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元勇者の俺、魔王が経営するレストランで働くことになりました  作者: pakipaki
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場
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第6話 『毒舌の審判者と、魔王の折れない爪』

 王都の職人街に、その男が現れたという噂は瞬く間に広がった。

 名は、ジャン・ジャック。「舌先に神を宿し、言葉に悪魔を飼う」と称される、王都で最も恐れられている料理批評家だ。彼に酷評されれば、どんな名店も翌日には閑古鳥が鳴き、逆に称賛されれば、石ころにソースをかけただけの料理でも金貨が積み上がると言われている。


 そんな死神のような男が、あろうことか俺たちの店『キッチン・ブラン』の扉をくぐったのだ。


「なんだ、この鼻につく白さは。清潔を通り越して、まるで墓石の中にいるような気分だ」


 扉が開くなり放たれたのは、感謝の言葉でも挨拶でもなく、カミソリのように鋭い毒言だった。俺、アルフレッドは厨房でフライパンを握ったまま、嫌な汗が小麦色の腕を伝うのを感じた。


「いらっしゃいませ。お客様、お好きな席へどうぞ」


 俺は努めて穏やかに、勇者時代に培った鋼の精神で微笑みかけた。だが、俺の背後からは、それとは正反対の「死の冷気」が立ち昇っていた。


「アルフレッド。今、この下俗な人間は我が城を墓石と言ったか? 我が美学の結晶を、死体置き場と同列に扱ったというのか?」


 銀髪を完璧に結い上げ、漆黒の燕尾服を纏ったディアボロが、ルビーのような瞳を細めて男を睨みつけていた。彼の白い指先からは、今にも黒い爪が飛び出しそうなほど、魔力がパチパチと火花を散らしている。


「マスター、落ち着いてください。彼は有名な批評家です。ここで暴れたら、この店は物理的にも社会的にも消滅します。いいですか、絶対に手を出さないでくださいよ」


 俺は小声で釘を刺したが、魔王のプライドは既に沸点に達していた。

 一方、ジャン・ジャックはディアボロの威圧感に少しも怯むことなく、窓際の席にどっかと腰を下ろした。


「おい、給仕。この店で一番『マシ』な料理を持ってこい。どうせ素人の道楽だろうが、私の舌を少しは楽しませてみろ」


「……かしこまりました。本日のスペシャルメニュー、鴨のロースト・ベリーソース仕立てをご用意いたします」


 俺は厨房に戻り、火力を調整した。鴨肉の皮目をパリッと焼き上げ、肉汁を閉じ込める。ソースは、ディアボロが魔力で……いや、こだわりの配合で煮詰めた特製のベリーソースだ。味は完璧なはずだ。だが、問題は盛り付けだった。


「アルフレッド、どけ。仕上げは我が行う」


 ディアボロが俺を押し除け、ピンセットを手にした。彼は一ミリの狂いもなく、鴨肉を円状に並べ、その周囲にソースで複雑な魔法陣を描き始めた。さらには、食用花を散らし、銀粉を振りかけ、まるで博物館の展示品のような、食べるのを躊躇うほど豪華な皿を完成させた。


「これぞ、我が覇道の記憶を記した一皿だ。これを見て平伏せぬ人間などおらぬ」


「……マスター、これ、どこから食べればいいか分かりませんよ。まあいい、行ってください」


 ディアボロは勝ち誇った顔で、その芸術品のような皿をジャンの前に置いた。ジャンは眼鏡を掛け直し、皿をじっと見つめた。数秒の沈黙の後、彼は鼻で笑った。


「悪趣味だな。料理とは口に運ぶものであって、画廊に飾るものではない。この盛り付けからは、料理人の傲慢さと、客への配慮の欠如しか感じられない。まるで、檻の中の猛獣が自分の縄張りを主張しているような、浅ましい自己顕示欲の塊にしか見えぬな」


 パリンッ、という音が厨房に響いた。ディアボロが近くにあったワイングラスを握りつぶした音だ。


「貴様……。今、我の美学を浅ましいと言ったか? 貴様のような一介の人間が、我が魂の造形を嘲笑うのか!」


「事実を言ったまでだ。中身のない飾りほど、見るに堪えないものはない」


 ジャンは平然と言い放ち、ようやくナイフを入れた。一口、肉を噛み締める。彼の表情が一瞬だけ動いたのを、俺は見逃さなかった。だが、彼から出た言葉は、さらに残酷なものだった。


「肉の火入れは悪くない。だが、このソース。甘さが独りよがりだ。まるで、力こそが全てだと信じている愚か者が、暴力的に味覚をねじ伏せようとしている。繊細さのかけらもない、野蛮な味だ」


