第88話 无に挑む(その4)
自身の存在を無に還す“ボイドレギオン”。
エネルギーを吸収し送り返す“ナータスティーラー”。
それら二つの加護に守られたヴィグディスの前では、いかなる攻撃も無意味。
ゲルトルートとバウショックは、その絶対的能力の前に手も足も出ず、ただバルジエッジの斬撃を受けるだけの動く的と化していた。
このまま状況を打開できなければ、敗北は必至だ。
「片一方ならともかく、どっちも持ってるのはよ……!」
またも虚空より繰り出される、不可視の斬撃。
その一振りで切り落とされたゲルトルートの肩部装甲を横目に、瞬が呻く。
事態は相当に深刻だった。
単にパーツが破壊されるだけならまだしも、バルジエッジの刀身から放たれた液体金属が、機体の各部を侵食し始めているのだ。
十輪寺の助言どおり、この液体金属の効力は、溶解ではなく凝集。
瞬間接着剤のように部品同士の隙間へ流れ込み、固着して駆動そのものを止めてしまう性質だ。
ヴィグディスの武装はいずれも、つくづく合理的で、心底嫌らしい。
「散々手を尽くしても、何も届かねー……クソが!」
次はバウショックの背中が袈裟斬りにされ、轟が苛立たしげに唸る。
既に、交戦を開始してから三十分。
その間、ヴィグディスにダメージを与えられたのは、ジュバが本気を出す前の数回のみ。
惜しげもなく二つの加護を使いだしてからは、ただの一度も触れられていない。
攻撃が掠りもしないという徒労感は、元より万全とは言い難かった二人の心身を更に追い詰めていた。
「もはや抵抗するなとは言いませんよ。最後の最後まで足掻いてもらった方が、より明確な力量差の証明になりますからね。そう……簡単に折れてもらっては、わざわざ優等生が送り込まれた意味がない」
ジュバの勝ち誇るような笑声に、ますます二人の精神力は削がれていく。
今更ただの強敵を相手に、瞬と轟が心を挫かれることはない。
各々が持つ必殺の一撃を、“優劣を覆して勝てる保証”として心の支えにしているからだ。
しかしこのヴィグディスは、スクリームダイブを躱し、ソルゲイズやクリムゾンストライクを吸収する。
最も頼りにしている一手を潰されることの恐ろしさを、そして辛さを、瞬は改めて実感した。
「このまま何もできずに完封負けかよ……おい瞬、そろそろ策の一つくらい絞り出しやがれ!」
「轟……」
瞬は渋面になって、そろそろ限界を迎えつつあるバウショックに目を向けた。
その装甲には夥しい切り傷が刻まれ、断面からは激しく火花が吹き出ている。
しかし、それでもなお、全力で戦場を駆けずり回っている。
否、自分の周囲を駆けずり回ってくれている。
ヴィグディスを捕捉できないなりに、ゲルトルートを守るためにだ。
そう、二機の損傷はけして均等などではない。
落ち着いて思考を回す余裕があるのも、全ては轟の捨て石じみた無謀な攻撃の恩恵だ。
そうしてジュバの注意を引いてくれるからこそ、自分は軽傷でいられる。
「一方的にいたぶられて終わりだなんて、無様にもほどがある。これじゃあ二の舞だ……」
轟は、瞬がこれほど時間を無為に使っても、けして作戦それ自体を変えろとは提案してこない。
風岩瞬ならば絶対に逆転のアイデアを閃くという信頼と、その為になら盾になることも厭わないという覚悟を持ち得ているからだ。
瞬はジュバの鬱陶しさより、轟の期待に応えることができない自分の情けなさに対して、腹が立った。
たまらず、悔しさで操縦桿を強く握りしめる。
脳髄に痺れのような感覚が奔ったのは、そのときだった。
「いや、待て……何の、二の舞だ?」
瞬ははっとなって、自ら発した言葉の意味を探る。
そして気づく。
今までずっと胸中で引っかかっていた、既視感の正体に。
まだ、ヴィグディスを覆う謎という名のヴェールは一枚も剥ぎ取れていない。
だが、ヴェールを掴む上で何をすべきかについては、明確な回答を出すことができた。
(そうだ、こいつは初めて戦うタイプじゃねえ……!)
