13.追憶 その3 臨海学校
5年生の夏休みに入った直後のタイミングで臨海学校が組まれていた。1泊2日と短いけど島にフェリーで渡り、スイカ割や肝試しなど、イベントが満載だった。
「楽しみ。島に行くの初めてだし。」
「目回したらどうしよ。」
「肝試し、誰とペアになるんかなあ。」
同級生たちは興奮して口々に騒いでいた。
けど僕は憂鬱だった。理由は簡単、船に弱いんだ。実際のところは船だけじゃなくて乗りもの全般に弱い。乗り物から伝わる揺れに負けてすぐに気分が悪くなる。そうなると元に戻るのに一日くらいかかってしまうんだ。
出来たら参加したくなかったけど、理由もなくさぼることは出来ない。お母さんに、「酔うから嫌なんだよ。」と言ったら、「いい酔い止めを用意してあげるわね」と軽くあしらわれた。残念、無理だった。
「楽しみだね、勇人。」
事前説明会で由紀は嬉しそうだった。俺はぎこちない笑みを浮かべて「そうだね。」と短く答えていた。本当は行きたくない、とは言えない。そんな僕を由紀は不思議そうに見ていた。
「行きたくないの、勇人。」
「いや、そんなことないよ。楽しみだよ、由紀。」
むりやり笑顔で答えて誤魔化した。
由紀とは5年になってまた同じクラスになった。一緒に登下校はしていたけど、3年と4年は別のクラスだった。2年の夏休みの花火大会で、僕は由紀に親しみが少し沸いたけど、苦手なのは変わっていない。なので由紀と僕の関係も特に変化はない。
突如、周りから嬌声が上がった。
「ねえ聞いた、勇人。」
「ごめん、聞いてなかった、由紀。」
「もう、しっかりしてよ。水着が自由だって。スク水じゃなくてもいいいんだって、勇人。」
そうなんだ。でもスク水は、あれはあれで良いと思う人達もいるという話だけどね。と危ない考えが脳裏をよぎったりもした。
「新しい水着、お母さんに買ってもらわないとね。」
由紀はなぜか気合いを入れていた。
「いや別に泳げたらいいんじゃないの、由紀。」
「女の子のこと、全然わかってないね、勇人。」
由紀に呆れられた。いや男の子の水着なんて大した差はないしさ。
「泳ぐためじゃないよ。見せるために決まっているでしょ、勇人。」
「見せるって誰にだよ。いるかさん?」
「ばか、勇人。知らない。」
由紀は怒って口をきいてくれなくなった。
他にも持ち物や注意事項の話があって説明会は終わった。終業式の前日に荷物チェックがある。それまでにちゃんと荷物を用意しないとだめだ。由紀の様子からすると、この街で女の子の水着の仁義なき争奪戦が起きるんじゃないかなあ。ああ怖い。
当日は学校に集合じゃなかった。フェリー桟橋に各自集合だった。僕はお母さんが車で送ってくれた。由紀も乗っている。どうせ行くんだし、二台も車を出す必要はないわよ、というのが僕のお母さんの意見だった。由紀のお母さんも「お願いします」で見送ってくれた。
あの日から由紀の機嫌は微妙に悪い。話をしてくれないわけじゃないし、行き帰りも一緒だけど、いつもの笑顔じゃない。
理由がわからなかった僕は、お母さんにあの日の話をして教えてもらった。盛大に呆れられて「女の子の気持ちが分からないのね。」と落胆されながら「男の子に見てもらうためじゃないの、勇人。」と言われた。
そして由紀は似合う水着を一生懸命考えて買っているに違いないからポイントを押さえてきっちり褒めること、と約束させられた。また約束だ。でもこの約束には、お母さんからの罰はない。罰があるとしたら、由紀から飛んでくるだけだろう。
桟橋では外洋航路も渡ることが出来るフェリーが僕たちの眼の前にあった。このサイズになると揺れも少ないという話で、僕は心のうちでガッツポーズをした。遠くへ向かう船が、たまたま途中で島によるから利用することになったらしい。
全員が乗船したことを点呼で確認したあと、出航した。約2時間の船旅だ。皆は思い思いに座席で話しをしたりトランプをしたりして遊んでいた。
ディーセルエンジンの重厚な響きと共に波を割って進む15000トンを超える巨体は確かに快適性が保たれていた。しかし、電車でも酔う僕には勝てなかったようだ。いや、勝てなかったのは僕か。
