兄の目線
弟の帰還の翌日、私は、いつも通り朝から畑へと向かいました。もちろん私が畑仕事をするというわけではなく、いつも通り、馬で領民の様子を視察するためです。領民の相談事にのり、領民同士の諍いがあればそれを解決するのが、この辺り一帯の領主である父の仕事であり、父が先年不慮の落馬事故で足を痛めてからは、後継者である私の義務です。
次男坊である弟が、この領地を継げない身の上であることは私も幼い頃からわかっていました。だから父の遺産を生前贈与してほしいと弟が言い出したときは、それを元手に商売でもはじめるのかと思っていたのです。家を出奔する前の弟は、明るくて人付き合いがよく、初対面の人と打ち解けて話すのが苦手な私からすれば、だれとでもすぐ仲良くなれる性格がうらやましくもありました。その反面、相手の出自や考えていることをよく調べもせず、気さくすぎる態度が心配でもあったのですが。でもひいき目に見ても兄である自分が見ても頭もよく明るく闊達な性格で素直な自慢の弟でした。それが、軍隊に入隊したと風の便りで聞いて間もなく、悪い噂を耳にするようになったのです。軍隊で、悪い仲間と知り合い、そそのかされたのか。
昼に食事をとるため屋敷に戻ったとき、弟にひとつ説教してやろうと思っていたのに、夜遅くまで続いた祝宴での深酒のせいか、弟は昼過ぎになっても寝床から起きてきませんでした。しかし午後の領地の見回りから日が落ちかける頃に屋敷に戻ってきたとき、父の部屋から低い話し声を耳にしました。自分の部屋に戻ると、召使の一人が、皆様早めの夕餉を召し上がったのですが、どちらでお食事をとられますか、と聞いてきました。
「ワインと、軽いものでいい。父上は今日は外出されなかったようだが、弟と一緒だったのか?」
「はい、午後はずっとご主人様の書斎でお二人でお話をされていたようです。」
昨晩の父に対する自分の言動を少し後悔しました。昨晩はあんなに放蕩の限りと尽くした弟を大歓迎する父を見て、自分をないがしろにされたような何ともいえない嫉妬心が湧き上がり、父をなじってしまいましたが、もともと領主としても思慮深い父です。きちんと弟に言い聞かせていたのでしょう。きっと父が弟を諭してくれただろうと、少し安心しました。翌朝、隣の村に行けなければいけない用事があり、その日はそのまま寝床につきました。
翌朝、夜明けとともに隣村に向かいました。この村も父の領地ですが、首都に向かう街道沿いにあり、最近追いはぎが跋扈しているので困っているとの連絡を受けていたからです。街道を挟んだ先の領主とは、もともと領土争いで小競り合いが起きていたこともあり、治安も悪化しているとなると放っておけません。村民の代表と会い、対策をたてねばなりません。
「街道沿いで通行人を襲うだけでなく、村の倉庫にしまっておいた麦を盗むので大変困っています。どうも脱走兵のようで、数名でまとまって行動しているようです。」
「脱走兵ということは、何か武器でも持っているのか」
「はい、ヤリや盾などで武装しています。野営している場所はまだわからないのですが、あちこち移動しているのかもしれません。」
「とりあえず、倉庫には夜間交代で見張りを置くように。複数で犂や鍬などで武装したほうがいいようだ。近いうちに私が街道向こうの領主と会ってこよう。あちらも追いはぎには困ってるはずだ。」
昼過ぎに隣村から屋敷に戻り、急ぎ父に経緯を報告しようと父の部屋に急ぐと、まだその部屋に弟がいて何やら父と話し込んでいた様子でした。しかも、弟の出で立ちは、旅装をしていたのです。
「兄上、お帰りなさい。」
旅装姿は不意打ちでしたが、その声が、あの出奔前の利発な弟の頃に戻っていたのが意外でした。その姿はどうしたんだと聞く前に父が口を開きました。
「どうだったか? 盗賊どもを捕まえるより警護を強化したほうがよいのではなかったか?」
「はい、父上、とりあえず追いはぎが街道を狙うだけでなく、村の倉庫も襲っているようでしたので、交代で見張りをつけるように指示してまいりました。どこで野営しているかはまだわかりませんが、失火が原因で火事など起こされては大変ですし。その件でご相談がございます。」
「わかった。次はそなたと話したほうがよいな」
私は、そのとき父が私より隣村の状況をすでに詳しく知っているような気がしましたが、今思えばそれは当然でした。
