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追跡開始

 

「深度70」


「舵、水平。」


 傾いていた艦は段々と水平となり、やがて深度を一定にした。私達は持ち場に戻り、哨戒直である私は艦内での定位置は無いので、好奇心に駆られて司令所に入った。


 司令所の中では艦長が深度計を見つめていて、その後ろで副長は全体を見渡していた。艦長の隣にいる機関長は操舵手の肩に手を置き、じっと艦の状態を把握していた。


「飛行機か?」


「はい。飛行機だったと思います。」


 艦長が見張り員に聞く。


「…本当か?」


「…。」


「航海長、今、艦は陸からどれくらいの位置にいる?」


 海図を見ていた航海長が、コンパスと定規を動かして答えた。


「…今現在、陸からは40海里です。」


「40海里か。海鳥は、この辺でも飛んでいるな。」


 艦長がそう言って見張り員を見る。見張り員は申し訳なさそうに、萎縮している。

 40海里は、キロに直すと約74キロ。海鳥は結構長い距離を飛ぶものだ。


「…うん。誰だって見間違える事はある。それに、いい訓練になった。」


「全没まで40秒。中々いい時間だ。」


 艦長の言葉に、見張り員の顔に少し明るさが戻った。


「よし。ついでだ。潜航テストをしよう。」


 潜航テスト。教範には載っていないが、整備を終えた艦が深々度潜航を行った際にどのような影響を受けるかをテストする、いわゆる文化みたいなもの。私は先輩からの話しか聞いていなかったから、一体どこまで潜るのかは知らない。


 ふと、私の隣にアリオ先輩が出てきた。


「潜航テストか。リーゼ、ビビッてチビるなよ~」


「っ!...別にビビりませんよ!」


「いつまで言えるかな~?」


 この人、いつも私をからかってくる... けど、ハッキリ言えば、怖い。


「機関長。潜航だ。」


「前15上げ、後ろ10上げ。」


 潜舵計の針がゆっくりと動き出し、それぞれ、命令通りの数字でピタリと止まる。


 艦はやや前傾し、深度計の針は再び滑り出す。


「深度80。」


 艦内にはモーターの静かな回転音が響くのみで、その静寂の中、皆は動くことなく、状況を見つめていた。私もまた、動かなかった。


「深度90。」


 深度計の針はぐんぐんと回り、艦がどんどん、深い海の底へと吸い込まれていくのを示す。外は見えないが、とっくに陽の光は差すことはなく、深い闇の中なのだろう。正しく、「一寸先は闇」だ。


「深度100。」



 ギギギ...


「!?」


 突然の異音に、思わず体が跳ねる。


「クフッ、~ッッッ」


 隣のアリオ先輩は声を上げないように静かに大笑いしている。なんかすごい悔しい。引っ叩いてやりたい。


「もっと速く潜れ。」


 艦長がそういうと、機関長は一瞬間を置いて指示した。


「前20上げ。後ろ15上げ。」


 深度計の針はその速さを増し、さっきの二倍程の速さで潜航を始めた。

 深く潜るにつれて艦内には、ギューッ、グググ、といった、何かを強く握り締めるような音が響く。


「音、怖いか?」


「...そりゃまあ、少しは...。」


「このままどんどんどんどん沈んでいくと、やがて艦はその凄まじい水圧の為に...。」


 先輩は両手の平を合わせて、ぎゅっと握った。


「...グシャッ。 ...圧壊だ。」


「...知ってますよ...。 !?」


 ギギィーッ、ゴゴゴ...


 凄まじい金属音が響いた。気づけば深度計の針は、150を指していた。一気に額に脂汗が滲む。

 さらに、私が手を付いていたパイプが、カタカタと小さく震え出した。

 この艦の最大潜航深度は250。安全の為に鯖を読んでいたとしても270ないぐらい。圧壊まで、残り半分を切っている。


「...まだ潜れ。」


 艦長の言葉に、流石の機関長も艦長の目を見る。艦長はそれに対して、まだ大丈夫と言わんばかりに目を合わせて、口角を上げて見せた。

 機関長の操舵手の肩を握る手に、力が籠った。


「...深度160。」


 金属音が響く中、何人かは不安げに上を見上げている。人間というのは不思議なもので、不安になると何故か天井を見上げる。天を仰ぐ、というのか?

