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 パチンッ


 月乃の両手から軽い音が鳴る。

突然の月乃の行動に、最初から話を聞いていた私と飛燕以外の人間はみんな不思議そうに月乃の様子を伺っていた。

 怪異の泣き声もほとんど聞こえなくなった今、月乃が手を鳴らした音の余韻がたっぷりある。


「あっ!来たよ!」


 もはや静かに話していたことなんて忘れたらしい月乃が普段通りの声量で言う。

その声の向く先には、案の定潤色の髪を靡かせたマヨさんがいた。

 しかし、その姿は先程消えてしまった時よりもずっとボロボロで、着物の袖の先に垂れる指先からは赤が滴っている。


「だ、大丈夫!?」

「それ、怪異とちがうか。どこの怪異を持ってきたんや?」


 どこか警戒するように月乃を伺っていたミクズがマヨさんに興味を示した。

しかし、ミクズにマヨさんの声は聞こえない。

 まして、なんの情報もなく蒼のマヨイガが月乃の能力で具現化した事に辿り着くのは不可能だ。

情報漏れは心配しなくてもいいだろう。


「月乃、シガンさん達の___」

「ああ、それが月乃ちゃんの能力か。ってことは、そら蒼のマヨイガってとこかいな?」


 私は思わずミクズの方を見た。

それを公開するのに一秒とかからなかったのは、ミクズの口元が綺麗な弧を描いていたからだった。


「あれぇ?珍しいなぁ?つつじちゃんがそないな顔するなんて。」


 鎌をかけたのか最初から知っていたのか………。

どちらでもいいが、ミクズにマヨさんの正体がバレている事は少し問題かもしれない。


「マヨイガなんやったら、家に住む当主の言う事を聞くわな?やったら、ここにおる奴ら全員適当な部屋に閉じ込めとけ。その後此雅夜くんを捕まえなな。」


 先程までの嘲笑に満ちた声は消え、代わりに酷く冷たい声が響く。

その声は、妹について話していた時と同じ温度だった。


「マヨくん!わたし達をシガンさん達と一緒にここから出して!」


 ミクズからの言葉にも月乃からの言葉にも特に反応を示さないマヨさんは、ただ腕をだらりと垂らして立っているだけだった。

相変わらず布面はボロボロ、でヨイさんのような顔文字すら無い人型をとった怪異が何を考えているのか、私にはわからなかった。

 しかし、唯一その声が聞こえる月乃だけは会話ができる。


「え?そうなの?じゃあ、え〜っと……」

「なんて言ってるんだ?」


 一人でマヨさんとぶつぶつと話す月乃に、飛燕が問う。

ヒガンさんや凛さん、千鳥さんはミクズとマヨさんを見比べており、私達に構っている暇はなさそうだった。


「う〜んとね、ヒガンさん達の手伝いをしたいのは山々なんだけど、当主の言う事は聞かないと、みたいな事言ってる。」

「なるほどね。……飛燕。」


 私ば飛燕と一瞬目を合わせると、名前を呼ぶ。

飛燕も同じ事を考えていたらしく、緩く頷いた。

 私はそれを見てから声のボリュームを上げる。


「それは困ったね。でも、部屋に閉じ込められるくらいなら多分どうにかなるよ。」

「つつじ?」


 急に声を大きくした私に月乃が怪訝そうな顔をしているが、私は無視して飛燕の方に視線を流す。


「せやな。それやったら俺の能力でもどうにかなるし、彼雅夜さんもおるから出るくらいできるわ。」

「それより怪異のとこまで連れてかれる方が厄介だし、無理なら無理でいいんじゃない?」


 声のボリュームだけ上げて、温度は普段と変えずに話す。

千鳥さんや凛さんの視線も集めたが、狙い通りミクズにも聞こえただろう。


「おっきな声でのおしゃべりなんて珍しいなぁ。そやけど、そないなことの方が静かに話すとええわ。」


 先程よりもずっと歪んだ顔で笑うミクズは、マヨさんの方を向いて歌うように言う。


「今すぐみんなまとめて饕餮(とうてつ)のとこに連れて行け。」


 饕餮?

