14.回帰
勇人と由紀の故郷は、友貴の故郷である街から、新幹線で5時間以上掛かる。昼前に着くために朝早く起きたこともあり、座席に二人並んで座った俺たちは、ほどなくまどろみ始め、そのまま列車に運ばれていった。車内アナウンスで故郷のターミナル駅に到着していることを知った俺と由紀は慌ててホームに降り立った。
俺は軽量タイプのメタルフレームのキャリーバックに、由紀はフロントオープンタイプのカルミンレッドのレザーキャリーバックに荷物を詰めてきている。そして行き交う人の邪魔にならないように注意しながらキャリーバックを引いて改札に向かった。
夏休みということもあり家族連れの姿も多く、大半は旅行客といった様子だった。俺たちは他人にはどう見えているんだろうかな。俺と由紀の身長差は10cm弱だ。もちろん由紀の方が高い。俺自身は6年生の平均よりは高いが160cmの由紀には届かない。
ちなみに俺の今日の服装は白のボトムにグレーのTシャツ、黒のカーデガン。カーデガンの袖は折り返して左腕に腕時計。今回はサングラスではなく、黒ぶち伊達メガネをしている。眼は悪くないんだ。そして俺の右手と由紀の左手はばっちりと指を組み合うように握られている。
「懐かしいな。この駅にも昔はよく来たもんだよな。だけどかなり変わっているよな。なんかびっくりだよ。」
前世の俺の記憶にある駅は、機能的で大きなものではあった。しかし今ほどテナントは多くはなく伽藍とした印象だった。だが目の前に広がる駅は、構造は複雑になり飲食店や雑貨屋など多種多様な店舗が多数並んでおり、たくさん出入りする客が居た。
「駅前を含めて再開発されたし、行政が観光に力を入れるようになって、海外からの観光客も増えているからね。荒地だったところも切り開かれて住宅地になって新しい住民も増えているんだって。でも、もともとの市街はあまり変わってないらしいよ。」
由紀の説明のとおりに、海外からの旅行客らしき姿も多い。俺たちの実家は古い市街にあるので、あまり環境変化はないんだろう。
ターミナル駅の2階にある改札を出たところで、由紀が立ち止まって誰かを探すように周囲を見渡す。
「瑞希さんが迎えにきてくれているはずなんだけど、見当たらないなあ。」
「あれじゃないの、瑞希姉さん。」
ちょうど1階からの階段を上がりきったところに立つミディアムボブヘアのスリムな女性と俺は視線が合った。姉さんは綺麗なデコルテラインが見えるホワイトのオフショルトップスと水色のフレアスカートにチャコールグレーのベルトをしていた。
「よくわかったね。由紀はわからなかったよ。というか言われても本当にそうなんか自信がないよ。」
歯切れ悪く由紀が言っている
「まあ、俺は弟だからじゃないかな。たとえ12年ぶりだろうとも、瑞希姉さんの良かった面も嫌だった面も俺の魂に刻みこまれているからな。人込みのなかですれ違っても気が付くくらいには。」
やや自嘲気味に俺は瑞希姉さんを見分けられた理由を分析した。
「ちなみに由紀のことも一発でわかったよ。教頭先生が紹介する名前を聞いて心臓がどきっとしてまさかと思って、朝礼台であいさつをする由紀を見て確信して、気が遠くなるような気持ち、全身の血液が沸騰するような感覚というか、走っていって抱きしめたい衝動を抑えるのに苦労したからなあ。」
俺は去年の春に小学校であった新任教師紹介のときのことを思い出しながら穏やかな微笑みで由紀を見つめた。
「そのとき強く思ったよ。本当に俺は由紀のことを渇望していたんだと。」
熱く語る俺の言葉に由紀は頬を紅く染めて嬉しそうな女の顔になった。
が、ふと真顔に戻った由紀が俺に向けて言った。
「じゃあ瑞希さんにも同じような感覚なの。」
「いや逆だな。避けたい。」
口の端をゆがめて俺は小さい声で呟いた。俺たちは瑞希姉さんに向かって歩いている。瑞希姉さんもこっちに向かってきており、距離が近くなっていたからだ。聞こえたとしても意味は分からないとは思うが、用心するにこしたことはない。少なくとも俺は初対面なのだから、最初から印象を悪くする必要もないだろう。過去の俺が瑞希姉さんを苦手だったとしても。
「由紀ちゃん?」
近づいてくる俺たちを見て、瑞希姉さんが遠慮がちに声を掛けてきた。瑞希姉さんも由紀のことに確信が持てなかったんだろう。ただ成人女性と男の子という組み合わせと時間的な符号から、俺たちが目的とする人物と推測したんだろう。
