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17.葛藤

友貴が一人出かけたあと、リビングのソファに座って由紀の母親が物思いにふけっていた。


「どうしたの、お母さん。」

「ああ、由紀はどうしている?」

「お姉ちゃんなら、お兄ちゃんが一人で出掛けちゃったから、拗ねて、ふて寝しているわよ。」

「ふふ、置いてかれたと思っているのね。あんまりべったりだったら嫌がられちゃうわよね。でも、ちょうどよかった。聞きたいことがあったの、美紀。」

「なに?」

「美紀は、友貴くんのことを、お兄ちゃんって呼んでいるわよね。」

「うん、呼んでいるよ。それがどうかした。」

「なんで、友貴くんを、お兄ちゃんって呼べるの。」

「なんでって、友貴くんはお姉ちゃんの彼氏でしょ。ならお兄ちゃんになるんじゃないの。」

「うーん、彼氏というか、恋人よね。でも、結婚したわけじゃないし、かなり年下なのに、なんでお兄ちゃんって、すっと呼べるの。」

「ええ、そこ突っ込むところ。いやあ、ふつうにお兄ちゃんってなると思ったんだけど。」

「うーん、わたしなら呼べないと思うのよね。なのに美紀は、抵抗なく呼んでいたから唖然としたのよね。」

「それはお母さんとわたしの違いじゃない。お兄ちゃんとは海にもいったしね。お姉ちゃんを助けた友貴くんは恰好よかったわよ。」

「ううん、わかったような分からないような感じね。うん、いいわ。それはいったん置いとくわ。じゃあ、もうひとつ。なぜ友貴くんは、由紀の彼氏をやっていてくれるのかしら?」

「ええ、言っている意味がわかんない。好きだからじゃないの。」

「なんで好きなの。」

「お母さんの言っていることが分からないわよ。」

「身体を張って由紀を助けてくれた友貴くん。その友貴くんに勇人くんの影を見た。だから由紀が友貴くんを好きになったというのは分からないでもないわよ。でも由紀が友貴くんを好きになったからと言って、友貴くんが由紀を好きになる理由にはならないでしょ。ふつう担任の先生が自分のことを好きだって言ってきて、僕も好きですと答える小学生がいるかしら?」

「お母さんは、お姉ちゃんと友貴くんが付き合うのに反対なの?」

「頭から反対と言っているわけじゃないわよ。でもね、世間的には難しい話でしょ。教え子に手を出す小学校の女の先生なんてね。例えばの話、男の先生が、女の子に手を出したら、認められるわけはないでしょ、普通。」

「好きなのが、何が悪いのかわからないわよ。」

「好きなのが悪いといっているんじゃないわよ。好きだけでは、すまない話でしょ。実際には。」

「でも現実に友貴くんは、お姉ちゃんのことが好きなんでしょ。お母さんに頭さげられて、びっくりしていたけど、ちゃんと応えていたじゃない。」

「そうね、確かにそう。ただ、とても小学生には思えなかったわ、あの挨拶は。」


『若輩者でありますが、由紀を二度と悲しませないように護りぬきます。』


「あそこまで、言われる由紀は幸せね。でも、なぜそこまで言ってくれるのかしら。そこが分からない、私には。」


美紀は知っているから分かる。友貴が勇人だからだと。勇人だから“二度と”になる。でも母親は知らないから疑問に思う。友貴が由紀を、なぜそこまで好きになって“二度目がないように”護ってくれるのか。


「担任の先生が好きっていうのは、小学生であり得る話よ。でも、あこがれるという程度じゃないかしら。現実に、恋人同士になって家に、しにきたわけじゃないけど、挨拶をする子がいるかしら。」


母親にはなんとなく不安があるようだった。友貴が由紀を助けてくれたのには感謝している。結果的に、由紀がそれで過去を振り切ることが出来たようなのも喜ばしいことだ。でも、じゃあ、最初のスタートはなに。由紀を好きだったから助けた、じゃないのかしら。その好きになった理由は何なの。


「友貴くんに聞いたことある?由紀をなぜ好きになったのかって。」

「理由ってこと。」

「そうよ。」

「恋は理屈じゃないんじゃない。好きになったから好きなんじゃない。あとは若いから一途だとか。」


美紀の説明は苦しい。でも、むかしの勇人はなんで由紀を好きになったんだろう。それを知っていれば答えが出せるかもしれないんだけど。でも聞いたことないなあ。勇人兄ちゃんが、お姉ちゃんを好きになった理由は。


