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元勇者の俺、魔王が経営するレストランで働くことになりました  作者: pakipaki
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場
2/24

第2話 『甘美なる魔王の罠と、勇者の胃袋』

 王都の朝は、石畳を叩く馬車の音と、焼き立てのパンの香りで始まる。しかし、職人街の裏路地に佇む『キッチン・ブラン』の厨房から漂ってきたのは、それらとはおよそかけ離れた、禍々しくも甘ったるい、形容しがたい香りだった。


 銀髪を後頭部で完璧に結び、漆黒の燕尾服を翻したディアボロが、勝ち誇ったように叫ぶ。


「アルフレッド! 見ろ、ついに完成したぞ。これぞ、一口食べれば魂が天に昇り、二口食べれば我が軍門に降るという至高の甘味、魔王の吐息だ!」


 ディアボロが磁器のように白い手で差し出した皿の上には、深い紫色をした正体不明のゼリー状の物体が、禍々しくも美しく鎮座していた。表面には銀粉のようなものが散らされ、窓から差し込む朝日に妖しく光っている。


「マスター、その料理にその名称はやめてください。それに、その色は食欲をそそるどころか、毒物判定を食らいそうです。一体、何の材料で作ったんですか」


 俺は小麦色の額に浮いた汗を拭い、一歩引いた位置でその物体を凝視した。かつて勇者として数々の罠を潜り抜けてきた俺の直感が、全力で警報を鳴らしている。しかし、目の前の魔王は自信満々に鼻を鳴らした。


「ふん、下僕の分際で我の感性を疑うか。これは、極上のベリーと、我が魔力を一分子だけ注ぎ込んだ特製のシロップを融合させ、スライムの粘着液で固めたものだ。さあ、貴様が味見をしろ。光栄に思うが良い」


 ディアボロがスプーンを突きつける。その際、期待と緊張のせいか、白い指先からシャキッと黒い爪が飛び出し、スプーンの柄を危うく傷つけそうになった。


「爪、出てますよ。はぁ、わかりました。俺が倒れたら、今日のディナーはマスターひとりで回してくださいね」


 俺は覚悟を決め、その紫色の塊を一口掬って口に運んだ。ディアボロは、深紅の瞳を爛々と嬉しそうに輝かせ、俺の反応を少しでも見逃すまいと食い入るように見つめている。


「……う……あ、あま……」


「どうだ! 我が魔力の高みを感じたか! ひざまずいて泣きながら賛美するが良い!」


「甘い。甘すぎて、奥歯が全部溶けるかと思いました。マスター、砂糖の量を間違えています。これでは、客は天国に行く前に糖尿病になりますよ」


 俺はそれだけ言うとカウンターに突っ伏し、あまりの甘さに頭を押さえた。魔王の感性は、常に過剰だ。美味しいを死ぬほど美味しいにするために、物理的に死ぬレベルの分量を投入してしまうのが、彼の最大の欠点だった。


「な! 甘さが足りぬよりは良いではないか! 貴様の舌が、我の高貴な味覚についてこれぬだけだ!」


「いいえ、これは単純にレシピのミスです。作り直しですね。ほら、マスター、次は砂糖を今の十分の一にしてください。あと魔力投入も禁止です。普通のハチミツを使ってください」


「我に、平民の使う甘味料を使えと。屈辱だ、不機嫌だ。爪が出るぞ!」


 ディアボロは憤慨して長い足を振り上げ、厨房の狭い床を激しく踏み鳴らした。しかし、俺は動じない。小麦色の腕をテキパキと動かし、失敗作の紫色の塊を容赦なく処分していった。


「文句を言っている暇があったら、リンゴの皮を剥いてください。今日のデザートはリンゴのコンポートにします。マスター、爪を立てないように、丁寧にですよ」


「貴様、我をリンゴ剥き係にする気か。この魔王ディアボロを。あ。おい、皮が。皮が千切れたではないか!」


 ディアボロは不器用にナイフを握り、リンゴと格闘を始めた。結んだ銀髪が、彼の苛立ちに合わせて背中でぴょこぴょこと跳ねる。長い爪を出さないように意識するあまり、指先が不自然に震えていた。


「マスター、もっとリラックスしてください。リンゴは敵じゃありません。俺がお手本を見せますから」


 俺は少し距離を置いて、手元を見せる。ナイフを固定し、リンゴを回す。小麦色の肌の上で、赤い皮がスルスルと一本の紐のように繋がって剥けていく。


「……ふん。その程度、我にもできるわ」


 ディアボロは負けじと次のリンゴを掴んだ。静かな厨房に、ショリショリとリンゴを削る音だけが響く。魔王は集中すると、周りが見えなくなる質だ。次第にその瞳から険しさが消え、無心でリンゴを剥き続ける姿は、職人のようであった。


 ランチタイムが始まると、キッチン・ブランは再び戦場になった。今日は新作デザートの噂を聞きつけた、職人街の娘たちが大勢詰めかけていた。


「マスター、デザートの注文が一度に十組入りました! 盛り付け、お願いします!」


「任せろ! 我の美学を皿の上に刻んでやる!」


 ディアボロは燕尾服の袖を捲り上げ、煮上がったリンゴを皿に並べていく。彼の集中力は凄まじい。一ミリの狂いもなく、リンゴを花の形に配置し、その上から透明なシロップを落としていく。その際、あまりの集中に、喉の奥からぐるぐるという微かな音が漏れていたが、幸い、客席の喧騒にかき消されていた。


「お待たせしたな。これぞ、我が慈悲によって作り上げた至宝の果実だ。心して食すが良い」


 ディアボロが低い声で語りかけながら皿を置くと、若い女性客たちは、その美貌と威厳に圧倒され、顔を赤らめてフォークを握った。


「美味しい! 甘すぎなくて、すごく優しい味がする!」


 客席から上がる歓声に、ディアボロは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。


「当然だ。我の計算に狂いはない。アルフレッド、見ろ。客たちは我が味に屈服しているぞ」


「レシピを変えたのは俺ですけどね。まあ、喜んでもらえて良かったです」


 俺は小麦色の腕でカウンターを拭きながら、安堵の溜息を吐いた。


 ディナータイムが終わる頃、店内には再び静寂が戻ってきた。ディアボロはいつもの窓際の特等席で、月の光を浴びて目を細めている。


「アルフレッド。今日の戦果は悪くなかった。明日は更なる高み、三千層のパイ生地で作る伝説の菓子に挑戦するぞ」


「却下です。そんなの作ったら、マスターがまた粉まみれになって、店中が真っ白になります。明日は普通に、パンナコッタにしましょう」


「貴様は常に、我が野望に水を差すな。だが、パンナコッタという響き、悪くない。許可してやろう」


 ディアボロは結んでいた銀髪を解き、満足げに伸びをした。その瞬間、彼の喉の奥からぐるぐるという、昼間よりも少しだけ大きな、心地よさそうな音が漏れた。


「今、確実にゴロゴロ言いましたね。しかも結構長めに」


「貴様の空耳だ。我の喉が、夜の冷気に共鳴しただけだ。おい、アルフレッド。茶を淹れろ。今すぐだ」


「はいはい。マスター、爪、出っ放しですよ。引っ込めてください」


 魔王は不器用に視線を逸らし、月明かりの下で自分の白い手を見つめていた。そこには、鋭い爪がちょっと見えていたけど、こっちを気にしながら隠すようにシュッと引っ込めた。それを見ないフリをした勇者の長い一日は、こうして紅茶の良い香りと共に幕を閉じるのだった。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

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