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元勇者の俺、魔王が経営するレストランで働くことになりました  作者: pakipaki
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場
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第1話 『キッチン・ブランの不敵な王と不憫な下僕』

 王都の職人街。槌の音が絶え間なく響く賑やかな通りを一本折れた先に、雪のように真っ白な一軒家が佇んでいる。周囲の建物はどれもレンガ造りで煤けているが、そこだけは異世界の神殿のように清浄な光を放っていた。入り口の真鍮プレートには、美しい飾り文字で『KitchenBlancキッチン・ブラン』と刻まれている。


 開店前。厨房には、地響きのような低い声が響き渡っていた。


「アルフレッド! この板は呪われている! 我が魔力を込めようとした瞬間、爆発したぞ!」


 銀髪を後頭部でひとつにきっちりと結び、漆黒の燕尾服を翻して憤慨しているのは、元魔王ディアボロだ。身長二メートル近い巨躯から放たれる威圧感は、今なお一国を震え上がらせるほど鋭い。彼は深紅の瞳をギラつかせ、磁器のように白い指先で献立表を突きつけていた。その足元には、黒板の前にチョークの残骸が無惨に散らばっている。


「マスター、何度言えばわかるんですか。それは爆発じゃなくて、あんたがチョークを握り潰しただけです」


 カウンターの向こう側から、アルフレッドが溜息混じりに顔を出した。金髪を短く整え、群青色の瞳を持つ彼は、いかにも仕事のできそうな小麦色の青年だ。かつては勇者として世界を救った彼も、今はネイビーのベストをきっちり着こなし、この歩く破壊神を飼い慣らす毎日を送っている。


「貸してください。今日のメニューは、昨夜あんなに話し合って決めたでしょう。主菜は特製デミグラスソースの煮込みハンバーグ、副菜は季節野菜のハニーマスタード和えです。これなら、職人街の男たちも納得するはずですから」


 アルフレッドが小麦色の腕を伸ばし、淀みのない動きで黒板を埋めていく。それを見つめるディアボロの瞳には、言葉にできない不満が滲んでいた。


「ふん。そのような凡庸な献立で、王都の胃袋を支配できると思うか? 我が魔界にいた頃は、千枚の鱗を持つ竜の舌を、地獄の火で三百年焼いたものだ」


「ここは人間界です。そんなもの出した瞬間に、保健所じゃなくて衛兵が来ます。ほら、マスターは黙ってこれを磨いていてください」


 アルフレッドが投げ渡したのは、一本の銀のスプーンだった。


「我に掃除をさせるのか! 貴様、この魔王ディアボロを、ただの雑用係と。あ! おい、爪が、爪が出る!」


 アルフレッドに顎で使われた屈辱からか、ディアボロの白い指先から、黒く鋭い爪がシャキッと飛び出した。猫のように、感情が昂ぶると勝手に出てしまう厄介な代物だ。


「危ない! その爪でスプーンに傷をつけたら、あんたの給料から引きますよ!」


「なっ、下僕の分際で我の懐を脅かすか!」


 慌てて爪を引っ込めようとするが、今度は別の指から爪が飛び出す。ディアボロは磁器のように白い手を激しく振り回し、一人でパニックに陥っていた。


「もう、見てられません。こっちに来てください。力を抜いて。指の腹で優しく持つんです。猫じゃないんだから、びっくりしただけで爪を出さない」


 アルフレッドが小麦色の指先で優しく撫でると、鋭い爪はスルスルと肌の奥へ引っ込んでいった。


「貴様の手は、無駄に熱いな。我を焼くつもりか」


「はいはい、熱血勇者ですからね。さあ、仕込みに戻りますよ。今日は、ハンバーグを百個は作るつもりでいてください」


 開店を告げるベルが鳴ると同時に、お店は戦場に変わった。キッチン・ブランの厨房は、二人で並ぶにはあまりにも狭い。ディアボロは袖を捲り上げ、じっくり煮込まれるハンバーグの鍋と対峙した。


