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「勇者イーラーケルの冒険譚」  作者: 黎明・弐
第二章:初めての冒険(帝国歴1202年)

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第10話「剣が抜かれたこと、剣が収められたこと」

「つまり……うちのイーラーケルを帝都に連れていかなければならないとおっしゃるわけですか?」

 シャンティは血相を変えて言いました。

 ほんの数日前に生まれた子が、母親がついていたとしても馬車に揺られて、帝都に向かう長い長い旅になんて耐えられるわけがありません。

 街道は整備は一部にしか行き届いておらず、通行するには不安定です。道中は森を通らねばなりませんし、そこでは子どもの匂いを嗅ぎつけて妖精や魔物も出ます。

 そんな中で眠り、乳をやって、また眠ってという子どもの成長のための当たり前の一日の周期を十分に回すなんて不可能に近いでしょう。


 それにこれは不敬になるので、決して口にはできませんが皇帝に何をされるのか、わかったものじゃありませんでした。


「ああ、そうだ。察しがよくて助かるよ」ボールダン卿はそんなことにお構いないしに笑顔を浮かべて言いました。「名前……イーラーケルというのだな。いい名前だ。シャンティ殿がつけたのか?」


「…………ふたりでつけた」戸口の方から声がしました。皆がそちらへ目を向けました。そこにはマークガーヤが鍛冶道具の黒く巨大なハンマーを肩に担いで立っていました。彼の目はそこから動くなと牽制(けんせい)するように睨みつけていました。「一体、俺たち家族に何のようだ? 領主様」


「あなた! 帰って来たのね!!」

 安心した勢いで、シャンティはとうとう泣き出してしまいました。それを見て、マークガーヤは青筋を立てます。妻を泣かせるとは一体、何をしたのか。本当に彼女の身体に障るようなことをしたのではないか、とつい勘繰(かんぐ)ってしまって途端に彼は我を失ってしまいました。


 またもや、名を覚えていないボールダン卿はシュナイザーに耳打ちしました。

「シュナイザー、あのいかつい者は?」


「シャンティ殿の夫のマークガーヤ殿です」


「ああ、鍛冶屋のとこのア(・)ークガーヤ殿か!」ボールダン卿はまるで当初から知っていたかのように言いました。さらに空気の読めない卿は挨拶をします。「いやあ、今日はいい天気だね!」


「マ(・)ークガーヤ殿です、閣下」


「何をぶつぶつと話している? 俺からの質問に答えるんだ」

 ぐっとマークガーヤが前に出ました。目はその眼光で射殺してやろうとばかりに今にも襲い掛かろうとしていながら、まったくその時機が読み取れない足取りでゆっくりとですが確実にその歯牙のかかる距離までにじり寄ってきます。猛獣の間合いのようなものを彼は無意識にとっていたのでした。

 シュナイザーもラチュウもその殺気に気付かぬほど鈍くはありません。


「閣下、お下がりください。ラチュウは閣下のお傍に。シャンティ殿も離れていらした方がいいでしょう」言い終わるより前にラチュウがぐっとボールダン卿の袖を掴んで後ろへ下がりました。シャンティもその言葉に促されて身体が反射的に動きました。彼女は一体今から何が起こるのか理解できませんでした。いや理解したくなかったくなかのかもしれません。シュナイザーが剣を抜き、そして構えました。「わたしが止めよう」


 マークガーヤがさらに一歩出て、ハンマーを振り上げました、天井をこする程、大きな軌道を描いてその仕事道具は振り下ろされました。金敷(かなしき)の熱した鉄の棒を鍛える動作そのものでした。


 シュナイザーはそれを頭上で剣で受け止めました。剣にぶつかったハンマーは本来の用途とは違い、どんな事情があろうと人を傷つけるために用いているだけに虚しい音があたりに響き渡ります。体重も経験もまとめて乗っかかった、その一撃はシュナイザーの骨の髄まで震わせました。彼はマークガーヤの目を見て言いました。

「落ち着きたまえ。何も我々は、君たちを傷つけるために来たのではないのだ」


「よくもぬけぬけと! イーラーケルが、俺たちの子が連れていかれると──

 ハンマーを、その攻撃を止めていた剣から引きはがすとマークガーヤは一歩引いて、今度は横からわき腹に打ち付けようと構え踏み込みました。「たしかに聞こえた!」


 それをまた剣の面で受け止めて衝撃を殺します。それでもシュナイザーは猛牛に突っ込まれたかのように吹っ飛びました。そのまま彼は台所に激突します。鍋やフライパンがぼろぼろと落ちました。すかさず、マークガーヤが追撃に向かいますが、シュナイザーは素早い身のこなしで既に立ち上がっていました。彼は今度は斜めから打ち付けられた鋼の塊を剣でなんとか抑えようとします。間一髪で噛み合いました。

「誤解だ! 説明させてくれ! 皇帝陛下よりの勅命が下ったのだ!」シュナイザーはぎりぎりと剣で押しながら言いました。「我々は君たちを守るために来たのだ!!!」


「嘘をつけ!!!」

 怒号が飛びました。唾が飛びました。火花が飛びました。

 マークガーヤはかろうじてシュナイザーの声は聞こえても、何も聞こえていないに等しい状況でした。正常な判断ができませんでした。さらにハンマーを押し込みました。シュナイザーが踏ん張りますが、怪力におされてじりじりと後ろへ下がっていきます。


