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その場にいた使用人達は皆、ノラを見つめながら同じことを思っていただろう……新しくやって来たこの奥様は、何者?
しかし、誰も声を発せないでいる中、マーガレットだけが目元を赤らめながら声を上げた。
「奥様! 助けていただき、ありがとうございます‼︎」
そして、慌てたようにノラの日傘を持つ手に目をやると、すかさず安否を確認してきた。
「お怪我などはありませんか⁉︎」
「え……えぇ、大丈夫です……」
ノラがぽかんとした表情で戸惑いながら答えると、マーガレットは心底安堵した表情を浮かべて、涙の膜が張った目を細めながら微笑んだ。
「良かったです……! 奥様がいらっしゃらなかったら、私は今頃大怪我をしていた事でしょう」
枝はマーガレットの目元めがけて飛んできていた。最悪の場合、失明に繋がる大事故になっていたかもしれない。
マーガレットの言葉を聞いて、使用人達もその可能性に気付く。すると、驚愕していた使用人達の表情が変化していき……使用人たちは顔を見合わせ、やがて次々とノラへ深く頭を下げていった。
彼らが再び顔を上げた時、そこには尊敬の眼差しがあった。
長年、公爵家に仕えてきたハリントン夫人は、使用人達にとっても尊敬すべき人物であり、その人を救ったノラに心からの恩義を抱き始めていた。
庭師は震える手で帽子を胸に抱き、何度も頭を下げながら泣きそうな表情で言う。
「大変申し訳ありませんでした! 奥様のおかげでハリントン夫人にも怪我がなく……本当にありがとうございます‼︎」
使用人達も彼の後に続く。
「使用人の為に身を挺して下さる貴族の奥様は、他にいません!」
「日傘を操るお姿が、まるで騎士のように勇敢で素敵です!」
「本当に……今後とも心からお仕えいたします!」
もう、大騒ぎとなってしまった。
自分の正体に勘付かれたんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたノラは、使用人達の勢いに気圧されて思わず仰け反ってしまう。
(一時はどうなる事かと……結果良ければ、全て良し……ってやつ?)
ノラは賞賛の嵐に引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
そんな中、屋敷の方からやって来たのか、一人の若い執事がノラ達の元へと近付いて来ていた。
「皆さん、何事ですか?」
その執事が騒ぐ使用人達に冷たい目を向け、圧のある声色で問いかけると、騒がしかった雰囲気は途端に静まり返る。
細い銀縁の眼鏡の奥で、マーガレットと同じ深緑色の瞳が厳しく細められる。張り詰められた空気の中、執事は使用人達を一瞥した後、改めてノラへと目を向けた。
「奥様。使用人達が何かご不便でも?」
態度こそ丁寧だったが、その表情と目付きにはむやみに誰かへ媚びることはない、彼の矜持と高いプライドを感じる……
ノラは直感的に、この執事は一筋縄ではいかない人物だと思った。
(昨日、少し顔を合わせた使用人達の中でも、一番印象に残る男だったわ)
ヴィンセント・ハリントン。マーガレットの実の息子であり、アルノルフォ公爵家の執事長だ。
彼はイヴァンと同じ年頃の若さでありながら、公爵家に仕える大勢の使用人達を見事に統率している。
その優秀さを隠しもしない態度のヴィンセントを、ノラは警戒していた。
きっと、この公爵家での潜入活動において、イヴァンの次にヴィンセントが障壁となるだろうから。
ヴィンセントの深緑色の瞳が、まるで値踏みするようにノラを見据えていた。なんて答えようかとノラが言い淀んでいると、マーガレットが緊迫した空気を壊すように明るい声で息子に言った。
「ヴィンセント! 何をそんなに怖い顔をしているの。奥様はただ、私を危険から救ってくださったのよ!」
「……危険、ですか?」
空気を読まない母に少しうんざりするような視線を向けて、ヴィンセントが聞き返す。
「そうよ。飛んできた枝を、なんと奥様が——」
マーガレットは胸を張って、ノラの素晴らしい活躍をヴィンセントに話して聞かせた。その一連の流れを話す中、さっきまで静まり返っていた使用人達も息を吹き返したように、再びノラを賞賛する声を上げていた。
「はぁ、なるほど」
身振り手振り付きで母親渾身の奥様英雄譚を聞かされたヴィンセントは、頭が痛いといった様子でこめかみを押さえながら相槌を打っていた。
「奥様。母を救ってくださり、心から感謝を申し上げます」
ヴィンセントは息子として、ノラに深く頭を下げながら感謝を告げる。顔を上げた彼の瞳の鋭さはそのままだったが、その声色には偽りのない感謝が滲んでいた。
「ヴィンセント様。私どもはより一層、奥様に真摯にお仕えしたいと思っております!」
メイドの内の一人が、目を輝かせながらそう言った。
「つまり、貴女達は奥様付きになりたいと言う事ですか?」
ヴィンセントが元の冷淡な調子に戻ってメイドに尋ねると、彼女達はしっかりと頷いてみせる。
「はい! 私達はこれからも、四六時中、奥様のお側に控え、お仕えしたい所存です!」
気合いの入ったメイドの言葉に、ノラはギョッとした。
(冗談じゃない! まだ私の自由を奪う気⁉︎)
状況がどんどん悪化していく……
今でさえ『奥様お供軍団』をどうにかしようと頭を悩ませているのに、これ以上付きまとわれれば、潜入活動がますます滞ってしまう。
まるで、使用人達の好意はノラを縛る鎖のようだ。
(ノラ! 敵地で好感度を上げてどうする!)
ノラこそ、頭が痛くなってきた。
(潜入任務なのに、奥様として大成功してどうするのよ!)
そう、思いっきり叫びたくなった。
百面相を繰り広げるノラの様子を観察していたヴィンセントは、指先で静かに眼鏡を押し上げた。そして、誰にも聞こえない声で「貴族のご令嬢が、飛んでくる枝を……ね」と呟いたのだった。




