第1話「嵐が来たこと」
むかし、むかし。
これは私たちの住むこの世界とは少し違った、遠い世界の物語です。
帝国歴1182年(王国暦2037年)。
ハンノキ月(4月)の7日の昼頃。
大陸北の古い王国ノズモナドを突然、前触れもなく巨大な嵐が襲いました。
黒い雲が空を見るみるうちに覆い尽くしていきます。さながら生き物のような雲の一群を見て、農民は持っていた鋤を落とし、商人は金貨を落とし、学者は本を落としました。そして、誰もが顔に翳りを落とし、さらに肩を落としました。
「ああ。これでまた今年の農作物はダメになる」
「こんな天気じゃ商売あがったりだよ! 早いとこ引き上げるが吉だね」
「なんてことだ。統計上、ここまでの嵐は予測がつかなかった……また計算をやり直さねばな……」
ノズモナド王国の民たちの不平不満が風に乗って流れていきます。
十数年前ほどに大陸を襲った嵐、いわゆる『グラテウナの災禍』以来の混乱でした。
ぴしゃりと走った無数の稲妻によって天は紙のようにずたずたと裂かれ、その隙間から轟音に呼応するかのように大量の雨が大地にはどっと降り注ぎます。その勢いは、地上にあるどんな尖ったものも丸みを帯びた形に変えてしまうと思えるほどでした。
陽光は分厚い黒い雲に隠されて、辺りを照らすのは時折、鈍く光る春雷のみでした。
人々は嵐を家の中にまで招き入れてはたまらないと、各々、鎧戸で固く入口を閉ざしました。人々だけでなく、都市の中に住まう犬や猫、ネズミなんかも四散して姿を消しました。
そうして都市はさながら雨の底に沈んだのです。
王都モナモナのギリアム王もこの事態に冷静ではいられませんでした。
この日、王は王家の権威の象徴たる、エシュロン城にて庭園で春の陽気にあてられながらスイセンの花を愛でつつ詩の創作を嗜んでおりました。もう少しでいい句が思い付きそうだったときです。そこへ突然の嵐が到来したのです。王はこれにたいそうご立腹でした。
王宮から出られなくなった王は薄暗い自室にて窓にかかった雨の揺らめきを眺めていました。そして、ゆっくりとその窓に手を押し当てて、その窓越しに雨の体の芯まで冷ましてしまうような温度を肌で感じていました。
呼び出した若い学者がノックをして自室へと入って来るのを目の端で捉えると、そのままの姿勢で「フレチマよ、嵐はいつ去るのか?」と窓に映った、その学者のフレチマとやらに投げかけました。
雨の中に浮かんでいたからかもしれませんが、フレチマの顔はたいそう萎んでいるように見受けられました。今日一日で心労によって老けたみたいでした。
「いやはや此度の嵐はグラテウナ以来のものと推測されまして……。最低でも20日近くは雨が続くかと……」
気弱そうに、いかにも言いづらそうにフレチマは答えました。
そのフレチマの言葉を聞くと急に王は振り返りました。奇しくも部屋に飾られた王の肖像画と同じ立ち姿でした。王があまりに大きく目を見開いていたもので、その眼光を浴びて学者はぶるりと身震いしました。
「20日、だと!?」王はぎりりと歯を噛みしめました。「ええい! 『双杖』を玉座の間に直ちに呼び出せ! 今、すぐにだ!」
「は、は! ただいま!」
王は学者が慌てて立ち去った後、何やら考えこんで、
「……むむ、待てよ。考え方を改めれば……好機となりうるか……」
とつぶやくと、ほんの少し口角を上げました。
この国の王、ギリアム・ローイッシュ・フェン・ノーザンネルデン2世。165代目に数えられる君主。詩や絵画など芸術をこよなく愛し、そこに一定の見識はありました。しかし、政や戦につきましてはまるで才覚を有しない凡君で、宰相と宮廷魔法使い──『双杖』にそのほとんど全てを丸投げしておりました。
かと言ってまったく口出しをしない人ではないことが問題でした。埒外のことであっても、何らかの不手際が生じたときには、必ず自ら責任の所在がどこにあるかを明らかにし、然るべき者に然るべき罰を、と息巻いて処断を加えようとする手厳しい人物でもありました。国政への関与には基本的に消極的であるのに、国政の結果、生じた失策につき責めるべき者がいる場合は調べ上げ、吊り上げる、それでいて自身は責任をとったことがなく保身に走ることからギリアム王は『無責任王』と呼ばれることもありました。
この日、ギリアム王が『双杖』を玉座の間へと呼び出しました、その理由は、この嵐の到来を予測することができなかった責は誰にあるか、というものでした。自然現象への挑戦、天文学発展への情熱と耳障りのいいように換言することはいくらでもできますが、その理由が理不尽極まりないものであることは明らかでした。
この日、呼び出された不幸なるものは『双杖』──それはノズモナドが誇る、王国最高位の宮廷魔法使いの筆頭ふたりを指す呼び名です。いずれも現王よりも年長で良き相談役として重用されていました。戦でも作戦の要となるため、諸外国から恐れられていました。
ギリアム王の命による招集を受けて、双杖は王よりも早く玉座の間へと詰めておりました。
