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元勇者だけど、たまに猫になる魔王とレストランをやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場

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第3話 『不敬な聖騎士と、震える勇者の隠蔽工作』

 職人街の喧騒から少し離れた路地裏。そこに、『キッチン・ブラン』はある。今日のアルフレッドの精神状態は、煤けたレンガよりも黒く澱んでいた。

 レストランの開店直後。厨房には、地響きのような低い声が響いていた。


「アルフレッド! なぜ今日の主菜が、このような軟弱な麺料理なのだ。我は昨夜、大洋の底に眠る古代龍の髭を、雷撃で焼き払って供するように命じたはずだぞ!」


 銀髪を後頭部できっちりと結び、漆黒の燕尾服を翻して憤慨しているのは、わがままなオーナーであるディアボロだ。身長二メートル近い身体から放たれる威圧感は、魂の芯まで凍りつかせるほどに鋭い。

 彼は深紅の瞳をギラつかせ、磁器のように白い指先で、漆黒のソースが絡まったパスタを突きつけてきた。


「マスター、いい加減にしてください。古代龍なんてお伽話の生き物ですし、雷撃で調理したら店が火事になります。これは普通の、美味しいイカスミのパスタです。職人さんたちに大人気なんですよ」


 アルフレッドは腕を組み、魔王の視線を真っ向から跳ね返した。勇者として培った精神力は、今や魔王の理不尽を人間界の常識で論破するために消費されている。


「ふん、下僕の分際で我に意見するか! 貴様は我が手足となり、我が望む至高の一皿を具現化すべき従者であろう!」

「従者ではなく、従業員です。いいから、大人しくそのパスタを運んでください。早くしないと、今日のおやつに用意した特製プリンは俺が全部食べますよ」

「な……我を甘味で釣るか! どこまで不遜な勇者だ!」


 ディアボロは屈辱に震え、白く長い指先から鋭い黒い爪をシャキッと突き出した。


「ほらもう、また爪が出てますよ。お皿に傷がつくから引っ込めて。さ、お客様がいらっしゃいましたよ」


 アルフレッドが指摘すると、ディアボロは渋々爪を引っ込めた。

 その時、入り口の真鍮のベルが涼やかな音を立てた。だが、その音と共に、店内に踏み込んできた重い足音に、アルフレッドの心臓は凍り付いた。


 ガシャン、ガシャンという、重厚な金属の擦れる音。それは王都の治安を司る、騎士団の鎧が発する特有の音だ。


 アルフレッドは顔を上げず、まな板に向かって包丁を動かし、話しかけられないような体勢を取る。彼の視線の端に映ったのは、輝く金色の甲冑を纏った、見覚えがありすぎる大男の姿だった。


「ほう。ここが最近噂になっている店か。実に静謐な空間だな、レオナルド」


 最悪だ。


 大声で部下に声をかけたその男は、かつて共に魔王軍の幹部を討伐した、王宮聖騎士団長のガイルだった。

 彼はアルフレッドの顔をよく知っている。

 幼い頃からともに育ち、魔族の幹部を討伐したときには三日三晩酒を酌み交わした、無二の親友と言っていい男だ。自分が今、魔王の下で働いていることがバレれば、勇者としての名声は地に落ちるどころか、国家反逆罪に問われかねない。


 アルフレッドはとっさに、厨房にあった予備の大きな白い布巾を頭から被った。


「アルフレッド、何をしている。貴様、ついに調理の魔力に当てられて気が狂ったのか」


 ディアボロが背後から低い声で問いかけてくる。


「しっ、静かに! マスター、いいですか、今日だけは俺をフルネームで呼ばず、アルと呼んでください。あと、俺の顔を客に見せないように、あんたのデカい体で隠しててください!」

「我に盾になれと? 貴様、この魔王ディアボロを……」

「いいから! まかないのプリン、俺が全部食いますよ!」


 アルフレッドはディアボロの燕尾服の裾を必死に引っ張り、彼を盾にしながらカウンター越しに声を張り上げた。


「……いらっしゃいませ! 注文は、あちらの黒板を見て勝手に決めてください!」


「む? 店員さん、随分と独創的なスタイルだな。布巾を被っているのか?」


 ガイルが怪訝そうな声を出し、カウンターの方へ歩み寄ってくる。

 アルフレッドはディアボロの広い背中に隠れるように身を潜め、自身の引き締まった背中が冷や汗で濡れるのを感じながら、深々と頭を下げた。


「あっ、このスタイルですか? 今、俺は修行中なもので! 料理の香りを一分子も逃さないための、伝統的なスタイルです! さあ、ご注文を!」

「ふむ、まあ良いだろう。……では、その暗黒のパスタを二つ。それにしても、そこの主人は随分と気高い雰囲気だが、王族の方なのだろうか?」


 ガイルがディアボロを指差す。ディアボロは腕を組み、深紅の瞳でガイルたちを冷酷に見下ろしていた。彼は人間、特に聖騎士という存在を心底嫌っているらしく、指先からは、今にも黒い爪が飛び出しそうな不穏な気配が漂っていた。


「こちらは、ただのレストランのオーナーです。少し気難しくて、言葉足らずなだけですので、どうかお気になさらず!」


 アルフレッドは必死にディアボロを厨房の奥へ押し戻そうとした。だが、ディアボロは動かない。むしろ、ガイルの放つ聖なる覇気に当てられ、とうとう闘争本能に火がついてしまったようだ。


