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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第3部:魔界の足音と、揺るがぬ白き城

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第69話 『孤独の玉座と、踏み込む料理人』

 魔界の中心。

 分厚い暗雲が空を覆い、永遠の夜を思わせていた。その大地に、見上げるほどの漆黒の王城がそびえ立っている。その最深部に位置する『玉座の間』は、底冷えのするような、息をすることさえ躊躇われるほどの重圧と静寂に満ちていた。


 広大な石造りの空間の奥。高くそびえる漆黒の玉座に、ディアボロがいた。

 黒銀の鎧と、血のように赤い深紅のマントを纏ったその姿は、万軍を統べ、この暗黒の世界を支配する絶対的な『魔王』そのものだった。


 だが、彼を見上げる数十名の旧貴族たちの視線は、決して恭順のそれではない。

 玉座の階段の下、一歩前に進み出た『理詰めの翁』が、手にした古木のような杖を、威圧的に石の床へと突き立てた。


「……若き王よ。問う」


 翁の低く、嗄れた声が、玉座の間に反響する。


「あなたは、人間界に傾倒しすぎている。魔界の玉座を長きにわたり空け、たかが一介の料理人などに心を奪われている。……それは、王として失格だ」


 周囲の貴族たちが、翁に続いてざわめき出した。


 玉座から数歩下がった位置に、ルシウスが算盤を抱えて控え、その隣には魔王代理ゼノンが立っている。いつもならこの重圧に胃を押さえてうずくまるはずのゼノンが、今日だけは違った。彼は歯を食いしばり、自身の胃痛など感じさせぬまま、背筋を伸ばし、胸を張って主君の姿を見守っている。


 ディアボロは、玉座に深く背を預けたまま、表情一つ変えない。ただ、膝に置かれた拳が、白くなるほど握りしめられていた。


 翁は、ディアボロを冷徹に見据え、言葉という刃を容赦なく突き立てる。


「先代魔王は、孤独であった」


 一歩、階段に近づく。


「誰にも心を許さず、誰にも頼らず、情を交えなかった。……ゆえに、一切の判断を誤らず、完璧な統治を行った。玉座とは、孤独を対価にして座るもの。誰の手も借りないことこそが、王の在り方だ。……あなたは、先代の偉大な統治を裏切っているのだ」


『先代』、そして、『孤独』という言葉。

 その瞬間、胸の奥底に封じ込めていた凄惨なまでの静寂の記憶が、冷たい刃となってディアボロの心を穿った。


 ――冷え切った、広すぎる寝室。

 白い天蓋が、独葬の帳のように重く垂れ下がっている。

 壁のように高く積まれた未決裁の書類の中心で、広い寝台に横たわる先代魔王。


 誰もいない。侍医も、側近も、家族すらも。

 先代は「完璧な王」であったがゆえに、他者を遠ざけ、誰も自分の弱る姿を見ることを許さなかったのだ。


 ひゅうひゅうという呼吸音だけが、広すぎる部屋に空しく反響していた。先代の白く痩せ細った手は、最期の瞬間、虚空を掴むように少しだけ開かれていた。

 誰かの手を、求めたのだ。そばにいてほしかったのだ。だが、孤独を貫いた王の手を握る者は、この世界のどこにもいなかった。


 やがてその手は力なく落ち、カサリと微かな音を立てて、他の誰にも看取られることなく、独りで、孤高の王のまま呼吸を止めた。


 ――その後の葬儀でも、漆黒の棺を囲む数万の魔族の中に、「悲しみ」は一滴も存在しなかった。誰も泣いていない。誰も愛さず、誰からも愛されなかった王の死を、心から悼む者はいなかった。


 皆、ただ儀礼的に頭を下げ、『完璧なシステムの一部』が機能停止したとしか見ていなかった。一個の存在として、これほど空虚な死はなかった。


 そして。

 葬儀の後、ディアボロが入った先代の書斎。

 主を失った冷たい机の上に残されていた、一通の書きかけの手紙。


『我は、間違えたのかもしれぬ』


 たった一行。そこで途切れた文字。羽根ペンは途中で止まったまま、インクは完全に乾ききっていた。



「……若き王よ」


 翁の声が、ディアボロの意識を現在へと引き戻す。


「先代の道を、継ぐべきだ」


 ディアボロは、ゆっくりと息を吸い込み、口を開いた。


「……先代は」


 だが、言葉が詰まった。

 あの途中で止まった無念の文字が、目の裏に焼き付いて、離れない。


(あいつがいれば、我は……)


 視線が虚空を彷徨う。深夜の厨房、オレンジ色のランプの下で自分を見上げていた、あの群青の瞳が脳裏をよぎる。


(いや、突き放したのだ。我の我儘で、あいつの温かい日常を壊すわけにはいかぬ)


 先代の味わった地獄のような孤独を思い出し、絶望に苛まれながらも、ディアボロはアルフレッドを守るために「王の呪い」を受け入れようと、拳をさらに強く握りしめる。


 重苦しい沈黙が、玉座の間に落ちている頃。分厚い扉の外、回廊の闇の中に、ルルの転移魔法で到達したアルフレッド、ギャレット、ルルの三人が音もなく立っていた。


 扉の向こうから漏れ出す、魔王と翁の凄まじい重圧。ここから先は、人間のアルフレッドが踏み込めば、命の保証はない絶対的な領域だ。

 だが、アルフレッドの群青の瞳に、一切の迷いはなかった。


 ギャレットは、そんなアルフレッドの背中をポンと軽く叩き、ニヤリと笑って静かに告げる。


「お前は行け、アル。……お前の、大事な『相棒』が待ってんだろ?」


 ルルも無表情のまま、小さく頷く。アルフレッドは二人に短く頷き返し、一人で重厚な扉に手をかけた。ギャレットとルルは、その背中を見送る。


 ――バンッ!!!!


