97_真里姉ととある母親の過去語り(終編)
夫がおらず行商を続けることは出来なくなり、そこで新しく見つけた仕事が酒場の給仕でした。
実際は見つけたというより、自分を売り込んだといった方が正しいですね。
その酒場は店主が料理人を兼ね美味しい料理を出すのですが、売り上げに頓着せず原価を意識していないせいか、店の経営は傾きかけていました。
これだと、当時の私は思ったものです。
何度も通い店主に私の考えを伝え、お店を立て直すまでお金は要らないことを条件に雇ってもらいましたが、結果が出るまでそう時間はかかりませんでした。
予め改善するところが分かっていましたからね。
安堵はしましたが驚きはなく、むしろ読み通りといったところでしょうか。
店の利益が増え、ようやく先の生活が見通せるようになった時に現れたのが、冒険者の方々でした。
最初は大人しかった彼らも、訪れる人の数が増えるにつれ、徐々に横暴な振る舞いが目立つようになったのです。
もちろん冒険者の方全員ではありませんでしたが、冒険者という括りで見られてしまうのも、ある意味仕方のないことかもしれません。
私達夫婦も、余所者という括りで見られていたくらいですから。
そんな中、私はある時お酒に酔った冒険者の方に乱暴されそうになりました。
夫への操を立てている私が思わず抵抗すると、その方は激怒し、殴られたと思った直後にはもう、私の意識は深く沈んでいたのです。
それからどれだけ時間が経ったのか分かりませんが、私は激痛によって目が覚めました。
いつの間にか私は家に運ばれていたようで、側で心配そうに私を見詰めるライルの目は、どこか辛そうで。
恐る恐る自分の左頬に手を伸ばすと、思ったよりもずっと手前で指先が頬に触れました。
そして指先から伝わる、その熱の高さ。
ライルが手渡してくれた器に入った水に映る自分の顔を見た時、私はそのあまりの変わりように言葉を失いました。
頬は大きめの林檎を埋め込んだかのように真っ赤に腫れ、腫れのせいで左目は殆ど塞がり、口も上手く動かせません。
ライルがお医者様から聞いた話によると、顔の骨が複雑に折れており、腫れが引いても後遺症が出るだろうとのことでした。
治すには高価なポーションが必要のようですが、そんなお金はありません。
未亡人となった私にお金を貸してくれる人は、この街にはいないでしょう。
店主は料理しか興味のない人ですから、そもそもお願いするだけ無駄です。
そしてお金を稼ぐにも、こんな顔になってしまっては……。
その時、私の心はとうとう折れてしまいました。
窓を閉め、暗い部屋に閉じこもり何日が過ぎたことでしょう。
ライルに心配をかける情けない母親ですが、その時はただただ悲しくて、泣いてばかりいました。
両親、そして夫を失っただけでなく、こんな……こんなにも耐え、なぜ生きなければならないのか。
ライルには決して言えないことですが、全てを捨てて楽になりたいと考えたこともあったのです。
そんなある日、ライルが遅い時間に帰ってきました。
満面の笑みを浮かべ、その手には小さな瓶が大事そうに握られていました。
それは以前ライルから聞いた高価なポーションで、見知らぬ冒険者の方が私のために無償で渡してくれたというではありませんか。
正直、私はその善意を素直に信じることが出来ませんでした。
ですが、同時にこうも考えたのです。
たとえ騙されていてこれが毒だったとしても、それはそれで……。
そんな酷く後ろ向きな考えで、私は手渡されたポーションを飲んだのです。
効果は、劇的でした。
塞がっていた左目の視界は元に戻り、口が自由に動きます。
そして頬の腫れは引き、痛みも嘘のように無くなりました。
呆然としている私に、水の入った器を持ってきてくれたライル。
思い切って覗き込んだそこに映る私の顔は、以前と同じものでした。
正確には、以前よりだいぶやつれてはいますが、怪我による影響はどこにも見えません。