 機関長も額に汗を滲ませながら、上を見上げている。

 私もまた、同じだった。


「...深度170!」


「うむ、この辺にしておこう。浮上。」


「前10下げ、後ろ5上げ。」


 皆が一斉にため息をついた。隣にいたアリオ先輩も、ため息をついている。なんだかんだ言って、この人も緊張していたらしい。



 浮上するまでの間に、私含む見張り員は双眼鏡を取り、司令所にあるハシゴの下で待機する。

 深度計が0を指し、浮上を示すと私たちはハッチを開け、艦橋へ上がった。

 ハッチのハンドルを捻って、上に向けて押すと、目に思い切り太陽の光が飛び込んできた。あまりの眩しさに梯子から落ちそうになってしまう。

 そのまま艦橋に上がって、最初に胸の奥まで外の空気を吸い込み、一気に吐いた。お世辞でなく、本当に人生で一番美味しいと感じた空気だ。そして目の前には太陽の光をキラキラと反射する海。潜っていたのはほんの十数分のはずなのに、まるで数年振りに再開した友人のごとく感じられる。

 私はぐっと伸びをして、双眼鏡を握る。ふと隣を見ると、先輩も伸びをしている。


「んんっ~... っあ゛ー」


 体が固まっていたのか、声を上げて伸びている。

 そして私は、また数時間の間、水平線を覗く任務に戻った。



 浮上して二時間ほどが経過した頃。


 艦の通信手兼聴音手である、ヒンリヒ・エルダは、暗号文を受け取った。

 そしてその文を復号し、隣の机で居眠りしている艦長を起こし、手渡した。


「艦長、...艦長。」


「ん...何だ」


「電文です。」


「そうか...」


 艦長はその紙を覗き、一通り目を通した後、両の頬を一回叩いて体を起こし、司令所に入った。

 司令所の中にある海図の前に立ち、コンパスと三角定規で、作業を始める。

 そこに、リーゼ達が交代で降りてきた。



「ふ~、目がしぱしぱする...。」


「私も視界がチカチカしてるよ...。」


 数時間同じ風景を眺めて、完全に水平線が視界に焼き付いてしまった。目をつぶっても水平線が見える。

 梯子を下りて艦内に戻ると、何やら艦長が海図に何か書いている。通常、海図を書くのは航海長の仕事なので、艦長が書いている事はめったにない。


「何してるんでしょう?」


「...さあ?私にも分からないよ。何か通信が入ったか、進路変更か。」


 先輩も分からないんじゃ分からないんだろうな。


 すると艦長は道具を置き、通信手の居る方に戻っていった。


「何か放送が来るかな?」


 先輩がそういった途端、艦内スピーカーが音を立てた。


「こちら艦長だ。諸君に告ぐ。」


 艦長の声は普段と同じ、落ち着いた声だったが、奥底に何か違うものがあった。


「付近を哨戒しているU-37号から、船団発見の報告があった。我々はこれより、当該船団の攻撃の為、追跡を行う。U-37号との会合時間は4時間後。心してかかれ。以上。」


 艦内中から歓声が挙がった。私も、胸が熱くなり、血が沸き立つ感覚に襲われる。


「いよっしゃァ、いよいよ私達の本分だ。デカいのをあいつ等のケツに突っ込んでやろうぜ!」


「やりましょう‼」


 なんか先輩がすごい言い方をしている気がするが、この際どうでもいい。


「両舷、前進強速!」


 機関長が叫び、ディーゼル機関は回転数を上げ、潜水艦、U-76号は、私達を乗せて波立つ海上を波を掻き分けて突っ走る。


 ――私達は、戦争へと突き進んでいった。

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