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ディングリー王国の端、狭隘な山道を進んだ先に山村があった。
十三戸、人口五十人くらいの、どこにでもある小さな村。
畑は自分たちで食べるぶんを細々と。
産業は林業。高地で採れる白樺を樵が切り、素朴な、けれど少しお洒落な家具を職人が作って生計を立てる、そんな平凡な集落、チカット村。
晩春、山岳の春は遠く、他所より遅れて大人たちが山に畑に急いで繰り出すころ、村にひとりしかいない幼子、三歳のナツメはあぜ道におしりをつけて、両手をうしろについて体重を支え、ボケーっと青空に浮かぶ雲を眺めていた。
父は山へ、母はナツメの見える近くで野良仕事にはげみ、ナツメは完全にすることがなくて身体も思考も止まっていた。
遊び相手もなく、元気な男の子とはいえ走り回るほど足腰も育ってなくて、ゆっくり形を変える雲の正体はなにか、益体もない空想にふけるくらいに暇だった。
そんな物心がつくかつかないかの幼子に、この日、運命が降りた。
『くも』
突然視界に映った文字にナツメは困惑した。いや、それが文字かどうかも怪しい。ナツメはまだ読み書きできない。村の大人たちですら全員読み書きできるわけでもない。でも、ナツメには読めた。意味が直観的に理解できた、とでもいおうか。
「かーちゃーん、くも」
生活魔法で土を柔らかくして楽をしつつ、草むしりしていた母は顔も上げずに応えた。
「そーだよ、ナツメはえらいねぇ」
ナツメは母を見て、このよく分からないなにかが通じてないと感じ、視線を落として集中してみた。
『くさ』
「かーちゃーん、くさ」
「そーだよ、ナツメはえらいねぇ」
ナツメは母を見て、上手く伝わらない現実にもどかしくなった。
『クリス(クリステル・バーン・カラスビッツ)』
「かーちゃーん、くるしゅて、ばーん、から━━」
「なんで?」
クリスは三メートル全力ダッシュからのヘッドスライディングでナツメの口をふさいだ。惚れた男と駆け落ちした時に捨てた本名を何故知っているの? クリスは心臓をバクバク鳴らしながら、周りを見渡して近くに人がいないかチェックした。自分と同じく共用農地で野良仕事にはげむ男女はぼちぼちいて、声が聞こえるほどの近くには誰もいなかったけど、農業初心者のわけありお嬢様の過去が匂う清楚系でやらせてもらっている女性のワイルドなビーチフラッグは注目を集めた。
「ク、クリスー、どうしたのー?」
「ご、ご心配なくー。ちょっとこの子が石を口に入れようとしたから、アハハハ」
「あらまぁ、子供はホント目が離せないねぇ」
鮮やかな言い訳で誤魔化して一息ついて、クリスは改めて息子に小声で訊ねた。
「ナツメ、どうして知ってるの?」
「みえた、ここ」
ナツメはそう言って目の前のなにもない空間に指で輪を描いて、それを見てクリスは理解した。
「もしかして、鑑定スキル?」
商人に持っている人が多いメジャーなスキルだ。物の名、そこから真贋や質の良し悪しが分かる便利なスキル。
人にも使えるけど、他人に使うのはマナー違反。親の仇のように睨まれるといった類いの、強烈な視線を感じる不快感を与えるからコッソリ使うことは不可能。ナツメはまだスキルが発現したばかりだから、クリスは気付かなかった。それでも思い返せば背筋がゾワゾワしたような、という違和感はあったから即応できた。
「こんなに早くスキルが生えるなんて珍しい。ナツメは将来大物になりそうね」
クリスはふんわり笑んでナツメの頭をなでて、ナツメもスキルの意味は分からないまでも、ちゃんと通じたことに安心して花のように笑った。
親バカを発揮して褒めつつも、大物は言い過ぎとクリスは自覚している。将来は大店や商業ギルド、冒険者ギルドなどでお抱えの鑑定人になるのが定番コース、それくらいの、一応は有用スキルといえる。
「パパが帰ってきたら自慢しようね」
クリスはひとしきり息子を構いたおして野良仕事に戻った。息子に早くも才能が芽生えて嬉しいのは当然だけど、長閑な寒村にもしければいけないことは多く、いつまでもはしゃいではいられない。
クリスにとっては、世の人々にとっては、その程度の、ありふれたスキルだった。
剣術、槍術、弓術、耕作、植林、伐採、算術、錬金術、弁舌、暗視、描画、彫刻、演奏、歌唱、調薬、鍛冶、細工、木工、石工、建築、加工(皮革)、加工(縫製)、調理、清掃、洗濯、礼儀作法、舞踏、気配察知、身体強化、直感、そして多岐にわたる魔法。
鑑定スキルによって、得意なことがスキルとして生えることは広く知られている。常識だ。人によっては珍しいスキルを生まれつき持っていることもあり、ユニークスキルといわれる。実に分かりやすい天才の定義ともいえる。
そういう意味で、ナツメは天才ではない。
ただ……、鑑定スキルの鑑定文は誰が書いているのか? 神でも天使でも精霊でも宇宙人でも超古代文明の遺産でもアカシックレコードでもなんでもいいが、この世界に生きる人々からみて、人智を超えたナニかには違いない。
そして鑑定されると極めて不快になるせいで、鑑定スキルそのものを深く研究する人がいなかった。神託や交信がどうのと宗教に紐付けされなかったのは幸いではあるが、この世の全てには名があり、鑑定スキルとは物の名を教えてくれるもの、それ以上でもそれ以下でもないと誰もが思っている。常識だ。
鑑定スキルは使用者の知性に準ずる。ナツメは地面から小石を拾った。
『いし』
ナツメにとって目に映る石は石だから、いしと教えてくれた。でも、右手に持った石と左手に持った石は見た目が違う。どうして?
『うんも』『あんざんがん』
ナツメはおぉうと感嘆した。石にも名はそれぞれあったのか。ひとつ賢くなった。
そう。鑑定スキルは、使用者が意識した名を教えてくれる。意識しなければ、謎を謎と思う知性がなければ、カメラで撮って検索しなければなにも表示しないスマホだが━━。
この日、ナツメは、この世の全ての謎を教えてくれる可能性を秘めた師に出会った。学べるかどうかは使用者次第。
「あれ?」
ナツメは寝落ちしそうな脱力を感じた。雲母が転がり落ちた掌をじっと見る。
『なつめ まりょく ちょっと』
魔力とはなんだろう?
鑑定すると魔力を使って寝てしまうのだろうか? それは困る。知らない言葉が次から次へと、鑑定したいことが次から次へと。ふふふ、楽しい。
この日、知識欲と考察厨の化物が生まれた。




