第4話「予言の内容が明かされたこと」
彼女は息を大きく吸って大きく吐きました。そして、もう一度大きく吸いました。
それはまるで一息で予言の全てを話してしまおうとしているみたいでした。
「リヴァキュールよ」ブレシャナビアが羽根ペンと羊皮紙を懐の魔法のポケットから取り出しながら隣の相方に呼びかけました。「自動書記の魔法を頼む」
リヴァキュールは目は合わせようとはしませんでしたが、その呼びかけに杖で応えました。彼のほとんどの意識はヴァンガーディーがこれから目の前で行おうとしている予言に注がれているようでした。
「自動書記魔法……」
リヴァキュールが静かにそう言うと彼の杖から緑の光が放たれて、羽根ペンと羊皮紙に意思が宿りました。
そしてヴァンガーディーがゆっくりと口を開きます。いよいよ始まります。
ブレシャナビアの耳がぴくりと動き、リヴァキュールは微動だにしませんでした。
王はお手並み拝見とばかりに座りなおして足を組みました。羊皮紙は反り返り、羽根ペンは緊張したようにピンと羽毛を立てました。
♢♢♢
一つ。
天高くあの魔星、不気味にも黒く邪炎によって燃え盛ること限りなし。あれは死なり。あれは長き血塗られた歴史に息づく鈍き煌めきなり。如何なる火ぞ燃え盛らん場所には影ぞ生まるるは古よりの理。やがて影の口開くや、南の風の都。それは五度、草木が芽吹き花が咲くこと、それらが枯れ果て花が散ることを迴りしときなり。その刻来れば世界、永久の闇に沈まん。深淵より現れ出でて、全ての大地を踏み荒らし不浄の大地へと変える魍魎たち……ひとえに魔物、魔獣、鬼、小鬼、悪魔……造られしもの、堕落せしもの、翼をもつもの……髑髏のもの、漂うもの、脳が腐りしもの……悪しき人間、悪しきエルフ、悪しきドワーフ、悪しき龍……悪しき小人……悪しき巨人、悪しき豚頭人……邪悪な妖精、邪悪な精霊、邪悪な妖怪……それに神、太古の神、忘れられた神……それらが混ざり合ったもの……そして、それらのどれともあてはまらないもの……八百万の外貌を持った魔の使いが犇き出ん。そして、それらを統べる魔の王も顕現す。
二つ。
さて今宵より月は寂しき色を湛え、それ十七度目にかかりしとき、この生気を吸いつくすほどの暗黒を断ち切りうる剣が東の国に生まれ落つ。その剣、星たちの楽園が如き識眼もち、希望の子種を蒔く者。その者、やがて刻至れば眩いばかりの光となって、三つの閃光と共に、天を翔け上がらん。その四つの星、それぞれ異なる光をもって、希望の色、贖罪の色、慈悲の色、信仰の色を纏いて、南の空、魔星の直下に一振りの剣の星辰を形作らん、と。
三つ。
魂の意思は回帰す。この実、六百もの歳月の間不動なり。人の子ひとりが芽吹き咲いてから、その子が枯れ果て散るほどの幾星霜を経て、宿命を同じくするもの現る。新たなる剣もまた然り。
♢♢♢
ヴァンガーディーは三つの予言全てを本当に一息で言ってしまって姿勢そのままに固まっていました。口ではなく全身全霊で予言を伝えたということが見て取れました。
王も双杖もそれを聞いているときは、まるで掘り起こされた古代の碑文に刻まれた神話がそのまま読み上げられているかのような心地でした。『瞬き100年眠れば1000年』ほどではありませんが、数十年分の朝と夜が一瞬で過ぎ去ったかのような不思議な感覚が彼らを襲いました。
羽根ペンと羊皮紙が力尽きたかのようにはらりと落ちました。
ヴァンガーディーの口から吐き出された言葉、それが予言で、これから実際に起きることを示しているということを理解するのにさえ時間を要しました。これまでも多くの予言を浴びてきたブレシャナビアでさえ、正しく咀嚼するために、何度も反芻してもまだ完璧に理解できたとは言えない状況でした。
「王よ。すみやかに学者や哲学者を招集し、予言の読み解きを行うべきでしょう」
ブレシャナビアが気を取り直して、そう王に向かって進言しました。そうして、まさに暗黒の時代がやって来るのか、と口の中でつぶやきました。リヴァキュールの方をちらっと見ますと、黙りこくってはいましたが顎に手をあてて同じように考えているさまが窺えました。
「……ん……ああ……そうだな」
王は衝撃が大きかったのか、まだ目が回り、頭がくらくらとしている様子でした。予言酔いとでもいえばよいのでしょうか。言葉には魂が宿るといいますから、予言をただ聞くというだけでも、エルフの生命力溢れる生きた言葉を一定時間に大量に浴びた、となると呆然となるのも納得できました。
―――今回の体験が陛下の詩や生活に良い影響を与えるようならいいのだが。
ブレシャナビアは素直にそう思いました。
そして、ヴァンガーディーの予言が王の体調に障った、として新たな責任が彼女に発生したことを悟りました。自分たち双杖もこうやって王の出方を常に予測しながら、王と日々、話し合っている点をみると、予言者とあまり変わらないのかもしれないと思えました。
