暗転
赤い。緑の森は今や、血の赤に染まっている。
森の静寂は破られた。命の喰らい合い。肉を引きちぎり、喉を鳴らし、内臓の残骸に咬みついた。
――――『魔の収穫祭』!!
祭りだ。騒乱と暴虐の祭りだ。人に恩恵をもたらすものではない。魔族の繁栄を祝うものではない。自然の掟に従い、命の循環と維持の法則に従い、彼らは喰らい合う。ただ、それだけの祭りだ。
――――これは生命の粛清ではない。生存を賭けた真の闘争である!!
◆
俺は走った。引き留める大人たちは鬱陶しく、わずかな時間が惜しい。誰も追ってこられないように、屋根を飛び越え、木の枝を渡った。
森に入った直後は、最も大きな魔力を目指した。
父はおそらくこの先にいる。
無数に横たわる魔族の死体を横目に、自らの勘を頼りに走った。獣たちに食い破られた後では、死体の状態をつぶさに観察しても、人の手によるものか、魔族の仕業かを判別するのは困難だ。まして森の土には血がしみこみ、草花を押しのけて肉が飛散していた。魔族の群れが通った後であるのは間違いないが、父がここを通ったかは確かめるすべがない、はずだった。
しかし、踏み荒らされた森にかすかに残る魔術の残滓と、人の痕跡を、この時の俺は異常なほどに感知できていた。
感覚が鋭く、知覚範囲が広がり、膨大な情報を処理する脳は的確にその結果を示す。身体中に循環させた気が、驚くほど馴染んでいる。今までの気操作が児戯に思えるほど、明らかに俺は進化していた。
死体の数が一段と多くなり、まだ息があるらしいクール・ディアの傷口をみて、父が近くにいることを知る。
音を殺し、気配を森の中に溶け込ませた。いつも通りに、いつも以上の技量でもって、狩人になりきった。気配を探り、百二十メートル先まで見通す。今の俺にはそれが可能だ。
――いた。
父の魔力を感じた。風の魔術が吹き荒れる。魔族の群れを寄せ付けつけず、圧倒的な強さを見せつける。でも、限界が近い。
右も左も魔族に囲まれ、一時も気が抜けず、休む間もなく魔術を行使しているのだ。精神への負担はいかばかりか。父でなければ、とうに魔族の群れに呑みこまれていたことだろう。
気を練る。
凝縮の業を昇華させれば、気を意のままの形に練ることができるようになる。ヴェル爺にも見せてもらった。やり方は覚えている。家から持って来た相棒を手に、俺は戦場へと躍り出た。突然の介入者に、魔族も冒険者も一瞬、身体が硬直した。
俺は剣を振り回し、手前に群がる雑魚を一蹴する。じゅわっと肉が焼ける音がした。ばらばらに飛び散る雑魚どもにかまわず、魔族の群れへ飛び込んだ。
「――――リューマ! なぜここに!」
父の制止する声を無視して、敵の急所を的確にねらい打ちした。右手に相棒を持ち、左手には気を練った剣を。俺は今、二刀流の剣士となって戦場を踊る。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおお!!」
全身炎で包まれ、巨躯にまとうのは真紅の体毛。フレイム・ベアだ。この場で俺に対抗しうるのはコイツだけだ。本能が俺に教えてくれる。
フレイム・ベアは巨体を生かした攻撃で、鋭い爪を振り下ろす。直撃すれば、脆い人の体などぐしゃりと潰れて、ジ・エンド。俺はバックステップで爪から逃れる。速さは警戒するほどではない、よく動きを観察していれば難なく避けれる。それよりも厄介なのは、パワーだ。クレイ・フォックスとは比べものにならないパワーを持っている。
次々と迫りくる爪の攻撃を避けつづけ、フレイム・ベアがしびれを切らすタイミングを見計らう。敵もさすがは森に君臨する王者の一角、やすやすと斬りつける隙をつくってはくれなかった。
「……だったら」
大ぶりな攻撃を避けると、空ぶりした熊の手は地面を殴りつけた。爆音とともに地面は陥没し、土ぼこりが舞った。俺は土に埋まったフレイム・ベアの腕を足場に、やつの懐へと入る。
気を通した一撃を挨拶代わりにくれてやった。
「ぐるうううぅ」
剣が固いものに弾かれる。純魔力で体表をコーティングしていたようだ。まるで効いた様子がない。
びりびりと痺れる右腕を放置して、連撃。
左手の必死剣で突きを放つ。フレイム・ベアの心臓を突き刺すべく狙った一撃は、やはり、剣先がめり込むだけだった。刃の勢いが止まったところで、フレイム・ベアの前足が目前に迫っていた。
必死剣を引き抜き、二刀でフレイム・ベアの薙ぎ払いを受けた。あえて吹き飛ばされることを選択。そのまま俺の体は空中に放り出される。滞空中に姿勢を整え、屈伸運動で衝撃を逃がした。
予想よりも硬かった。
純魔力のコーティング厄介極まりなく、これを貫くには五割以上の出力で気を放出しなければ。必死剣は純魔力を貫くには最適だが、維持するにはかなりの気を使用している。
無駄遣いはできないな。一撃で決めてやる。
フレイム・ベアに接触する瞬間だけ、一時的に必死剣の出力を最大まで上げるしかない。
俺とフレイム・ベアは睨み合い、攻撃のタイミングを計る。
キュルルルルル!
魔法子核が活性化し、純魔力を創り出す音が響く。耳の奥を揺さぶる高音が、危険を知らせるアラームになった。フレイム・ベアの咽のあたりに純魔力が集中する。
――火撃咆哮!
