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第90話 オーゼスの闇

 無人のオーストラリアでB4との共同生活を始めてから、はや二週間。

 壁掛けのカレンダーをふと目にした連奈は、それだけの日数が経過していることに今更気付いて目を丸くする。

 時間の流れも忘れるくらい、楽しく満ち足りた毎日を送っているという証拠だ。

 その事実は、ますます連奈の気分を高揚させた。


「あとは、お夕飯の仕込みね。ああそうだわ、そろそろ野菜が尽きかけてるから、またあのイケメン雑用に持ってこさせないと……」


 ふんふんふんと適当に鼻歌を鳴らしながら、連奈は昼下がりの台所でじゃがいもの皮むきを始める。

 今日の夕飯は肉じゃがだ。

 野菜のみならず、肉や糸こんにゃくなどの食材全般、果ては調味料に至るまで、きっちり日本産で統一した本格派である。

 したというよりは、させたのだが。

 定期的に物資補給に訪れるゼドラは、他の品物も全て、連奈の注文どおりに調達してくるのだから恐れ入る。

 ヴァルクスで同じ要望を出しても、入手の困難なマイナーブランドの衣類や化粧品類などは、代替品で茶を濁されるというのにだ。


「そろそろおじさまも目を覚ましてくれるかしら」


 この場合の“目を覚ます”とは、B4の食に対する意識の低さ、および壊滅的な味覚からの脱却を指す。

 連奈が連日のように、手の込んだ料理ばかりを作って食べさせているのは、それが主目的だ。

 なにせ、ずぼらの極致ともいえるB4は、開封してそのまま食べられるものか電子レンジで調理できるものしか口にしない。

 幼少期から母親に調理の手ほどきを受けてきた連奈にとって、その有様は重篤も重篤、知的生命体として恥ずべき段階に映った。

 男を掴むには胃袋を掴めという言い習わしがあるが、B4の場合は、まず脳髄からなのだ。


「……最低限、朝食にベーコンエッグトーストと自家製コーヒーを振る舞えるくらいの腕は身につけさせたいところね。いい大人なんですもの、そのくらいはできなくちゃ」


 慣れた手つきでじゃがいもを切り分けながら、連奈は、言葉にしたとおりの光景を思い浮かべて笑みをこぼす。

 咽び泣くほど上等なものを出せとは言わない。

 洒落た家で洒落たものを食べるという、その優雅な絵面や雰囲気こそが、連奈の求めているものなのだ。

むしろ味に関しては、微妙に口に合わず、何かしら指摘する余地がある方がいい。

 世話焼き根性をフルに発揮してなお、やることが尽きないというのが、B4の魅力なのだ。

 非の打ち所がない男もまた捨てがたいが、与えられるだけでは飽きもまた早い。

 到底埋めがたい欠陥を抱えている方が、退屈しのぎとしては有用だった。


「……連奈ちゃん、庭園の草むしりは終わったよ。いやあ、疲れた疲れた」

「ご苦労様と言いたいところだけど、スコップと箒と余ったビニール袋はちゃんと物置に入れておいて。野ざらしなんて論外よ」

「相変わらず、手厳しいな」

「そのくらいはやって当然でしょ。それを手厳しいと思うくらいにおじさまは堕落してるってこと」


 連奈がそう言い切ると、やっと休めると靴を脱ぎ始めていたB4は、力なく笑って再び玄関を後にする。

 反省しているのか、していないのか、よくわからない態度だ。

 その様子を見る限り、B4が年齢相応の頼り甲斐を身につけるのは、いつになることやら。

 皆目見当もつかないが、それでも許せるくらいの余裕を持っているのが今の連奈だ。

 世間の騒々しさから隔離された二人だけの静かな世界。

 その広く狭い空間に満ちる刺激という名の幸福は、未だ尽きる気配を見せなかった。



「……ところでさ、連奈ちゃん」

「なあに、おじさま」


 出来上がった肉じゃがは思った以上の好感触で、B4は三分と経たない内に器を空にした。

 普段は呆れてしまうほどのそのそと食べることを考えれば、驚異的なペースである。

 あまりにもうまいうまいと褒め称えてくるもので、丹精を込めた甲斐があったと、連奈はすっかり気を良くしてしまっていた。

 そんな矢先の、申し訳無さそうな一声だった。


「おじさんさ……明日、ゼドラ君と一緒に、一旦オーゼスに戻るよ」


 別に、驚くことではなかった。

 連合を無断で離反した連奈はともかく、B4はオーゼス構成員の権利として、正規に余暇を過ごしているだけなのだから。

 連奈としては、B4が諸々の仕事を終えたとき、またここに戻ってくるという保証さえあればいい。


「二週間が、外出の限度ということ?」

「おじさんの方で、そう判断している。これまた勝手な人物評だけど……我らが偉大なるボスは、やる気のない者は一発でタイプだ。ジェルミさんの度を過ぎたルール逸脱のように、わざわざお叱りを入れるまでもなくね」