「アル……何とかと言ったか。貴様、なぜこの男に怯える。我が城に、あのような下俗な金属の塊を招き入れるなど、屈辱の極みだ。我自ら、あやつを塵にして……」

「余計なことを言わないで! 塵にするのは皿の上の汚れだけにしてください!」


 アルフレッドはディアボロを厨房の奥へ引きずり込み、必死にフライパンに向き合った。調理が進む中、ディアボロはアルフレッドの背後でずっと喉の奥から「ぐるる……」と、低く地響きのような唸り声を漏らしていた。不機嫌さと苛立ちが混ざり合ったその音のおかげで、厨房内の空気がひりついていた。


「アルフレッド、あの聖騎士の笑い声が耳障りだ。毒を入れろ。一滴で即死するような強力な毒薬を……」

「入れるわけないでしょう! それに名前を呼ぶなって言ったばかりじゃないですか!」

「ふん、我に貴様の名を呼ぶなと命じる権利があるとでも? ……気に食わない料理が仕上がったのだな。貴様がそのような醜態のままというのなら、仕方ない。我自ら運んでやろう」


 ディアボロはアルフレッドから皿を奪い取ると、銀髪を翻してフロアへと出て行った。


「お待たせしたな。これぞ我の不興を買いし『暗黒の糸』だ。心して食すが良い、人間の戦士よ」


 ディアボロが低い声を響かせ、ガイルの前に皿を置いた。その彼の姿をまじまじと見たガイルの手が止まった。


「オーナー。失礼だが、あなたの顔、そしてその話し方。どこかで見覚えがあるような気がしてならない」

「ふん。貴様のような凡夫が我をどこで見かけたと? 我が住まう場所は、貴様らが夢に見ることも叶わぬ高みだぞ」


 ディアボロは勝ち誇ったように笑うが、それは彼の正体をバラしているようなものだ。アルフレッドはいても立ってもいられず、布巾を深く被り直し、フロアへと飛び出した。


「お味はいかがでしょうか! 本日は特別に、デザートをサービスいたしますので、ゆっくり召し上がってください!」

「店員殿。君の声も私の知っている男の声にそっくりなんだが」


 ガイルが立ち上がり、アルフレッドの肩を掴もうとした。アルフレッドはとっさに身を翻し、ディアボロの背後に隠れる。


「他人の空似です! 私は生まれも育ちもこの路地裏で、勇者なんて見たことも聞いたこともありません!」

「誰も勇者の話などしていないが?」


 ガイルの瞳に疑惑の色が濃くなる。アルフレッドの隠せない小麦色の腕が震えているのを見て、彼はさらに一歩踏み込んできた。


「その腕の筋肉、ただの料理人ではないな。見せてくれないか、その被り物の下を」


 ガイルの手が、アルフレッドの腕を掴みかける。


「断る! 我が下僕の素顔を拝めるのは我だけだ! 下俗な男の分際で、これ以上我が所有物に触れることは許さぬ!」


 ディアボロが、伸びてきたガイルの腕をガシッと掴み、力任せに弾き飛ばした。その際、感情が昂ぶったのか、彼の指先からシャキッと黒い爪が飛び出し、ガイルの金色の甲冑を僅かに掠めた。


「この爪。そしてこの冷気。まさか……」


 ガイルの表情が険しくなる。アルフレッドはそのガイルの様子を見て、心臓が口から飛び出しそうになりながら、ディアボロの腕を引っ張った。


「あはは! 面白い冗談ですね! うちのマスター、実は猫の呪いにかかっているんです! ほら、喉からぐるぐると音がするでしょう?」


 アルフレッドがディアボロを拘束しつつ、彼の首筋を必死に撫でると、彼は屈辱に震えながらも「ぐるぐる」と音を漏らした。

 ガイルは呆然とした顔で、ディアボロと、布巾を被ったアルフレッドを交互に見つめた。


「猫の、呪いだと?」

「そうなんです! だからどうかそっとしておいてください! はい、お会計! ありがとうございました!」


 アルフレッドは半ば強引にガイルたちを店から必死に押し出した。

 扉が閉まった瞬間、彼は床に崩れ落ち、被っていた布巾を投げ捨てた。


「死ぬかと思った。もう、寿命が百年縮まった……」


 アルフレッドのヘタった様子を見て、ディアボロが彼の前に仁王立ちする。


「……アルフレッド。なぜあのような下俗な男に頭を下げる」

「あんたのせいです、全部! あの爪、完全に見られてましたよ!」


 ディアボロは泣きそうなアルフレッドを見て、不服そうに窓際の席へ戻ると、いつものように太陽の光を浴び始めた。彼の喉の奥からは、騎士がいなくなって落ち着いたのか不器用な「ぐるぐる……」という音が漏れる。


「ふん。我が料理の前に、聖騎士など無力。次に来た時は、更に威圧して逃げ帰らせてやるわ」

「だったら、もう二度と来るなと祈ってください!」


 こうしてアルフレッドの胃に穴が開きそうな一日は終わった。アルフレッドは陽に焼けた精悍な腕を震わせ、明日の準備へ向けて包丁を握り直した。

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