渦を巻いた炎が視界を覆う。右手を振り上げ、そして……。
「リューマ!」
俺の体は強く押し出された。横に飛ばされた俺は火の渦から逃れ、スライディングしながら地面に激突する。俺を突き飛ばした人が見えた。父だ。魔術で火撃咆哮を防いでいた。
「とうさん……?」
父の左腕は前方に伸ばされている。風属性の防壁を即時展開したのだろう。散らされた火が、父を囲うように地面を焦がしていた。それでも火撃咆哮を防ぎきれなかったのか、突きだした左腕の肘から下が炭化していた。……ボロッ。指先が零れ落ちる。
父が膝をついた。
フレイム・ベアは術後硬直のために、数秒間は純魔力を使えない。頭では理解していた、今が絶好のチャンスだと。でも俺は動けなかった。地面を這うように、足をもつれさせながら父に走り寄る。
「とうさん……とうさん!」
父に抱きついた。どうしよう。俺のせいだ、俺がフレイム・ベアの攻撃を避けなかったから! あいつの強さを見誤っていたから!
俺はフレイム・ベアが火撃砲撃を放った時、思わず「斬れる」と思ってしまった。最大出力の気を込めた斬撃でなら、あの焔の螺旋を蹴散らせると。
父はすぐに俺の間違いに気が付いたはずだ。長年森に入り続けてきた魔術師としての経験が、俺が死ぬ未来を予測させた。
俺が弱かったから。
俺がもっと強かったら。
俺がアイツを殺せるくらいの力を持っていたなら――――!
父の左腕にすがりつき、俺は気を流し続けた。こうして父の内魔力を刺激すれば、治癒力も上がる。今ここでできる処置は、これしかない。
「とうさん。かあさんが、あかちゃんが生まれるって。でも、かあさん真っ青になって、おいしゃさんも、あぶないって……ぼく…………ぼく」
俺は涙を流しながら、矢継ぎ早に言葉を並べた。父は俺が此処にいる理由を察したらしい。俺を逞しい腕の中に抱きこむと、身体も限界に近いだろうに、すっくと立ち上がった。
「そうか。そりゃあ、急いで帰らにゃならんな。……さて、あのフレイム・ベアをさっさと倒すとするか」
俺も父の腕から降りて、フレイム・ベアに相対する。父の負傷に動転した俺と違って、父は絶えずフレイム・ベアを警戒していた。
やつは一歩も動いていない。
その時、俺はわずかな違和感に眉をひそめた。
フレイム・ベアは魔族の中でも攻撃的な種族だ。この森では唯一の上位種でもある。つまり、コイツにとって森の中で自分より強いものは存在しない。
父のような実力者が森に入ることは有れど、フレイム・ベアとは狩る側の種族だ。攻撃的で、縄張り意識もプライドが高いこいつは、一体何に対して怯えている?
俺は違和感の正体を悟った。怯えているのだ、こいつは。
フレイム・ベアはふるふると巨体を震わせ、体を小さく縮こまらせている。完全に委縮しているな。
ここにはやつと俺と父だけ。父は手負いで、俺は体の小さな子供だ。普通なら喜び勇んで襲いかかる獲物だろうに。
父も様子がおかしいことに気が付いていつようだ。フレイム・ベアの挙動を気にしながら、周囲の様子を窺っている。俺も父に倣い、気を研ぎ澄ませて知覚範囲を広げる。
――――――ずしん。
重い足音がした。
――――ずしん…………ずしん。
足音はこちらに近づいてくる。
探知に引っかかった足音から推測するに、相当な巨体だと推測できた。次第に足音と共に振動も伝わってきた。足の裏からびりびりと魔力の残滓が感じられる。
何が来る?
魔族の群れの主か? いや、群れの規模から考えて主はきっと目の前のフレイム・ベアだ。森に突入したとき、一番大きな魔力を目指してきたのだから間違いないはず。だとすると、残る可能性は……魔王種か?
魔王種は魔族の群れの主や上位種のみを配下に置く、魔族の最強種だ。エフ・ギルドでも特別指定討伐対象として公示される存在である。フレイム・ベアが雑魚に見える強さだと聞いた。
でも、この森に魔王種がいたなんて話は聞いたことがないぞ?
魔王種はその特性上、発見され次第エフ・ギルドの監視下に入るし、また強大な純魔力を保持するために、生まれればすぐに分かる。
だとすると、この足音の正体は……?
広げていた知覚に影が射した。
白い。……うろこ。鋭利な鉤爪、しゅるりと伸びた尾。もう少しで全体が見えそうなほど接近する。
ふと、目が合った。
俺は瞬時にコイツの正体を悟った。どうして。魔王種ではないけど、ココにいるはずがない存在だろ。もっと、もっとありえない!
「とうさん……くる」
父の上着の袖をぎゅっと握りしめた、そうでなければ正気を保てそうになかった。膝が笑う。真っ直ぐ立っていることがひどく億劫で、少しでも気を抜けばへたり込んでしまいそうだ。
--ずしん。
大地が揺れる。一歩進むごとに、地震かと錯覚するほど揺れた。
ずしん。
バキバキと木が折れる。根元から倒れたものもあった。
ずしん。
足音が止まった。俺たちの頭上に影が落ちた。全身が粟立ち、息をするのも忘れた。
戦慄。そして圧倒的な恐怖。畏れ。
純白の龍が、俺たちの前に姿を現した。
シリアス展開、続きます。