prologue ― 黒曜石 ―
彼女達は、面倒くさい客の相手に疲弊していた。何故自分達がこんな目に遭わなくてはならないのか、と。
ミルティナがぐっと目の前の男達を睨みあげる。
金髪にオレンジの瞳──西方種と中央種の混血の、愛らしい容貌を嫌悪に歪める。はち切れんばかりの大きな胸に注がれる下卑た視線に、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
それなりの格式のある娼館、『アンデルス』。国の高官とて一言お断りのこの店で、容赦のない無礼を働く男達。なんでもある国の高官の紹介で来たらしいが、ミルティナ達にとってはそんなこと、知ったこっちゃない。
ちからでは一向に叶わない男たちの不躾な手を必死で振り払いながら、それでも個室でもないレストランフロアで複数に囲まれる、なんて。
せめて、泣き喚く様な姿は死んで見せてやらないと、虚勢を張っていた、彼女が
それでも、強く持った心が折れそうなほどに、その両足を開かされて、屈辱的な様に、目を背けたくなった、
その、時──
「悪い、遅くなった・・・!」
ひゅっ、と。
彼女の頭上を影が滑る。
瞬間、
「ぶべっ!!」
その鼻っ柱を強かに打ち据えられて、無礼者がミルティナの上から強制的にどかせられる。
男の体を容赦無く引き剥がした相手は、ミルティナの肩を抱くようにして引き起こした。
視界がひらけ、助け起こされた相手へと目を向けて、ミルティナは大いに眼を見開く。
それは、死ぬほどに綺麗な黒曜石と言わんばかりの、相手。
娼婦として名を馳せた筈の、自分が目を奪われる程に。
『彼』は、途方もなく、美しかった。
黒髪黒眼。白い肌、とは言わない、きっと常に外を飛び回っているのだろう
。それなのに、漆黒の髪と瞳が相対してか、透き通るような肌に見えた。
だけど、伸ばされた手についていたのは、無数の細かい傷で。
きっと体の至る所についているのだろう。今はほのかに上気したそれが、酷く艶めかしく映って、彼女がどくり心の臓を跳ねさせる。
そんな彼女を、怯えていると、受け取ったのか、『彼』は、
「大丈夫だ。」
「・・・・・ッ!」
「もう、指一本、触れさせねぇよ。」
目を細めて、僅かに首を逸らして、安心させるようにと笑う、その柔らかくも強い表情。
伸びた手が、彼女の髪を優しく撫でた。
僅かに吊り上げた唇に、
「あ・・・。」
思わず濡れてしまうほどの色気すら感じて、ミルティナは思わずむき出しになった両の太腿をスリ寄せ、スカートの裾を引っ張る。
彼女のその様子を、特に気にした様子もなく、『彼』は、そのまま手を取り、立たせたミルティナを店の黒服に任せた。
そのまま『彼』は、怒気と色気とを乗せたままの目で、今まで狼藉を働いていた男達を見据える。
そうして、打ち据えられた男を起こしながらぎゃあぎゃあと騒ぐ様に、呆れた様な溜息をこぼしては、
「・・・手前ェ等、うるせェ。」
ニヤリと、
「喧嘩売ってヤるから、表出ろ。」
好戦的な、笑みを浮かべるから
上等だとばかりに、三人が『彼』へと手を伸ばす。その胸ぐらをつかみ上げようとして、『彼』が、掲げた短刀の先でとん、とその男を打った。
先程同様、一見すると軽い力で打った様に見えたが、『彼』よりも遥かに体格の良い男の身体がふわりと浮く。
そして、
「店の中からとっとと出ろ。迷惑だ。」
「がふ・・・っ!!」
宙に浮いた体の、その腹を、鞘に収めたままのもう一刀──長刀で思いっきり打ち放った。
打たれた身体が、扉を壊して吹っ飛び、そのまま外へと放り出される。
それだけで、地面へ仰向けに転がった男が延びているのがわかった。残った二人が、呆気に取られて眺めるのを、