告白する前に死んだ勇人が、由紀が好きな理由を明かすことはなかった。明かせるわけがない。死んでから、好きだったんだと自覚しているんだから。


「友貴くんは、年上好きってことじゃないかな。」

美紀は、適当な答えを見つけ出した。

「じゃあ、由紀じゃなくてもいってことになるんじゃないの。別の(ひと)でも良くなるんじゃないの。いまは由紀がよくても。」

「知らないわよ。美紀は友貴くんじゃないんだから。直接聞いたらいいんじゃないの。なんで、お姉ちゃんが好きなんですかって。」

最後には美紀は友貴に宿題を投げるような形で話を終わらせようとしていた。


「さわがしいなあ。何を話しているのよ。」

二人の話し声は知らず知らずのうちに大きくなっていたようだ。ふて寝をしていた由紀が、聞きつけてリビングに降りてきた。

今まで由紀について話していた美紀と母親は、本人を目の前にして言葉に詰まってしまった。黙ってしまった二人を見て、由紀は首をかしげた。


「由紀の悪口でも言ってたの?」

「ちがうわよ。友貴くんのことよ。」

「ゆうくん、のこと?」

「そう、なんで友貴くんが、お姉ちゃんを好きになったのかって話。」

「えええ、なんでそんな話をしているのよ。」

「由紀。友貴くんは、どうして由紀を好きになってくれたの。由紀が友貴くんを好きになったから、友貴くんが由紀を好きになってくれたというのは、なんとかわからなくもないわ。」

「でも、その前に命を張って由紀を助けてくれたんでしょ。右脚を骨折して手術までするような怪我を負ってまで。なんで、友貴くんはそこまでしてくれたの。好きになる前の話じゃないの?」


母親は疑問に思っていたことを由紀にぶつけた。由紀は言われたことの意味が分からず、しばらく返事が出てこなかった。うつむいて、何度か母親の言った言葉を脳内で繰り返した結果、明かしていない秘密が理由になっていることに気が付いた。友貴が勇人だから助けてくれたんだということが。


友貴が勇人であることは、美紀と瑞希さんは知っている。だが母親に明かすかどうかは友貴じゃないと決められないこと、と由紀は単純に考えていた。なんて答えるべきか迷いながら、顔をあげて母親の顔を見た。その由紀の眼には、娘を心から案じる母親が映った。母親にはこれまで10年以上に渡って心配を掛け続けてきた。これ以上心配を掛けるわけにはいかない。


「勇人だから。」

由紀の口から自然に言葉が出ていた。

「勇人だから、由紀を好きだって言ってくれて、護ってくれるって言ってくれた。」

「お姉ちゃん。」

「どういうこと。何をいっているの、由紀。」

母親には娘が錯乱しているように見えた。友貴に勇人の影を見たと言ったが、友貴と勇人を混同しているようだった。心の重荷に耐えられず、逃げ道を探して見つけた夢か妄想なのか。


そんな母親の眼を見ながら由紀は言った。

「ゆうくんは勇人の生まれ変わりだから。」

「え、生まれ変わり・・・。」

母親の眼には哀れみの色が混じってきていた。

「勘弁してよね、お母さん。別にわたしはおかしくなっているわけじゃないからね。」

「どういう意味?」

「だから死んだ勇人が、ゆうくんとして生まれてきたってこと。」

「それ本当なの。」

母親には思いもよらない話だった。まさか死んだ勇人の生まれ変わりとは夢にも思わなかった。


「じゃあ、勇人くんの影を見たって言ってたけど、そうじゃなくて勇人くん自身だったってこと。」

「そう。ゆうくんが助けてくれたときに教えてくれた。由紀もすぐに信じられたわけじゃない。けど、由紀しか知らないこと、勇人が死んだ交通事故の日の出来事や、御葬式で棺の蓋を閉めるのに由紀が抵抗したことなんか、ぜんぶ知ってた。」