疑問が湧くよりも先に、一瞬で視界が切り替わった。

 瞬きをする間もない出来事に脳が停止しかけるが、狙いが上手くいった事は察する。

狙い通り、シガンさん達がいるであろう怪異の所までとばしてもらう事ができた。

 まぁ、予想外は幾つかあるが。


「シガン!」

「ヒガン!?どっから出てきたんや!?つつじ達も、突然居なくなったと思ったら帰ってきとるし、何があってん……?」


 驚きから戸惑いへと移行しているシガンさんは、ヒガンさんに勢いよく抱きつかれてタタラを踏む。

あたりを見回すと、私の周りには凛さんや月乃、飛燕、千鳥さんが居て、シガンさん達の方には然玖さんとヒガンさん、大きな怪異がいる。

 ミクズはどこだ?マヨさんはいない?

 急いで姿を探して視線を彷徨わせる。


「つつじ、あれ見ろ。」


 飛燕が静かに示す方向を見ると、そこにはミクズとマヨさんが居た。

マヨさんは相変わらずボロボロで、ミクズはそんなマヨさんなんてまるで見えていないかのようにシガンさんと怪異を見て嫌な笑みを浮かべている。


「なんであんなところに……。」


 ミクズとマヨさんは、怪異に背を向けてシガンさんと向かい合うように立っていた。

マヨさんはその後、揺れるように消えてしまう。


「なんや、此雅夜くんもここにおったのか。話早おして助かるわ。」

「なんでお前がここにおるん?」


 声をかけられたシガンさんではなく、然玖さんがミクズに冷たい目を向ける。

見たところ然玖さんにもシガンさんにも新しい傷はなさそうだが、目の前にいる怪異とミクズに喧嘩を売っても大丈夫なのだろうか。

 まさかミクズまで怪異の元に来るとは思っていなかった私は、とりあえず様子を見るしかできそうにない。


「なんでって、ここは蒼やねん。わしがおったって何にも変とちがう。それより、あんたらがおる方がおかしいで。」

「シガン!こんなやつ無視して帰るで。」


 ミクズが話しているのも気にせず、ヒガンさんはシガンさんの手を取る。

 しかし、シガンさんは返事もせずにヒガンさんのされるがままだ。

その視線はミクズの方を向いていて、シガンさんの目にどんな感情(いろ)がるのか分からない。


「此雅夜くん、あんたが逃げたら蒼の家族達がみんな死んでまうで。」


 嫌な笑みで笑うミクズに、背後の怪異はなんの反応も示さない。

さっきまでの怪異なら問答無用で襲ってきそうなものなのに、怪異ミクズが来てからは殆ど動いていなかった。


「別にそんなんシガンが気にすることやないわ!」

「というか、蒼が全員死ぬってなんなん!?こんな怪異が今までずっと蒼におったのは驚きやけど、別に今まで被害無かったやん!」


 ヒガンさんに続き、凛さんもミクズに声をぶつける。

しかし、ミクズはその態度を一切崩さなかった。

 それどころか、悠々と怪異の解説まで始めた。


「この怪異は蘭棚家と縁深いで?この怪異の名前は、饕餮(とうてつ)。」


 先程も読んでいた名前は、やはりこの大きな怪異の名前だったらしい。

ミクズは愉しくてたまらない様子を隠す事なく言葉を紡ぐ。


「昔っから(ここ)におって、蒼の人間の双子の片割れを処理してくれとったんやわぁ。ほら、双子っていつでも厄介なもんやさかい、喰うてへんかった事にしてくれるのんはえらいありがたいやん。」


 余計な情報も挟みながら、ミクズの気分が悪くなりそうな解説は続く。

その間、誰一人としてミクズの話に水を注さなかったのは、こいつが人への嫌がらせをする時は最も効果的なものを選ぶと知っていたからだろう。

 本当にあった後ろ暗い歴史を突きつけられるのは、それなりにダメージがある。

だから、その後ろ暗い歴史には本物を使う。

 多少の脚色は入っているだろうが、大まかな所は本当。

そういう、嫌なことをしてくるのがこのミクズという人間だ。

 そもそも、蒼の人達が怯えていたのは間違いなくこの怪異だろう。

つまり、存在自体は最近まで露呈していなかったが、ミクズが蒼に広めたか何かした可能性が高い。


「そやけどねぇ、だんだんと忘れられた。人間って勝手やわね、双子でも殺すのんはあじないやら、倫理がどうやら。そないな簡単な理由で過去の事を忘れて、饕餮への恩も忘れて。全部、あんたらのご先祖がやった事やわぁ。そやさかい____」


 そこで言葉を溜めたミクズは、一息に言い切る。


「責任は自分らで取らなあかんよな?」

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