「どうしたー?」
「・・・・・っ!」
「ご希望のなら、同様に案内してやるぜ?」
「・・・・・。」
「ま、打ち所しだいでは、地獄かもしれねぇけど、な?」
それを見た二人の男が、強がりを前面に出しながらも、ぎくしゃくとした足取りで扉から出ていく。
そして、『彼』がその後に続いて出ていく頃には、その背を向ける姿が見えたから
「待てよ。」
脱兎のごとく、歩を進めた男二人に、容赦なく追い付いた『彼』が、鞘に納めたままの武器を振るって、彼らを地面へと叩き伏せた。
そうして伸びて気を失った三人の男達を、容赦無く引きずったまま、
『彼』が徐に、男達を見据えて告げる。
「まさか、叩きのめされて、はい、おしまい、なんて、思わねぇ、だろ?」
「───・・・っ!!」
間近で見る、死ぬ程綺麗な笑みの、死ぬ程物騒な台詞に、男たちが、一喜一憂するのがわかる。
尻で、地面を擦るようにしてどこかへと連れて行かれる三人の男たちと、
「重てぇなぁ、てめぇら・・・。」
少し困惑したように、困った様に、その黒曜石の瞳を細めて笑う。
その背を、店の外へと駆け出して、ミルティナが、見送れば、
「間に合った、間に合ったね・・・。」
「・・・アビー、無事!?」
同じ様に飲食フロアで男達に抑えられていたこの店の女主人を、ミルティナが慌てた様に振り返れば、
「か、彼は・・・!?」
「彼は、シオンだよ。」
「シ、オン・・・?」
「あぁ。」
この、共存を謳う国、ルミナスプェラ。
まだまだ混乱の多いこの国で、『親爺の酒場』の二階に居を構える、純血東方種の、恐ろしく強い二刀使い。
周辺の荒事関連なら、まず彼に頼む。
力付くとの案件ならば、まずこの周辺で彼にかなう相手はいない。
『アンデルス』は軍と繋がりのある格式高い娼館ではある。だが、軍とつながりがあるからこそ、国と国との関わりに関係がある様な、立場の強い相手には強く出られない、というデメリットがある。
そんな時に彼は、その面倒な役回りも承知で受けてくれた。
国の要人だろうが、外交先の高官だろうが、彼にとっては知ったこっちゃない、と。
無論、後日アビゲイルはしっかりと、どちらの問題であるかは根回しはする。
幸い、国のトップである『聖女』は、自国の民を大事にする人だ。
軍の人間もそれなりの人格者も多い。彼らの動きは早く、今のところ、アンデルスでの案件で、シオンの立場が不利になったことはなかった。
「本当、彼にはよく助けられるな。」
アビゲイルが苦笑しながら、その背を見送る。だが、傍にいたミルティナには、その言葉が届いていなかったのか、
「・・・あの人。」
「ん?」
遠ざかる姿に
「凄く綺麗・・・。」
感嘆の息と共に、思わず彼女の口から零れた言葉に、アビゲイルはふふっと肩を揺らす。
「『アンデルス』の売れっ子ミルティナも、彼に惚れたか?」
「ち、違うわ!違う!」
ミルティナは慌てて首を振る。首を振る、が
「凄いの、東方種の、あんなに綺麗な人なんて、初めてみた、から・・・。」
「まあ、そうだな。ソレに関しては私も同意だよ。」
名だたる美女を抱える、娼館アンデルスでも、東方種――黒髪黒目の美人と呼べる相手は二人程しか抱えてはいない。
しかも、只の黒髪黒目、ではない。
切れ長の瞳に縁取る長い睫毛、それが静かに影を作る、その眼差しは涼しげで、酷く、色気を持つ。
僅かに色付いて膨らむ、赤い唇と、基本動いているからか、上気しているようなその頬。
刀を振るうその様は踊る様に優美で、艶やか。
通り過ぎる人、皆が振り返る様な、美丈夫。
「シオン・・・、シオン=オブシディアン・・・」
これは、そんな『シオン』が、生きる、
ルミナスプエラという国の物語。