 魔王の魔力にしか反応しないはずの、重厚な玉座の間の扉が開け放たれた。石造りの広大な空間に、轟音が響き渡る。ゆっくりと重い扉が閉まり、玉座の間に踏み込んできたのは、たった一人。


 黄金の髪と、揺るぎない群青の瞳。場違いな漆黒のコックコートを纏った、人間の料理人。アルフレッドは何も言わず、ただ真っ直ぐに、ディアボロの座る玉座へと向かって歩き出した。


「……貴様」


 ディアボロが、弾かれたように立ち上がった。その声の底が、微かに震えている。


「何故、ここに。……来るなと、言ったはずだ」


 アルフレッドは歩みを止めず、翁の横をすり抜け、玉座へと続く階段の前でピタリと止まった。ゆっくりと顔を上げ、群青の瞳が、微動だにせず立ち尽くす魔王の深紅の瞳を真っ直ぐに捉える。そして、短く、はっきりと、容赦なく言い切った。


「聞いてません」


「……っ」


 ディアボロは拳を強く握りしめた。だが、その深紅の瞳が、ほんの一瞬だけ、激しく揺れた。怒りなのか、安堵なのか。それを隠すように、彼は唇を強く噛んだ。


「……これが」


 そのやり取りを破ったのは、翁の氷のような声だった。翁はアルフレッドを冷酷な視線で値踏みし、吐き捨てるように言った。


「王を弱くする者か。……たかが人間風情が」


 周囲の貴族たちが、敵意を込めてざわめく。

 だが、アルフレッドは一切怯むことなく、翁の方へ向き直り、一歩、前に出た。


「弱くなったんじゃない」


「……何?」


「……選べるようになったんです」


 アルフレッドは、翁の正面に立ち、一切の気負いも、説明もなく、ただ純粋な事実だけをぶつけた。


「選択肢があるって、強いことですよ」


 完全だった孤高の王しか知らない翁の持論を、アルフレッドは自身の確固たる理論で真っ向から貫く。

 その言葉を聞いたディアボロは、ゆっくりと息を吐き、孤独の象徴である「玉座」から下りた。黒鋼の鎧を鳴らし、深紅のマントを揺らして、彼はアルフレッドの隣に立つ。


「翁よ。貴様の理屈は正しいが、古い。……先代は孤独であったがゆえに、完璧だった。だが、それゆえに『脆かった』のだ。揺らいだ時に、独りで倒れるしかなかった」


 ディアボロは、忌まわしい記憶を振り払うように、力強く断言する。


「我は知っている。先代が最期に何を後悔したかを。……孤独こそが、王を内側から崩す最大の『脆さ』だ」


 その時、ルシウスが静かに歩み出た。


「……その通りです。独りで背負う決断は、人を『弱く』する。……それだけは、計算では、救えません」


 そしてルシウスは、翁からディアボロへと向き直り、臣下として深く一礼する。その後ろで、痛みを噛み殺し、真っ直ぐに胸を張って彼らの言葉を聞き届けていたゼノンもまた、無言で、しかし誰よりも深く、主君へ敬意の礼を捧げた。


「……若き王は、それを終わらせました」


 ルシウスとゼノン、魔界の実務を支える二人の臣下が、魔王の家臣として、そのままディアボロの斜め後ろに静かに控える。


 右に料理人。左後ろに、二人の臣下。彼らの存在を背に受け、ディアボロが深紅のマントを翻し、アルフレッドの肩越しに視線を向けながら最終宣言を放つ。


「だからこそ、我は超える。孤独を、終わらせる」


 圧倒的な王の覇気が、玉座の間に吹き荒れる。

 翁は長い沈黙の後、静かに目を閉じた。


「……面白い」


 翁は目を開け、口角を上げた。


「ならば証明せよ。口先だけではなく、剣で。古式に則り、王権確認の決闘を所望する」


「……望むところだ」


 ディアボロはマントを翻し、即答する。


「だが条件がある。決闘場に、こいつの同席を許可しろ。戦わぬ。ただ、見届けるだけだ」


 翁は小さく笑い、短く応じた。


「……よかろう」


 一同は踵を返し、決闘場へ向かって歩き出す。重厚な扉が閉まり、後に残された玉座の間には再び静寂が戻った。


 だが、そこはもう、かつての冷たく悲惨な孤独の玉座の間ではなかった。

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