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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第97話 『純白の双翼と、王の独占欲』

 王都の職人街を吹き抜ける風が、強くなった日差しを厨房まで運んでいた。

 そんな『キッチン・ブラン』の裏庭で、アルフレッドは物干し竿から取り込んだ漆黒のコックコートを広げる。


「……やっぱり、もうダメか」


 昨日までは、辛うじて形を保っていたはずだった。

 だが今、目の前にあるそれは、肩から背中にかけて致命的な裂け目が走り、無惨な状態になっていた。

 あの影ゴーレムとの激戦で負った深い傷に、日々のアルフレッドの力任せな洗濯が、とうとうコックコートに、最後の一線を越えさせてしまったらしい。


 アルフレッドは、指先でそのボロボロになった布地を軽く叩く。

 着慣れたコックコートを静かに見つめ、彼は小さくため息をついた。

 ――よく、ここまで持ちこたえてくれたな、と心の中で呟き、諦めるようにそれを丁寧に畳む。

 そのあと自室の棚にコックコートを大切にしまうと、その奥から予備の白シャツとエプロンを引っ張り出した。


 それからアルフレッドは厨房で、手早く火を起こす。

 フライパンに厚切りのベーコンを並べ、卵を手に取ると、コン、と縁で叩いて片手で割り落とした。


 ――ジュアアアッ!


 脂の弾ける激しい音と共に、食欲をそそるベーコンの香りが一気に立ち昇った。

 白身が熱を帯びて縁からチリチリと固まり、中央ではぷっくりとした黄身が艶やかに光る。


「……ふん。なんだその気の抜けた布切れは。我が城の美観を損なう気か」


 二階から下りてきたディアボロが、窓際の席へ向かう足を止めた。

 その視線は、アルフレッドを不愉快そうに睨んでいた。


「もう直せないぐらい破れちゃったんですよ。しばらくはこのままですね」


 フライパンの上はベーコンエッグが焼けたようで、蓋を開けると真っ白な蒸気がフワッと舞い上がる。

 アルフレッドは焼き上がったばかりの一皿を、ディアボロの前へ静かに置いた。


「……目障りだ」


 ディアボロはアルフレッドをさらに強く睨みつけた。

 だが、差し出されたベーコンエッグを食べるフォークの手は迷わない。とろりと溢れた黄身を厚切りベーコンに絡め、彼はあっという間に皿を空にした。


 食後、アルフレッドは温めておいたティーポットに茶葉を躍らせると、ふわりと広がる茶葉の香りがあたりに広がった。

 丁寧に蒸らされた黄金色の液体をカップに注いで、ディアボロの前へ差し出す。それを持ち、ゆっくりと香りを愉しんだディアボロが、視線をアルフレッドへと向ける。


 白いシャツ姿のアルフレッドを、ディアボロはしばらく無言で見つめた。

 漆黒の瞳が、何かを測るように細くなる。


「……貴様のその無様な装い、早急に作り直さねばならん」


 紅茶を最後まで飲み干すと、ディアボロは立ち上がった。

 チョークを手に取り、床へ視線を落とす。

 ディアボロの淀みのない軌跡が、複雑な幾何学的紋様を床に描き出していく。


 しばらくして、召喚陣を描き終えた彼はゆっくりと立ち上がり、不敵な笑みを浮かべて指をパチン、と鳴らした。


 バシュッ!!


 弾けるような音と、濃密な香水の香りが爆ぜる。紫の煙がモクモクと広がる中から、服飾師サルトルが派手に姿を現した。


「ああ! なんてこと! このむせ返るような獣の脂の匂いと、安っぽい生活臭! 私の繊細なインスピレーションが、油まみれでギトギトになっちゃうわ!」


「サルトル、こやつの無様な姿を、今すぐ上書きしろ」


「あらまあ、魔王様、相変わらずせっかちなんだから」


 そして、アルフレッドの白いシャツに目を留めた瞬間、彼のモノクルが鋭く光る。


「ちょっと、私が以前、魂を削って仕立てたあの漆黒のコックコートは? 私の情熱の結晶を、まさかその辺に脱ぎ捨ててきたんじゃないでしょうね!」


 アルフレッドの傍に近寄り、サルトルは一息に問い詰める。

 その勢いに押され、急いでアルフレッドは二階へ向かった。


「これです」


 アルフレッドは、どこか申し訳なさそうな面持ちで自室からコックコートを持ってきた。丁寧に畳まれてはいるが、差し出されたそれは、かつての漆黒の艶を失い、無惨な亀裂が大きく走っている。