「桂木由紀です。お久しぶりです、瑞希さん。」
由紀が笑顔で瑞希姉さんに向かってあいさつをして頭を下げた。
「本当に久しぶりよね。何年ぶりかな。」
懐かしそうに瑞希姉さんが言った。
「私が高校性になった頃からだから10年近く会ってないことになりますね、瑞希さん。」
「そうかそんなに時間が経っていたんだね。でも突然連絡をくれて帰ってくるって聞いて、もの凄くびっくりしたよ。何があったんだろうかってね。でも折角帰ってきてくれたんだから楽しく過ごしてほしい。辛い思いはしないでほしい。」
由紀は長く連絡をすることがなかった瑞希姉さんに突如連絡を取ったらしい。そして瑞希姉さんは由紀が急に帰ってくると聞いて驚いたらしい。それはそうだろう。由紀は俺が死んだことを思いだすのが辛くて、遠い街へ遠い街へと離れていったんだからな。
その由紀が帰ってくるとなったら、何があったのかと思うのも、顔を見たいと思うのも人情だろう。瑞希姉さんが迎えに来てくれたのはそういう事情なんだろう。
瑞希姉さんの視線が俺の方へ向いたことに気が付いた由紀が紹介してくれた。
「こちらは望月友貴くん。私の教え子です。」
「はじめまして、望月友貴です。よろしくお願いいたします、加藤瑞希さん。」
瑞希姉さんにあいさつをした俺はペコリと頭を下げた。
「こちらこそよろしくね、望月くん。」
瑞希姉さんもにっこりとして俺にあいさつを返してくれた。
「それじゃあ、車で来ているから案内するわね。」
瑞希姉さんの先導で、駐車場まで歩いてきた俺たちは、キャリーバックを車のトランクに入れて後部座席に並んで座った。俺が左で、由紀が右だ。手はつないだままで。
ターミナル駅に併設された駐車場から出た瑞希姉さんが運転する車は、少し混んだ道をゆっくりと家に向かって進んでいく。昔と違って街路樹が植えられて道幅も広くなり3車線になっている幹線道路を見て、俺は改めて経過した時間の長さを感じた。
幹線道路を10分ほど走ったところで、昔の風情を残す対面道路に変わった。そして、とある交差点が赤信号になり車が止まった。瞬間、瑞希姉さんが、はっとして気まずそうに狼狽えている。周りの景色が目に入ってきた俺には理由がすぐにわかった。懐かしいな、と言ったらおかしいか。俺が死んだ交差点だ。
横に座る由紀が心配になって視線を動かして「だいじょうぶか、由紀。」と小さい声を掛けた。
「うん、不思議と大丈夫。ゆうくんと一緒だからだね。どうやら由紀は乗り越えることが出来たみたいだよ。」
笑顔で普通の声で答える由紀は、肩から力が抜けて自然体だった。辛い記憶を昇華することが出来たのなら本当によろこばしいことだ。俺の心の重荷も少し卸すことが許されるのかも知れない。
「え、だいじょうぶなの、由紀ちゃん。」
瑞希姉さんが恐る恐る尋ねてきた。
「ごめんね。由紀ちゃんの嫌な記憶を呼び覚まさないように気を付けていたつもりなのに、家に近い道を無意識に選んでこの交差点を通ることになってしまって。」
「本当にだいじょうぶですよ。自分でもびっくりですけどね。この街を出るまでは、この交差点に近寄ることも出来なかったことを考えると奇跡みたいですよ。」
本当に済まなさそうに謝る瑞希姉さんに由紀は笑顔で答えた。
「瑞希さんこそ、だいじょうぶなんですか。」
「うん、私もまったく大丈夫というわけじゃないけど。時間と共に過去の記憶になったというか。由紀ちゃんと違って壮絶な死に目に直接会ってないからか、通るくらいはできるようになったわ。死んだ勇人には薄情ものと言われるかもしれないけどね。」
瑞希姉さんは少し暗い表情でさびしそうに言った。
俺は自分が死んだことで瑞希姉さんにも衝撃を与えていたことを今更のことながら実感した。あまり仲が良かったとは言えない瑞希姉さんが、そこまで俺のことを気にしていてくれたことも驚きだった。
そして自己満足野郎にすぎなかった過去の俺に文句を言いに行きたくなった。この調子なら他の家族や友達や知り合い達にも色んな影響を与えたんだろう。
『薄情者とは思ってないよ、瑞希姉さん。』
俺は口にするわけにもいかず、心の内で呟いておいた。
『俺のほうこそ死んですまなかった。』
