21.花梨
盆の墓参りを終えて、俺と由紀はしばらく故郷をあちこち巡っていた。遊んでいるあいだの由紀は実に生き生きとしていた。俺も由紀との時間が至福の喜びだった。二人して永遠にこの瞬間が続けばと願っていた。
俺には夏休みの宿題というものもあったが、淡々と計画通りに処理して既に終わらせていた。宿題を出したのは由紀なんだが、俺と遊びたいために何かと手伝ってくれたのは内緒だ。
8月も下旬となり、そろそろ友貴の家に戻ることも視野に入れていた時期。花梨がこっちに遊びに来たいと言ってきていた。俺が由紀と二人だけでずっと遊んでいるからだ。ずるいということらしい。花梨だけ仲間外れは嫌だと文句を言ってきた。
連絡は由紀に来ていた。俺には来ていない。由紀にだけ連絡が来ていたのは、花梨は俺にサプライズしたいので黙っていて頂戴ということだった。が、由紀がばらしているので意味はない。ただ由紀は俺には「花梨ちゃんのために、知らなかった振りをしてあげてね。」とは言った。
花梨がやってくる日、俺と由紀は瑞希姉さんに駅まで連れてきてもらっていた。花梨は独りでの長距離移動だし大丈夫かどうか俺は心配だった。由紀は小学6年生なのに大丈夫でしょ、勇人は心配しずぎだよと、あっけらかんとしていた。
俺の心配をよそに、花梨は問題なくターミナル駅に時間通りに到達した。連絡を受けた由紀が教えてくれた。改札前でスタンバイしていた俺は、驚いたふりをして花梨を迎えたが下手過ぎた。そもそも待ち構えている時点でバレバレだ。
「だいこん。」
それでも花梨は嬉しそうに言って、俺に抱きついてきた。
「会いたかった。さびしかった。夏休み間中、由紀先生とこっちに一緒にいるなんて非道い。」
「ごめんな。」
俺は後ろめたさもあって、花梨を軽く抱きしめ頭をなでなでした。
「なでて誤魔化すのはダメ。ちゃんと埋め合わせをしてよね。」
口を尖らせて花梨は文句を言う。可愛い娘の顔だ。
「分かった、分かった。行きたいところがあったら何処でも連れて行くよ。」
「やった。約束だよ。」
花梨は顔をほころばせて喜んだ。
後ろで見ていた瑞希姉さんが由紀に言っている。
「仲が良さそうね。あの子ひょっとして友貴の恋人なの。焼けるんじゃないの、由紀ちゃん。」
「ぜんぜん。可愛い娘だしね。」
由紀は動じることなく俺と花梨を見つめている。
「はあ、娘ってどういうことよ。」
由紀はニコニコしているだけだ。
「由紀先生、ひさしぶり。友くんには黙っていてって言ったのにばらしているなんてひどいよ。サプライズにならなかったじゃない。」
花梨が由紀に挨拶と共に抱きつきながら不満を言っている。でも顔は嬉々としている。由紀に会えたことは楽しいらしい。
「ごめんね、花梨ちゃん。でも、ゆうくんはもの凄く心配していたんだよ。独りで迷わずに来られるかってね。花梨ちゃんの家まで迎えに行こうかって言うくらいにね。」
「そうなんだ。友くん心配してくれたんだ。ありがとうね。でも花梨も大人だから、このくらいの距離は大丈夫だよ。」
由紀の言い訳を聞いた花梨は胸を張って偉そうに言った。でも俺は知っている。改札で俺を見つけるまでおどおどしていたことを。だが俺は生暖かい視線を花梨に送るだけにとどめておいた。
その視線に花梨は敏感に気がついたようだ。
「いじわる。」
由紀の胸に顔を埋めて誰にも聞こえないように呟いた。
「ちょっと不安だっただけだよ。」
俺は花梨のさらさらの髪を手櫛で流しながら耳元で囁いた。
「もう安心だからな。あと帰りは俺たちと一緒に帰ろうな。」
由紀に抱きしめられた花梨は小さく頷いた。
瑞希姉さんに花梨を紹介する。
「加藤瑞希よ。よろしくね、花梨ちゃん。」
「よろしくお願いします。」
由紀に甘えて元気を取り戻した花梨はハキハキと挨拶している。
「花梨は俺の娘だから、姉さんは伯母さんになる。伯母さんと呼んでやってくれ、花梨。」
