偉大なる竜の系譜
恋する乙女にそういうのは関係なかった。
仁と竜子は近所の公園に来ていた。
この公園、ランニングコースやボール遊びをするのに十分なスペース、
そしてピクニックなどにちょうどよさそうな芝生がある。
芝生の近くには様々な木々が植えられており、春は花見、夏は緑、秋は紅葉と
季節に応じた自然を手軽に感じられる、街のちょっとした憩い場として親しまれている。
時間は夕方のちょっと前、ちょうど放課後。
今日の授業も終わったけど、このまま直帰するのも天気がいいし少しもったいない。
だけど、中心街まで遊びに行くような気もしない……と
たまには何をするでもなく公園でボーっとするのもいいじゃないかと
二人、公園に備え付けられたベンチでゆったりしていた。
「あー、天気いいな……」
「ねー……」
竜子は仁と二人っきりのシチュエーションにご満悦だった。
なんだかんだで放課後に仁と二人っきりになる機会はあまりないのだ。
普段は仁と仲の良い五郎や竜一、竜子の友人である詩織や恭子と一緒に遊びに行ったり、
年下の幼馴染の幸がくっついてくることも多い。
まさか仁と二人っきりになりたいからって友人達を無碍にするわけにも行かない。
今日は、そういった友人達は揃って用事があり、久しぶりの放課後デート(と竜子は思っている)なのだ。
公園デートという特別感も無い内容ではあるが、別に仁と二人ならどこで何をしたって楽しいのだ。
そういうわけで、竜子はご機嫌なのであった。
「ね、今日は晩ご飯どうするの?」
「何にも考えてないけど、どうしようかな」
「たまにはウチで食べない?お母さんも来て欲しいって言ってるし」
少しでも仁との時間を長く取りたい。そんな乙女心を満たすために
竜子は仁に提案をしてみる。
実際、竜子の母もいろいろと仁を気にかけて良くはしてくれている。
仁は竜子の母に頻繁に夕食には誘われているのだが、毎回お世話になっては気が引けるので
断っていたが、ずっと断りつづけるのも悪いからそろそろ顔を出しておくべきかなと考えていた。
「たまには、おばさんにも顔を見せたほうがいいか」
「そうそう、心配してたよ?私が心配ないって言ってるけど、自分で見たほうが安心できるだろうし」
「じゃあ、今日はおじゃましようかな」
よしっと竜子は心の中でガッツポーズ。
これであと7時間くらいは仁と一緒に居れる。
登校時から合わせれば今日は半日以上仁と一緒だ。
そういえば今日、朝のワイドショーのテレビの占いは自分の星座が一位だった。
あの番組の占いは明日から欠かさずチェックしようと誓った。
「ん?」
そんな現金なことを考えていた竜子に、何かに気づいたような仁の言葉が耳に入る。
いつのまにかベンチに座っている目の前には、真っ白いふわふわの毛に包まれた大きな犬。
見た感じ、体高は70cmくらいか。超大型犬だ。
たしかグレートピレネーズとかいう種類のはずだ、と竜子は記憶から犬種を引っ張りだす。
「誰かの飼い犬……かしらね?」
「多分そうだろうな、首輪もしてるし」
ちょこんと仁のそばでお座りして、じっと見上げるその犬は、仁の言うとおり赤い首輪をしていた。
毛並みはしっかりと整えられており、吠えも暴れもしないところを見ると躾はしっかりされているようだ。
首輪からはリードが垂れ下がっており、飼い主から離れてしまったのだろうか。
この公園は犬の散歩をする人も多く、うっかりとリードを離してしまった隙にかけ出してしまったのだろう。
「おー、こいつ人に慣れてるな、ほれほれ」
わしわしと白い犬の頭をなでる仁。
犬はされるがままになっているが、目を細め気持ちよさそうだ。
「うわこいつ毛並みふっさふさ!大人しいしいいなぁコイツ」
気持ちよさそうな表情に気をよくしたのか本格的になでくり回し始める仁。
頭だけでは飽きたらず、顎の下、背中、胸、尻尾と様々に撫でていく。
犬のほうももっと撫でろと言わんばかりに仁に体を擦りつけていく。
その様子をにこやかな笑顔で見ていた竜子だが、内心は穏やかではなかった。
