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「勇者イーラーケルの冒険譚」  作者: 黎明・弐
第二章:初めての冒険(帝国歴1202年)

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第9話「勅令が届いたこと」

 樫月(7月)の22日から24日にかけて、この三日の間に親戚やら友人、村人たちが出産を祝いに度々、訪れました。

 マークガーヤが家にいる間はシャンティの体に障るとよくないと客の前に立ち塞がって、応対していましたが、お前なんて髭面の顔をとうに見飽きたのだから可愛い赤子の面を一目おがませろ、と集中的に押しかけられた日には彼の築いた関門が突破されて客が寝室まで流れ込むなんてこともありました。


 24日の晩には、玄関の方からトンカチで釘を打ち付けている音がしました。

 これにはさすがにシャンティが気付いて寝室から「あなた、一体どうしたの?」と訊きました。


 すると「扉を板で塞いでいるんだ」とかなり遅れてですがマークガーヤから返答がありました。シャンティが度重なる来客に嫌気がさしたに違いないと察しました。自分も少し疲れてきたところでしたから。


 ですが、それ以前にひとつ疑問が浮かびました。

「あなた、明日どうやって外へ出るの?」

 シャンティがこのように訊くと、さっきよりもずっと長い沈黙になりました。そうして忘れた頃にようやく返答がありました。

「…………ああ、君は鋭いね。まるでそのことについて考えてなかった」

 シャンティはマークガーヤのとぼっけぷりに笑ってしまいました。抱いている、イーラーケルの顔も少し笑っている気がしました。






 樫月(7月)25日になりました。

 その日もアーファンルンク家は平穏な朝を迎えたはずでした。

 マークガーヤが朝8時ごろ起きて、イーラーケルの布おむつを新しく替えました。さらに彼は自分が昔こしらえた立派な鎧窓を開けて、寝室に光を入れ、風通しをよくするとシャンティとイーラーケルの額ににキスして着替えると工房に出ました。マークガーヤはこれを一日の日課にしようとしていました。


 朝9時ごろ、シャンティがイーラーケルに乳をやっていると、キクイタダキがやってきて窓の端にとまるとふたりを見て、くいっと顔を傾げるとぴょんと跳ねてまた飛んでいきました。隣家の屋根では猫が背伸びをしていました。

 目を閉じ、耳を澄ますと、鳥の(さえず)りや畑仕事をする者たちの声に交じって、鉄を打ち付けるカーンという音が聞こえてきました。シャンティはイーラーケルに「あの音はね。お父さんが仕事をしている音なんだよ」と教えてあげました。

 乳をやり終えると、イーラーケルはすぐにうとうとし出したので、シャンティはベッドから出て彼を揺り籠にのせてやりました。少し揺り籠を揺らしてしばらくすると、イーラーケルの乗る、夢への航路をいく船が漕ぎ出されました。

 シャンティはそれを確認すると台所を兼ねた居間でもある隣室に行って、そこにあった机に座ると、編み物をし始めました。イーラーケルへの服はお祝いに、誰かのお古から新しい物までたくさんもらったのですが、何かその子のために自分で作ってやりたいとシャンティは考えておりました。


 いつもと変わらない、和やかな時間が過ぎていきます。


 シャンティは一通り編みものを終えると、それから、台所に立って料理を始めました。今日の献立は人参のスープにパンとハムでした。いつもとほとんど変わりませんが、祝いにもらったハムが加わるだけ豪華でした。

 鍋を火にかけようとしていると、玄関の扉をノックする音が聞こえました。また客人が来たとシャンティは思いました。壁にかけられている時計を見ますともう11時半くらいでした。


──ちょっと早いけどマークガーヤかしら。シノンかレーメかも。いや、ヒルダさんかしら。

 シャンティは夫か友人のいずれかかと思いました。まだイーラーケルがお腹にいた頃には、よく友人には話し合い手になってもらったものです。邪険にするのも悪いと思いました。


「はーい、開いてるよー」

 シャンティはノックに対し、言葉で答えます。


 扉が開きました。そこにはシャンティの予想とは、かけ離れた人物がおりました。

 羽根のついた帽子を被り、目がキッとつり上がっているキツネのような顔をした、緑の荘厳な衣装を身に着けた男が、ふたりの甲冑をまと腰に剣を帯びた護衛を連れて立っていたのです。


 その姿を見て慌ててシャンティはその場で深々とお辞儀をしました。


「ああ、領主様。ご無礼をお許しください」

 さらに扉に駆け寄ると再度、シャンティはお辞儀をしました。


「おい、シュナイザー。この者の名前は何だったか?」領主と呼ばれた男が右隣の護衛に耳打ちしました。


「はい、閣下」シュナイザーと呼ばれた護衛が手に持っていた土地台帳をぺらぺらと捲りまして答えました。「アーファンルンク家のシャンティというものです」


「あのお気を悪くされたでしょうか?」

 不安そうに腰をかがめ顔だけ上げてシャンティは言いました。突然の領主の訪問に彼女は怯えていました。今にも泣きだしそうな顔をしていました。


 この領主というのはルーカス=レ=ボールダンといいまして、貴族としてはフィヨルギュン男爵ルーカスの名を持ち、ここフェリペの村を中心に三つの村のある地域を領地として有しておりました。普通はボールダン卿と呼ばれていました。

 村への徴税の締め付けを頻繁に行うような悪徳領主だとか、そんなふうに嫌われているわけではありませんでしたが、決して好かれているわけでもありませんでした。どちらかというと馴染みの薄い人物でした。


