01 見知らぬ美形
自らへ差し出される白い手袋を嵌めた無数の手に、周囲を囲まれていた。
(……困ったわ。どうしようかしら)
デビュー直後の貴族令嬢らしく、ふわふわとした布地で出来たモーヴ色の初々しいドレスに身を包んだサブリナは、これはどうするべきかと困り果てていた。
礼儀作法で舞踏会では男性からしかダンスを申し込みすることは出来ないのだが、申し込まれた女性側にはダンスを断る権利があった。
だが、サブリナはこの舞踏会には、結婚に良い条件を持つ男性と出会うためにやって来た。ここですべての手を断ることは、彼女にとって得策ではなかった。
彼らの中の一番身分の高い男性と踊り、この場はやり過ごしてしまうことが無難だろうとは頭では思うのだ。
集まった男たちは誘い文句を口にし、我れ先にと矢継ぎ早に話かけて来るものだから、誰かの挨拶の間に誰かがダンスを申し込んでくるといった具合だった。
彼らは女性側から断られることなど考えてもいないような見目の良い若き貴公子で、一人一人と話すことさえ出来れば、好感を持てる男性だって居るかもしれない。
どの手を優先して選ぶべきなのかが、経験の少ないサブリナにはわからない。高位貴族たちの情報は嗜みとして持っているのだが、まだまだ顔と名前が一致しない。
(では踊りましょうと私が誰かの手を取って、踊り終わった後に違う人と話せば良いのだわ。ここで誰かと何か話そうとすれば、誰かの挨拶を聞き逃してしまいそうだわ……)
ラディアント伯爵令嬢サブリナは、そういう理由で社交界デビューしてからすぐに出席することになった舞踏会にて、ダンスへと誘う紳士たちに囲まれて、どう対処して良いものかと困り果てていた。
ラディアント伯爵家はアシエード王国でも広い領地を持つ裕福な貴族として広く知られていて、サブリナの父親は国王陛下より重用されている大臣の一人だ。
しかも、彼女はまるで太陽の光を紡いだような金髪ときよらかな清水のような青い瞳を持ち、眉を寄せ困ったような表情を浮かべてもなお、魅力が増す可憐な容姿を持っていた。
何故、二年間も社交界デビューが遅れてしまったかというと、病にかかった亡き母を看病するためで、貴族令嬢たちが交流するお茶会などを除き、これまでにサブリナは社交界に出て来ることはなかった。
世の貴族令嬢たちが社交界デビューをしようと浮かれるような時期の十六歳を前にして、母ニコレッタが重い病気を患い、つい先日に儚くなってしまうまで、サブリナはラディアント領の邸館にて病床の母の傍で支え看病を続けた。
そんな話は早々に知れ渡り、親孝行で心まで美しいラディアント伯爵令嬢が、いよいよ社交界デビューするという段になり、紳士たちは口々に噂をして期待通りの容姿を持つ彼女の元へと詰めかけていた。
本来、貴族令嬢たちは十六歳になればすぐに社交界デビューを果たし、それから三年の内に良き伴侶を見つけることが通例だ。
社交界での暗黙の了解で三年が過ぎてしまえば、嫁ぎ先も見つからぬ売れ残りのご令嬢と嘲られてしまい、求婚者が現れることはより難しくなってしまうだろう。
そんな大事な時期に真面目な性格のサブリナは、母親の看護で貴重な二年間を無駄にしてしまっていた。
社交界デビューが遅れてしまった経緯を知るだけでも彼女の良き人柄がわかろうというもので、デビューが遅れたことで、サブリナへと興味を持つ紳士がより多くなったのだ。
本来ならばすぐに嫁ぎ先が決まるような伯爵令嬢が、結婚式の用意をしようかという頃合いだというのに婚約者も未だ決まっていない。
裕福な実家で多くの持参金を約束され人柄の良い美しい女性を、理想の伴侶としている彼らに声を掛けられない訳がなかった。
サブリナを取り巻く白い手の持ち主たちは口々に彼女をダンスへと誘い、どうにか親密になろうと躍起になっているのだ。
また、自分の他にも多数の好敵手が居ることが、より関心を得たいという男性特有の狩猟本能にも火を点けて、彼らは多数の紳士に囲まれ困っているサブリナを見たとしても決して引き下がろうとはしなかった。
(……ああ。どうしようかしら。この状況を問題なくあしらう……なんて、慣れない私にはとても出来ないわ。これから、一体どうすれば良いのかしら)
貴族令嬢は舞踏会にはお目付役を伴うことが常識とされているが、サブリナが助けを求めるように視線を走らせても、彼女のお目付役として来たはずの叔母レグゲート子爵夫人は、壁際に座り隣に居る同じ年頃の女性と歓談し、盛り上がっているようだった。
サブリナは真面目な性格で礼儀正しいことを知っているため、彼女ならば少しくらい目を離しても大丈夫だろうと思っているのだろう。
(仕方ないわ……とにかく、ここに居る誰かの手を掴んでダンスをしましょう。この状況で全員を断ってしまう訳にもいかないもの)
困っていたとしてもここに助けは来ないと諦めたサブリナは息をつき、その時、いきなり背中から誰かにぶつかられてしまった。
「……ごめんなさい!」
妙に慌てていた女性が集まっていたサブリナたちへ割って入り、そして、立ち止まることもなく、そのまま走り去って行ってしまった。
色とりどりのドレスを着た貴婦人が溢れる舞踏会が催される会場には、まったく似つかわしくないような、真っ黒なローブを羽織った女性だった。
(え……魔女? どうしてこんな場所に?)
まるで逃げるような彼女の後ろ姿を見て咄嗟にそう思ったサブリナの肩を叩き、彼女の耳元に顔を寄せた男性が言った。
「……迎えに来るのが遅くなって、ごめんね」
「え?」
振り返りすぐそこに見えたのは、きらめく宝石のような紫の瞳だった。
サラサラと揺れる絹糸のような黒い髪を持つ彼は、サブリナが見上げるほどに背が高く、そして、見た事もないほどに凜々しく整った顔立ちだった。
「ごめんね。待たせて。どうやら、困らせてしまっていたようだ」
「……え、ええ。待っていたわ……」
(え。誰……これは、誰なのかしら?)
いきなり現れた男性に肩を抱かれやけに親しげに振る舞われ、思わず話を合わせてしまったサブリナは、驚きと共に大きく混乱していた。




