第21話 『縮んだ誇りと、小さき王の特等席』
連休なので、22日と23日は毎日2話づつ更新予定です。(8時、22時)
よろしくお願いします。
※22日2話目
王都の職人街に、平和な朝が戻ってきた。昨日の凍てつく闇が嘘のように、路地裏の突き当たりにある『キッチン・ブラン』には、柔らかい陽光が差し込んでいる。
だが、その平和な空気の中で、俺、アルフレッドは、物干し竿から取り込んだ「あるもの」を見て、冷や汗を流していた。
「……あれ。こんなに、小さかったっけ」
俺は小麦色の腕を伸ばし、パリパリに乾いた燕尾服を広げた。魔界の太陽をねじ伏せた、あの誇り高き漆黒の装束。昨日の激闘で煤まみれになったのを見て、俺は「洗濯しておきますよ」と請け負った。そして、勇者の頃からの習慣で、大きなタライに石鹸をたっぷりぶち込み、小麦色の肌を汗で光らせながら、ガシガシと力任せに揉み洗いをしたのだ。魔界の高級繊維『黒炎シルク』が、人間界の石鹸と、俺の怪力による物理攻撃にどれほど弱いか、当時の俺は知る由もなかった。
その結果、俺の手に収まっているのは、どう見ても五歳児が着るような、可愛らしいサイズの燕尾服だった。
「…………ま、まあ、着てみれば意外と伸びるかもしれないし」
自分でも無理があると分かっている言い訳を口にした、その時だった。
「アルフレッド。我の服はどこだ。いつまで裸でいさせる気だ」
背後から、低く、尊大な声が響いた。振り返れば、いつものように銀髪を乱したディアボロが、寝巻きの薄いガウンを羽織っただけで立っていた。その瞳は、俺の手にある「黒い布の塊」を不審げに睨みつけている。
「あ、マスター。おはようございます。あの、これ、洗濯が終わったんですけど……」
俺は、意を決して、縮み上がった燕尾服を広げて見せた。ディアボロの真紅の瞳が、点になった。沈黙。路地裏を通り抜ける風の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「…………それは、何だ。我が着るものの予備か?」
「いえ、昨日マスターが着ていた、本物です」
「……貴様。我が、いつの間に小人族の王になったというのだ」
ディアボロの声が、怒りで低く震え始めた。彼はひょいと俺の手から燕尾服を奪い取ろうとしたが、指一本分しかない袖口を見て、再び絶句した。魔王のプライドが、音を立てて崩れていくのが分かった。
「すみません! 俺が良かれと思って、ちょっと力いっぱい洗っちゃって。ほら、魔界の汚れって頑固そうだったから」
「ちょっとだと!? 貴様のその小麦色の腕は、服を圧縮する魔法でもかかっているのか! これでは、腕を通すことすらできん!」
ディアボロは、その小さな燕尾服を掲げ、わなわなと震えていた。だが、彼は魔王だ。代わりの服など人間界にはない。かと言って、このまま裸に近い姿で店に出るなど、彼の矜持が許さないはずだ。
「ふん……。よかろう。服が我に合わせぬというのなら、我が服に合わせてやろうではないか」
「え? どういう意味です、マスター」
俺が言い切る前に、店内が激しい魔力の渦に包まれた。銀色の光が溢れ、俺は思わず小麦色の腕で顔を覆った。光が収まった時、そこにいたのは。
「…………マスター?」
俺の足元、ぶかぶかの寝巻きの山の中から、一人の子供が這い出してきた。透き通るような白い肌、大きな宝石のような真紅の瞳、そして背中まで流れる美しい銀髪。どこからどう見ても、五歳くらいの、息を呑むほどに美しい幼子だった。だが、その幼子は、俺を見上げて不遜に鼻を鳴らした。
「アルフレッド、目線が高いぞ。跪け」
声は高い。鈴を転がすような愛らしい声だ。だが、その喋り方は、間違いなく目の前の「ちびディアボロ」が、あの魔王であることを示していた。
「な、なんですかその姿……! 服に合わせて縮むなんて、魔力の無駄遣いにもほどがありますよ!」
「黙れ! 我の燕尾服こそが王の正装。これを着ぬまま接客するなど、魔王の威厳に関わる。……ほら、貴様。さっさと着せろ」
ちびディアボロは、短い腕を左右に広げ、俺に命じた。俺は唖然としながらも、しゃがみ込んで、彼に燕尾服を着せ始めた。小麦色の大きな手が、子供の小さな体に触れる。驚くほど肌が柔らかくて温かい。
そして縮んだ燕尾服は、今の彼には驚くほどジャストサイズだった。
「……よし。完璧だ。これで我の威厳は保たれたな」
ちびディアボロは、ちんまりとした燕尾服の襟を正し、満足げに頷いた。だが、どう見ても可愛らしいお人形さんにしか見えない。俺は、吹き出しそうになるのを必死に堪え、あるものを手にとった。
「マスター。せっかく綺麗になった服を汚しちゃいけませんからね。これも着てください」
「む……? なんだ、その布切れは」
俺は、自分の予備のエプロンを、ちびディアボロの首にひっかけた。大人用のエプロンは、幼児化した彼にはあまりに長く、足首まで隠してしまった。背中でリボン結びにしてやると、そこには『世界一偉そうな新人店員』が誕生した。