いきなり言われた花梨は訝しそうにしているだけだ。
「さっきから娘ってどういうことよ。」
「だから俺と由紀の娘が花梨というロールだよ。」
混乱した姉さんは理解出来ないみたいだ。
「まあいろいろとあって、俺の感覚では同じ年の花梨が年下のように感じるんだよ。だから愛情も娘に対する感情なんだよ。」
俺の説明でなんとなく少しは理解出来たようだった。
「でも伯母さん呼びは断るわよ。お姉さんと呼んでね、花梨ちゃん。」
「わかりました瑞希お姉さま。」
「可愛いわ。欲しい。」
姉さんがお姉さまと呼ぶ花梨に惚れ込んでいる。こんどは姉さんに抱きしめられて花梨が眼を白黒している。
「でも瑞希お姉さまが、友くんのお姉さんってどういうこと。」
「そうだな、瑞希姉さんは由紀の姉さんになるから、俺の姉さんってことでどうだ。」
割とむちゃくちゃな説明だ。だが花梨は慣れてきたのか素直に受け入れていた。
「じゃあ、改めて瑞希お姉さま、由紀先生と友くんの娘です。宜しくお願いします。」
あっさりと順応した花梨に瑞希姉さんは絶句していた。
いつも通りに瑞希姉さんの運転で家に向かう。車に積み込んだ花梨の荷物が妙に多いことに俺は気がついていた。短期間の旅行なのになんでと思ったが、女の子だからだろうと単純に考えていた。花梨は後部座席で由紀と仲良く座っている。俺は助手席に座らされた。姉さんのとなりだ。怖いな。
車の中で由紀が花梨に聞いている。
「ところで夏休みの宿題は終わっているの、花梨ちゃん。」
「当然ですよ、私を誰だと思っているのですか。と言いたいのですけど、終わっていません。」
最初は威勢が良かった花梨の口調が途中でしぼんだ。見栄をはってどうするんだよ。すぐにばらしているし。
「旅行に行きたいって言ったときに、ママに宿題が終わってないからダメって言われたの。でも由紀先生に教えてもらうからって頑張って頼んだの。だから、ここに持ってきたの。」
花梨の眼が由紀に縋っている。宿題を出した担任に手伝ってもらう気まんまんだ。由紀が何ともいえない顔になっている。
花梨の大量の荷物のなかには宿題が入っていた。量からして割と残っているんじゃないだろうか。いままで何をしていたんだよ。聞いたら、遊んでいた、と堂々と返事をした。威張れることか。それに工作を残しているのは大問題だぞ、花梨。かつての颯希を思い出す。
それでも花梨は虚勢をはる。
「人間だれしも得意不得意があるの。プールで3000m泳ぐ宿題だったら、毎日でも出来るわよ。」
そんな宿題があったら、泳げない美紀なんか夏休みあけには不登校になるぞ。が、実際に花梨は毎日と言っていいほど、プールで泳いでいたそうだ。
由紀はこっそりため息をついていた。
「遊びに行くのは宿題が終わってからね、花梨。」
由紀が般若の母親になって言った。由紀の迫力に花梨はひくついていた。
俺には涙目になった花梨が可愛かった。なでなでしておいた。花梨が救い主の俺に懐いていた。
由紀の家についた。荷物を下ろしてから、花梨を由紀が母親に紹介する。
「お母さん、花梨よ。由紀のクラスの生徒。ゆうくんの同級生。花梨はゆうくんのことが好きなの。だから遊びに来たの。」
「そんな・・・。」
花梨が真っ赤になっている。
「あら、違うの、花梨。ゆうくんに告白してたわよね。」
由紀が小悪魔の笑顔で修学旅行の話をする。
「間違ってない。」
花梨が小さくなっている。
「あんまり花梨をいじるなよ、由紀。花梨が困っているだろ。」
ちょっと可哀想になった俺は花梨をそっと抱き寄せる。花梨が助かったという顔をする。
それを見た由紀の母親の眉が少し寄る。由紀の前でということなんだろう。
「花梨は、由紀とゆうくんの娘なの。」
だが、由紀は自分の母親の表情を気にせず追加する。
「え、娘。どういうこと。」
母親はびっくりしている。