「殺す。この男だけは、今すぐ魔界の深淵に叩き落としてやる。爪が出るぞ! もう出ているぞ!」


 ディアボロの指先から、黒く鋭い爪がシャキッと突き出た。燕尾服の下で、彼の魔力が荒れ狂い、店内の温度が急激に下がり始める。


「マスター! やめてください!」


 俺は厨房から飛び出し、ディアボロの腕を背後から羽交い締めにし。小麦色の腕に力を込め、暴れ狂う魔王を必死に抑え込む。


「放せ、アルフレッド! 我が誇りを汚したこの男を、一分子も残さず消し去ってくれる!」


「ダメです! 客を消したら、それはもうレストランじゃなくて魔王城に戻っちゃいます! 俺に任せてください!」


 俺はディアボロを強引に厨房へ押し戻し、ジャンの前に立った。彼は不敵な笑みを浮かべ、ナプキンで口を拭っていた。


「おやおや、オーナーは随分と血の気が多いようだ。だが、味に納得がいかないのは事実だ。これでは、星一つどころか、看板を出す価値もないな」


 俺は怒りを飲み込み、深く頭を下げた。勇者として戦っていた頃、俺は最強の敵を倒すためには、力ではなく「心」を知る必要があると学んだ。この批評家が求めているのは、魔王の威厳ではなく、一人の料理人としての「誠実さ」だ。


「お客様、失礼いたしました。先程の皿は、当店のオーナーのこだわりが強すぎたようです。もしよろしければ、最後にもう一皿だけ、俺に作らせていただけませんか? 代金はいただきません。それで納得がいかなければ、どんな酷評を書いていただいても構いません」


 ジャンは興味深げに片眉を上げた。


「ほう。下僕が主人を差し置いて、一皿作ると。面白い、受けて立とう。だが、期待はしないでおくぞ」


 俺は厨房に戻った。そこには、隅っこで膝を抱え、銀髪を振り乱して「我のソースが野蛮だと……」「我が美学が中身なしだと……」とブツブツ呟いている、完全に自信を喪失した魔王がいた。


「マスター、いつまで凹んでるんですか。見ててください。あんたのソースが最高だってことを、俺が証明して見せますから」


「アルフレッド……。貴様、何を作る気だ」


「普通の、家庭料理ですよ」


 俺が作ったのは、シンプルなオムライスだった。ただし、卵は極限までふわふわに仕上げ、その中に閉じ込めるライスには、ディアボロが作ったあの「野蛮」なベリーソースを隠し味として少しだけ入れた。そして、上からかけるのは、飾り気のないデミグラスソース。見た目は、どこにでもある町の食堂のそれだ。


 俺はその皿を、ジャンの前に置いた。


「なんだ、この平民の食べ物は。私を馬鹿にしているのか?」


「いいえ。食べてみてください。それが、俺たちの店の本当の味です」


 ジャンは疑わしげにスプーンを入れ、一口食べた。その瞬間、彼の動きが止まった。数秒、数十秒。彼は無言で、次から次へとスプーンを動かし、皿を空にしていった。


「……信じられん。この調和はなんだ。力強いベリーの酸味が、卵の甘みとライスの旨味を完璧に引き立てている。先程の皿では凶器だったソースが、ここでは最高の助演者になっている。……お前、このソースの正体を分かって使っているのか?」


「ええ。俺のマスターが、一分子の妥協もなく作り上げた、最高にパッションの詰まったソースですから」


 俺がそう言うと、厨房の影で聞き耳を立てていたディアボロが、バッと飛び出してきた。


「聞いたか! 貴様、今、我がソースを最高と言ったな! 跪いて賛美するが良い!」


「……オーナー、お前は相変わらずうるさい男だ。だが、お前の下僕……いや、料理人は、お前の『過剰な力』を使いこなす術を知っているようだな。……不本意だが、この味は認めざるを得ない」


 ジャンは立ち上がり、帽子を被った。


「今回の評価は保留だ。だが、また来させてもらう。その傲慢なソースが、いつまでこの男に手なずけられているかを見届けるためにな」


 ジャンは嵐のように去っていった。店内に沈黙が戻り、俺は安堵のあまりカウンターに突っ伏した。


「……終わった。死ぬかと思った……」


「アルフレッド。よくやった。我のソースの真価を知らしめた功績、褒めて遣わす。さあ、我を褒めろ。我がソースが世界一だと認めろ」


「はいはい、世界一ですよ。でも、マスター。次からは盛り付け、もう少しシンプルにしてくださいね。じゃないと、また俺が尻拭いをする羽目になりますから」


 ディアボロは不満げに鼻を鳴らしたが、その瞳はどこか満足げに輝いていた。彼は窓際の定位置に座り、月明かりの下で自分の白い手を見つめていた。そこには、もう鋭い爪など少しも残っていなかった。


 ホワイトな職場の、不条理な一日。俺の小麦色の腕は、明日もまた、このわがままな魔王の「力」を美味しい一皿に変えるために動き続けるのだろう。俺は小さく笑い、明日への準備を始めた。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

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