第51話 『騎士の決別と、静かなる反逆』
王都の中央広場は、異様な静寂と、張り詰めた緊張感に包まれていた。普段なら王都民の憩いの場である噴水広場が、今は処刑場のような様相を呈している。
その中心に立っているのは、深紅のローブを纏った大賢者エリアーナだ。彼女の周囲には、逃げ遅れた数十人の王都民が震えながら身を寄せ合っている。
そして、それを取り囲むように、黒い装備に身を包んだ『掃除屋』たちが、無機質な殺意をエリアーナに向けていた。
「……卑怯な手を使うわね。王都民を盾にするなんて」
エリアーナがギリリと歯を噛みしめる。彼女の首筋にある亀裂が、怒りで激しく発光している。だが、彼女は魔法を放てない。彼女の得意とする広域殲滅魔法を使えば、守るべき王都民ごと吹き飛ばしてしまうからだ。
「効率的な判断だ、対象A」
包囲網の指揮を執るハウンドが、感情のない声で告げた。
「貴様の魔力出力と攻撃範囲は計算済みだ。王都民を半径5メートル以内に配置することで、貴様の無力化率は98%に達する」
「……人を数値で判断するつもり? ずいぶんと浅いわね」
エリアーナは杖を構えるが、その手は震えていた。魔法という武器を封じられた彼女は、ただの無力な女性に過ぎない。
その光景を、広場の外縁から見下ろす集団がいた。
王立聖騎士団。王都の治安を守るべき彼らが、一歩も動かずに整列している。その先頭で、ガイルは拳から血が滲むほど強く握りしめていた。
「……なぜだ。なぜ、動かない!」
ガイルの喉から、獣のような唸り声が漏れる。彼の隣には、あの日と同じ宰相補佐官が涼しい顔で立っていた。
「命令をお忘れですか、団長。『静観せよ』です。あれは治安維持局の管轄案件。暴走する旧時代の遺物を処理するための、必要な措置です」
「王都民が巻き込まれているんだぞ! あれを守るのが騎士の務めだろう!」
「彼ら、王都民は『協力者』です。国家の安寧のために、多少のリスクを負うことは義務でもあります」
補佐官の言葉は、あまりに冷徹で、そして決定的に間違っていた。ガイルの中で、何かがプツンと切れる音がした。
脳裏に浮かぶのは、あの路地裏のレストラン。
布巾を被ったあの男の、呆れるほど善良な言葉。『ガイルさんは真面目すぎますよ。お腹が減ったら食べる。守りたかったら守る。……正義って、本当はそういうシンプルなものでいいんじゃないですか?』
そして、かつて背中を預けた親友の笑顔。『ガイル。迷ったら、自分の心に従え。それが正義ってもんだろ?』
「……ああ、そうだ。私は間違っていた」
ガイルはゆっくりと、腰の剣に手をかけた。彼は組織を守りたかったのではない。国という仕組みを守りたかったわけでもない。ただ、目の前の誰かが泣いているなら剣を抜く。それが、彼が憧れ、目指した「騎士」だったはずだ。
ガイルは兜を脱ぎ、石畳の上に落とした。ガシャン、という重い音が、周囲の騎士たちの視線を集める。
「……団長?」
部下のレオナルドが不安げに声をかける。ガイルは補佐官を見据え、静かに告げた。
「私は、今この瞬間をもって、聖騎士団長の職を辞する」
「……は? 何を言って」
「今の私は、組織の歯車ではない。ただの一人の騎士だ。……故に、目の前の不義を見過ごすわけにはいかん!」
ガイルは剣を抜き放ち、咆哮した。
「騎士ガイル、これより推して参る!!」
命令違反。国家反逆。全てのキャリアと地位をドブに捨てる行為。
だが、ガイルの迷いは晴れていた。彼は単騎、黒い包囲網へと突撃した。
「なっ、馬鹿な! 止めろ! 殺しても構わん!」
補佐官の悲鳴のような命令が響くが、部下の騎士たちは動けなかった。彼らもまた、今の状況に疑問を抱いていたからだ。
そして何より、団長の背中があまりに眩しかったからだ。
「おおおおおおっ!」
ガイルの剣が閃き、『掃除屋』の一人を吹き飛ばす。黄金の甲冑が陽光を反射し、絶望に沈んでいた広場に希望の光をもたらす。
「ガイル!?」
エリアーナが驚愕の声を上げる。ガイルは彼女の前に立ちはだかり、飛来するワイヤーを剣で叩き落とした。
「遅くなり申し訳ありません、エリアーナ殿! ここは私が食い止めます! 貴女は王都民を連れて退避を!」
「馬鹿ね! あんた一人で勝てる相手じゃないわよ!」
「勝てなくとも! 守ることはできる!」
ガイルは剣を振るう。
その剣技は正統派にして剛直。聖騎士団長の名に恥じぬ強さだ。だが、相手が悪すぎた。
「……イレギュラー発生。対象C、ガイル。……処理対象に追加」
ハウンドが、無感情にガイルの前に立ちはだかった。大男は、武器すら持っていなかった。ただの素手。それだけで、圧倒的な絶望感を放っている。
「どけぇぇぇッ!」
ガイルが渾身の突きを放つ。岩をも砕く必殺の一撃。だが、ハウンドはそれを避ける素振りすら見せず、胸板で受け止めた。
ガィィィン!!