「ないの? やる気」

「あるよ」


 その返事は、相槌でも打つかのように一切の間断なく発せられた。

 現時点におけるB4の意識が、どちらにどれだけ向いているのかがはっきりして、連奈は思わず顔をしかめる。

 幾らでもB4のために時間をかける覚悟はあったが、それは僅かでも関係性に進展がある場合の話だ。

 あいにくと連奈は、ただの徒労を無償の愛と言い換えられるほど、悟りの精神は開いていない。

 だからこそ、はっきりと言い切られたことに恐怖する。


「ただ、この弱気な態度のせいか、どうも他人には伝わりにくいらしくてね。パイロットの中じゃ、霧島君の次に何を考えているかよくわからないと言われる。エラルド君よりもというのは、個人的にはショックかな」

「あの人の話はやめて。口に出さないで」

「ああ、ごめんよ連奈ちゃん。そうか、そうだね……」


 B4は慌てて謝罪をしてくるが、おそらくその勘ぐりは的外れだ。

 薄情と言われるだろうが、エラルド・ウォルフを手にかけたことは、さして気にしていない。

 過去の出来事と割り切ったこともあるが、何よりエラルドが、自らの滅びを望んでいたからだ。

 エラルドが持つ“嘘の才能”に、おそらく限界はない。

 生きている限り、エラルドは嘘を重ね続け、あのエラルドを演じ続けられる。

 その魂が、加速度的に救いがたい存在となっていくという代償を伴って。

 だから、本人のためを思ってした。

 言ってみれば介錯なのだ。

 なのに、最近になってエラルドのことを思い出すのが苦痛になったのは、その幻影が連奈の中に姿を表すようになったからだ。

 記憶の中にある、エラルドそのものではない。

 連奈が何かを思うたび、その気持ちは嘘ではないのかと問いかけてくる――――言ってしまえば、迷いや躊躇いといった、連奈自身の心の弱さが、彼の言葉と姿を借りているだけだ。

 自問なのだ。

 だが、下らない自問の引き金になるという意味で、今しばらくはその名前を意識したくはなかった。


「色々と、知りたいこともあるからね」


 よほど嫌な顔をしてしまっていたのだろうか、B4にしては珍しく、すぐさま本題に戻るという気配りをしてくれる。

 連奈はその間に、湯呑みで日本茶をすすって気分を落ち着かせる。


「なんだか妙なことになっているらしいじゃないか、最近の戦局は。そこのところを把握しておかないと、のんびりもできないよ」

「本当にオーゼスとは関係ないの?」

「余興は好きだが横槍は嫌いだよ。ボスに限らず、オーゼスのメンバーは全員ね」

「ふうん……まあ、今の私にとっては、もうどうでもいいことだけど」


 戦意を喪失したというよりは、メテオメイルのパイロットであること自体に興味を失ったのだ。

 戦わなければ死ぬという状況なら、もちろん戦う。

 だが、今後の戦いに積極的に関わろうとは毛ほども思わない。

 未体験の刺激に溢れた、この地で過ごすことが全てにおいて最優先だ。

 ただ――――

 本当に舞台から降りてしまう前に、たった一つだけ、その疑問だけはどうしても解消しておきたかった。

 数十億の人間を惑わす大いなる謎、その核心に自分だけが触れるというのもまた、中々の刺激だ。

 

「ねえ、おじさま。今後一切余計な詮索はしないから、これだけははっきり答えてちょうだい」

「なんだい、連奈ちゃん……」

オーゼスあなたたちの目的」


 連奈は、B4の瞳を覗き込みながら、ぴしゃりと言い放った。

 組織の成り立ちや、黒幕の正体、知りたいことは他にいくらでもある。

 補足として絡めなかったのは、論点をずらすことを許さないという意思を明確にするためである。

 威圧が多分に混じった追求に、B4は初めて、真剣味を崩さすに困り顔を浮かべてみせた。


「……参ったな」

「答えられないことなの?」

「それは他のどんな秘密より、口にすることが憚られる。ただ、まあ、気にはなるだろうね……連奈ちゃん達にとっては。オーゼスはこの件について、一度だって声明を出したことはないんだし」


