77・獣魔神の謀略、潰える
「さっさと立ちなさい!」
「し、しかしよぉ!? この足じゃそれも!」
「何を馬鹿なことほざいてるの! もう解除したわよ!」
「え!? あ、ああ、おお!」
メデューサが(罵倒しながら)言ったように、灰色の石となっていた片足の脛は元の色合いを取り戻している。
味方にかけた呪いなのだから、すぐ解くに決まりきっている。そのことも忘れるくらい焦って困惑する不甲斐なさ。
もうメデューサは呆れる気も起きなくなっていた。
「仕留めないと!」
「殺っちゃわないと!」
しかし焦ろうがどうしようが、ベルセルクが血を浴びてパワーアップしたのはまだ持続している。ここで倒せなくても手傷を負わせないと面倒なことになると双子は判断した。
地面にへたり込んでいたベルセルクに、ピオとミオの表面上美少女コンビがオリハルコンの剣を振るう。
「ぐがぁあっ!!?」
わずかに回避が遅れる。
ごちゃごちゃと泣き言を垂れず、脛の呪いが解けたのをすぐ理解して立ち上がれば良かったものを。
動揺によって何も出来なかったその数秒が、避けるか避けられないかの分水嶺だった。
どさりと、太い左腕が落ちる。
「ぐあっ、おのれ、この腐れ売女どもがよくもおっ!!」
重ね重ね説明するが双子はどちらも男の子だ。ちゃんと生えている。
「クソッ! クソがああああぁーーーー!!」
肘から先が無くなった左腕から血を流しながらも、まだベルセルクの戦意は衰えていない。
残った右腕で斧を振り回し、双子を仕留めようと悪戦苦闘するが、それに素直に付き合う双子ではない。付き合う義理も趣味もない。高潔な決闘でもなければ楽しい試合でもなく、ただの仕事にすぎないのだから。
スキルの効果が終わるのと、失血が進んで体調が悪化するのを待てばいいと双子は目論んでいる。
スピードもテクニックも武器も、自分たちのほうが熊頭より上。
回復系のスキルか魔道具で左腕を繋ぎ合わせようとしたり、そこらに倒れている信者をまた殺害して血を浴びたり、そのような真似をしようとしたら全力で妨害する。それだけでいい。
そこで熊頭が苛立ち、不利な状況を打破しようと無理に暴れたりしたら、それこそ僕らの思う壷。
もう片方の腕か、足か、それとも欲張って胴か首か。
やれそうな部位をできる範囲で斬ればいいだけだ。決して強引には通さない。今一番大事なのはこの優位を保つこと。
そう思いながら熊頭の攻撃を避ける。
痛みと出血に動きが鈍ってきたかな? やるか?
「ウォラアッ!!」
「「あぶなっ!?」」
双子の声が重なる。
まだまだ余力があるのか、勢いのいい薙ぎ払いがきたので、背後に飛び退いてかわす。
見た目通りのしぶとさである。
でもこの戦法を行っていればまず負けはないはずだ。弱り待ちしよう。急ぐこともない。
あちらの蛇女はギルハにどうにかしてもらおう。
こっちが終わるまで耐えてくれたらそれでいいから頑張って。
そのギルハは蛇の群れに困り果てていた。
人ならともかく爬虫類は操れないぞ。リザードマンならよかったのに。
操り人形と化した信者どもを総動員しても、毒牙にやられて一人また一人と脱落していく。ジリ貧だ。蛇の数が多すぎるよ。
「悪あがきはよしなさい。抵抗するだけ無駄よ」
などと余裕を崩さないメデューサだが、胸の内では今後の戦術に苦心している。最悪、ベルセルクを捨てることも視野に入れなければならないと思っている。
「ふふっ、抵抗が無駄なのは、あなたの方ではなくって?」
黒い影を付き従わせた白い影が、無惨なことになった安宿の入口から、ゆるりと現れた。
声の主は白い影。
言わずと知れたスィラシーシアである。
「よく言うわね。この明るさの下では、大した振る舞いもできやしないくせに」
「あら、それはどうかしら」