「あなた、もうやめて!」

 寝室まで後退していた、シャンティがつまずいてその場に蹲りました。すぐ目の前で戦いは行われていました。声はかき消されてしまいました。


「ああ、一体なぜこんなことになったのだ。私にできることは!?」

 壁の隅にラチュウを前衛として立たせて、身を寄せながらも、ボールダン卿は頭を抱えていました。


「閣下が下手に介入すると余計に面倒なことになりますのでここにいてください!」

 傍にいたラチュウが無慈悲にもそう告げました。ボールダン卿を抑え込んでおくということは卿が傷つかないようにするという意味も勿論ありましたが、シュナイザーはともかく領主を傷つければ、マークガーヤの訴追もやむ負えないでしょうから、両方を想って行動であり発言でありました。


「──こんなことをしたくはなかったが……!」

 シュナイザーがようやくハンマーヘッドを流すとすぐさま突きの構えに移りました。


「うええええええええええええええええええええええええええええええええええええええん」


 マークガーヤとシュナイザーの両者譲らずの戦いに無慈悲な終止符が討たれようとしている中、そこにひとつの泣き声が響き、空気をびりびりと震わせました。他でもない、イーラーケルの泣き声でした。

 マークガーヤが突然、ハンマーを落としました。シュナイザーの突き出した剣がマークガーヤの胸の前で止まりました。


 気付いた頃には揺り籠の方にマークガーヤとシャンティは駆けだしていました。


「イーラーケル!」


「ああ、ごめんよ…………イーラーケル…………泣かせるつもりはなかったんだ」


 シュナイザーとラチュウが目を合わせました。首を鳴らして、ほっとした表情を浮かべるとシュナイザーは剣をしまいました。






 その後、シャンティは、ボールダン卿たちにしっかり許可をとると、イーラーケルに乳をやりました。マークガーヤがそれに続いてイーラーケルの布おむつを替えました。

 そうして、シャンティはイーラーケルを抱えて、マークガーヤとともに三人はそろって席につきました。ボールダン卿も再び席につきました。

「その…………申し訳ありませんでした…………領主様、護衛の方々…………どのように非礼を詫びたらよいのやら…………」

「夫が大変、失礼しました」

 ふたりは頭を下げました。マークガーヤはこのまま首を切られても文句は言えないとまで頭をさらに深く下げました。


「──シュナイザー」

 人差し指をくいくいっとやってボールダン卿はシュナイザーを呼びました。


「はい、なんでしょう? 閣下」


「お前が許すなら私は彼らの過ちを一切、忘れようと思うのだが、お前はどうだ?」

 ボールダン卿の額から一筋の汗が流れました。それがまた運悪く目に入ろうとしました。卿は瞬きをしました。もはや顔に焦りはありませんでした。


「……許すも何も、何かありましたか? 私のほうが先に忘れてしまいました」

 シュナイザーは澄ました顔をして腕を横に広げて言いました。兜には台所に衝突したときにできた傷で中に光る目が見え隠れしていました。こいつめ、とボールダン卿は少しだけ満足げに笑いました。ですがすぐに真面目な顔を作りました。

 シュナイザーは考えていました。

──赤ん坊のいる家に剣なんて身に着けて入って家族を怖がらせた自分にも非があるのだ。それに子を守ろうとした親をどうして責めることができるだろうか。


「すまんね。うちのシュナイザーは忘れっぽいと来とる。そんな者の上に立つ、私も忘れっぽいというわけで、私も忘れた!」ボールダン卿はとぼけた顔をしました。するとイーラーケルがそれを見て笑いました。卿は嬉しそうな顔をしました。「さあ改めて話をしようではないか」


 ボールダン卿はさっきまでは焦りに支配されていましたが、信頼関係も築けていないのに手順を踏まずに訪れて勝手に振舞ったことを卿なりに内省しておりました。

──自分の子を奪い取ろうとする者がいたらきっと私も立ち向かうだろう。だが今回は奪おうとか、そういうものではないのだ。きっとわかってくれるだろう……


「閣下のお心の広さに感謝致します」

「…………ありがとうございます」

 改めてアーファンルンクの夫婦は頭を下げました。よいよい、と上機嫌にボールダン卿は言いました。


 そうやって、ぶつかったからこそ対等な話し合いのテーブルにつけるというものでした。




 ボールダン卿は再度、ラチュウに勅令を読ませました。

「──以上です!」


「ご苦労、ラチュウ」ボールダン卿がそう言うと、ラチュウは後ろへ下がりました。「どうかね。何か質問はあるかね? シャンティ殿、マークガーヤ殿」


「…………いつまでにこのフェリペの村を発たねばならんでしょうか?…………そもそも、本当に行かねばならんのでしょうか?」

 マークガーヤがようやく重い口を開きました。血族はひとりと書いてありましたから、ここは母親のシャンティが同行するのが筋でしょう。自分が同行できない上に、ふたりを行かせるなんてことはできそうにありませんでした。


「そうだな。遅くとも明日の朝には発たねばならないだろう」ボールダン卿が静かに言いました。「ああ、行かねばならない。一応ことわっておくが我々とて皇帝より厳罰を受けることを恐れていないと言えば嘘になる。しかし、これはもはや私の首ひとつでどうにかなる問題ではないところに来ているんだ。世界の問題になるかもしれないのだ」


「皇帝陛下が国中から赤子を集める理由……それにはやはり深い意味がおありなのでしょうか?」とシャンティが言いました。


「うむ、おそらくだが。私は陛下がお考えになられていることはわからないが」ボールダン卿はそう前置きをするとさらに続けました。「とある噂を聞いてね」


「……一体、どんなお噂でしょうか?」

 おずおずとシャンティが訊きました。


「──『予言の子』についての噂だ」ボールダン卿が目を瞑りました。そして首を横に振りました。思い出したくないことを思い出してしまったという風でした。「もう、14年も前になるか……パンドゥロザ王国を滅ぼした魔の王について知っておろう?」

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