 過去に、オーゼスの側から情報が発信されたことはあったが、組織の保有する作業用メカが市民に危害を加えてしまったことについての詫びのみである。

 侵略の目的自体については、一年半もの間、説明があったことは一度もない。

 市民たちが抱く不安には、無慈悲な殺戮に対する恐怖のみならず、その意図を理解できないことへの困惑もまた含まれていた。

 連奈にしても、そうだ。


「……ゲームさ。たったの九機の戦闘兵器で世界のどれだけを征服できるかという、人類史上最も派手で、最も馬鹿馬鹿しい陣取りゲーム」


 いつまでも逸らされることのない連奈の視線に押し負けたのか、B4は抵抗を諦めて、すんなりと白状する。


「本当にそうだったのね……呆れた」


 連奈は、肺の中の空気を全て絞り出す勢いで嘆息する。

 答えることに意味がない、答えるようなことがないとは、ラニアケアに赴いた井原崎の言である。

 そこから、ある程度の予想はできていた解答だ。

 ケルケイムは随分と深読みをしていたようだが、そのまま素直に受け取るのが正解だったというわけだ。


「おじさんみたいな例外はあるけど、組織としては、土地や資源なんかの実益には全く着目していない。強いて目当てがあるとすれば、面積かな。陸地の全てに“柱”を打ち込み、オーゼスの支配領域とするのが最終目標ということになっている」

「無事達成できたとして、その後どうするのと聞くのは……野暮かしら」

「そんな真っ当なことを考えていないから、こんな真似ができるのさ」


 冗談めかすこともなく、B4は答えた。


「おじさん達は、主催者である偉大なボスに見定められた“参加者”として、このゲームを遊び尽くす。そして、滅ぶ。人の世で生きることに諦めがついてしまった者には、もうこれくらいしかやることがないんだ」

「合気道の人や引きこもりみたいな、明らかにやる気のなさそうな面子が混じっていた理由に、やっと納得がいったわ。あなた達がみんなして、目的を言いたがらなかった理由もね」


 連奈の無機質な言葉に、B4は悄然とする。

 一片の哀愁もなく、馬鹿正直に感情の下落を晒す様は、親に叱られる子供のようだ。

 見ていて気分のいいものではなかった。


「ゲームはゲームでも、レクリエーションとしてのゲームなんでしょ。厳密なルールに則って数字せいかを求めるのではなく、参加は義務だけど本気でやるかどうかは各人の自由……。当人やボスが楽しめれば、勝ち負けも関係ないんじゃないかしら?」

「…………ああ」

「それがわかれば後者の答えも簡単。“黙っていた方が面白い”って、ボスが言いだしたんでしょ。そうでなくとも、あなた達の誰かが」


 これは、連奈にとっては今の今まで盲点だった。

 なぜ言えないのかという部分に拘りすぎて、黙っていることのメリットに考えが及ばなかったのだ。

 この点においてのみ、推論のベクトルがケルケイムに似通ってしまっていたようだ。

 エラルド・ジェルミ・B4という、ヒントとしては薄味すぎる面々ばかりと戦ってきたのだから、仕方がないことではあったが。


「……やっぱり連奈ちゃんは聡いなあ。おじさんが説明することがなくなっちゃったよ」

「そうでもないわよ。あなた達のやろうとしていることは単純でしょ。ただ何も言おうとしないだけで」

「それもそうか。……で、無事に真相を知ったところで、連奈ちゃんはどうするんだい?」


 B4の問いかけが何を意味しているかは、深く考えるまでもない。

 他にこれといった注釈がなければ、ある一点の異常さが、より際立つからだ。


「その前に、確認してもいいかしら。侵略の大まかなルールを」

「連奈ちゃんが言い当ててみせたとおり、厳しい制約は設けられていないさ。誰が出るかも、どこに行くかも、ほとんど無作為。一回の出撃で一区域を完全制圧できれば“成功”。失敗してもお咎めはない。まるっきり手も足も出ない、あまりに無残な敗北を喫したときは、その限りではないけども……」

「あなた達は、“成功”のためなんかに人の命を奪えるのね」


 自身の性癖として殺戮を好むことも十分に狂気の沙汰であり、連奈としてもそんな輩を擁護する気はない。

 だが、オーゼスの男達とは違い、まだ理解が追いつく。

 彼らは、メンバーの大半がその類ではないにも関わらず、ただルールにあるというだけで平然と人々を消し炭に変えることができるのだ。

 点数スコアの概念が持ち出されなかったということは、そういうことなのだ。


「そこまで救い難いとは思わなかったわ。抗いもせずに、流されるだけ流されて……! 今を変えようとする気概すらないの?」


 連奈が吐き出した言葉には、自分自身も驚くほどの侮蔑が含まれていた。

 まともな人生というものに心底見切りをつけているからこそ、いかなる闇をも受け入れてしまう、極めつけの悪性。

 妙な言い方にはなるが、せめて自らの欲求に従って殺して欲しかった。

 ゲームに没頭する狂人であって欲しかった。


「……だから、どうするのかって聞いているのさ。連奈ちゃんがそんな顔をするってことは、そのくらいおぞましい存在なんだろう、おじさん達は。だったら、連奈ちゃんがここに居続けるのは、よくないよ」

「なのになんで……そんなところだけ、まともなのよ……!」


 筆舌に尽くしがたいほどの深い闇に心を染めながら、その暗黒を収める器だけは人間味に溢れたB4に対し、連奈は、そう吐き捨てることしかできなかった。

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