「いやいや、()ャンティ殿。まったく問題はないのだ。今日はいい天気だね!」

 ぎこちない笑みを浮かべ、ぎこちない挨拶をしてボールダン卿は油の刺されていないブリキの人形みたいにかくつきながら、左手を突き出しました。握手を求めているようでしたが、慣れていないのがバレバレでした。

 

「は、はあ……」

 シャンティは困惑しながらその手を握りました。ボールダン卿はひどく手汗をかいていました。ぶんぶんと、卿が木槌を振り下ろすみたいに腕を上下に振りました。自分の名前も礼儀も間違っていましたが、何か自分やマークガーヤが心当たりのない罪責を問われるような重苦しい雰囲気のものではないと感じて、緊張が解けました。


「閣下。()ャンティ殿ではありません。()ャンティ殿です」

 シュナイザーが急いで訂正しました。間違いを正すことを恐れてはいませんでした。


「ん? わたしはそう言ったが? シャンティ殿、と」

 白々しくボールダン卿は答えました。


「あの……立ち話もなんですので、入られますか?」

 気を利かせてシャンティが言いました。


「おっと、これはこれはお気遣いありがとう」ボールダン卿は護衛ふたりに呼び掛けました。「ここは暑くてたまらん! ふたりとも、遠慮せずに入らせてもらおう」


 三人はぞろぞろと入ってきました。ボールダン卿は物珍しそうに家の中を見回しておりました。


「……どうぞ」

 何も、領主をもてなせる物もありませんでしたが、とりあえず三人分カップに水を注いで出しました。どれも少し持ち手や飲み口が欠けていましたので気恥ずかしかったですが仕方ありませんでした。

 ボールダン卿のみが席について、他のふたりはさっきと同じ構図で立ったままでした。


「おお、ありがとう!」ボールダン卿はそれをぐっと呑み干しました。喉がかなり乾いていたみたいでした。それからおもむろに口を開きました。「さて……シャンティ殿。先日、皇帝陛下によって新たな勅令が発せられたというのはご存じかな?」


 少しシャンティは考えてみましたが心当たりがありません。

「……いえ、存じ上げておりません。帝都はここからも遠いですし。最近は村に出ることを控えておりましたので……」

 一体、どんな勅令があったのだろうとシャンティは思いました。

 自分たちに関わることなのはたしかでした。


 想像がつかないのも無理はありません。シャンティは勅令を出した皇帝の顔も声も出で立ちも好きな食べ物も何もかも知りませんでしたし、漠然と『絶対者として君臨している』ということはわかってはいましたが、お月様のように手の届かない果てしなく遠いところにいる神に近しい存在というのが皇帝への正直な印象でしたから。


「見ろ、シュナイザー! 村長だけに共有するなどやはり間違いだったのだ! だから、私は『クライヤー』を雇え、と言ったのだ!」

 すると、ボールダン卿は怒り始めました。また始まった、というふうにシュナイザーがうんざりした顔をしました。

 クライヤーとは勅令や王令などの重要なお触れを、叫びながら町や都市の人々に回って伝えるという職業です。


「しかし、閣下が最後はお決めになったのでしょう? それにクライヤーを雇うなぞ、税金の無駄遣いです。臣下のいずれかの者に触れ役を任ずるなど他の手を打てばもっと効果的に伝えられたことでしょう」

 シュナイザーはそれに臆せず、言い返します。見事な胆力でした。ふたりの普段の関係性もほんのり窺えました。


「こいつ! ああ、そうだよ! 私が悪いんだよ!シュナイザー、お前は年々、生意気になっているな!」

 ボールダン卿はそう言って不貞腐れました。


「あの……」

 シャンティがいたたまれなくなって声を漏らしました。自分の家なのに居心地が悪いというのは変な気分でした。

──一体、自分は何を見せられているのだろう……

 勝手に領主とその臣下の者がやって来て、目の前で喧嘩を始めたものですからそう思って当然でした。


「ああ。すまない、すまない」ボールダン卿がシャンティのそんな様子に気づいて言いました。それから軽く咳払いして続けます。「では、その勅令の内実を今ここで聞かせよう。ラチュウ。皇帝陛下の勅令を読み上げたまえ」


「は! 畏まりました!」

 ラチュウと呼ばれた左隣の護衛がすいっと前に出まして、片手に握られておりました、巻かれていた紙をくるくると開きました。それまで石像のようにぴくりとも動かなかっただけに彼の動きは疾風のように俊敏なものに見えました。


「勅令177号。

 帝国歴1202年の樫月20日から21日に生を受けた、全ての帝国臣民の幼児は同月30日までに帝都エアドランの皇宮まで来るよう厳命す。これにつき随伴は上記幼児の三親等以内の血族ひとりのみ認める。

 また、帝都へと至る途上で生じたなんらかの障害により、30日までの帝都到達が著しく困難、もしくは不可能な状況に陥ったとき、上記幼児の属する領地を管理・運営する諸侯にこの全ての責があるものと見なし、これを厳罰に処す―――以上となります!」

 ラチュウがはっきり大きな声ですらすらと読み上げると、役目が終わったという風に一歩、後ろに下がりました。彼は見てわかる通り、必要以上に喋ろうとはしない従順な人でした。


「ご苦労、ラチュウ」ボールダン卿が両の手の指を絡み合わせながら言いました。「さて、これで我々がどのような立場に立たされているか、わかったかね? シャンティ殿」


 ボールダン卿の額から汗が流れてきて目の中に入りました。ですが、まったく卿は瞬きをしませんでした。身体の感覚が狂ってしまうほど卿が内心、焦っているのがわかりました。

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