「由紀を護って死んだことを満足だったと言ってくれた。誰にも言ったことはなかったけど、あのとき勇人は『由紀が無事で良かったよ』と言って微笑んで死んでいったの。今回も、由紀が無事だったことを笑ってよろこんでくれた。自分の足が折れていたのに。」

「約束を護ってくれた。必ず助けるっていう約束を。由紀が結ばせたようなものだけど、勇人は自分で約束を護りたいから由紀を護ったんだって言ってくれた。だから、由紀はゆうくんと一緒に居たい。二度と別れたくない。」


由紀の告白に、母親は反応できなかった。嘘を言っているようには見えないけど、はいそうですかと信じることもできない。頭のなかで由紀の言葉がぐるぐると何回も廻っていた。誰も何も言わないまま、時間だけが流れていった。その流れを断ち切ったのは美紀だった。


「お姉ちゃんは交差点にも行けるようになっているんだよ。」

「え、あの交差点?」

「うん、勇人兄ちゃんが亡くなった交差点。」

「うん、奇跡のように大丈夫だったよ。勇人が生きてそばに居てくれたから、なんともなかったよ。」

由紀の顔は晴れやかで、あれだけ辛かった記憶、勇人の死が過去のものになっていた。


本当に友貴が勇人であるというのなら、すべてが納得できる話と母親には思えた。友貴が命を張って由紀を助けてくれる理由も。由紀が立ち直れた理由も、故郷に突然帰ってくることが出来た理由も。すべては友貴(勇人)のおかげ。逃げるように故郷を離れていった娘が連れて帰ってきたのは、かつての恋人。付き合ってはいなかったかも知れないけど、心から愛していた男の子。由紀の腕の中で消えた命が、再び由紀のそばに居る。


「そうなの、ようやくわかった気がするわ。それに胸につかえていたことも溶けたようだわ。美紀は知っていたんだね。だから友貴くんを抵抗なくお兄ちゃんと呼べたんだね。」

「そう。黙っていてごめんね、お母さん。」

「いや、いいわよ。言われたとしても信じられたかどうか。私には友貴くんが、どうして由紀のことをそこまで好きになってくれたのか分かってなかったから。でも、不思議ね。記憶があったとしても、好きという感情まで持ち続けてくれるものかしら。」

「それね、美紀も不思議だったんだよね。だから勇人兄ちゃんに言ったんだよ。感情まで引き継いでいるんだねって。」

「そうか、それね。ゆうくんは、記憶が繋がっているの。記憶というか意識が。だから本質的に勇人のままで、器が代わって名前が代わっただけって言っていた。だから生まれ変わりだけど、生まれ変わりじゃないって。生まれ変わりと言ったほうが理解はしやすいだろうけど。」

「へえ、そうなんだ。だからか、違和感がなかったのは。美紀は友貴くんと話をしていると、むかしの勇人兄ちゃんとはなしている感覚だったんだ。美紀ちゃんって呼ばれても問題なく受け入れられたしね。」


だが母親には別の心配が生まれた。

「生まれ変わりのことは、友貴くんの御両親は知っておられるの?」

「いや、知らないはずよ。ゆうくんは、いずれ機会を見て少しずつ話しをするって言ってたけど。」

「それと、由紀が友貴くんと付き合っているのは知っておられるの?」

「まさか。そんなこと言えてないわよ。由紀は担任だよ。さすがに言えるわけないでしょ。ただ、由紀はゆうくんの命の恩人になっているから、かなり仲良くしているのは認めてもらっているわね。」

「由紀が友貴くんの命の恩人ってどういうことなの?」

「ゆうくんが右脚を骨折した交通事故のとき、由紀がゆうくんを庇ったことになっているの。ゆうくんが、無理やりそういう話にしてくれたの。」

「それを由紀はそのままにしたの・・・?」

「ゆうくんが、そういう話にしたから。由紀は由紀の立場があるからって。だから、その分は由紀がゆうくんに恩返しするの。」

母親には娘の恋路が茨の道に見えていた。それでも前に進もうとする由紀になんと声を掛けたらいいのか分からなかった。


だから友貴が帰ってきたら、勇人として迎えよう。そして由紀の将来をお願いして託そうと考えていた。

誤字脱字、文脈異常がありましたら、ご指摘頂ければ幸いです。

短編「運命の歯車」も読んで頂ければ幸いです。

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