「由紀とゆうくんは夫婦。なら花梨は娘ポジションでしょ。」
母親は納得したようなしないような。でも実際にそんな説明で納得したらすごいわ。だが由紀は俺と花梨の関係を心配する母親を安心させたかったんじゃないだろうかな。
「じゃあ、お母さんからしたら孫娘よね。」
その場で会話を聞いていた美紀が軽く言ってのけた。
「おばあちゃん、って呼んであげて、花梨ちゃん。」
いきなり、おばあちゃんと言われる立場になった母親はショックを受けているようだ。
花梨はその場の雰囲気に戸惑って、さすがに呼べない。美紀、家庭不和が望みなのか。
俺は無理矢理に話を終わらせて、花梨を部屋に案内する。宿題をする都合もあり由紀の部屋だ。三人では流石に狭いが、花梨に勿論異論はない。早速、片付けられるものから片付けていった。俺と由紀が手伝ったが、晩ご飯の時間になっても残敵多数だったのは言うまでもない。
晩ご飯のあとで、宿題ばかりで泣きそうな花梨のために、息抜きに家の庭で花火をした。参加者は由紀と美紀と俺と花梨だ。買ってきた手持ち花火を出して蝋燭で火を付けて遊ぶ。打ち上げ花火とは違うしっとりとした味わいがある。宿題から解放された花梨はどれからしようかと花火を選んでいる。
ススキ花火からは火花が勢いよく出てくる。スパーク花火は派手にバチバチッといいながら火花を散らす。変色花火は火花の色が様々に変化する。ねずみ花火は回転しながら動きまわる。花梨と美紀がきゃっきゃっと言いながら飛び跳ねている。
最後の線香花火は、火花が飛び散ってから大きな火玉が出来た。その火玉から、はかなく美しい火花が長く長く続いた。やはり線香花火は綺麗だが物悲しい感じがするな。花梨は名残惜しそうに燃えた痕を見つめていた。
花火が消えたあと、縁側に座った花梨と由紀が話しをしている。花梨が何気なく由紀に尋ねた。
「ママ、友くんと幼稚園の頃からの知り合いだって言ってたよね。それって何年前のこと。」
「そうね、20年くらい前のことね。」
花梨の問いかけに、由紀は隠すことなく言った。花梨が眼を見張っている。
「ええ、20年前。友くん産まれてないよね。」
俺はこの世に存在していなかった。存在していたのは勇人だ。
「うん、産まれていない。由紀が知り合ったのは、前世のゆうくん。その時の名前が勇人。由紀の最愛の幼馴染。その生まれ変わりが友貴で、友くん。」
由紀は花梨に余すことなく語る。前世で俺に助けられたこと、今世で俺に助けられたこと。その間にあった荒波のような人生。俺との再会から今まで。これからの夢を。由紀の悲嘆と歓喜の歴史が綴られる。
花梨は口を挟むことなく黙って聞いていた。
「素敵なロマンスね。私が克ち取れなかった理由もよく分かった。」
由紀の話が終わったとき花梨は全てに合点がいったようだった。
「私もそんな恋がしたい。」
涙を流す花梨。涙の意味は憧れか、悲しみか。由紀は花梨を抱き寄せた。花梨は眼をつぶって由紀の胸に顔を埋めた。
花火のあと花梨は由紀とお風呂に仲良く長くはいっていた。花梨は由紀の体型を自分と比べて、これから成長するよね、と自分に言い聞かせていたそうだ。俺は独りで入った。美紀が一緒に入ろうかといたずらをしてきたが断った。入れるわけないだろう。明るいのは良いけど、美紀は悪戯好きだったっけ。
今日の花梨は俺と由紀の間で寝る。持参のお気に入りのパジャマに身を包んだ花梨は、由紀に抱きかかえられている。後ろからは俺に抱きしめられる。花梨は由紀の胸に顔を埋める。
「おやすみ、花梨。」
しばらくすると花梨の規則正しい寝息が聞こえてきた。俺と由紀も花梨越しに口づけをして寝入った。
次の日からも奮闘して、どうにかこうにか花梨の宿題が片付いた。完成した工作は花梨の作品じゃない。俺の成果だ。花梨は「さすが、パパ大好き。」と無邪気なふりをしていた。小悪魔の娘は小悪魔だ。
