我、龍と邂逅す
龍は古代より神の化身として祀られていた。
人が魔術を手に入れる前、龍を傷つけられるものなど存在しなかった。空を駆け、天候を操り、体を覆う鱗はどんな金属よりも硬く、しなやかだった。
龍は人を襲わない。ゆえに、古代の人は龍の住処の傍に街をつくり、龍の 聖域を侵さずにひっそりと暮らした。魔族隆盛の時代である。人の住める領域はあまりにも狭かった。
ある時、一人の賢者が龍から魔の理を授かった。
人間が魔族に対抗しうる唯一の手段として、魔術は急速に人の間に広まっていった。人は龍に感謝し、より一層その信仰心を篤くした。だが長くは続かなかった。
一人、また一人と魔族の上位種を倒す魔導師が現れると、人は龍を軽んじるようになった。しかし、人間の心など龍には何ら関係のないことだ。龍は完璧な存在である。星の支配者であり、空の、陸の王である。
些事に構わず、龍は泰然としてあり続けた。
ひとりの魔導師が、己が研鑽した魔術でもって、龍を弑した。竜の身を焼き、切り裂き、首を落とした。そして、龍の首を持ち帰った。
人は魔導師を英雄とあがめ、称え、興奮と祝杯に酔った。
誰かが言った。「龍の肉を食べてみないか」誰も反対する者はいない。
誰かが言った。「龍の血を飲んでみないか」誰も反対する者はいない。
こうして人は龍を貶めた。竜の誇りを地に落とした。
殺された龍の伴侶は怒りに悶え、屈辱に身を焦がし、復讐の炎を燃やす。龍は人を襲わない。ただ、永劫に救われることのない呪いをかけた。呪いは龍の血肉をくらった者たちを異形の怪物へと変貌させ、狂うこともできぬ永の苦しみの中に落とした。魔族に混じって人を襲う、人の形をした化け物たちは、この咎人の末裔であると言う。
人を呪った龍はいずこかへ姿を消し、二度と人の前に現れることは無かった。だた、かの龍の怨嗟はいまだ静まることなく、闇に堕ち、どこかで暗く渦を巻いていると聞く。
悲劇よりのち、人々にとって龍は絶対不可侵の存在となった。触れてはならない、侮ってはならない、貶めてはならない。尊い、畏怖の存在となった。
龍は魔族ではない。魔法子核を持ちながら、龍は魔族には分類されない。
人は、こう呼んだ。ただひとつの――――「幻王種」と。
◆
純白の鱗は日の光に照らされると、不思議と七色に輝いて見えた。確かに姿かたちはトカゲに類似するところは多いが、尾は長く、それこそ胴体部分と同じくらいの長さだ。頸は悠々と伸び、鋭く生えそろった牙が恐ろしさを助長させる。
白銀の角は見事な牡鹿のようで、ピシッピシッと稲妻が走っていた。雷をまとう様は、神話に登場する「神の使い」の姿を彷彿とさせる。
ああ、これが龍か。
恐怖と焦燥の念に駆られながら、俺はただ理解した。命運も尽き、ここで死ぬとしても納得してしまいそうな迫力が、龍にはあった。この雄々しく美しい生き物に殺させるなら、それでもいいかもしれない、と。
「リューマ。大丈夫だ、父ちゃんがついてる」
「……うん」
それ程までに、龍という存在は圧倒的だった。
しかし、龍は俺たちを見下ろし、じっと見つめている。何かをする気配もなく。
俺と龍の視線が交わった。俺たちなど取るに足らないということか、それとも……何かを伝えようとしている?
俺は探るように龍の目を覗きこんだ。その意思を汲み取ろうと、瞳に宿る光を読む。龍は天を衝くように掲げた頭部を、静かに下ろし、俺の腹へと鼻面を押し付けた。攻撃の意思がないらしいと察した俺たちは、張りつめていた緊張の糸を解いて流と向かい合った。
どうしたというのか。
龍の喉奥から「クルルルゥ」と鳴き声が聞こえたが、ひどく弱々しい。弱っている? 怪我でもあるのかと龍の体をよくよく観察してみると、なんと、首の裏に大剣が刺さっている。かなりの業物だろう。使い込まれた武具独特のまがまがしさを放ち、危険な魔力を放っていた。
傷口からは絶えず血が流れだし、ぽたぽたと滴り落ちていた。
龍が弱っていた原因はこれか。俺は納得しつつも釈然としないものを感じた。龍の姿はまさに伝承の通り。自らが路傍の石にしか思えぬ、星の支配者にふさわしい威厳があった。
――――一体、誰がこの龍を傷つけられるというのか?
