第10話 『箱入りの魔王と、氷点下の看病地獄』
王都の職人街に届く朝の荷馬車は、今日も大量の食材を店へと運んできた。俺、アルフレッドは、裏口に積み上げられた野菜や肉の箱を、小麦色の腕を駆使して厨房へと運び込んでいた。
一ヶ月に一度の大型仕入れ、そして棚卸し。今日は一つの無駄も許されない、料理人としての戦場と化していた。
「よし、これで最後か。あとはこの空き箱を潰して片付けて」
俺が小麦色の腕で汗を拭いながら振り返った時、そこには信じられない光景が広がっていた。さっきまでカウンターで優雅に紅茶を啜っていたはずのディアボロが、さっきまでジャガイモが入っていた大きなダンボール箱の中に、窮屈そうに体を丸めて収まっていたのだ。
「マスター、何してるんですか。そんな狭いところに収まって」
「アルフレッド、案ずるな。我は今、この四角い空間における防衛的優位性を検証しているのだ。狭い場所というのは、背後を突かれる心配がなく、精神が極めて安定する。これぞ、我が行き着いた新たな聖域と言えよう」
二メートル近い巨躯の魔王が、燕尾服の裾を箱からはみ出させながら、膝を抱えて収まっている姿は滑稽という他ない。ディアボロはルビーのような瞳を細め、箱の縁を黒い爪でガリガリと削りながら、恍惚とした表情を浮かべていた。
「検証も何も、燕尾服がシワだらけですよ。ほら、早く出てください。掃除の邪魔ですし、お客様が来たらどう説明すればいいんですか。箱入りの変質者がいる店なんて、ホワイトな職場とは呼べませんよ」
俺が小麦色の手で箱の縁を掴み、彼を強引に引っ張り出そうとしたが、ディアボロは頑として動かなかった。それどころか、彼はさらに深く箱の底に沈み込み、喉の奥から微かに「ぐる……」という音を漏らし始めた。どうやら、箱の狭さと適度な暗さが、彼の魔王としての理性を一つ残らず溶かし、猫としての本能を呼び覚ましてしまったらしい。
だが、異変はその数時間後に起きた。ようやく箱から這い出したディアボロが、フラフラと足取りを乱し、俺の肩にずっしりと寄りかかってきたのだ。
「アルフレッド。なんだか、この城の温度設定が異常だ。先程から、我の魔力回路が、熱暴走を起こしているような気がする」
「マスター、顔が真っ赤ですよ。っ、熱い! 物理的に発火するんじゃないかってくらいの熱じゃないですか!」
俺が小麦色の手で彼の額に触れると、そこからは常人では耐えられないほどの異常な高熱が伝わってきた。普段ではあり得ない魔力混濁は、先ほどの箱の中での冷えが効いたのだろう。魔王という強大な存在でありながら、彼は人間界の風邪という洗礼を、真正面から受けてしまったらしい。
俺は慌てて彼を二階の寝室へ運び、ベッドに寝かせ、厚手の毛布を掛ける。だが、ここからが本当の地獄の始まりだった。
「寒い、寒いぞアルフレッド。我を氷河期の底に沈めるつもりか。もっと、もっと毛布を持ってこい。我が凍りつく前に、貴様のその熱苦しい小麦色の体で、我を温めろ」
「何を無茶苦茶言ってるんですか。熱がある時は冷やすんです。ほら、氷嚢を持ってきますからじっとしていてください」
「拒絶する! 氷など見たくもない! 我のそばを離れるなと言っているのだ、この不敬な下僕め!」
ディアボロは熱に浮かされながらも、俺のシャツの袖を黒い爪で力任せに掴んで離さない。彼が咳をするたびに、寝室の窓ガラスがバキバキと凍りつき、室温が急降下していく。魔王の風邪は、本人が寒いとおもったイメージ通りに仕上がっていくという、周囲の環境を物理的に破壊する災害そのものだった。
俺はなんろかディアボロを引き剥がし、寒さに震える手で、彼のために栄養満点のスープを作って運んだ。しかし、ディアボロはスプーンを差し出しても、唇を固く結んで拒否する。
「貴様に、我の口へ運べと命じたはずだ。我は今、指一本動かす魔力すら惜しいのだ。ほら、あーん、をしろ」
「いい大人が、元勇者に何を要求してるんですか。ほら、食べないと治りませんよ」
俺が小麦色の手で渋々スープを口元に運ぶと、彼は満足げにそれを飲み込み、またしても喉を鳴らした。熱のせいで本能が剥き出しになっているのか、今の彼は魔王というより、ただの巨大な銀色のわがまま猫だった。
夜が更けるにつれ、彼のわがままはさらに激しくなっていった。熱に浮かされたルビーの瞳で俺をじっと見つめ、彼は震える手で俺の指を握りしめた。
「アルフレッド。貴様は、我を置いてどこへも行くな。あの聖騎士や聖女の元へ、戻ったりはせぬな。我という唯一の主を捨て、光の世界へ帰ることは許さぬぞ」
「行きませんよ。こんな面倒な魔王を放っておけるわけないでしょう。俺はここで、あんたの作るめちゃくちゃな料理の尻拭いをするって決めたんですから」
「なら良い。貴様は、我が選んだ唯一の下僕だ。我が果てるまで、その小麦色の腕で、我に糧を与え続けろ。そして、我のそばでその熱を分け与え続けるが良い」
そう呟くと、彼はようやく深い眠りに落ちた。そのあと俺は一晩中、彼の枕元で氷嚢を替え、凍りついた壁の霜を削り、乱れた銀髪を撫で続けた。小麦色の指先には、彼の髪の柔らかさと、少しずつ下がっていく熱の感触が残っていた。
翌朝。眩しい日差しが差し込む中、ディアボロはパチリと目を覚ました。その瞳には、昨晩の混濁した様子はなく、いつもの傲慢な光が戻っていた。
「アルフレッド。いつまで我の寝顔を眺めているのだ。不敬だぞ。あと、この部屋の壁が剥がれ、窓が凍りついているのはどういうことだ。我が城の美観を損なう汚れは少しも許さぬと言ったはずだ」
「全部あんたのくしゃみのせいですよ! 掃除と看病で、俺の休息時間は少しも残らず消えましたからね。それに昨日の夜のあんたの甘えっぷり、しっかり記憶に刻んでおきましたから」
「甘えただと。我がか? 何を妄想している。我はただ、高次元の魔力調整を行っていただけだ。貴様、熱でもあって夢を見ていたのではないか」
ディアボロは顔を真っ赤にして立ち上がり手早く着替えると、燕尾服の尾をバサリと翻して部屋を出て行った。だが、その歩き方はどこかぎこちなく、耳の先が僅かに震えて赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
俺は溜息を吐きながら、小麦色の腕を伸ばして大きく背伸びをした。ホワイトな職場とは程遠い、命がけの看病生活。だが、片付けられたダンボール箱の隅に、銀色の毛が一本だけ落ちているのを見て、俺は少しだけ笑顔になった。
「さて、次は元気になったマスターに、分厚いベーコンでも焼きましょうか」
俺は階下から聞こえてくる、お茶を催促する傲慢な叫び声に応えるべく、厨房へと足を進めた。騒がしくも、どこか安心する日常が、また始まるのだ。
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明日からは、22時ごろに1話ずつ更新していきます。
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