出港してからほどなくトイレの個室に籠もる僕がいた。便器はお友達だ。酔い止めの薬は手を抜いているらしい。生水が上がってくる。めまいがする。頭がガンガンする。くらくらする。まあ2時間我慢すればいいだけだ。大丈夫いつものことだ。
個室の扉が結構乱暴に叩かれた。
「はいっているのは、勇人?」
僕がいないことに気がついた由紀が探しに来たらしい。なんとか返事をして別人が入っていたらどうするんだよ、と言ったら、あやまるだけだよ、と由紀が返した。
「僕は大丈夫だから、もう席に居てくれたらいいよ、由紀。」
「大丈夫じゃないから、ここに居るんでしょ、勇人。」
「ここに居たら大丈夫なんだよ、由紀。」
掛け合い漫才みたいな会話になった。
でも由紀と話をして気が紛れたのか吐き気が少し治まった。僕はいったん個室から出た。男子トイレに由紀が居つづけるのもまずいしね。
フロントデッキに場所を移動して、海風を受ける。カモメが船の周りを飛び交っている。360度に渡って視線を遮るものはない。この世界にはフェリーしかいない。昔の船乗りってよくこんな状況で未踏の地へ向かうことが出来たよな、とぼんやり考えて気を紛らわせていた。
由紀は僕の右側に立って、そばに居てくれている。手にはコップに入れた水を持っている。僕はときおり口を濯いで海に吐く。にがいのが薄まり少し楽になる。結局、碇を下ろすまで、その場でずっと付き添ってくれていた。ありがとう、由紀。
船を降りてから、荷物をもって歩いて旅館に向かう。港から10分程の距離だ。日差しがかなりきつい。気温がそんなに高くないのは助かる。到着したら、水着に着替えて浜辺に整列だ。旅館の裏側がプライベートビーチになっていて貸し切りだった。準備体操をしてから、海に飛び込んでいった。
由紀は明るい赤のセパレートでハートマークがプリントされた可愛い水着を着ていた。
「似合っているよ。赤色も元気な由紀らしくて、可愛いよ。」
「そう、青色と迷ったんだけど、赤を選んでよかった。でも、ちゃんと褒めてくれたんだ、勇人。」
由紀は本当に嬉しそうにいつもの笑顔に戻って笑っていた。よかった、僕が胸をなで下ろしたのは言うまでもない。
しばらく泳いで遊んだら、昼ご飯だった。焼きめしが山と炊かれていた。自分で好きなだけ皿によそって食べてシステムだった。気持ち悪いのも治まっていたし、泳いでお腹が空いていたので、とてもおいしかった。やきめしは蟻にたかられるようにみるみるうちに消えていった。
昼休憩が終わったら、浜辺でスイカ割りをした。くるくる回ってから周りの雑音のなか、棒でスイカ退治をするゲームだ。
由紀が挑戦していた。ゲームとは思えない真剣な様子だ。含み足で前に歩を進め、ここというところで一撃必殺を繰り出した。哀れなスイカは木っ端みじんになっていた。あのスイカは食べられないなあ。だけど、由紀を怒らせると僕の頭がああなるんじゃないかと怖かったよ。
晩ご飯が終わったら肝試しだった。強制参加じゃない。希望者でペアを組むんだ。当然というか僕は由紀とペアだった。知らない間に、由紀が申し込み用紙を提出していたんだ。
「危ない目にあうかもしれないし、助けてくれるんだよね、勇人。」
いつかも聞いたようなセリフだった。別にわざわざ危険に飛び込む必要はないんじゃないと言いたかったけど、今更だよね。肝試しは近場の神社に行って御守りを買ってくることがルールだ。このためだけに神社ではこの時間に開けていてくれているらしい。
由紀が泣いている。実は幽霊とか嫌いで恐がりだったらしい。僕にしがみついて離れない。なんで肝試しに参加したんだよ。
お化け役は地元のボランティアの人達がしてくれているんだそうだけど、気合い入りすぎ。のっけから血まみれの包丁抱えた婆さんは止めてほしい。よく見ると包丁は銀紙が張ったダンボールだと分かるんだけど、由紀には区別なんかついてない。
そのあとも、効果音抜群で水音をさせながら、走って近づいてくるカッパとか。カッパってお化けだったっけ。でもリアル過ぎ。眼が真っ赤に血走っているのは怖い。振り回しているのがキュウリというのはシュールで笑える。
