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闇の中で

流産に関する話が出てきますので、不快な方はスルーでお願いします。

夜が近付き、海の色はどんどんと闇へと包まれていく。

サーシャはその海をただ静かに眺めている。


「こんな所にいたのか」

後ろから、低い声がする。

サーシャは振り向かない。その声の主はゆっくりとサーシャの横に立った。



「・・・ディル、あの人はどうしてる?」


少しの沈黙を置いて、サーシャは小さな声で言葉を零した。


「・・・・再婚したよ。今は子供もいて暮らしている」


その言葉に、サーシャはほっとして少し笑みを浮かべる。

「・・・そう。よかった。あの人が幸せになって」


暗い海をただ眺めて、サーシャはまた涙を流した。

また沈黙が流れる。周りは波の音しか聞こえない。

辺りはすっかり暗くなって、遠くの船の明かりと、雲にかかった月の明かりがぼんやりと見えるだけだ。


「ねえ、ディル」

「・・・なんだ?」

「どうして私を捜したの?」

「・・・君との約束を果たす為さ。小さい頃の、夢。お前と約束しただろう?」


・・・約束。

それはもう昔の幼かった頃の約束。


「まだ覚えていたの・・・。子供の頃のおままごとみたいな約束なのに」

「私は本気だったよ。必ず君を私の妻にすると。その為に城の騎士になったんだ。そして、その夢が今叶おうとしている。・・・違うか?」


闇の中でも、ディルがサーシャを見つめているのがわかる。

サーシャはその視線が耐えられなくなり、俯いてしまう。


「・・・無理よ。あなたの妻にはなれない。いくら私が1人に戻ったのだとしても。あなたを幸せにはできないわ。あなたも知らないのよ。私は・・・」


そこから先の言葉が出ないまま、また沈黙が流れる。

サーシャは俯きながら、瞳を閉じた。

そして、自分の過去を思い出していた。








サーシャもとい、リリィはとある侯爵の娘だった。

ディルは3つ上の父の仲のいい子爵の息子。小さい頃はよく2人で互いの家の庭で遊んでいた。


兄と慕っていたリリィの心に恋心が芽生えたのは10歳を迎えた頃。

その頃からディルに冗談めいて、でも少し本気でディルに結婚の約束を告げていた。


ディルもリリィの言葉を受け入れてくれていた。

でもリリィは子供ながらも侯爵家の娘である事を自覚していたため、身分の低いディルとは結ばれないという事も分かっている。

いずれは親の決めた人と結婚しなければいけない事、そしてそれはディルではないという事。


それでも、その時はディルが自分の言葉を受け入れてくれる事がとても嬉しかった。

それだけで幸せだった。


月日が経ち、成人を迎えたディルはリリィと会うことが出来なくなった。

親が二人の約束を知っていたからなのか、それは分からない。

ディルも屋敷に来る事はなかったし、リリィもディルの屋敷へ行く事が出来なくなったのだ。

その頃からリリィには更に厳しく、淑女としてのマナーを躾けられていく。


リリィは悟る。


「ああ、もうすぐ私はどこかに嫁がされるのだ」と。



案の定、リリィが15歳の年にとある公爵との縁談が決まる。

リリィより7つ年上の人。とても優しい男性だった。

親の決めた結婚。それは侯爵家に生まれたリリィにとっては仕方のない事。

結婚した相手が優しく愛情を注いでくれて、受け入れてくれたことだけが救いだった。

このまま平和な生活が続くのかと思われた。・・・・あの日までは。



「ご主人様、私のお腹に子が授かったようです」


リリィが妊娠したのは結婚してから2年後、17歳の時。公爵様も大変喜ばれて、更にリリィに愛情を注ぐようになった。

リリィ自身もまた自分のお腹に命が授かっている事、その事がたまらなく嬉しく、毎日お腹をさすってはその子が生まれる時を心待ちにしていた。



ところが。


「きゃあああああ!!!リリィ様!!!」