無事に宿題が完了したことで、由紀の肩の荷が下りたようだ。自分で出した宿題を手伝ったことには忸怩たる思いがあるようだが。ともあれ、宿題が終わったことで花梨も遊びに行ける。お祝いに花梨の希望で由紀達と4人でプールに行くことにした。
プールの更衣室から出てきた由紀は無地の黒ビキニを着ている。白ビキニは縁起が悪いとお蔵入りの運命らしい。やはり眼のやり場に困った俺は白ラッシュガードを着せたが、透けて黒ビキニが見えるのが余計に色っぽかったのは誤算だ。美紀がにやにやしていたのが癪だった。
花梨はというと、競泳水着だった。ピースバックのオールインワンの本気ファッション。柄は朝顔の花柄だ。そこは可愛い。だが、その格好でウォータースライダーとかするのか。でも花梨にとっては戦場なんだろうな、プールって。ゴーグルを掛けた目付きが真剣だ。
「ママに勝てる少ないポイントだからね、競泳は。」
何か違う。花梨はプールに何をしにきたんだ。遊びにきたんじゃないのか。
「ママ、勝負よ。」
バトルモード全開の花梨に全員がひいた。
固まる由紀を見ながら、俺は黙って花梨を捕まえて、流れるプールへダイブした。
「何をするのよ。」
「いいから、黙って付き合えよ。」
明らかに異彩を放つ水着は目立つ。周囲の視線を集めていた。それに気付いた花梨は恥ずかしそうだった。そのせいか最初のうちは大人しくしていたが、そのうちに元気に騒いでいた。
流れるプールは所々に仕掛けがある。バケツがひっくり返って大量の水が降ってきたり、突如噴水が思いも寄らないところから吹いてくる。水をまともに被った花梨はご機嫌だった。そして花梨は笑顔で俺をバケツの下に誘導しやがった。俺がずぶ濡れになったのを見て大笑いしていた。
「こいつ、やったな。」
「おにさん、こちら。」
俺は花梨を引っつかまえようとした。競泳水着の花梨はイルカのようにするりと逃れていく。だが俺も身体能力は高めているんだ。全力で勝負を挑んだ。バラフライで逃げる花梨、クロールで追いかける俺。周りの人の迷惑を顧みずに没頭していた。最終的には鬼神の由紀に二人して捕まえられた。美紀が笑い転げていた。
プールサイドで説教された。周りからは保護者に怒られているようにしか見えなかっただろう。適当なところで美紀が割ってはいってくれた。
「お姉ちゃんは嫉妬しているだけだからね。二人があまりにも楽しそうだったから。」
それは火消しではなくガソリンを注いだだけだった。由紀の顔貌が音を立てて変化するのが見えた。
あたりの気温は急上昇した。呼吸が苦しい。ガソリンが燃え上がるときに酸素がなくなったんだろう。このままでは生命の危機だ。俺と花梨は何も言わずプールに飛び込んで逃げた。阿修羅の由紀に捕まった美紀はプールに沈められていた。係員が来るのがもう少し遅かったら、美紀は救急車に乗せられるところだった。
むすっとした由紀を宥めて昼ご飯を食べることにした。沈められた美紀は死にそうだったと言いながら、花梨と二人で焼きそばを買いに逃げて行ってしまった。ご機嫌斜めな由紀は何も言わずに座っている。目の前にいる俺も睨みつけられている。美紀が悪いんだぞ、と言ったら、由紀に勇人も悪いと言われた。
こういうときは行動で示すしかないだろう。周囲の視線が少し気になったが、それをものともせず俺は由紀にキスをして抱きしめた。
「愛しているよ、由紀。」
俺の突然の行動に真っ赤になった由紀は、それでも機嫌は直ったようだった。仕方ないわねという感じで、手を繋いで売店に向かってくれた。
「午前中は花梨と遊んでいたんだがら、午後は由紀と遊んでよね。」
横に座った由紀が俺にもたれ掛かりながら言ってきた。由紀の身体は柔かい。
「わかった。ウォータースライダーをしようか。前がいい、後ろがいい。」
「うーん、前は抱きしめてもらえるけど怖いしなあ。後ろは抱きつけるし後ろがいいかな。」