から傘お化けに、ミイラ男に、首なし女、いや小学生相手のお遊びとはとても思えない演出だったよ。でも必要以上に接近はしてこないし、泣いている由紀に気がついた役者さん達は、踊りながら消えていってくれた。
静かになった神社の境内には僕と由紀しかいない。御守り売り場に巫女さんが居ないから、今日一番怖い演出じゃないだろうか。
まだ震えている由紀を僕はしっかりと両腕に抱えている。助けると言ったからだけじゃなくて、由紀を護りたいと思ったから。女の子は良い匂いがして、口では強いことを言っていても、か弱いんだ。
夜は大部屋で寝るようになっていた。枕投げをかなり激しくやってふすまを倒し、見回りの先生たちにこっぴどく怒られた。でも長く怒られることはなくて、笑顔で早くねるように言われて許された。
僕はなかなか寝つけなくて、外の空気を吸おうと思って廊下に出たら、由紀にばたりと出会った。夜中に二人で外出するわけにはいかなかったから、階段の踊り場の長椅子に座って話をした。
「さっきはありがとうね、勇人。」
「もう怖くない、由紀。」
「うん、だいじょうぶ。勇人が居るもん。」
少し目は赤いけど、いつもの笑顔の由紀だった。
「強いんだね、勇人。」
「まあ作り物と分かっているからね。本物だったら怖いよ。」
「作り物と知ってても怖いものは怖いよ、勇人。」
「由紀の意外な一面がみれたね。」
「なによ、それ。うん、だって本当に怖かったんだもん。」
いじらしい由紀だった。
話題を変えないとな。
「僕は姉さんがいるんだよ。」
「え、お姉さんがいるの。初耳だよ。」
「美紀ちゃんから伝え聞いてないかな。」
「どんなお姉さんなの。」
「これがひどくてさ。お父さんは僕に女の子には親切にするようにいつも言っているんだ。でも、それを盾にして何でも特別扱いを求めてくるんだ。姉さんが担当の日のゴミ捨て当番を僕に押しつけるのは違うだろう。黙っていたら自分の要求をどんどんエスカレートさせてくる嫌な女だよ。」
僕の口調は不満で少し強かった。聞いていた由紀の表情が曇った。
「え、由紀のことも、そんなふうに見えているの、勇人。」
なにやら自覚があるのか、由紀の声がいつもと違っておどおどした感じだった。
「そうだなあ、水やりのときには、無理やり約束させられたし、そのあともたくさん約束させられたよね。いやだったな。」
「でも過去形なんだよね、勇人。」
由紀が縋るような目で僕を見ていた。
「うん過去形だよ、由紀。」
にこりとして僕が答えたので、由紀の顔が少し晴れた。
「いまは違うよ、由紀。納得しているし、約束を護るのは嫌じゃないしね。」
実のところ由紀との約束を護れると、なぜか最近は僕の心が落ち着く。
「よかった、安心した。勇人に嫌われていたら泣いちゃうもん。」
由紀の言葉にドキッとしてしまった。由紀の言葉はどういう意味なんだろう。僕は自分で自分の感情が理解できていなかった。
同じ話題を続けるのがしんどくて別のことを持ち出した。
「そういや今日の水着もよかったけど、初めての花火大会のときの浴衣姿、可愛かったんだよ、由紀。」
「ええ、今になって言うの。あのときは何も言ってくれなかったじゃない、勇人。由紀、気合いいれて準備してたんだよ。」
由紀が頬をふくらませていた。
「ごめん、ごめん。照れくさくて言えなかったんだよ。だから今言ったじゃない。」
2年生で花火大会を見に行ってから、毎年見に行くのが恒例になっている。場所はいつもあの神社。その前に夜店に突撃するのも変わっていない。
思い出したら笑いがこみ上げてきた。
「なにを思い出し笑いしているのよ、勇人。」
「いや夜店でリスみたいに頬張って食べている由紀を思い出してさ。」
「ひどい、勇人、ひどい。女の子の顔を笑うなんて。」
由紀はさらにむくれて、僕をこぶしでぽこぽこ叩いてきた。
「ごめん、由紀。僕が悪かったよ、許してよ。今年も一緒に花火大会に行ってね、由紀。」
僕は叩いてくる由紀を軽く抱き寄せて謝った。
「うん、許したげる、勇人。」
怒って叩いていた由紀は、抱き寄せられた姿勢で、少し偉そうに嬉しそうに笑って許してくれた。幸せな二人の時間だった。
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