「アルフレッド、見ろ! ソースの中で肉の精霊たちが歓喜の舞を踊っているぞ!」


「ただの沸騰です! 火を弱めてください! そこ、盛り付け用の皿を出すのでどいてください!」


 アルフレッドは、ディアボロの大きな体とカウンターの僅かな隙間に、無理やり体をねじ込ませた。肩がぶつかり、結ばれた銀髪がアルフレッドの視界を掠める。


「貴様の腕が邪魔だ。狭すぎるのではないか、この城は!」


「あんたが大きすぎるんです! 文句があるなら魔力で体を縮めてください!」


「断る! 我の威厳を削るような真似ができるか!」


 文句を言い合いながらも、二人の手は休まない。小麦色の手が皿を出し、白い手がそこに完璧な角度でソースを注ぐ。その阿吽の呼吸は、かつて殺し合っていた仇敵同士とは思えないほど完璧だった。


 ランチタイムの怒涛の繁盛が終わると、午後三時には穏やかな陽だまりが店内に落ちる。ディアボロは窓際の椅子に深く腰掛け、陽光を全身に浴びて目を細めていた。


「太陽の魔力が、我が体に溶け込んでいく。この光こそ、王にふさわしい」


「ただの日向ぼっこでしょう。ほら、お疲れ様の紅茶です」


 アルフレッドが淹れ立ての茶を置くと、ディアボロはそれを一口、大切そうに啜った。その瞬間、彼の喉の奥からぐる、という、極めて微かな音が漏れた。


「今、ゴロゴロ言いませんでしたか?」


「貴様の空耳だ。我が魔力が紅茶に驚き、共鳴しただけだ」


 ディアボロは不器用に視線を逸らし、再び陽だまりの方を向いた。


 しかし、休息の時間は短い。太陽が傾き、空が深い群青色に染まる頃、キッチン・ブランには再び灯がともる。ディナータイムの始まりだ。


「アルフレッド、夜の宴には更なる刺激が必要だ。このワインに我の魔力を注ぎ、一口飲めば千年の夢を見るような……」


「やりません。普通の、美味しい赤ワインを出します。マスターは抜栓だけ担当してください。あ、爪は出さないでくださいね」


 夜の店内は、昼の活気とは打って変わり、キャンドルの炎が揺れる幻想的な雰囲気に包まれる。客層も職人たちから、着飾った貴族や恋人たちへと変わる。


 ディアボロはフロアに立ち、銀髪を揺らしながら音もなく客席を回る。その姿はあまりに美しく、しかし底知れぬ威厳に満ちており、客たちは自然と背筋を伸ばした。


「今宵のメインは、赤ワインでじっくりと煮込んだ牛肉の赤ワイン煮込みだ。我の情熱と、下僕の僅かな努力が詰まった一皿。心して味わえ」


 ディアボロが低い声で語りかけると、女性客の一人が顔を赤らめた。彼は無自覚に人を惹きつける王のオーラを放っているのだ。


 厨房ではアルフレッドが、ディナー限定の繊細な前菜を盛り付けていた。小麦色の手が、色とりどりの野菜を絵画のように配置していく。


「マスター、お喋りはそこまでにして料理を運んでください。冷めますよ」


「わかっている。下僕の分際で我を急かすな」


 不敬な言葉を吐きながらも、ディアボロは淀みのない動きで皿を受け取り、客席へと運んでいく。かつては数万の魔軍を指揮した男が、今はたった一人の勇者の言葉に従い、一枚の皿に全霊を注いでいる。


 全ての客が帰り、店の明かりを落としたのは深夜のことだった。静まり返った店内で、二人はカウンター越しに向かい合う。


「……アルフレッド。今日の売り上げはどうだ」


「上々ですよ。マスターが怖がらせた客も、料理を食べればみんな笑顔で帰っていきましたから」


 アルフレッドが売上帳を閉じると、ディアボロはふんと鼻を鳴らした。


「当然だ。我の城で不満を漏らす者などおらぬ」


 ディアボロは結んでいた銀髪を解き、大きく伸びをした。その白い指先から、一瞬だけ爪が顔を出し、すぐに消える。勇者の不憫な苦労は明日も続くが、魔王の隣で過ごす夜は、存外に穏やかなものだった。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

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