「ひどい荒れ模様だな……」
「うむ。グラテウナ以来と皆が口々に言うのもわかるな」
双杖は窓の外を眺めながらそんな風に言葉を交わしておりました。
そのとき王が勢いよく扉を開けて、双杖を見るや否や、「まったく、こんなときにこそ予言だろう? 予言はどうなっておるのだ? 予言は!」とこぼしながら、つかつかと歩いて玉座に腰を据えました。
双杖は即座に拝跪し、頭を低くします。
王はすごい剣幕でした。今にも右手に持っている葡萄酒の入ったゴブレットを投げ出さんとするほど怒りにわなわなと震えていました。頭上の王冠の宝石飾りが小刻みに揺れていました。
この人があのような繊細な言葉選びを行う作業である、詩の創作をこなすことができるのは一体全体どうして──と言いたげに双杖の二人はひそかに顔を見合わせました。王の詩は優しい感情を情景描写に投影する柔らかい印象を持つものでありましたから一層、そのように感じられました。
「国王陛下。陛下がお耳に入れられてらっしゃらないのと同様に、我ら『双杖』も、『銀の魔法使い』より、この嵐につき、予言の一切を受け取ってはおりませぬ」
双杖のひとりで、白いローブを羽織り、ウェーブがかった髪を真っ白に染め上げた老齢の魔法使いが、王の前に右ひざをついて跪いたまま、長い髭の中でもごもごと口を動かしながら答えました。不思議と声はよく通りました。髭は艶がかっていてまるで上等な絹のようでした。
「ええい! このような事態を予め見、言せずして、なにが予言者か! あの銀の魔法使いのたわけが!」
王の右手がふいと上がりました。ついにゴブレットが投げられるかと、双杖はいざとなれば、その杯に魔法をかけて割らぬように細工しよう、と目でその動作を負いましたが、王は葡萄酒を一気に仰いだだけでした。双杖のふたりは胸をなでおろしました。あとで執事長に怒られるのがふたりとも嫌だったからです。
「陛下。ご無礼を承知の上で申し上げますが、予言をあてにしすぎるのも、感心しませんな。予言は決して万能なものではありませぬし、未来永劫、万能にはなり得ませぬ」
今度は、双杖のひとりで、さっきの者とは対照的に黒いマントを羽織って、白と黒が入り混じった髪を後ろで束ねている、やや白い魔法使いよりも若い出で立ちの魔法使いが、左ひざをついて跪いたまま、左目を閉じて右の緑の眼を輝かせながらはっきりそう答えました。その物言いから王の助言者としての苦労が窺えました。
「ふん、先王はまだしも、余がもとより予言をあてになどしておるか。余が信ずるところは神のみである。余は神に代わり、道理を示しているのだ」
王は立ち上がると跪いた双杖の周りを軽い身のこなしでぐるりと周りました。王の纏う真紅のローブがふわりと揺れました。まるで舞台を大きく使って演技する俳優のようでした。
「ランポテス王もいったように、社会に生きる者には役割というものがあろう? 余が生まれながらに王を務めるよう、神から仰せ司った運命のように、予言者は予言者として生まれた運命。その責を生涯に渡って全うするべきなのだ。学者が長年の研究からも予見できず、教会が霞がかったか知らぬが神の御意思をお伺い立てられぬというのに、予言者が出ずして誰がこれに対処できよう。このような不測の事態に対応するためにこそ予言者は存在するのではないか?」
黒い魔法使いは、結局は予言者をあてにしているのではないか──とものの数秒で矛盾した王に対し少し顔を曇らせ、どのようにこの人を説得しようかと頭を抱える思いでした。心なしか黒い魔法使いの頭は前へと傾いていました。
──あまつさえ、何かと人に責任をとらせたがる王のことだ。予言者に罪があるとして処断しようとする可能性がある。これを諫めるのは根気がいるな。それとも別の解決策を模索すべきか?
篠突く雨が窓を打ち付けています。
王が双杖の出方を探ろうとじっとこちらを見つめて圧をかけていました。
白い魔法使いは、取り乱すことなく王の詭弁を聞いて思考を巡らせます。
──ランポテス王か。158代目・国王で『責務論』を唱えた人物。しかしその理論は誰しもが社会に貢献できる力を持つという人の可能性を広げたものであったはずだ。
白い魔法使いは思えば、ギリアム王はその曲解から見るにランポテス王の影なる部分に取り憑かれているようでなりませんでした。平時は詩をたしなむような穏やかな比較的おとなしい方ながらも、何かことが起きると口を開けば狂ったように責任、責任とのたまうようになります。
白い魔法使いにはこのギリアム王の心の荒みについて心当たりがありました。
──ご兄弟との王位継承争いが、ここまで尾を引いているとはな。しかし、陛下は責任なきところに責任を見出すほど腐ってはおられない。懇切丁寧に銀の魔法使いに責めるべき理由がないことを説明すればわかってくださるだろう。
そう考えつつも白い魔法使いは、何かこれから嫌なことが起きる気がして悪寒を覚えるのでした。