(確かに可愛いけどちょっとなでられ過ぎじゃないのぐぬぬぬ……)
しかし相手は犬である。動物なのである。
そんな相手に嫉妬するのもバカバカしい、とは頭でわかっているが
にへら、とだらしない笑顔で白い犬を撫で回す仁もなんだか気に入らない。
同じ撫でるなら自分を撫でればいいじゃないの、あの犬もなんだか
私に対してちょっと優越感を感じてないか、などと大人気ないことを思っていた。
「おっと……行っちゃったか」
何か聞こえたのか、ぴくん、と公園の奥の方に視線を向けたあと、たたっと
白い犬はそちらへ走りだしてしまった。
「うーん、もっふもふで可愛かったなあ……もうちょっと撫でていたかった」
「……」
「ドラ子は撫でなくてよかったのか?……ドラ子?」
竜子は竜人である。
竜人とはドラゴンに連なる亜人だ。
ドラゴンと言えば、鋭い爪と牙に巨大な翼、大木をなぎ倒す強靭な尾を持ち、神の一種とも呼ばれる場合もある。
その硬く美しい鱗は剣や矢を通さず、その咆哮は落雷のごとし。
知性はヒトを凌駕し、古代の魔法の力の扱いに秀で、ドラゴンのブレスは大軍をも一撫でで壊滅させるという。
まさに王者と言われるにふさわしい生物。
古くから、物語に登場するドラゴンとは、大体そういうものである。
そういったドラゴンの系譜に連なる竜人も古くは多くの亜人の頂点に君臨していた時期もあった。
もっとも、現代は人間社会に溶け込むにつれ、そういった上下関係はほぼなくなってはいるが、
竜人の中にはそういった出自を誇りに持っている人もまだまだ多い。
竜子にもその竜人たる偉大な血が流れている。
が、しかし。
「わんっ」
現在、竜子は犬になっていた。
「ドラ子?」
「わんっ」
竜子はずい、と頭を仁の手元に近づける。
「あの、ドラ子さん?」
「わんっ!」
ぐりぐりと頭を仁の腕に押し付ける。
「……撫でろと?」
竜の尻尾はゆらゆらと左右にゆらし、そうだ、と言わんばかりに更に頭を押し付ける。
しょうがないので仁は竜子の頭を撫でてやることにした。
頭に触れるとさらり、柔らかい髪の感触が気持ちいい。
「わふん♪」
(こいつこんなに髪柔らかいっけ……)
竜子の髪を毎朝仕上げに整えているのは仁ではあるが、日常的にやっていることだと
余り意識はしていなかった。
こうして改めて意識して触れてみると、竜子の髪の毛は細く、柔らかい。
まるで上質の絹糸、いやそれ以上かも知れない。手で掬った髪はさらさらと零れ落ちて
流水のようだし、差し込んだ手櫛は何の抵抗もなくすっと通る。
竜子はころんと、仁の膝の上に頭をのせ、もっととせがむように視線を合わせる。
髪の感触に夢中になっていたが、頭も撫でてやる。
陽の光にさらされた髪はきらきらと光を反射していた。
頭に生えている竜の角と、額の境目の部分をかりかりとやさしく爪でこすったり、
おでこを優しく撫で付けたり、柔らかい頬をつついたり、好き勝手してみるが
竜子は一切抵抗をせずなすがままだった。
「んー……」
髪を、頭をなでられるたびに竜子は気持ちよさそうな声を上げる。
実際、とても気持よく幸せで満ち足りた気分だった。
勢いまかせで犬の真似をしてみたものの、これはぜひ毎日やってもらいたい。
いや、毎日だとダメになるかも……などと夢心地であった。
仁はそんな竜子の反応に、さきほどの犬を撫でた時と同じような、しかし確実にどこか違う
楽しさと幸福を感じていた。
自分の手で女の子が幸せそうにしている。これだけで男として
なんだか満ち足りたものを感じる仁だった。
二人はそのまま、ここが公園のベンチであることを忘れて30分ほど過ごしたのであった。
翌日。
二人はクラスメイトの恭子にこう言われた。
「仲睦まじいのは良いことだと思うが、野外でああいうペットプレイはやらないほうがいいぞ?」
幸い、見られたのは恭子だけだったらしい。
口止めにパフェをおごらされることを約束させられた仁だった。
2012/10/23 誤字修正