俺が前に乗ることになった。
由紀が本質的には花梨と変わらないタイプだということをしっかり思い出した。元気で過激なほど活動的なんだ。30回以上も連続で滑った俺は死にそうだった。一回滑るのには30秒も掛からない。だだインターバルが階段を上る時間だけなのは拷問だ。それなのに由紀は嬌声を上げて心ゆくまで楽しんでいた。花梨は美紀とかなり滑っていたようだが、それでも由紀レベルの無茶はしてなかった。
最後の締めは200m個人メドレーでの真剣勝負だ。ちゃんと50mプールがある。競泳システムが備えられた本格的なものだ。勝負する人達用だな。
参加者は当然、俺と花梨だ。美紀は論外、由紀も、審判するね、と上がっていた。バラフライの出来ない俺はクロール代用の変則ルールで了解してもらった。花梨は余裕シャクシャクだ。
由紀が何処から出したのか笛を口にくわえて、電子式スタート音発生装置を操作している。学校の先生ってのは何でも出来るんだな。
「ピッ、ピッ、ピッ、ピピーーーーー」スタート台にのった
「Take your marks」静止した
「ピ」電子音が鳴る
花梨はトラックスタートで、俺はクラブスタートで飛び込んだ。
花梨は全身を真っ直ぐに伸ばし一点入水をした。角度は30°で理想的な飛び込みだ。ドルフィンキックに両手のストローク、リズムよく進む花梨の泳法の特徴は水しぶきをあげないことだろう。激しいのに静かとも言える水切りだ。顔を上げず息継ぎをして、うねるようにハイスピードで50mを進む。
俺は花梨の後塵を拝して追いかける。花梨がバタフライから背泳ぎにターンした。息を吐き続けながら上体を反らせて仰向けになり両足は壁を蹴っている。続くのは自然なローリングと両手のストロークに合わせてのダウンキックだ。教科書に乗せられるような見事な手本だ。
必死に喰らいつく俺をあざ笑うかのように、花梨は背泳ぎから平泳ぎへターンした。手を伸ばして壁に触れ体をひねる。水面に対して横向きになりながら方向転換。両足は壁に向けられ蹴りつける。両腕の手のひらを合わせて前に伸ばしストリームラインを作った。俺は既にかなり引き離されている。
最後は平泳ぎからクロールへのターンだ。両手のストロークのリカバリーを伸ばして両手で壁にタッチ。利き腕を戻し方向転換。膝を曲げて壁を蹴ってクロールのキックへ変えた。最後は自由形だがクロールが一般的だ。花梨は顔を一度も上げずに一直線に前に進む。
自由形に入ったところで俺は25mは離されていた。絶望的だったが諦めない。だが勝てないものは勝てない。俺がゴールしたときには、余裕で凱歌を上げる花梨が居た。
「勝利の女神が微笑んでくれたよ。」
俺は勝者を褒め称えた。
「花梨が勝利の女神なんだよ。」
渾身の力を振り絞っても負けたが俺は満足だった。
周囲から拍手がわき起こった。俺たちの勝負を見ていた人達がいた。電光掲示板に示された花梨の記録は、あと少しで年齢別参加標準記録に手が届くレベルだった。本気で続けていたらメダルが取れたんじゃないか。
「久しぶりにノーブレが達成出来たよ。やっぱり勝負だと燃えるね。」
花梨は最後の50mをノーブレで突破したらしい。まあ地力が違う。俺が敵う相手じゃなかった。輝やいて見える花梨だった。
由紀と美紀にバスタオルでくるんで貰った花梨は二人に連れられて意気揚揚と更衣室に消えていった。俺は残された浮き輪の片付けだ。俺と花梨が追いかけっこしていた時に、美紀と由紀の二人が流れるプールで優雅に使っていたやつだ。
帰りは疲れて寝てしまった花梨を俺が背負うことになった。
「パパ、頑張れ~。」
美紀が茶化していた。由紀は荷物を持ってくれた。家まで一度も起きなかった花梨。寝顔が可愛かったからいいかと俺は思った。
誤字脱字、文脈不整合など御指摘頂ければ幸いです。