 それを見た瞬間、サルトルは「ぎゃああああ!」と店内に響き渡る悲鳴を上げた。


「な、なんてこと! あんた、ちょっと見せてちょうだい!」


 サルトルはひったくるように服を奪い取ると、広げられた裂け目を凝視し、今にも泣き出しそうな顔で絶叫した。


「ひどいわ、ひどすぎる! いったいどれだけ酷使すればこうなるのよ! それに繊維が悲鳴を上げてるわ……もしかしてあなた、まさかまた、力任せに手洗いという名の虐殺をしちゃったの!?」


「あ、はい。汚れがひどかったので、ついガシガシと」


「信じられないわ! この野蛮人! 私の芸術に対する究極の冒涜よ! あなたのその暴力的な怪力でトドメを刺すなんて、もうこれじゃただのボロ雑巾じゃないの!」


 サルトルはわなわなと震えながら、ディアボロを振り返った。


「魔王様! こんな惨劇、もう二度と見たくないわ! 今すぐ、この野蛮な筋肉のキャンバスを、私の手で最高の一着へと塗り替えてあげるから……覚悟しなさい!」


 サルトルは一歩アルフレッドに歩み寄り、その肉体を舐めるように凝視した。


「……って、ちょっとお待ちなさい。あなた、以前よりさらに筋肉の密度を増してるじゃないの! 素晴らしいわ、これほどの『暴力的な美』、そうそうお目にかかれるものではないわよ!」


 サルトルは魔法のメジャーを蛇のように躍らせた。

 シュルシュルッと音を立てる金色のメジャーが、アルフレッドの二の腕や胸囲を次々と締め上げていく。

 アルフレッドは全てを諦め、その身をサルトルに任せることにした。


「サルトル」


 横から、ディアボロの低い声が響く。


「今度はどのような生地で仕立てるつもりなのだ?」


「任せなさい! 今度の生地は魔界の中でも最高級の硬度を誇る、真っ白な『金剛真珠織』を使うわよ! これなら、あんたの野蛮な洗濯にも、確実に耐えてみせるはずだから!!」


 サルトルがそう答えると、ディアボロは不機嫌そうに自分の漆黒の燕尾服を見下ろした。それから、白いシャツ姿のアルフレッドへと目を向ける。


「……純白、か」


 低く、独り言のように呟いたきり、ディアボロはしばらく黙った。

 サルトルも、何かを察したように口を噤む。


 その沈黙を破ったのは、ディアボロ自身だった。


「……ふん。ならば我も、その生地で正装を新調させるとしよう。我が城の『制服』として主たる我が、下僕と色を違えるなどあってはならぬことだからな」


 そのディアボロの言葉を聞いた瞬間、サルトルは目眩を起こしたかのようによろり、とよろめいた。


「……なんてこと。ま、魔王様が純白に染まるだなんて……。いいわね。素晴らしいわ! あまりの背徳感に目眩がしそうよ!」


「黙れ、サルトル。……我の気が変わらぬうちに、至急その『純白』を形にしろ」


「……わかったわ。それじゃあ……」


 手早くサルトルがディアボロのサイズを測り終えると、彼は大きく息を吸い気合いを入れた。その直後、魔法の鋏が虚空に躍り出る。

 シャキン、シャキン、と研ぎ澄まされた刃が何もない空間を走るたびに、金剛真珠織の布地が光の中に紡ぎ出される。純白の反物が滝のように広がり、銀糸が指の間をすり抜けながら、複雑な紋様を描いていく。

 サルトルの目は、今はただ衣のためだけに輝いていた。


「さあ、目覚めなさい! 私が贈る、至高の極光の衣を!」


 店内を純白と銀の光が満たし、その光がゆっくりと収まっていく。


 中心に立っていたディアボロを見て、アルフレッドは、思わず息を呑んだ。

 これまでの闇の衣を脱ぎ捨て、眩いほどの輝きを放つ純白をディアボロはきっちりと着こなしている。

 そして生地には、透き通るような銀糸の刺繍が繊細に、上品に施されている。


 同時に、アルフレッドもまた、導かれるようにディアボロの隣へと並び立っていた。彼が纏っているのは、同じく純白を基調とした特製のコックコート。

 肩から背中にかけて、以前の装いと同じ金糸の刺繍が、力強く刻まれている。


「白も、最高に似合ってますよ、マスター」


「……ふん。ようやく我が淹れさせた茶を運ぶに相応しい料理人になったな」


 アルフレッドが笑って紅茶を淹れ直す。その横にディアボロが並び立った瞬間。金糸の片翼と銀糸の片翼が重なり、一対の巨大な翼が広げられたような、眩いばかりの調和が生まれた。


 ディアボロは満足げに瞳を細め、カップを手に取った。


「……悪くない」


 彼はそう言いながら、わずかに顔を逸らす。

 銀髪の隙間から覗く耳の先端が、微かに赤らんでいた。

 アルフレッドは、そんなディアボロの気遣いに、そっと感謝しながら晴れた空を見上げ、胸いっぱいになった気持ちを息とともに、大きく吐き出した。

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