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「勇者イーラーケルの冒険譚」  作者: 黎明・弐
序章:日常の中にある冒険(帝国歴1278年)

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プロローグ1「ひとつの星が割れたこと、ひとつの星が残ったこと」

──ああ。もう間も無く星が死ぬ……

 帝国歴1278年。

 ある夜。

 ツェリストルッヒ帝国の郊外にある、のどかな村から物語は始まります。


 やけに羊たちが騒がしいので羊飼いの青年フランは目が覚めてしまいました。彼はベッドを這いずるように抜け出します。

 ぼさぼさ頭、ぼんやり眼(まなこ)のまま、小麦粉を入れる麻袋ふたつをつぎはぎで結びつけたみたいな服に片手をつっこんで腹を掻きながら、軽く羊たちの様子を見に、梯子(はしご)をするりと降りていきました。フランは羊小屋の天井部屋で7年も寝食していましたので寝ぼけたままでも、そんな芸当はお手の物でした。


「ほらほら、皆、どうしただか? バーニャ、こら落ち着くべ」

「カウも!」

「ダーちゃんも~」

 フランが来ると大抵の羊たちはおとなしくなりました。フランは羊たちに触れて、それらの中に流れる熱い血の温度を肌で感じます。特に騒がしいものはそうやって名前を呼んで、落ち着かせてやるのでした。


 すると、フランは外がやけに明るいことに気が付きました。

「ん? なんだあ?」

 そうこぼしながら、フランは歩いて行って羊小屋の入口に向かいます。まだ寝ぼけたままなのでした。


 がらりと入口を開けるとフランは思わず息を呑みました。途端に頭は冴えわたりました。


 空は満天の星空でした。今にも落っこちてきそうなほどの星々がくっきり綺麗に光の輪を描いて空に映(は)えているのでした。

 生まれて初めてフランはこんな素敵な夜空を見た気がしました。一際、目立つのは空の真ん中に流れ、波打つ星のカーテンのようなところにど(・)し(・)ん(・)ど(・)し(・)ん(・)と鎮座(ちんざ)する、最も光り輝いている白い星と、その隣に浮かぶ赤い星でした。

 もし叶うならまるごと星のカーテンを剥がして羊小屋を飾り付けたいとも一瞬、思いましたが、きっとあのカーテンは空を飾る以外にも太陽を覆い隠す重要な役割も果たしているのだと考えて、皆これ以上、明るくなったら迷惑するだろうと思ってやめておきます。  

 それなら代わりにと、フランは背伸びして、さらに手を伸ばせばあの星のどれかには届くんじゃないかと思えました。あの白い星、もしくは赤い星が欲しいなと思いました。

 本当に取れるように思えましたが、なんだかやっぱり冷静になってやめました。

「いやいやきっと届いたりはしないだなあ。だって星をとったひとなんて聞いたことがねえし、そりゃ黙ってるだけって可能性はあるけんど、星をとったなんてなったら皆に黙ってられるわけねえもんなあ」

 うんうんと自分に言い聞かせるようにフランは言いました。誰かが見ていたら気恥ずかしいとかそういう思いは微塵もありませんでした。

 それでも未練があって、指先があったかくなるくらいはあるんじゃないかしらと思い返してフランは結局、手をぴっしり揃えて立てたまま、うんと背を伸ばしたり助走をつけて思いっきり飛んで果敢に挑戦してみることにしましたが、無情にも指先は冷やっこいままでした。


「そうだ! 今日は冷たい星の日なのかもしんねえべ!」

 フランはそういうことにしてようやく納得しました。この瞬間、フラン博士の頭の中には夜には温かい星の日と冷たい星の日とがあるという画期的な理論が生まれたのです。


 それからちょっとその場に腰を下ろすと指の先で星と星とを線で結んでみて昔の人はこれを見て『大羊座』やら『中羊座』やら『子羊座』やらと頭をひねって名前をつけたんだろうな、なんて思いながら時間を過ごしていました。


 そうこうしていると最も明るい白い星の隣の赤い星がなんと崩れ始めたではありませんか。


 赤いユリが花開いたみたいでした。

 打ち上げられた花火が空中で散華するようでした。

 その赫灼(かくしゃく)から赤き閃光が九つほどに細かく分かれてこぼれ落ちていくさまはヒュドラが火を吐きながら這って進んでいるようでした。


「えー!? ずりいぞ!」

 フランはそう言って飛び跳ねました。彼には誰かがその赤い星を取ろうと試みたために崩れてしまったと思えたのです。そしてあのかけらのどれかを手に入れたひとがどこかにいることをほんのちょっぴり羨み、逆に自分が壊してしまわなかったことに内心ほっとしていました。


 赤い星から枝分かれしたその内のひとつが流星になってフランの頭上を横切りました。


 感動してそのさまをぼんやり眺めていたフランでしたが、時間が経つにつれて、あのとき手を伸ばしていれば、あのかけらを掴めていたかもしれないと後悔しました。それになんだかちょっとだけあの流星が頭上を横切ったとき、ちょうど頭のてっぺんあたりが温かった気がしましたから、そう思うのはなおさらでした。

「しまったなあ」フランは失敗したというふうに頭を掻きました。ですが彼の立ち直りは早いのです。「……けんども、とんでもねえほど綺麗なもんが見れたんだべ、それでいっか!」


「それに本当に欲しいのはあの星だべしなあ」

 フランは今一度、天空に健在である白い星を見つめるとウインクして見せて、羊小屋のほうにくるりと踵(きびす)を返しました。

 

 そして羊たちの横を通り抜けて、梯子をすいすい上ってベッドに潜り込むと両目に焼き付いたあの白い星をいつか取れたらいいな、と手を伸ばしながら夢見心地に考えていたら、本当にまた夢の世界に舞い戻ってしまいました。


 あの強烈な紅の星の最期を、この晩に全世界で見ていたのはフランを含めてたったふたりだけでした。


 次の日の早朝のことです。

 その村の小高い丘に生えるオリーブの木の根元で木に寄りかかって眠るように亡くなっている、一体の骸(むくろ)が見つかりました。

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