知らないうちに、涙が溢れていました。
見ればライルも一緒に泣いて、笑っていました。
「母さん、これも貰ったんだ。一緒に食べよう!」
そう言って手渡された料理は見たことのない物でしたが、とても良い匂いがしていました。
それは思わずお腹が鳴るほどで、こんなにも空腹を覚えるなんて久しぶりです。
あの時食べた料理は、これまで生きてきた中で一番美味しかったと、今でも断言出来ます。
美味しいだけの料理なら、それこそ酒場の店主でも作れるでしょう。
ですが美味しいだけでなく、心まで温め、救ってくれるような料理に出会ったのは、初めてのことでした。
その時に私は知ったのです。
私を、私達家族を救ってくれた冒険者がマリアという方であることを……。
それからの私は安くてもとにかく仕事をしてお金を稼ぎ、ライルを育て、やがて国王陛下の命により、あの街を離れ王都へと移ったのです。
難民のように王都へ来た者が住む場所は、外街に用意されるのが普通でした。
私は外街の暮らしがどんなものか知っており、覚悟して王都を訪れたのですが、私達が案内されたのは外街ではなく、都街でした。
それだけでも驚きですが、当面の間生活に必要となるお金まで与えて頂いたのです。
マリアさんが高価なポーションや料理をライルに渡してくれたのは知っていましたが、私達が都街に住むことを許されたのもマリアさんのおかげだと、後になって知りました。
そして今は幼聖食堂で雇って頂き、一般的な都民の方よりも多くのお金を頂いています。
もはや返しきれない程の、恩。
マリアさんの髪を撫でながら、私はどうしたらこの方に恩返し出来るのか、そんなことを考えていました。
「んっ……」
ふと、マリアさんが仰向けの状態から寝返りをして、私の方に体を向けました。
「グオッ」
それに合わせたかのように、空牙さんが体の一部を持ち上げると、まるで坂を転がるようにくるんと一回転し、マリアさんの体が私の腕の中に収まったのです。
よほど気持ち良く眠っているのか、マリアさんが起きる気配はありません。
図らずもマリアさんを抱きかかえるような格好になりましたが、間近で見るマリアさんの寝姿、その顔立ち……。
どことなくお人好しだった父の面影と、閉じられていますが、母の優しい目が重なります。
そして心の広さと芯の強さは、夫に。
といっても、どれもマリアさんの方が比べ物にならない程、凄いのですけど。
ただこうしてマリアさんを抱いていると、娘を欲しがった夫の希望を叶えたような、そんな気持ちになります。
何もお返しすることの出来ない私ですが、マリアさん。
心の中で、マリアさんを娘のように想うことを、どうか許して下さい。
そして父さん、母さん、あなた。
私は今、幸せです。
マリアさんが、幸せにしてくれたのです。
だからこれからは、ライルだけでなくこの方も、マリアさんも見守って下さい。
幾百、幾千の情愛がマリアさんに届き、幸せへと導くよう、どうか、どうか……。
いつもお読み頂いている皆様、どうもありがとうございます。
「レイティア」の過去語り、これにて幕となります。予定の倍になりましたが、その分深く「レイティア」を描けたかなと。
今回新たに6件の感想を、13人の方から有り難い評価を、10人の方から嬉しくもお気に入りに登録頂けました。ありがとうございます。応援頂いたおかげで、次の幕間を描く、原動力となっています。
誤字脱字のご指摘はいつでも受け付けていますので、気になる点がありましたらご指摘の程、よろしくお願い致します。
よろしければブクマ、感想、レビューお待ちしています。また評価につきましては、
「小説家になろう 勝手にランキング。〜 今後とものんびりと、どうぞお付き合い下さいませ。」の↑に出ている☆をクリックして頂き、★に変えて頂けると大変嬉しいです。
次話は少し軽い話になるかもですが、さてどうなることやら。
今後とものんびりと、どうぞお付き合い下さいませ。