俺はひとまず疑問を心の奥にしまい込み、龍の頭をひと撫ですると大剣が刺さっている傷口を診る。攻撃を受けてから時間が経っているのか、大剣に筋肉繊維が癒着していた。へたに抜いてしまうと、周りの組織も気付付けてしまうかも知れない。
医学の知識に乏しい俺では、どう対処したものか途方に暮れてた。
「とうさん。これ、ぬいたほうがいい?」
「どれ、見せてみろ。…………これは!」
父は大剣の刺さった傷口を診ると、驚愕して目を見開いた。視線は傷口から大剣へ、見えない魔力の糸を辿っている。
「馬鹿な! 魂をくらう剣だと? そんなものどこから掘り出してきたんだ!」
正確には魔喰剣といって、オリハルコンといくつかの鉱石、そして魔王種の魔法子核を合成して作られた剣だ。
単に魔力の吸収能力を持つ剣だ。それ自体は珍しいが、知られてはいる。ただし、この剣は強力なものになると、魂の髄まで食らいつくす魔剣になってしまうのだ。あまりに危険すぎて、五百年以上前にすべて封印されたはず。
存在するはずのない剣が、どうしてここに? 父が驚いたのはそういった理由からだ。
「これじゃあ…………手遅れだ。魂がほとんど食われちまってる。今も生きてるのが不思議なくらいだ」
「たすからないの?」
「この剣がある意味で、こいつの命を繋ぎ止めてるんだ。剣と自分の魔力を同化させて、疑似的に生命体としての形を保っている。俺の治癒魔術や、リューマの勁術じゃ、手におえんよ。それこそ反魂術でもなけりゃあな」
龍は俺の体に頭をこすりつける。まるで、気にするなというように。すべて承知していると、意思を込めて俺の目を見つめた。
この龍は助けを望んでいたわけじゃない。死期を悟り、死ぬ覚悟を決めて俺たちの前に現れた。きっと、そうしなければならない理由があった。
「ぼくに、なにかできること、ある?」
龍の耳らしきところに顔を近づけて、俺は問いかけた。龍は器用に丸めた尻尾を開き、中に包んでいたものを俺の前に差し出す。
卵だ。
俺が抱えるのがやっとなくらいの、大きな卵であった。
これか……龍が託したかったものは、新しい命だった。死にゆく自分に変わって、我が子を育ててくれる存在を龍は探したのだ。同族が見つからなかったのか、それとも託せない訳があったのか。俺たちを選んだ理由はわからないけど、龍が頼みたいことは伝わった。
「だいじょうぶ。ぼくが、まもってあげる」
だから安心して。そう願いを込めて龍を撫でた。龍はそっと地に伏し、目を閉じた。長い頸をひねり、俺の方に大剣を差し出した。
いつの間にか俺は泣いていた。ぽろぽろと涙が頬を伝う。嗚咽をぐっと飲み込み、龍に刺さる大剣の柄を握る。気を込めた。せめて痛くないようにと、気で剣と傷口を包みこむ。固く握った剣、腕に力を入れてぐいっと一息の内に引き抜いた。
ぷしゅっ。
もうほとんど血は出ない。
長い間、気力だけで命を繋いでいたんだ。そう理解してしまうくらい、龍はあっけなく息を引き取った。
龍の体は淡く光り、小さな魔力の粒となってほどけていく。その光景は無数の蛍が舞っているがごとく、幻想的で、美しく悲しいものだった。
龍の瞳から一筋、涙が零れ落ちた。大きな涙の粒は、龍に寄り添う俺の身体を濡らす。
「……ばいばい」
魔力の粒が空に消える頃には、虹色に輝く龍の魔法子核だけが残った。
◆
「おぎゃー! おぎゃー!」
双子の元気な産声が聞こえる。無事に生まれて何よりだと思うけど、鳴き声の二重奏はもはや騒音である。俺は処置室の前で耳を塞いで立っていた。
母さんは一時、重篤な魔力過敏症になっていた。内魔力は遺伝子や指紋みたいなもんで、個人で異なるものだから、他人の魔力を体の中に入れると拒絶反応が起きる。とはいっても、一度に大量にいれた場合のことだから、通常の出産では危険度は低い。
