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「私は大丈夫だから、貴方が食べて」
ノラがそう微笑みながら言った時、奥の生垣の間から蛇が現れる。その蛇は真っ直ぐノラ達の元へと近付いてきて、アルベルトがいち早く気付いた。
「へ、蛇だ……! お母様とユリアナ様は早く離れて!」
アルベルトは青褪めながらも母親とノラを守るように一歩踏み出して言った。蛇と相対するアルベルトは、本当は怖がっているのか、手に持つフォークが震えている。
(あの蛇は……)
ノラは黒と緑の模様が入った蛇を見てハッとした。そして、アルベルトの脇を通り過ぎて蛇へと近付いていく。
「ユリアナ様、毒があったら危険です!」
アルベルトが焦る声を上げた時、ノラが手を伸ばすと、蛇はするりとその腕に巻き付いた。
「大丈夫、この子は毒蛇じゃないわ」
ノラは平気な顔で笑い、二人を振り返る。
「きっとこの庭園に迷い込んでしまったのね。奥の方で放してくるから少しここを離れます」
ノラはそう言って、二人が何か返事をする前に庭園の奥へと立ち去って行った。
「お母様……」
アルベルトは放心した様子でメイベルを呼ぶ。
「ユリアナ様って……強くて格好良くて素敵だね」
彼の紫色の瞳は憧れにきらきらと輝き、まだ丸みの残る頬はほんのりと赤く染まっていったのだった。
ノラはメイベルとアルベルトから隠れるように生垣の陰で蛇を地面に放してやった。すると、蛇は道案内するように庭園の奥へと進んでいく。
蛇について行くと、人気のない場所にぽつりと一人の庭師の男が立っていた。
ノラはその男の姿を見た瞬間、走り出す。
「エレン!」
「ノラ!」
ノラが心からの笑顔を浮かべてその男を呼ぶと、男も安心した様子でノラを呼んだ。
二人は突然の結婚式の日以来、ようやく顔を合わせる事ができた。あの蛇はエレンが飼い慣らしている蛇であり、どうやらノラをここまで案内させる為だったようだ。
「ノラ、無事で……本当に良かった」
「エレンは庭師に変装してたのね」
「やっと会えた……この屋敷に忍び込むのも一苦労だったよ」
二人に血の繋がりこそないが、同じ孤児で共に力を合わせて生きてきた二人は、本当の兄妹以上の絆で結ばれている。
エレンの赤い瞳には妹を案じ続けた不安と、ようやく再会できた安堵が滲んでいた。
「これまで、本当に大変だったの」
ノラは張り詰めていた糸が切れたように、不安そうな表情を浮かべる。
「ねぇ、エレン。これからどうしよう?」
「あぁ。その事で俺もノラと相談したい……」
エレンはノラを安心させるように彼女の肩を軽く叩いて、周りを見渡した。
「だが、まずは場所を移動しよう。人気のない場所を選んだが、ここも人通りがないわけじゃない」
「うん」
ノラは頷いて、エレンの後へと続く。やって来たのは、小さな庭師小屋だった。
木造りの小屋の中は、簡素な休憩所といったところで、小さなテーブルと椅子が二脚、そして壁には庭師の道具が立て掛けられていた。
二人は椅子に腰を下ろし、ノラはこれまでの事についてエレンに説明した。
アルノルフォ公爵家に訪れたら、強制的に結婚式へ連行されてイヴァンと夫婦になってしまった事。他にも、公爵邸内部の様子を事細かに話す。
「そうか、公爵家の見取図も半分ほどは完成していると……未完成でいいから、現状で出来ている分の見取図を俺に共有してくれないか?」
「分かった」
ノラは頷き、エレンが差し出した紙とペンを受け取って、素早く屋敷の見取図を書いていった。
「使用人も……そのヴィンセント・ハリントンという執事も注意した方がいいな」
「どうやら彼は屋敷の事だけでなく、イヴァン・アルノルフォの補佐役まで務めているようなの」
ノラが書いた見取図を手渡しながらそう話した時、エレンは何かを察知した様子で顔を上げて扉を見た。
誰か来る——足音が小屋の前で止まる。
二人は素早く立ち上がると、部屋の物陰に身を潜めた。次の瞬間、小屋の扉が開いた。
小屋に入ってきたのは、ウィンガード侯爵家に勤める本物の庭師だった。男は二人の存在に気付く様子もなく、壁に掛けられた道具を手早く取り替え始めた。
二人は狭い物陰に隠れていた。男が少しでもこちらを振り返れば、気付かれる危険性がある……エレンは少しでもノラの姿を隠そうと、自分の体を盾にするように抱き寄せた。
そこまで時間は経過していないように思う。庭師の男は最後までノラ達に気付く事なく、そのまま小屋を出て行った。
「…………はぁ」
緊張感の中、息を潜めていたノラがエレンの腕の中で小さな息を吐く。
「……行ったな」
エレンも庭師の男の足音が、小屋から十分に離れていったのを確認してぽつりと呟いた。
そのまま、ノラを解放してやろうと自身の腕の中へ目を向ける。するとそこには、眉間に皺を寄せるノラが、身を預けるようにしてこちらに寄りかかる姿。
エレンの解放しかけた腕が、無意識のうちに再びノラを抱き締めていた。
「ノラ」
エレンの声は掠れていた。
「今回は、手を引いた方がいいんじゃないか?」
「え?」
ノラが意外そうな表情でエレンを見上げると、彼は少し苦しそうな表情を浮かべていた。