父からこのとき聞いたのですが、弟は一昨日、帰還する前に隣村に立ち寄って、一晩過ごそうと倉庫に立ち寄っていたのですが、そのときに、脱走兵の盗賊の一団に出くわしていたのでした。たまたまその中に、かつて一兵卒として所属していた同じ一個中隊にいた脱走兵がいて、弟は仲間に加わらないかと誘われたのだそうです。すでに帰還を考えていた弟はもちろん仲間になる気はなかったそうですが、すぐには誘いを断らず、街道筋の状況やとなりの領地の状況などをいろいろ聞きだしていたのだそうです。
弟の旅装姿は、父に頼まれて、その元脱走兵の様子をもう一度見にいくところだったのですが、私はそのまま、また弟がどこかに行ってしまうのではないかと気が気ではありませんでした。
「いやいや、心配はいらないだろう。今は遊び回る金もない。家に戻れば暖かい食事ができるのだから、必ず戻ってくる。」
「そうはいっても、戻ってきたばかりで、あいつの放浪癖がすぐ直るとは私は思えません。信用していないかと言われれば、正直まだ信じきれないですよ。その脱走兵にそそのかされて、盗賊団の一味になってしまうことだってあり得なくはない。」
そんな私の心配を、父は全く意に介さないようでした。
「それよりも由々しき事態は、隣国と接する街道沿いの治安であろう。近いうちに隣国へ参ろうと思っておる。」
「いえ、私が訪問してくるつもりでした。わざわざ父上が出て行かなくても。」
「だが、隣国とのいざこざのそもそもの原因を作ったのは私だからな。」
20年前に亡くなった私の母は、隣の領主の一番上の娘でした。父との間に一人息子の私を産んだあと私が5歳のときに流行り病で天に召されました。だから私の母の記憶はおぼろげです。そのあと父は隣国が国境を接する帝国の皇帝の姪にあたる娘と再婚し、弟と妹が生まれました。つまり私は弟とは異母兄弟なのです。
この婚姻が隣国との関係を微妙なものにしてしまったのではないか、というのが父の懸念でした。つねに大国である帝国の脅威にさらされている隣国は、父が帝国と手を組んで、領土侵略してくるのではないかと疑心暗鬼になってしまったようなのです。
「だからこそ、私が行ったほうが、隣国の領主も警戒心を緩めるのでは? 私は母を通じて血縁であるわけですし。」
「それが、正式に隣国から私に手紙が来ているのだよ。我が国との同盟関係の締結に関することで。」
「同盟関係?」
「向こうの末娘との婚姻だ」
「え? 私は、彼女にとって甥に当たります。それは無理筋なのでは?」
「おまえとではなく、弟のサムエルだ。今まで行方不明だったから、のらりくらりと返事をかわしていたのだが、帰還したとなると、そうはいかなくなる。正式に返事をしなくては。」
そのとき父が明かしたことには、隣国からの婚姻話がきたのは、2年も前、まだ弟が出奔するかしないかの頃だったのです。隣国の領主には、私の同い年の子息がいたのですが、その頃は隣国との関係もよかったので、幼い頃よく一緒に遊びました。そのすぐ下の妹というのが、おそらく末娘のはずですが、おしゃまで利発で健康的な姫という印象でした。
しかしその後母が亡くなり、父は再婚、両国の関係が悪化し、行き来することはもちろん、音信普通の状態になってしました。その後、風のうわさで、よく一緒に遊んだ彼が落馬事故にあって病床の身になったと聞いても、見舞いに行くことはかないませんでした。
「その姫なら健康で利発な娘と記憶しております。悪くない話なのではないですか?」
「相手の性格の問題ではないぞ。同盟関係と言ったではないか。」
「両国の関係が昔のようによくなれば、街道沿いの治安警護も協力できますし、何か問題でもあるのですが?」
「隣国とその背後にいる帝国の関係がおまえは気にならないのか? 今隣国は、後継者問題で揺れているのだ。領主の弟が、どうも帝国側に取り入っているらしい。後継者であるはずのご子息が、あの落馬事故以来、ずっと体調がすぐれないらしく寝たり起きたりの状態が続いているようで、果たして国を治めていけるかどうか将来に不安を感じだしている領民も少なくない。そこに領主の弟が、自分こそ後継者だと言い出して、帝国の後ろ盾を持ち出して、今や国を二分している状態だ。」
「気が付きませんでした。父上はなぜそのように隣国の内情をご存じなのですか?」
「お前の弟に情勢を探らせるため、密かに諜報活動をさせていたのだ。」




