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「実は、南国の珍しい茶葉が手に入ったの。貴女、異国の茶葉が好きでしたよね? 是非飲んでみて下さい」
そう言って使用人に手で合図を送ると、ティーワゴンを押しながらメイドが一人やって来た。
「まぁ……! 私の趣味を覚えていてくださったのですね。ありがとうございます、いただきますわ!」
メイベルもまた、嬉しそうに頬を上気させる。
周りの夫人達もメイベルに「よかったですね」なんてにこやかな言葉をかけていた。
ノラは静かに、全員分の紅茶を淹れ始めたメイドの様子を観察する。
彼女は慣れた手つきで紅茶を注ぎティーポットを置いたかと思えば、誰にも気付かれぬよう小皿へ指を伸ばす。指先で摘まれた細かな砂が、一つのティーカップへ静かに落ちた。
メイドが順番に夫人達の前へティーカップを置いていく。そして、メイベルの前に置かれた淹れたての砂入り紅茶。
「召し上がれ」
ウィンガード侯爵夫人が、まるでメイベルにだけ言っているように、彼女を見つめながら言った。周りの夫人達ももちろん気付いていて、クスクスと笑っている。
メイベルは何も疑うことなくカップを手に取った。ノラは砂入りだと気付いていない様子のメイベルから目を逸らす。ここで騒ぎ立ててしまえば、せっかくの情報源を失うことに……
メイベルの唇がカップに触れた。侯爵夫人達は今か今かとメイベルが砂を飲み込む瞬間を待っていた。
堪らなくなったアルベルトが、涙を浮かべて立ち上がる。それと同時に、ノラは自身のカップをひっくり返した。
バシャ。紅茶の茶色いシミが、真っ白なテーブルクロスに広がっていく。
その場にいた者達は驚いて、ノラを見た。メイベルもまた、目を丸くしてカップから顔を上げた。
「失礼いたしました。粗相をしてしまいましたわ」
ノラはにこりと微笑んでから、優雅な仕草で椅子から立ち上がる。
「皆さま」
そして、すっとその上品な笑顔を引っ込めた。
「子供の前ですよ」
ノラの鋭い瞳が、ウィンガード侯爵夫人をはじめとした夫人達へ順に向けられる。すると途端に、彼女達はノラの圧を感じて顔色を悪くした。
何も言い返せないでいる夫人達に、ノラは心の中で舌打ちをしながら次にメイベルへと目を向ける。
「シンクレア侯爵夫人。少し気分が優れませんので、私を木陰へ連れて行ってくれませんか?」
「え……えぇ! もちろんですわ」
メイベルも慌てた様子で立ち上がると、アルベルトの手を引いてノラを支えるように彼女の背中に手を添えた。
すると、アルベルトがメイベルから手を離して、ノラの空いている手の方へと回ると、そっと手を繋いできた。
「この場の紳士は僕だけだから……僕が夫人を支えます」
アルベルトが少し恥ずかしそうに俯きながらそう言うので、ノラは思わず笑ってしまった。
小さなその手をそっと握り返す。アルベルトは少し驚いたように目を瞬かせ、それからノラを見上げて小さく笑った。
(たとえ敵国だろうと……子供が悲しい顔をするのは、私の理念に反するわ)
ウィンガード侯爵夫人達は複雑そうな、何か言いたげな表情でノラ達を見つめていたが、ノラはそれに気付かないふりをして三人でその場から立ち去る。
彼女達の表情からは、ノラに対する不満がありありと見えた。
(はぁ……貴重な情報源候補をひとつ潰しちゃったわね)
家の事を全て任されている妻は、屋敷の中での影響力は凄まじく、そして一番の情報屋だ。
彼女達の会話の中には、小さな情報がいくつも散りばめられている。だからノラは、今回のパーティーで夫人達と懇意になろうとしたが……
(痛い損失だけど……後悔はない)
ノラは開き直って、気持ちを切り替えた。ウィンガード侯爵夫人のコミュニティも捨て難いが、それよりも帝国宰相バスティアン・シンクレアの妻メイベルの方が利用価値は高い。
チラリと隣を歩くメイベルに目を向けると、彼女の紫色の瞳もこちらを向いた。
「ご体調はいかがですか?」
「え?」
「もしや熱中症でしょうか? 今日は少し日差しが強いですものね」
メイベルは本気で心配している様子だ。ノラは思わず目を丸くして彼女を見た。
(……体調不良があの場を離れる口実だって、気付いてない?)
よくよく彼女を観察すれば、本気でノラの体調を案じている。あんな分かりやすいノラの嘘を信じて……メイベルという女性は、ノラが思う以上に純粋なのかもしれない。
今だけじゃない、茶会の時もそうだ。メイベルは無視されたり、わざと話題を変えられてもニコニコと穏やかに笑い続けていた。
(もしかして、あれは強がった笑顔なんかじゃなく、本当に周りの嫌がらせに気付いていなかったの……?)
そう思った瞬間、ノラは全身から力が抜けたのと同時に、妙にメイベルのことを放っておけなくなった。
(この人、ちゃんと見ててあげないと、いつか悪人に騙されて、詐欺に遭ったり、利用されたりしそう……)
謎の使命感に駆られてしまうノラは、本気でメイベルの純粋さを心配した。
少し歩くと、ノラ達は木陰にある小さなベンチに到着した。
「夫人。私は冷たい飲み物をお持ちしますわ。熱中症ですと、大変ですもの。涼しい場所でお休みになっていてください」
と、善意たっぷりの笑顔でメイベルはそう言った。アルベルトにノラの側に付いているよう言い含めると、彼女は近くの給仕係に言付るわけでもなく、自らノラの為に飲み物を取りに行ってしまった。
(メイベル・シンクレア……呆れるほどに疑う事を知らず、そしてお人好しだわ)
ノラはぽかんとした表情で小さくなっていくメイベルの後ろ姿を見つめていると、母親にノラを任されたアルベルトが彼女の手を引いた。




