後編 衣替えの季節
「あのね……私小学校の頃、生き物係をしていたの。朝、ウサギが具合が悪そうで抱っこして先生のところに行ったんだけど、ウサギがすごく強い臭いがしたの。それでね、先生に預けてから、私はそのまま教室に行ったら、臭いって男子に言われて……」
「はぁ。そんなの、どうしようもないし関川さんの匂いじゃないのに」
「うん……。その日以降、臭い女、臭い女、っていじめられて」
「許せないなぁ。関川さんが優しいからそうなったのに。男子ってヤツは……」
幸はわざと、偉そうに、分かったふりをして説教をする真似をした。僕はそんな男達とは違う、と宣言するように。すると、その大げさな様子が面白かったのか、由里子は口元を少し緩めた。
「西場君も男子だよ?」
「あっ。そういえば」
ふふっと笑った由里子につられて、幸も笑う。彼女の笑顔に益々惹かれる幸だった。すると、彼女は少し真剣な目つきになり、幸の瞳を見つめた。
「ありがとうね。いつもお願い聞いてもらって」
「ううん。僕も疑問が解けて良かった」
幸は、お願いというより全部ご褒美です! と、心の中で叫んでいた。
「西場君の意外なところが聞けてよかった。しっかりしてそうなのに、方向音痴なんて」
「それ関係ないよね? でもね、マジで困ってるの。もし僕が迷ったら関川さん、代わりに地図アプリを見てくれると嬉しい!」
「うん、いいよ!」
由里子は、はじけるような、満面の笑顔で答えた。
あれ? なんかいい感じじゃね? と幸は思った。同時に、ああ、この笑顔を独り占めできたらどんなにいいことか、とも。
数日後。幸はなんと、新たな能力を獲得した! それは、匂いから由里子の気分が分かるという能力だった。実生活には全く役立たないが、幸にとってはこの上ない能力であった。
実際の所、気のせいで、表情から読み取っていただけだが、幸は能力だと確信していたのである。
すんすん……今日は少し元気が無さそうな匂いがする。幸はそう感じた。
「いい匂いがするけど昨日と違うような」
「シャンプーを替えたの」
「あ、そうなんだ。うん、大丈夫だよ」
「……ありがと」
前の方が良い匂いだったんだけどなぁ。と幸はのんびりと思った。でも、そんなの好みだし、彼女が好きで替えたのなら、僕もその匂いも好きになるのだろう。幸は少しがっかりした気分になった。
幸は、由里子に元気が無いとき、どう接していいか分からなかった。そのため、当たり障りのないことを言うに留めた。幸には、去って部活に行く由里子の背中が泣いているようにも見えた。
もし明日も元気がないのなら、理由を聞いてみるかな。匂いが変わったのと関係があるのだろうか?
翌日。やはり、匂いは変わったままだった。それに昨日より、もっともっと元気がないようだ。
「今日も大丈夫だよ。でも、どうしてシャンプー替えたの?」
少し抗議するように言うと、幸は自らが放った言葉に後悔をした。由里子の目が広がり、幸を見つめたからだ。彼女の目は、少し潤んでいるように見えた。
あっ。これはやっちまったかな。なぜシャンプーを替えたのか、強く言い過ぎた?
「うん。実はね……、先輩が、替えろって」
「えっ? なぜ?」
「こっちがいいって……アニメのキャラが使ってたって」
幸は由里子の言葉が、さっぱり理解出来なかった。そんな理由で、わざわざ替えろというのは。彼女をなんだと思ってるんだ、と憤る。
女の子と付き合った経験なんて無い。だけど、幸はもし由里子と付き合ったらと毎日妄想していた。その幻の景色の中にいる自分が答えるとしたら……と考えて言ってみる。
「はあー。よく分からないな。僕だったら好きなの使えばいいと思うのに。彼女が選ぶならさ。しかも、アニメって」
「……やっぱりそうだよね? 西場君もそう思うよね?」
幸は、彼女の反応を見て、正解を選んだのだと確信した。そして調子に乗って追い打ちをかける。
「うん。個人的には、前の方が好きだけど関川さんが好きなのを使えばいいと思うよ?」
「前の方が私も好き」
由里子は、にこりとして言った。その笑顔を見て幸は、さらに調子に乗る。
「好き?」
「好き」
ああ、好きな人が自分に向けて言うこの言葉は、なんて甘美なんだと幸はうっとりする。
「好き?」
「好き」
「好き?」
「って……何回言わせるのっ?」
由里子が笑ったのと同時に、ふわっと、シャンプーの匂いと違う、彼女自身の匂いがしたように幸は感じた。汗だろうか? 興奮した彼は、無言になる。
「…………」
「どうしたの? なんか顔赤いよ?」
幸の目の前には、いつの間にか近づいてきて、顔をかしげた由里子がいた。幸は、先ほどの香りをますます強く感じた。
「あ、いや、ごめん。関川さんから違う匂いが」
「あっ。もう。西川君……」
由里子は顔を真っ赤にして、そっぽを向いて距離を開けた。
「ごめん」
「ううん……いいよ! また明日からも、お願いね」
「うん」
「じゃあ、ばいばい!」
「じゃあね。また明日」
振り返りながら手を振る由里子を、いつもよりも何倍も可愛いと感じた。それに……急に、随分明るくなった、とも。女子って分かんないな、と思いつつ、鼻に残る彼女の香りの余韻を楽しむ。
由里子は、その日、彼氏である先輩に別れを告げたのだった。
数日後。衣替えの日がやってきた。新しい制服の匂いがクラスに充満する。それは、幸にとって心地よいものだった。
しかし、そんな平和な時間は放課後に突如、壊された。
「ね、今日もお願い! もーそれじゃわかんないかもしれないから、もっと近づいて欲しいな」
放課後、由里子は前よりも幸に近づいて、匂ってもらうようにお願いしていた。幸は、彼女が最近クラスの皆と話をするのを、よく見かけるようになっていた。コンプレックスが解消したわけでは無いと思うけど、何かが吹っ切れたのかもしれない。
「な、何で、そんなに近づくの?」
「だって、夏服になったでしょ。薄着になったら、もっと体の匂いが気になると思って」
「そんな……十分、分かるからっ。大丈夫、とても良い匂いです!」
思わず敬語になるほど、幸はパニックになっていた。
由里子の意見は、どうも腑に落ちない。よく分かるなら近づかなくても良いのでは。それに薄着になった分、体の線が見える。刺激が強すぎて幸が平静を保つのは困難を要した。
いつまでこれは続くのだろうか、幸は不思議に思った。幸は噂で、先輩と別れたと聞いていた。しかし、それは本当なのか、本人に聞く勇気は無い。
「ほんと?」
「うん。嘘は言わない」
そういえば、放課後のこの儀式の時間は、最近、妙に長くなっていると幸は感じていた。もっとも、彼にとっては、嬉しい状況には違いない。
「ねぇ。今度、香水買いに行くのに付き合って!」
「いいけど……なんで僕なの?」
「いいから! お願いね」
はあ、と溜息をつきつつ幸は思う。もし先輩と別れていたら、匂う理由がなくなる。まだ付き合っていたら、噂を信じかけていた分、ショックだ、と。
聞くべきか聞かざるべきか、いつまでも悩み続ける幸であった。
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