金属音が響き、ガイルの手首に激痛が走る。剣が通らない。皮膚が、鎧以上に硬い。
「……剣圧、速度、踏み込み。全て想定の範囲内だ。……旧式の正統派、だな」
ハウンドが腕を振るう。ただの裏拳。
それだけで、ガイルの体はボールのように吹き飛ばされ、広場の石壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
黄金の鎧がひしゃげ、ガイルは血を吐いて崩れ落ちる。圧倒的だった。技も、気迫も、全てが「数値」という暴力の前に無力化される。
「騎士団長といえど、所詮は旧式の規格。……勇者がいない今、貴様はただの『的』だ」
ハウンドが冷徹に歩み寄る。ガイルは震える足で立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
(……くそっ。私は、アルフレッドにはなれないのか……)
視界が霞む。
勇者なら、こんな時どうしただろうか。きっと、颯爽と現れて、こんな理不尽な暴力など笑い飛ばしてくれたはずだ。
だが、彼はもういない。
ハウンドが、無造作にガイルの首を掴み上げ、宙に吊るした。
「終わりだ。……見せしめとして、ここで処刑する」
ハウンドの手刀が、処刑の刃となって振り上げられる。
エリアーナが叫び、王都民が悲鳴を上げる。聖騎士たちが動こうとするが、『掃除屋』たちのボウガンが彼らを牽制する。
誰も、助けに来ない。絶望が、広場を支配した。
ガイルは薄れゆく意識の中で、あの店のカウンターを思い出していた。
不格好に布巾を被った店員。不機嫌なオーナー。あそこには、自分が確かに守りたかった日常があった。
(……すまない、店員殿。……また、ハンバーグを食べたかったな……)
ガイルが覚悟を決め、目を閉じたその時だった。
ヒュンッ!!
鋭い風切り音が、処刑の空気を切り裂いた。次の瞬間、ガイルに振り下ろされようとしていたハウンドの腕が、見えない衝撃に弾かれて大きく軌道を逸らした。
ガィィィン!!
硬質な音と共に、火花が散る。
ハウンドが体勢を崩し、その視線の先――ガイルの斜め後ろの石畳に、銀色の何かが深々と突き刺さっていた。
それは、一本の「銀のフォーク」だった。硬い石畳をバターのように貫き、柄の部分まで埋没して、まだキーンと高い音を立てて微動している。
「……誰だ」
ハウンドが、初めて警戒の色を浮かべて顔を上げた。
ただの食器を、攻城兵器のごとき威力で投擲する技量。投げた者が、ただの王都民であるはずがない。
静寂。全ての視線が、フォークの飛んできた方角――路地裏の入り口へと向けられた。
そこには、一人の男が立っていた。漆黒のコックコートを風になびかせ、しかしその顔は、真っ白な布巾で隠されている。
「……随分と、騒がしいランチタイムだな」
その声は、震えていなかった。隠れるための布巾ではない。今、その男は、何かを終わらせるために、静かにそこに立っていた。
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