これまで記憶の断片として溜め込んでいた無数の着目点が、一気に組み上がって意味を成していく。
ヴィグディスの行動パターンは、言ってしまえば、過去に相対したスピキュールとプロキオンの複合型だ。
こちらがどれだけ隙を晒していても、けして大振りの攻撃はしない。
ひたすら不可視状態からの奇襲を続け、ダメージの蓄積に務める。
待ちの姿勢を貫き、対応は必ず後手。
痺れを切らして大量のエネルギーを消費する範囲攻撃を使えば、ナータスティーラーによる吸収反撃。
前者二つがスピキュールと、後者二つがプロキオンと共通する。
要素ごとに分けてみれば、瞭然だった。
(絶対の安全を確保しながら、じわじわと相手をなぶり殺す戦術……まじにあいつらの合体版だ)
これまでで最も自分達を苦しめた、外道と合気道という特性。
ヴィグディスは、その強みを単体で同時に再現する機体だ。
道理で生半可な方法では崩せないわけである。
「おい轟……ようやくわかってきたぜ、あいつの攻略法がよ」
「随分待たせたじゃねーか」
「こいつは言わば、スラッシュ霧島戦の復習みたいなもんだ」
「そう考えるとなおさら負けられねーな。勝って土産話にしねーとよ……!」
「復讐でも合ってるがよ、いつも散々理不尽な特訓を強いられてることに対しての……」
そうぼやく間にも、またもバウショックの装甲に亀裂が走る。
時間的猶予は皆無。
せっかく浮かんだアイデアも、機体が十全に動けなければ無意味と化す。
瞬は急加速をかけ、ゲルトルートを直進させた。
並行して、自らの後方を追従しろという指示も轟に送る。
「轟……クリムゾンストライクとソルゲイズが使えるのは、合わせて二回までだったよな」
「出すモノがモノだけに、中の部品が灼き切れちまうんだとよ」
轟の返事に、瞬はたまらず喉を鳴らす。
活路を開くチャンスは一度だけ。
そんな理不尽な勝利条件を要求されるのも、もはやいつものことだ。
すっかり慣れてしまった瞬にとっては、緊張よりも先に笑いが出てしまう。
数度の挑戦が許されているよりは、気が引き締まって助かる――――今は開き直って、そう考えるしかない。
「じゃあ、ソルゲイズを可能な限り早く撃ってくれ。さっきよりも低空気味にな」
「ああ!? トドメは俺にくれるんじゃなかったのかよ」
「あとで好きなだけ殴らせてやる。全部、その布石だ」
「まあ、野郎に限っては徹底的に痛めつけてやらなきゃ、イライラが収まんねーからな……! 一発昇天は、確かに勿体ねー」
轟は大きく口元を歪め、犬歯を剥き出しにする。
疲弊で失われつつあった覇気を一瞬の内に取り戻す集中力は、瞬も感嘆してしまうほどだ。
「……さっきは吸い取られちまったが、構わねーのかよ。また同じ技で」
「大丈夫だ、今度は無駄にはしねえ」
「ならいい」
瞬が答えるや否や、間髪入れずバウショックのエネルギー反応が増大する。
熱量そのものを打ち出すだけあって、計測値の変動具合も顕著だ。
「十八秒寄越せ。一部と言わず、ギガントアーム丸ごとブッ壊す勢いで高速チャージしてやる」
「頼む……! その間のことは、オレに任せてくれていいからよ」
瞬は言いながら、体を捻って後方確認に専念する。
(これでいい、これで……!)