「よし、これで完璧です! さあ、開店準備をしましょうか、マスター」
「ふん……。歩きにくいな、この布は。……おい、アルフレッド! 貴様、どこを触っている!」
俺は、あまりの可愛さに耐えきれず、小麦色の腕を伸ばして、ちびディアボロをヒョイと抱き上げてしまった。脇の下に手を入れて持ち上げると、彼は足をバタバタさせて抗議した。
「下ろせ! 無礼者! 我を物のように運ぶな!」
「いいじゃないですか。その短い足じゃ、カウンターまで歩くのに日が暮れちゃいますよ」
俺は彼を抱えたまま、厨房へと運んだ。腕の中に収まる重みは、いつものマスターとは違うけれど、その不機嫌そうな態度だけは本物だった。
その時、店の扉が勢いよく開いた。
「おーっす! アルフレッド、昨日の騒ぎは災難だったな! 陣中見舞いに――」
やってきたのは、裏口からではなく珍しく正面から入ってきたギャレットだった。彼は、カウンターの椅子の上に乗せられた『エプロン姿の美幼女のような魔王』を見て、石のように固まった。
「……あ? 誰だ、そのガキ。アルフレッド、隠し子か?」
「違いますよ! この方は、うちのマスターです」
「はあああ!? 魔王様が、なんでそんな縮んでんだよ! 呪いか!? 勇者の呪いなのか!?」
ギャレットが叫ぶと、ちびディアボロはカウンターの上で仁王立ちになり、ギャレットを指差した。
「黙れ、下等な盗賊。我の姿を笑う者は、奈落の底で後悔することになるぞ。……アルフレッド! こいつを今すぐつまみ出せ!」
声は可愛らしいが、その瞳に宿る威圧感だけは本物だ。ギャレットは「ひええ、中身はガチの魔王様だ……!」と腰を抜かして震え上がった。
そこへ、さらに追い打ちをかけるようにルシウスが姿を現した。彼は入り口で、エプロン姿のちびディアボロをひと目見た瞬間。
「…………」
無言で眼鏡を外し、クロスで丁寧に拭き、再びかけ直した。そして、そのままディアボロの元へ歩み寄ると、深々と頭を下げた。
「……ディアボロ様。そのお姿、あまりに……あまりに尊く、神々しい。この光景を記録するために、今すぐ王宮から絵師を百人呼び寄せましょう。国家予算を全て投入してでも、この『ちび魔王様像』を広場に建てるべきです」
「ルシウス、貴様まで狂ったか! 絵師など呼ぶな、消し飛ばすぞ!」
「いいえ、これは魔界と人間界の親和性を示す歴史的瞬間です。……アルフレッド殿、そのディアボロ様を私に抱かせてはいただけないか?」
「絶対に嫌です、変なことに使いそうだから」
俺は小麦色の腕でちびディアボロをガードした。当の本人は、ルシウスの尋常ではない熱視線に怯え、俺の服の裾をぎゅっと掴んでいる。その無意識の仕草が、あまりにも子供らしくて、俺の胸はほこほこと温かくなった。
「ほらほら、ルシウス様も落ち着いて。マスター、お腹空いたでしょう。今、特別なパンケーキを焼きますからね」
「ふん……。我を子供扱いするなと言っているだろう。……だが、そうだな。貴様の焼く菓子なら、毒見くらいはしてやっても良い」
俺は厨房に立ち、小麦色の腕を振るって、いつもより小さめの、可愛らしいパンケーキを焼き始めた。たっぷりのバターと蜂蜜をかけて。ちびマスターはカウンターの椅子に座ろうとしたが、幼児化した体では、足が届かずによじ登ることもできない。
「…………アルフレッド」
彼は、椅子を見上げたまま、消え入りそうな声で俺を呼んだ。
「はいはい、わかってますよ」
俺はパンケーキを置くと、再び彼を小麦色の腕で抱き上げ、俺の膝の上に座らせた。カウンター越しに接客をするのは難しいけれど、今日だけは、この『特等席』で我慢してもらおう。
「……貴様の膝は、骨張っていて座り心地が悪いな」
文句を言いながらも、ちびディアボロは俺の体に背中を預け、短い手でフォークを握った。彼がパンケーキを一口食べるたびに、銀色の髪がふわふわと揺れる。ちびマスターを抱っこしたまま、俺は茶を淹れた。
「マスター。その燕尾服、もう縮んじゃって戻らないんですけど……どうしましょうか? 予備もないですし」
俺が茶を差し出すと、ちびディアボロは茶を一口啜り、俺の小麦色の腕に自分の小さな手を重ねた。その手は、昨日の嵐の中で俺を温めてくれた、あの大きな手と同じ暖かさを持っていた。
「ふん。我の魔力が完全回復し、服を引き伸ばす術を思いつくまでは、この姿のままでいよう。……この不自由な姿も、貴様を顎で使う分には悪くないかもしれんからな。アルフレッド、次のパンケーキだ。もっと蜂蜜をかけろ」
「はいはい、今焼きますよ」
路地裏の突き当たり。真っ白な壁に囲まれた『キッチン・ブラン』には、今日も賑やかな声と、甘い香りが満ちている。ちびディアボロと、彼を抱き上げる元勇者。二人の間に流れる時間は、昨日のどんな激闘よりも、強く、深く、そしてほんわか結ばれていた。
たとえ燕尾服が縮んでも。たとえ魔王が小さくなっても。この店が、二人の帰る場所であることに、変わりはないのだから。
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