(一)依頼文の読み方
◆ 一 召喚士ギルドへ
ヴァルセイン王国中央召喚士ギルドは、リオルが思っていたよりも静かだった。
人は多い。
入口の近くには依頼人らしい商人がいて、奥の机では召喚士らしい男女が書類を確認している。壁には依頼札が並び、受付の後ろには照会水晶がいくつも置かれていた。
けれど、酒場のような騒がしさはない。
声を出す者はいても、声を荒げる者はいない。
誰かが依頼を持ち込み、誰かが契約条件を確認し、誰かが記録板へ署名する。
召喚士ギルドは、賑やかな場所というより、たくさんの約束が管理されている場所だった。
「ここが、依頼を見る場所……」
リオル・ロステルは、入口のところで少し立ち止まった。
学生登録の確認で来たことはある。
学校行事の説明で、先生に連れられて入ったこともある。
けれど、依頼掲示板を自分の目で読むつもりで来たのは初めてだった。
横に立つメルセナ・オルブライトは、いつも通り無表情だった。
白に近い灰色のコート。金色の髪。翼のような銀の髪飾り。
彼女が一歩中へ入るだけで、ギルド内の空気が少し変わった。
受付の職員が姿勢を正す。
書類を運んでいた若い職員が足を止める。
奥にいた召喚士の一人が、慌てて帽子を取った。
リオルは小声で言う。
「先生、やっぱりすごい人なんですね」
「昨日から、その説明は何度かされたはずです」
「聞きましたけど、こういう反応を見ると改めて……」
「反応に慣れる必要はありません。目的に集中してください」
「はい」
返事をした直後、受付の奥から女性が歩いてきた。
栗色の髪を後ろでまとめた、落ち着いた雰囲気の職員だった。手には記録板を抱えている。
「オルブライト閣下。お待ちしておりました」
「今日は照会ではありません。低難度依頼の閲覧です」
「学生向け閲覧ですね。ロステルさんの訓練ですか」
「はい」
メルセナが答える前に、リオルは慌てて頭を下げた。
「リオル・ロステルです。よろしくお願いします」
「ミレイユ・グレインです。こちらこそ。昨日は通信水晶越しで失礼しました」
「あ、ミレイユさん」
リオルは顔を上げた。
昨日、通信水晶越しに応召条件を照会していた職員。
声だけしか知らなかった相手が、今、目の前にいる。
「首、大丈夫でしたか?」
ミレイユは一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、少しだけ笑った。
「今のところ繋がっています」
「よかったです」
「よかったで済ませてよい話かは、まだ審議中です」
メルセナが言った。
ミレイユはすぐに姿勢を正す。
「全力で繋げ続けます」
「お願いします。照合担当が必要です」
「首の話が普通に続いてる……」
リオルは小さく呟いた。
メルセナはそれを聞き流し、ミレイユへ視線を向ける。
「低難度依頼の閲覧をお願いします。受注前の訓練です」
「承知しました。学生向けに危険度を落とした一覧を用意しています」
「ただし、実際の依頼文を変えすぎないでください」
「はい。依頼者の文章は原文を残し、補足だけこちらで付けています」
「よいです」
リオルは首をかしげた。
「依頼文って、分かりやすく直した方がよくないんですか?」
「訓練としては、直しすぎない方がよいです」
メルセナは、依頼掲示板の方へ歩き出した。
リオルも慌ててついていく。
「現実の依頼は、最初から整理されていません。依頼者は、自分が分かっていることと分かっていないことを、必ずしも分けて書きません」
「だから、読めるようにする?」
「はい。依頼文を読むのも召喚士の仕事です」
掲示板には、たくさんの依頼札が並んでいた。
荷物運び補助。
畑の水撒き。
屋根の上の布を取る。
ペット探し。
倉庫整理。
夜間見回り補助。
どれも、リオルが想像していた召喚士の仕事より、ずっと地味だった。
「もっと、魔物退治とか、防衛とかが並んでるのかと思ってました」
「あります。ただし、あなたが最初に読むべきではありません」
「危ないからですか?」
「危ないからです。加えて、難しい依頼ほど文章も難しくなります」
メルセナは一枚の依頼札を指した。
「まずは、低難度依頼からです」
◆ 二 依頼文の読み方
「依頼文を読む時は、まず三つに分けます」
メルセナは掲示板の前で言った。
「三つ?」
「依頼者が望んでいること。依頼者が分かっていること。依頼者が分かっていないことです」
リオルは依頼札を見た。
荷物運び補助。
近隣の倉庫から店先まで、布袋十個を運ぶ補助。
重さは一つにつき成人男性一人で持てる程度。
道は舗装されているが、雨の日は滑りやすい。
「えっと……望んでいることは、荷物を運ぶこと」
「はい」
「分かっていることは、荷物の数と、重さと、距離。あと道が雨の日に滑ること」
「はい」
「分かっていないことは……その日、雨が降るかどうか?」
「よいです」
メルセナは頷いた。
「雨なら、土精霊で足場を整えるか、滑らない運び方を考える必要があります。人通りが多ければ、大型の召喚対象は邪魔になります」
「呼べるものから考えるんじゃなくて、目的から考える」
「昨日の復習です」
昨日。
教室掃除。
水精霊と風精霊を増やして、小さな台風を作った。
リオルは思わず、少しだけ遠い目になった。
「床は正直でした」
「依頼文も正直です。ただし、書かれていないこともあります」
「そこが難しいです」
「難しいから、読む訓練をします」
次に、メルセナは畑の水撒き依頼を示した。