瞬は、そう確信できるだけの材料を、脳内でもう一度広げてみせた。
現在、ゲルトルートとバウショックは、縦に並んで東に向け疾走している状態にある。
ヴィグディスが最後に攻撃を行ったのは、バウショックがゲルトルートの背後を移動していたとき。
そして、その直後にゲルトルートは加速を開始した。
ヴィグディスの機動力は、ここまで見た限りでは中の上といったところ。
直線加速に限っていえば、ゲルトルートより上ということは、おそらくない。
だとしたら――――
「妙な陣形ですね。しかし何を企んだところで、ヴィグディスには……!」
「それはどうかなジュバさんよ。オレの読みが正しければ、これからやることは、ただの当てずっぽうじゃないはずだぜ」
瞬は肩部装甲に内蔵されたストリームブリットの砲身を真後ろに倒すと、バウショックの両肩を掠めるように、それぞれを発射した。
一歩間違えばバウショックに直撃する軌道だったが、もうゲルトルートの操縦にしても素人ではない。
S3の思考操作による照準補正込みで、移動中であってもそれなりに正確な射撃を行うことができた。
「テメー、瞬!」
当然のように、声を荒げる轟。
だが、それ以上の追求はしてこない。
次の刹那、バウショックの更に後方で空間が炸裂したからだ。
「当たった……!?」
「やっぱりそこにいやがったな、ジュバ」
本来なら減衰して消え行くはずだった二つの圧縮大気弾。
その片方が、バウショックの後方二十メートルにまで迫っていた不可視の物体に直撃を果たしていた。
言うまでもなく、ジュバの駆るヴィグディスである。
部分的にとはいえボイドレギオンの効果が消失し、青銅色の装甲が露呈したのを瞬は見逃さなかった。
「ぐっ、この……!」
「普通に考えたら安全地帯だもんなあ、この状況で、その位置は」
エネルギーチャージを開始したバウショックに、遠距離攻撃は不可能。
つまりその背後に身を隠せば、向かいのゲルトルートから攻撃が届くことはない。
少なくとも、下手に左右に位置づけるよりは被弾のリスクを下げられる。
そして、バウショックのエネルギー反応の増大はあからさまで、ジュバが気付かないわけがない。
放たれたエネルギーを即座に吸収すべく、ゴッドネビュラの回収よりもバウショックの追撃を優先する可能性は高かったのだ。
以上の理由で、自ずとヴィグディスの現在位置は一つに絞りこめるというわけだ。
「ありがとうよ、馬鹿正直に合理的判断をやってくれて」
瞬はすかさず、同じ座標にストリームブリットを連射する。
ヴィグディスがボイドレギオンの展開に専念したおかげで、またも結果は直撃だ。
大きく体勢を崩して地面に接触したのか、擦れるような音とともに、僅かだけ土煙が立ち昇る。
「やるじゃねーかよ、瞬……」
「スラッシュがお前を倒せなかったのと同じ理屈だ。応用させてもらったぜ」
あまりにも珍しい轟からの賞賛に、瞬は得意気に答えた。
このジュバも、スラッシュや霧島と同じく、筋金入りの理論重視型に分類されるパイロットだ。
三人とも、悪癖という名の個性で力押しをすることはなく、勝利までの道筋を徹頭徹尾理屈で舗装しようとする。
しかし、非効率的な立ち回りを極端なまでに嫌うせいで、選択肢を自身で狭めてしまうという弱点も併せ持つ。
どんな強力な攻撃も、超絶技巧も――――そうするとわかっていれば手の打ちようは幾らでもあるのだ。
他ならぬジュバにも、その手を食わされ、先程はソルゲイズを無駄撃ちさせてしまうことになった。
だが、今度は違う。
味方も被弾しかねないというイレギュラーを織り交ぜ、合理性を踏み越える。
「おかげで完全消滅が大嘘だっていう裏付けも取れた。見えなくなっても、ジュバは間違いなくそこにいる。事態が好転したわけじゃねえが、儲けもんだ」
「こんなことが……! こんな無能な子供如きに、ヴィグディスの加護を看破されるなど……!」
「もう無能とは言わせねえぞ、半端に賢しいともな!」
多少の運は絡んだが、しかし運以外の要素を全て排除して、ジュバの行動を限りなく限定させた末の結果。
計算づくで誘い込んだ自信があるからこそ、瞬は堂々と反論することができた。
そして――――
「今だ、やっちまえ轟!」
せっかくの好機をふいにするつもりは毛頭ない。
腰を据えて反撃体勢を整えるのは、あくまで次善の策。
首を取る機会があれば、積極的に狙っていくのがパイロットとしての正しい姿勢だ。
ジュバの計算をかき乱した、このタイミングで畳み掛けるべく、瞬はゲルトルートを変形させるためのグリップを握り込んだ。




