなのでいいのかな? もっと清潔にしなければ、とクラリスは当分の目標を店内の清掃に設定する。棚のまだたくさんあるし、壁にあるもの以外は両面をきれいにしなければならない。少なくとも一週間はかかるだろう。店内が終われば次は屋外。ガラスもぴかぴかにしたいし、日よけもなんとかしたい。やるべきことは山盛りだ。うん、なにもないよりずっといい。これも修行の一環だ。師匠にやる気を認めてもらおう!
すっかり暗くなった頃、とりあえず作業を終了した。残りの時間は、今日掃除した棚の品揃えと来店したお客様、買っていったものと値段を復習する。
そう、お客様は思っていたよりずっと多く訪れた。場所が場所だし見た目がこんなだから、来ても二、三人がいいとこだと思っていたのに(師匠には失礼だけど)。
けれど開店してから三十分に一人はお客様が来たのだ。(師匠には失礼とは思うけど)正直びっくりだった。裏の裏の住宅街のすみにひっそりとたたずむこのお店。あの嫌ぁなおっさんのやってる表通りのお店に比べればずっと少ないけれど、懇意にしてくれているお客様がいるのは嬉しいことだ。
ほとんどのお客様は買うものがいつも決まっているようで、それがどこにあっていくらかもわかっていた。棚は一応種類ごとに並べられていると思ったが、お客様ごと、と考えてもいいのかもしれない。
「ああ、あなたがクラリスちゃんね」と挨拶ついでに話しかけてくれる人もいた。王都からは離れた市のため、旅立ちでこの市を選ぶ人はいないに等しいらしい。ちょっとした食べ物をくれる人もいた。クラリスのような新人さんがいるという話は思った以上に広まっている。これからどんどん顔を広くしていこう。早くなじみたいな、この市に。
カランカラン!
元気よくベルが鳴る。「いらっしゃいませ」と出ていくと、そこには二人の女の子がいた。昨日のかわいい姉妹ちゃん。手にはおわんの乗ったトレーを持っている。
「きのうのおねえちゃん!」
妹ちゃんが興奮気味に言った。クラリスのことを覚えていた。
「初めまして、私はマリーです。こちらは妹のミーシェ。よろしくお願いします」
「よろしくおねがいします!」
お姉さんが自己紹介し、妹ちゃん、ミーシェもまた元気よく続く。
「初めまして、私はクラリスです。こちらこそ、よろしくね」
クラリスも自己紹介。マリーちゃんは十二、三歳、ミーシェちゃんは四、五歳ってところかな。
「あの、お母さんに頼まれて持ってきたんですけど」
マリーのトレーにはポトフがたっぷり盛られた深皿が二つ、ミーシェのトレーにはフランスパンが分厚く切られて置かれていた。
「あ、ありがとう。っていうことは・・・・・・お昼にパンをおすそ分けしてくれた奥様は二人のお母様?」
クラリスが問うと、二人はうなずいた。ミーシェはとても得意そうだ。
「ありがとうございました、って伝えてもらえるかな? それと、お昼のかごが」
二人のトレーを受け取って台に置き、お昼のもかごを返そうとすると、その中には小さな包みが乗っていた。
「手荒れのおくすり!」
食事のお礼なのだろう、ミーシェの言葉が正しいならば、塗り薬だ。
「師匠からお礼みたい。私からはなにもなくて・・・・・・ごめんなさい」
ミーシェが首をぶんぶん横に振る。
「もらった! ママが木の飾り、見せてくれた! おねえちゃんが作ったの? すごい!」
目をキラキラさせてミーシェに褒められてしまった。ミーシェちゃんがもらったってことは。
「じゃあもう一つ用意しないとね」
クラリスはカバンから飾りを一つ取り出して、マリーに渡す。
「お近づきの印に」
マリーは満面の笑みで受け取ってくれた。二人の笑顔は素直でとても愛らしい。
「あのっ」
マリーが少し緊張した声を出した。
「クラリスさんは、旅立ちでここに来たんですよね?」
「うん、そう」
「じゃあ、魔法の修行に? 十六歳になるから・・・・・・。あ、私は十一歳、妹は五歳になります」
二人の歳はほぼ見積もり通り。マリーが大人っぽくみえるのは、姉だからだろう。
「魔力はほとんどないの。だから実質は、お薬やおまじないの作り方の勉強に、かな。五月に十六になったよ」
マリーは旅立ちに興味があるらしい。聞いてみたら、案の定、恥ずかしそうにこくんとうなずいた。
「もっとお話ししたいけど・・・・・・お母様が心配しない? 帰らなくて大丈夫?」
マリーがはっとする。
「じゃ、お友だちになろう!」
突然言ったのはミーシェだ。
「お友だちなら、いつ来てもお客さんじゃなくてもだいじょうぶでしょ? たくさんお話できる!」
にっこにっこと無邪気な笑顔を向けてくるミーシェにつられ、クラリスも笑顔になる。
「うん、そうだね」
「じゃあ、今日からお友だち?」
「うん、お友だち」
ミーシェの顔が一段と明るくなる。とても表情豊かな子だ。「やったー!」と店内をかけまわるミーシェを、マリーがなだめる。
「またいっぱいお話しよう。お母様によろしくお伝えください。マリーちゃん、ミーシェちゃん」
「「うん!!」」
二人そろって返事をすると、仲良く帰っていった。
また新たに二人、友だちが増えた。クラリスもできればミーシェのように店内をかけまわりたいくらい、とても嬉しかった。
「いいなぁ、クラリス、友だち」
ひょろひょろとカバンから出てきたルシファーが、恨めしそうにこちらを見る。
「おいらも仲間に入れてよぅ」
「ごめんね、私なんかより、ルシファーの存在のそうがずっと珍しいから、そのときまでちょっと待っててね」
魔法を見たことがあっても、魔物を見たことがある人は多くないはずだ。まだ幼い二人がルシファーを見たら、怖がってしまうかもしれない。二人だけではない。市の人々みんな。悪い噂がたつのは極力避けたいので、ルシファーには我慢してもらう。そう、そのとき――クラリスが立派になるまで。
ルシファーはしばらくむうっとした顔でゆらゆらしていたが、お夕飯をわけると機嫌を直してくれた。少し冷めてしまったけれど、ポトフはとてもおいしかった。家庭の味わいが、疲れた体に染み渡る。緊張もほぐしてくれた。これも魔法なのかな。
師匠の分は、お昼と同じくそのまま置いてある。こちらでの話は師匠にも聞こえていたはずなので、声はかけない。作業の邪魔はしたくないから、というのもあるけれど、声のかけかたがまだつかめないのだ。
もう閉店でいいかな、と判断してもいい時間。クラリスはお店の鍵と汚れたカーテンを閉め、復習を始める。そして適当な時間に、壁のすみっこに座って木箱によりかかる。
(今日は、店内で寝てもいいよね)
かさばる冬ものはこちらで調達するつもりだったので持っていない。クラリスはカバンからストールを取り出して羽織る。簡単な布団の替わりだ。とりあえず風邪をひくことはないだろう。
ルシファーを抱えると、ほんのりと温もりを感じた。ルシファーも眠いのか、うとうとして光がゆるゆると、暗くなっていく気がする。クラリスは小さく「おやすみ」と言うと、自分もすとんと眠りに落ちた。