「これはどうですか」
「望んでいることは、畑に水を撒くこと。分かっていることは、畑の広さと場所。分かっていないことは……土の状態?」
「よいです。乾きすぎているのか、ぬかるんでいるのかで、水精霊への指示が変わります」
「水をたくさん出せばいいわけじゃない」
「はい。水を出しすぎれば、作物を傷めます」
リオルは頷く。
昨日の床も、水を出しすぎると大変だった。
畑なら、もっと大変なのだろう。
次は倉庫整理。
次は夜間見回り補助。
次は落とし物探し。
メルセナは、リオルに一つずつ読ませた。
依頼者が望んでいること。
分かっていること。
分かっていないこと。
危険になりそうなこと。
召喚対象に任せてよいこと。
任せてはいけないこと。
リオルは少しずつ、依頼札を見る目が変わっていくのを感じていた。
ただのお願いではない。
依頼文は、まだ形になっていない仕事だった。
召喚士は、それを読んで、形にしなければならない。
その時、ミレイユが新しい依頼札を一枚持ってきた。
「オルブライト閣下。こちら、低難度枠ではありますが、少し急ぎです」
メルセナが受け取る。
リオルは横から覗き込んだ。
「迷子捜索補助……」
札には、こう書かれていた。
森の端で薬草摘みに出た子どもが、昼前から戻っていない。
年齢は八歳。
最後に見られたのは、東の小道近く。
赤い帽子。
黄色い肩掛け。
小さな薬草籠を持っている。
森の深部ではない。
ただし、日暮れまでに発見したい。
地元の捜索隊はすでに出ている。
上空または広範囲からの確認補助を求む。
リオルの指先が、依頼札の上で止まった。
「子ども……」
「読み上げてください」
メルセナが言った。
リオルは依頼文をもう一度、声に出して読んだ。
読み終える頃には、胸の奥が少しざわついていた。
「すぐ行った方がいいんじゃないですか」
「行く前に考えます」
「でも、急がないと」
「急ぐ時ほど、最初に決めます」
メルセナの声は静かだった。
焦っていないわけではない。
ただ、焦りで手順を飛ばさない。
そういう声だった。
「目的」
「迷子の子を見つけること」
「範囲」
「東の小道周辺。森の浅い場所」
「終了条件」
「子どもを見つけて、保護すること」
「危険時の撤退基準」
「大型の獣や魔物を見たら、近づかずに戻る?」
「よいです」
リオルは息を吸った。
昨日、床で学んだことが、いきなり床ではない場所に出てきた。
目的。
範囲。
終了条件。
危険時の止め方。
それを決めずに動けば、たぶん迷子探しでも小さな台風が起きる。
小さな台風なら、床が濡れるだけで済む。
でも、森で破綻すれば、子どもが危ない。
「では、この依頼に対して、何を呼びますか」
メルセナが尋ねた。
リオルは依頼札の内容をもう一度見る。
森。
迷子。
赤い帽子。
黄色い肩掛け。
薬草籠。
最後に見られた場所は、東の小道近く。
「水精霊……は、川があれば何か分かるかもしれません」
「何が分かりますか」
「水の流れとか、湿った場所とか……」
「迷子の子どもを見たかどうかは?」
「……分かりません」
「はい」
リオルは考え直す。
「じゃあ、風精霊で森の上から……」
「風精霊は風を送れます。空気の流れを変えられます。音を運ぶこともできます」
「はい」
「ですが、赤い帽子を見た、黄色い肩掛けを見た、子どもが倒れていた、とは報告できません」
「あ、そうか」
「風精霊は、風です。目で見て、判断して、人間に伝える存在ではありません」
リオルは依頼札を握る手に少し力を入れた。
「土精霊なら、足跡を……」
「地面を動かすことはできます。足場を整えることも、穴を塞ぐこともできます」
「でも、足跡を見て報告はできない」
「はい。土の乱れを拾う補助にはなりますが、それだけで迷子の位置を特定するには向きません」
「火精霊は……森ではだめですね」
「初手としては不適切です」
「全部だめじゃないですか」
「精霊が役に立たない、という意味ではありません」
メルセナは淡々と言った。
「水精霊は水を扱えます。風精霊は風を扱えます。土精霊は地面を扱えます。火精霊は火を扱えます。どれも有用です」
「でも、今回必要なのは……」
「見て、戻って、何かを伝えることです」
リオルはそこで、ようやく自分が考えるべきことを理解した。
迷子探しに必要なのは、強い力ではない。
森を押し広げることでもない。
風を吹かせることでも、水を流すことでもない。
赤い帽子を見つけること。
黄色い肩掛けを見つけること。
子どもを見たら戻ってくること。
つまり、目があり、動けて、リオルのところへ戻ってこられる相手が必要だった。
その時、ギルドの屋根に鳥がとまっているのが見えた。
茶色い小鳥が一羽。
こちらを見て、首をかしげている。
リオルは顔を上げた。
「鳥なら……」
メルセナが静かにリオルを見る。
「鳥なら、上から見られます。赤い帽子とか、黄色い肩掛けなら、見つけられるかもしれません。それに、戻ってきてくれます」
ミレイユが記録板を持つ手を止めた。
「鳥を、召喚するんですか?」
「たぶん……できます」
リオルは屋根の鳥を見たまま答えた。
「来てくれる子なら」
メルセナは一拍置いてから言った。
「では、その前に確認しましょう。あなたは、何羽呼べますか」
※第3話「十羽の鳥と迷子の森」は全四回です。
続きます。
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