けど、母さんの場合は俺が初産だった。内魔力の多い子供を出産した後は、他人の魔力に過敏に反応してしまうケースがある。しかも、お腹にいるのは双子で、リスクは倍プッシュ。案の定、過敏症のせいでショック状態になり、先生方が赤ちゃんの魔力を必死に抑え込んでくれたおかげで、事なきを得たのだ。先生、本当にありがとうございました。
父は左腕の治療を受け、今は母に付き添っている。
ただ……左腕はもう元には戻らなかった。あまりにも損傷が激しかったんだ。父はボロボロとなく俺の頭をバンバンと叩いて、
「お前の命が助かったんなら、安いもんだ」
と言った。
今日はいろんなことがあって、考えなきゃいけないことが多すぎた。魔族の群れ、魔の収穫祭……そして、白い龍。
今の俺が抱えられる領分を越えた、超重大事件がてんこ盛りだ。頭ん中、パンクしそうだよ。もう、病院脱け出したことを叱られたとか、どろどろに汚れた服を見て悲鳴をあげられたとか、どうでもいいわあ。
疲れてうとうとしはじめた頃、産湯が済んだのか、病室の中に招き入れられた。母さんが横になっているベッドの横には、双子が眠るベビーベッドがあった。
うわ! サルみてぇ。
つんつんと赤ちゃんの頬をつつく。あ、何かぐずりだした。指を引っ込めてはらはらと見守っていると、赤ちゃんの表情は和らいだ。良かった。至近距離であの騒音二重奏を聞くのは勘弁してほしいモンな。
「ふふ。これでリューマもお兄ちゃんね。面倒見てあげるのよ?」
「…………うん。いもうとは、かわいがる」
「あら? 弟は可愛がってあげないの?」
「おとうとは、きたえてつよい男にしてやるのだ」
母さんはくすくすと笑う。一時は生死の境にいたなんて、けろっと忘れているに違いない。のんきに俺と父の夕飯の心配なんかしていた。
本当に良かった。
俺の心は紳士だけど、この時ばかりは童心に帰って母さんの胸に抱きついた。
◆
夜はすっかり更けて、すでに月は高く昇っていた。
花盛りのリンドーの気に腰掛ける老人が一人。傍には犬らしき影がある。
「白龍は逝ったよ。……卵はあの子が受け取った」
「ふむ。これで魔力の流れは正常に戻りそうじゃの。魔の収穫祭も終いか」
「群れの主は健在だ。再び群れる可能性はあるぞ? 今回の蠱毒で、強力な個体だけが生き残った。……あの子を森に入れるのは危険じゃないのか」
老人は笑う。
「それこそ本末転倒。此度の戦いで、一時的に気を解放したのじゃぞ? あまりに強大すぎて、無意識下で抑え込んでいた分まで、な。この機を利用せんでどうする」
「厳しいことだ。いくらあの子を窮地に陥れさせるためとはいえ、フレイム・ベアに恩恵を授けるのはやりすぎではないか? 現に、死にかけたぞ」
「わかっとらんのう……越えられぬ壁を用意するのが胆よ。ただのフレイム・ベアだったなら、あの子はきっと倒したじゃろうよ。あの子の成長速度ははっきり言うて異常じゃ。このままじゃと、壁を知らぬまま境地へ達する。……それではいかんのだよ」
闇に溶け込む漆黒の犬は、やれやれと肩をすくめた。やけに人間臭い仕草である。身体はそれほど大きくはないが、木の幹に寄りかかる犬からは強者のオーラが漂っていた。獣の姿であるにもかかわらず、その眼には深い知性が宿る。
「お前の成せなかったことを、あの子の託すのか。……お前の弟子になったこと、あの子にとっては僥倖であったか、災難であったか。果たしてどちらであろうな? ――――――ヴェルハルトよ」
やがて月が沈み、日が昇った。リンドーは変わらず花を咲かせている。
双子生まれました。でも事件は解決してませんね。まだまだ問題は残っております。