俺は自分が勇人であることを由紀には伝えてある。だが他の人に無制限に明かしていくことが正しいことなのかは違うと思うし、どうするかは決めかねている。いずれ時期を見て伝えたい人に、俺の言葉を伝えたいとは思っているが。
由紀に抱きしめられて俺が死んだ交差点を通り去って、由紀の実家が近づいてきた。由紀の実家と勇人の実家は距離1分、味噌汁の冷めない距離だ。小学校二年生の時にしっかり教えられたので今もがっちりと覚えている。
当時を思い出した俺は知らず知らずのうちに笑みが浮かんでいた。めざとく俺の笑みを見つけた由紀は、「こら昔のことを思い出したんでしょ、ひどい勇人。」と甘い小声で囁いた。
この旅行の間、俺は由紀の実家に泊めてもらうことになっている。瑞希姉さんは由紀の家の前で俺たちを降ろしてくれると、車を自宅の駐車場に戻しにいった。
「ただいま。」
由紀は実家の玄関に立って久しぶりの帰宅のあいさつをする。
眼の前には由紀そっくりの美紀が立っていた。
「お姉ちゃん、おかえりなさい。」
数年ぶりに逢う姉妹は、しばらく無言で見詰め合っていた。それからおもむろにゆっくりと抱き合った。
「ごめんね、長いこと帰ってこなくて。」
「ううん、元気にしていたのならいいよ。」
「美紀こそ、元気だった。」
「うん、連絡はちゃんと取っていたじゃないの。」
「でも実際に逢ってみないと分からないじゃない。」
「それはそっくり返すわよ。」
姉妹のじゃれあいを眺めながら、俺は手持無沙汰にぼけっと立っていた。美紀も綺麗になっている。記憶にある美紀はまだまだ幼い女の子で颯希と遊んでいる姿は可愛いものだったのにな。俺が美紀と仲良くすると由紀が妙に拗ねて怒っていたのも懐かしい思い出だ。
「あらあら、お客さんを放っておいて何をしているの。」
後ろから記憶にある声が聞こえてきた。由紀と美紀の母親だ。
「ごめんなさいね。少し買い物に出かけていたもんだから。」
落ち着いた雰囲気をまとった母親は、由紀と美紀の20年後の姿を見せてくれている。
「はじめまして、望月友貴です。」
俺はあいさつをした。
「はじめまして。よろしくね、友貴くん。由紀から聞いているわよ。身体を張って由紀の命を助けてくれた男の子だって。本当にありがとうね。」
深く頭を下げた母親の姿に俺は狼狽した。由紀は何を何て伝えているんだ。由紀が俺を助けたことにしてあったのに。俺は視線を由紀に向けた。
「お母さんには嘘はつけないから。ごめんね、ゆうくん。」
そんな俺に由紀は答えを教えてくれた。
「むかし勇人くんが命を懸けて助けてくれた由紀を、今度は友貴くんが助けてくれた。」
何を知っているのか、何が分かっているのか、母親の眼に見えているのは何なのか。
「由紀は、そんな友貴くんに勇人くんの姿を見たって言うのよね。錯覚に過ぎないのかも知れないけど、母親としては、娘が辛い記憶から立ち直ってくれるのなら、何でも受け入れるのが正しいことだと思っているのよ。」
神妙に言葉を紡ぐ母親に、俺は頷くしか出来なかった。
「由紀が好きになった人がいると聞いて、どんな人だろうと思ったの。それが亡くなった勇人くんの代わりというのは失礼だけど、同じ年の男の子だって聞いて本当にびっくりしたわよ。」
控えめに笑って母親は言う。由紀はそんなふうに俺のことを伝えたのか。
「世間的には年の差が問題になるだろうけど、今だけのこと。10年経てば、自然な形に落ち着くわよね。」
母親の自分自身に言い聞かせるかのような言葉に、俺は複雑だった。
12歳差という現実は、12歳と24歳では問題になっても、22歳と34歳ではあまり問題にならない。要は、大人になれば年の差は解決するということだ。
「逃げるように故郷を出て行った娘が、好きになった男の子を連れて帰ってきたのよ。友貴くんの力で過去を振り切れたのなら、あとは祝福するだけよね。」
母親は俺を真正面から見据えた。
「由紀をよろしくおねがいしますね、友貴くん。」
再度、深く頭を下げた。
俺は眼の前で起きている現実に圧倒されていた。母親に由紀との関係を認められた。軽くおぼろげに考えていた未来が既に近づいて来ている。思い描く夢を実現するために、真剣にやらねばならないことがあることを自覚した。
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