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元勇者だけど、たまに猫になる魔王とレストランをやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第5部:脱ぎ捨てた過去と、騒がしい日常の帰還

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第99話 『深夜の重奏と、一客のティーカップ』

 王都の職人街が深い眠りにつき、外の喧騒が完全に途絶えた深夜。一日の営業を終え、客が全て帰った『キッチン・ブラン』には、オレンジ色のランプが落とす柔らかな影と、静寂だけが満ちていた。


 厨房では、アルフレッドが明日のランチに向けての仕込みを続けていた。弱火にかけられた大鍋の中で、琥珀色に透き通った特製コンソメスープが、コト……コト……と微かな音を立てて煮詰まっている。

 立ち昇る湯気が、厨房を温かく、優しく甘い香りで包み込んでいた。


「……ようやく、落ち着きましたね」


 アルフレッドが灰汁を丁寧に掬い取りながら、静かに声を落とす。


「ふん。騒がしい一日だった」


 窓際の特等席。純白の燕尾服を纏ったディアボロが、目を閉じたまま短く応えた。昼間の喧騒など微塵も感じさせない、ただ静かな、彼らだけの時間がそこには流れている。

 スープの火を弱めたアルフレッドは、丁寧に手を洗い、清潔な布巾で指先まで拭ったあと、少しだけ照れくさそうにカウンターの下へと手を伸ばした。


「……マスター」


「なんだ」


「俺がずっとここで料理を作れる場所を作ってくれている、お礼です。……マスターが茶を飲む時に使ってほしくて。これ」


 アルフレッドがカウンターの上にそっと置いたのは、上質な白いリボンで包まれた、一つの小箱だった。

 ディアボロは、ゆっくりと目を開けた。その深紅の瞳が、置かれた小箱と、少し気恥ずかしそうに笑うアルフレッドの顔を交互に映す。


「……奇遇だな」


 ディアボロは静かに呟くと、懐から漆黒のベルベットに包まれた、同じくらいの大きさの箱を取り出し、アルフレッドの小箱の隣へと並べて置いた。


「我も貴様に、日頃の働きの労いとして、一つくれてやろうと思っていたところだ」


「え……俺に?」


 アルフレッドが目を丸くする。ディアボロがわざわざ自分のために、贈り物を用意するなど、予想もしていなかった。


「……開けてみろ」


 ディアボロの促しに、アルフレッドは慎重に漆黒の箱に手をかけた。ディアボロもまた、アルフレッドが差し出した白い包みを、長い指先で静かに解いていく。

 二人が同時に、箱の蓋を開けた。


「えっ……」

「なっ……!」


 店内に、息を呑む声が二つ、重なって響いた。

 二人の視線の先。それぞれの箱の中に鎮座していたのは、意匠から色合い、そのフォルムに至るまで、全く同じデザインの、一客のティーカップだった。

 透き通るような白磁をベースに、縁を深い夜空のようなブルーが彩り、そこに精緻で流麗な金糸の唐草模様が施されている。青と白の境界を分つ金色のラインは、まるで気高い双翼を思わせるほどに美しかった。


「貴様……! なぜ、我が選んだ至高の器と、全く同じものを……!」


 ディアボロが、信じられないものを見るような目でアルフレッドを凝視した。


「い、いや、俺だって驚いてますよ! 俺はただ、この深いブルーと金の意匠が、マスターの気高さに一番似合うと思って……」

「……我は、我が城の純白と、貴様のその無駄に白いコックコートに、この青と金が最も映えると計算して……っ」


 言葉が重なり、そして途切れる。

 数秒の、信じられないほどの沈黙。コンソメスープのコト……コト……という微かな音だけが、二人の間を繋いでいた。


 やがて。


「……っ、あはははっ!!」


 アルフレッドが、耐えきれずに吹き出した。肩を揺らし、腹を抱えて笑う。


「笑うな! 何がおかしい!」


「いや……だって、俺、マスターに似合うと思って選んだんですけど……マスターも、俺のためにこれを選んでくれたんですよね?」


 アルフレッドの群青の瞳が、心底嬉しそうに細められる。

 その真っ直ぐな言葉に、ディアボロはハッとして顔を背けた。銀髪の隙間から覗く耳の先が、誤魔化しようもないほどに真っ赤に染まっている。


「ち、違う! 我はただ、貴様がいつも不細工な器で茶を飲んでいるのが、視界の隅に入って不快だっただけで……!」


 早口で言い訳を並べる魔王の姿は、今のアルフレッドには、ただどうしようもなく不器用で無性に心を揺さぶるものにしか見えなかった。

 アルフレッドは笑いを収めると、箱から二つのカップを取り出し、丁寧に洗ったあと、カウンターの上に静かに並べた。


 白と青、そして金。全く同じ意匠の美しい器が二つ並ぶと、それは最初からそうなる運命だったかのように、完璧な調和を見せていた。


「……結果的に、ペアカップになっちゃいましたね」


 アルフレッドが、並んだカップを見つめて優しく微笑む。

 ディアボロは、そっぽを向いたまま答えなかった。だが、その口角は確実に、彼自身も気づかぬうちに、微かな弧を描いて上がっていた。


「……ぐるる」


 夜の静寂に、極めて微かな、深い喉鳴りが溶けていく。


「……ふん。悪くない」


 ディアボロは尊大に言い放つと、視線を外したまま、アルフレッドへ向けて顎をしゃくった。


「さっそく、これで茶を淹れろ。……我が選んだ器の真価を、試してやる」


「はいはい。マスター専用の『ブラン』、とびきり美味しく淹れますよ」


 アルフレッドは嬉しそうに笑い、湯を沸かし始めた。

 新しいペアカップに琥珀色の紅茶が注がれる、コポポポという静かで心地よい音。立ち昇る華やかな香りと湯気の向こうで、深く、穏やかな『キッチン・ブラン』の夜が、静かに更けていった。

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