それは妊娠5ヶ月に入るか入らないかの頃。階段から足を踏み外し、お腹の子は駄目になってしまう。

一時はリリィの命も危うかったが、医者の必死の治療の末、なんとかリリィの命だけは助かった。

が、回復に向かっていたリリィに、医者は残酷な言葉を告げる。


「リリィ様、残念ですが今後、子供を授かる事は難しいかと思われます」


その言葉にリリィの目の前は真っ暗になる。


自分の不注意で子供を殺してしまったばかりでなく、その罰なのか、もう子供が生めない身体になってしまったということ。

リリィはその事実に大きくショックを受けた。


それだけではない。あれだけ優しく愛情を注いでくれた公爵様もまた、子供を生めない相手など必要ない、と人間が変わったようにリリィにきつくあたるようになり、リリィの居場所はなくなってしまった。




そして、リリィはある日の夜、皆が寝静まった頃を見計らって公爵家から逃げるように姿を消した。










「私・・・・もう子供が生めないのよ・・・」


ゆっくりと目を開けると、ディルに向かってぼそりと話した。


瞳を閉じても、開けても、そこは闇しかない。

まるで自分のこれからの未来を映しているかのようだ、とリリィは思う。

逃げた時は、このまま盗賊や野獣に殺されてもいいと思っていた。

いや、こんな役立たずの人間など殺されてしまえばいい、と敢えて危険な夜の森を歩いていた。

しかし運が良かったのか、それとも死ぬ事を許されないのか、リリィは危険な目に合うことなく、やがて知らない町へと辿りつく。


リリィは思う。


生きて、自分が殺してしまった子供の為の "懺悔"をしろと神が仰っているのだろう、と。

それを一生抱えながら、生きていく事が自分にとっての贖罪なのだ、と。


死ぬ事よりも残酷な罰であるということ。

それを身に染みて感じている。


「・・・知っている。だからこそ、お前を捜した。もう私とリリィの間に立ちはだかる壁などないのだから」


そう言うと、ディルはおもむろに着けていたマントや鎧を脱ぎだす。

がしゃん、と鎧が音を立てて足元に投げ捨てられた。


「私が騎士になったのも、君と釣り合う男になりたかったからだ。その為に危険な場所にも自ら志願し功績を積んで、早く君と釣り合う称号を手に入れたかった。だが、君の結婚は思ったよりも早く、私が遠い場所での任務を終えた頃には君は既に結婚をしていて、私のやっていた事は全て水の泡になった」


「ディル・・・」


「けれど、君が子供が生めなくなって、どこかへ消えてしまったと聞いたとき、私はそれをチャンスだと思ってしまった。案の定公爵はすぐに離縁の手続きを取ったし、君の両親も失踪したリリィを死んだ者として密かに葬儀を行って捜す事もなかった。でも、私は君はどこかで生きている、とそう信じて捜す事にした」


ディルはリリィの手を握る。


「君を見つけることが出来たなら、私はリリィと共に生きていこうと誓った。そして、ようやくリリィを見つけることが出来た。私には地位も名誉も必要はない。・・・リリィさえいれば」


「私と一緒にどこか遠い町で、一緒に暮らそう。君との子供がいなくても関係ない。私はリリィを愛している。ずっと昔からね」


優しくリリィを抱きしめた。

ディルに抱きしめられるのはいつ振りなのだろうか。

子供の頃よりは大分身体は大きくなっているけれど、温もりは変わらない。


「リリィ。この命はリリィと共に」


リリィは無言でディルの身体に腕を回した。


「・・・いいの?こんな私で・・・」

「君と不幸になるのなら、それも本望さ。全てがリリィと一緒ならば」



この先の人生が決して明るいものになるとは思わない。彼を幸せにする事もできないだろう。

それでも。

抱かれた身体を離したくはなかった。



小さい頃の夢が、こんな形とはいえ叶うのだから。




リリィは彼の腕の中で、静かに涙を流し続けていた。


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