白い影が意味深に呟き、何かの呪文を唱え、両手をゆっくりと大きく広げる。
ベルセルクに斬りつけられて深手を負った左腕は完治しているようだ。流石は吸血鬼である。
白いモヤのようなものが漂い始めた。
そのモヤは、より一層濃くなり、やがて光をやんわりと遮るまでに至る。
そうして、安宿の一帯が深い霧に包まれた。
「心配させて申し訳ないわね。でもこの通り、わたくし達の身を案じなくても結構ですわよ。おわかり? ……ご理解できたのなら、悔いなくお逝きなさい」
再び、五本の指に暗き魔爪を伸ばす。
もう言葉は無用ということだ。
「──舐められたものですね。光に怯え、暗がりに蠢くしか出来ない死人の分際で……!」
太陽という地の利は、失われたに等しい。
こうなれば切り札を使わざるを得ない。そうメデューサは思った。
呪いを飛ばしたり使い魔どもをけしかけても、きっと難なく対処されて、自分は爪の餌食にされてしまう。
ベルセルクを巻き込むことになるが、あの調子なら、どのみち少女達に勝てはしないだろう。失うのが惜しいが仕方ない。自分の命のほうが大事だ。
信者どもはまた増やせばいい。力を求める者はどこにでもいくらでもいる。
メデューサは冷徹にそう結論づけ、スキルを全開で発動する。
石化の呪いが全方位に、無差別に放たれ──いや、津波のように何もかもを飲み込んでいく!!
──はずだった。
「!!? な、何!? 何が起きてるの!」
逃れようがない石化の津波。
その悪意の濁流が、周囲の霧に混ざり、中和されているのだ。
「わたくしの霧を、ただの日陰だとお思いでしたの? クスクスッ、そのような生易しく儚いもののはずがないでしょう? 真祖に連なる者の生み出した、魔の霧が」
「こんな、吹けば飛ぶようなものが私の呪いを!?」
「言ったでしょう? 効果こそ大したものだけど、威力はそうでもないと。もっと己の力を練り上げ、高めればよかったのに。凶悪なスキルにあぐらをかいたのが──」
逆転の一手をゴミにされたメデューサの目前まで、スィラシーシアが一足飛びで間合いを詰めた。
「ま、待ちな──」
待つわけがない。そんなやり取りができる段階はとっくに過ぎている。
「──あなたの敗因よ」
その言葉を聞けたのか聞けなかったのか。
獣魔神の神官メデューサの首が、軽やかに斬り飛ばされた。
「……あちらも、終わったようね」
「そのようです」
「見えるんだ。こんな霧が深いのに……。凄いなぁ、吸血鬼って」
「よければ仲間入りさせてあげましょうか?」
青銅色の美女が、笑みの端から牙を覗かせる。
「……姫様、そのように気軽に眷属をお作りになるのは、いかがなものかと……」
お付きの美少女が釘を刺した。
言うべきことは主君のためなら構わず言うのが彼女の性分なのだ。
それは主君であるスィラシーシアも理解しているし、好ましく思ってもいる。たまに忠義が暴走するのを除けばだが。
「ま、まあ、それはまた別の機会に。それより、ピオとミオのほうは決着ついたんですか?」
「私にはついたように見えるわ。あそこまで分割されては、いくら再生能力に優れていてもどうにもならないでしょうね」
要は、熊頭の大男は双子に斬られてバラバラにされたと、そういう意味合いだ。
こうして、獣魔神の信徒の一団は、闘争の国コロッセイアで勢力を伸ばすどころか、かなりの打撃を被った。
オリハルコンの塊も失い、もはやテュポーン神をこちらの世界に降ろすこともできまい。しばらくは獣人国に根を張り、大人しくするしかないだろう。また何かを企てるにしても、かなり先の話である。
この結果に、リューヤをこちら側に呼んだ、かの存在もご満悦だろう。
この世界の住人ではない彼の動きが出会いを変え、因果を歪め、こうして望む成果をあげたのだから。