「……私が皆を集めよう。話し合いの場は、評議会室がいいだろう」リヴァキュールが機転を利かせて言いました。それからブレシャナビアの方に顔を向けて続けます。「ブレシャナビアはしばし陛下のお傍に仕えていることだ。後からすぐに合流するように」
「ああ、リヴァキュール。よろしく頼む」
その言葉を聞き届けると、リヴァキュールは落ちていた羊皮紙と羽根ペンを拾うとマントを翻らせて玉座の間を後にしました。立ち去る直前まで、その緑の目の端ではブレシャナビアを見ていましたが、そのさらに先を、ヴァンガーディーにたしかに睨みを効かせているようにも見えました。ですが一度、瞬きをした後は穏やかな目つきに戻りましたのでブレシャナビアは暗に彼女の処遇については彼から一任されたかのように思えました。
ヴァンガーディーはリヴァキュールがいなくなったことを知覚すると、すっと音もなく立ち上がりました。そして、掌を王の方に向けて囁くように唱えました。
「催眠魔法」
王はまだ頭が霧がかかってるままでしたから眠りの秘孔をそっと押してあげるだけでよかったようです。すんなり、うつらうつらとなって、それから崩れ落ちるように眠りにつきました。
「なっ、ヴァンガーディー。お主、なにを!」
ブレシャナビアは驚きを隠せず、杖を構えようとしました。
しかし、彼女が他のどんな邪悪な魔法ではなく、催眠魔法を選んだことに何か意図があるように思えて気が引けました。
「おっと、やっと名前で呼んでくれたじゃないか。元気かい?ブレシャナビア」ヴァンガーディーが髪をかき上げながら、さっと近付いてきてブレシャナビアの顔を覗き込むみたいに体をかがめて言いました。「あるいはザウェイギアブレシャガル、エイゼンシュタインの子!」
「まったく……あまり最近、エルフ語の名前は使っていなかったがな……久しぶりだな」
杖を向けるのを一旦、ブレシャナビアはやめました。
王も誰も見ていない状況で、自分は今ひとりだし、ずっと肩を張っているのもそろそろ疲れてきていました。
ここに来て、やや呆れながらですが、初めてブレシャナビアは固かった表情を緩ませました。彼は侵入者とではなく、ひとりの友と話す表情をしていたのでした。
ザウェイギアブレシャッガルとは彼のエルフ語での名前でした。ブレシャナビアという名前は何だか破裂音のような響きを伴っているらしく、ドワーフと間違われてしまうから格式高い名前を新しく考えてやろうと昔、老エルフに名前をつけてもらったことがあり、それ以来、エルフの間ではその名で通っておりました。
「久しぶりったって、この前会ったばかりじゃないか」
「この前って、もう十年前くらいになるだろ。グラテウナ以来のはずだ。まったくエルフと来たらすぐこれだから」ブレシャナビアはとことん呆れながら言いました。ですが一応、大事な要点だけはしっかり訊いておくことにします。「……して、なぜ陛下に催眠の魔法なんぞかけた?」
「エルフあるあるだろ?お約束ってやつさ。なーに、ちょっとあんたと喋りたくってね。邪魔者には眠ってもらった、ってわけ」
微笑みかけながらヴァンガーディーが言いました。何年も前と同じ表情をするんだな、とブレシャナビアは思いました。そこには変わらない笑顔が咲いていました。
「……そうか。しかし陛下を邪魔者扱いとは……なかなか見上げた胆力を持った魔女だよ」
「よく言われるよ」ヴァンガーディーが激しく頷きながら言いました。「そうそう。ブレシャナビア、わたし弟子とったんだよ」
「ほう。いいじゃないか。『虎落笛屋敷』もひとりじゃ寂しかったろうし。丁度いい」
ヴァンガーディーが弟子をとるとは良い傾向だ、と関心しながらブレシャナビアは言いました。
彼女は銀の魔法使い、大予言者、暁のヴァンガーディーなどといくつも名前を持つ、その実力を確かに知られる魔法使いで、彼女の知識や経験を次の世代に伝えていくべきだと考えていました。例え、エルフが不死身であっても知識の継承を怠れば、人間にしろ、エルフにしろ進歩はありませんから。
なお、『虎落笛屋敷』とはヴァンガーディーの住む屋敷のことです。
「まあ、寂しいもなにも、わたしがわざわざ他のエルフたちに距離置いてるせいなんだけどね」ヴァンガーディーが乾いた笑い声を上げながら言いました。「その子もハグレ者だから相性よくってさ。セレーナっていうんだ。またどこかで会ったら可愛がってやってよ」
「ああ。そうさせてもらうよ」ブレシャナビアが自分の髭を撫でながら言いました。「そういえば私もお主に訊きたかったことがあったのだ」
「ん?なんだい?」
「お主、先ほど、自分には時間がないと申したな。それはどうしてだ?どこかへ去ってしまうのか?」
ブレシャナビアは心配そうに訊きました。
王と双杖を試したり含みのある言動をしたり綱渡りをするような、この危うさはいつものヴァンガーディーらしくはありませんでした。
「んーとね」白銀の髪がほのかに揺れました。声の響きはあくまで淡々としていました。「わたし、死んじゃうんだよ。もう明日くらいにさ」




