75・安宿での攻防
「なんだ、手下どもを呼んでたのかよ! でも外の様子じゃ、こちらの助けになりそうにねえな! 全くよお!」
ようやく理解したかこのマヌケ。
メデューサは毒づいた。
当然口に出してはいない。この修羅場で揉めてる場合ではないからだ。
愚痴はこの吸血鬼どもを無力化するなり撤退させるなりしてからやればいい。
困ったのは、殺したり完全な石にしてしまうとオリハルコンのありかを聞き出せなくなるが、生かして聞き出す余裕があるかどうかだ。微妙なところである。
しかし、幸いなことに、まだありかを知る者は他にいる。
この国の王女である、ユーロペラ姫。
あの荒くれ王女を脅してどこに隠したか吐かせれば問題はない。殴り合いしか取り柄がないのだ。どうせ石化に対抗する手段などあるまい。手足を何本か固めてやれば、泣きながら大人しく白状するだろう。
メデューサはそうプランを立てていた。
──典型的な視野狭窄に陥っている。
既にここまで手違いが起きているのだ。今からいきなり全てが上手く回るはずがない。なのになぜそう思えるのか。
やはり、彼女もまた、ベルセルク同様に獣魔神からの恩恵に酔っている。自らに与えられた力と生来の知恵でどうにでも巻き返せると高を括っているのだ。
当初の予定が狂いまくっているのに、まだ状況が好転すると、メデューサは根拠なく信じている。まずは一旦引いて立て直すべきだろうに。
「さあ、これで無粋な邪魔は入らないわ。わたくしはわたくし達で、存分に舞おうではありませんか。──いざ!」
白いマントが白鳥の翼のごとく翻える。
これまでの緩やかな物腰を一変させた青銅色の美女は、獣の神官どもへと駆け──いや、翔び出していく!
「させるかよ!」
狙いはメデューサと判断した熊頭の大男──ベルセルクが迎え撃とうと前に出た。
「食らいなさいな!」
鋭い爪が閃く。
夜の魔力がみなぎるそれは、人体など柔らかなチーズやベーコンのように分割してしまう威力がある。骨も肉も抵抗虚しく引き裂かれるのみだ。
「ぐううっ! い、痛てぇなクソがっ!!」
血しぶきが舞う。
汚い悪態をつきながら、ベルセルクがその一撃を耐えた。
しかし、痛がっているのでわかるように無傷とはいかなかった。交差してガードしたその腕を深く斬られたのだ。
ただ、千切れるほどではない。
『獣力』による皮膚や肉の堅牢さに救われた形だ。でなければロビーの床に両腕が転がり埃まみれになっていただろう。
「あら、歯ごたえのある腕ね。それとも、この場合は爪ごたえと言うべきかしら」
自分の魔爪で切断出来なかったのは久々のことだ。
ユーロペラの腕以来である。
練気によって強化された彼女の籠手は、引っ掻き傷こそつけることができたが切り裂くには至らなかった。
「ぬんっ!」
気合いの声。
熊頭が両腕に力を込めると、その傷が塞がった。血も止まっている。
筋肉を締めて無理やり塞いだだけではない。浅くはない傷だったが、驚くことにもうほとんど再生していた。
「治りの早さが取り柄のようね」
「おうよ、その通りだ! てめえの爪なんぞで何度ちょっかいかけてもな、無駄な足掻きなんだよ!」
「なら細切れにして差し上げ──」
実体のない不吉なものが、自分目掛けて飛来するのをスィラシーシアは察知した。
「──ふっ」
唇をすぼめ、掌を上向きにした片手を顎の前に置き、息を吹く。
暗い煙のようなものが渦を巻いて前方に放たれ、見えざる何かとぶつかり、互いに打ち消し合い、無くなった。
「……同じ手は通じないようね」
石化の呪いをあっさり防がれたメデューサが、わずらわしそうに呟いた。
「初見では不覚を取ってしまったけれど……わかってしまえば、このように対処も苦労なく行えるわ」
危険な呪いではある。
だが、それ自体にさほど威力はなく、効果が厄介なだけだ。なのでこうして魔力をぶつければ物の数ではない。
吸血鬼の真祖に連なる彼女なら、不可視の呪いも見切ることができる。もはやメデューサの呪いは毒矢以下の代物に成り下がった。
かたやナーゼリサのほうはというと、うっすらと魔法の膜を己の周りに張り巡らせている。
呪いが当たれば壊れてしまうが、その都度また張ればいい。割り切りのいい発想である。
「くたばりやがれ!」
ベルセルクの振り回す長柄の斧が、唸りを上げてスィラシーシアへと迫る。
「朱烏よ!」
ナーゼリサの手元から羽ばたいたのは、鳥の形をした、いくつもの炎の魔法であった。
火の粉ならぬ火の羽を散らせながら熊頭へと襲いかかっていく。
「吹き荒れなさい!」
それを黙って見過ごすメデューサではない。突き出した手から吹雪を放って炎の鳥を蹴散らそうとする。
「それは駄目よ」
またしてもスィラシーシアが暗い渦を吹く。
激しい冷気と夜の魔力が相殺される。
「喰らいやがっぐあああぁ!?」
「……大した切れ味ね」
斧が命中するのと同時に、炎の鳥もまた命中した。
二つの音が、同時に聞こえた。
じゅばっという、何かを断つ音。スィラシーシアの左腕が、深々と斬られた音だ。
じゅおおっという、肉の焼けただれる音。ベルセルクの顔面や、斧を持つ腕が燃えている音だ。
「ぐおおおっ、やっ、やりやがったなアマああああ!!」
「それはこちらの台詞ですよ! 姫様の腕を斬るなんて……この不埒者が!!」
怒りと苦痛に突き動かされ、目の前にいるスィラシーシアを無視して、奥で叫ぶナーゼリサへと突進しかけるベルセルク。
だがメデューサがそれを止めた。
「落ち着いて! いいから早く外へ行きなさい! 信者たちのところへ!」
その言葉の裏にある意味はベルセルクにもわかっている。
信者どもの血を浴びて力を増強させろと言っているのだ。
『血の祝祭』
ベルセルクが獣力を与えられた時に目覚めたスキルである。死んで間もない者の血を浴びると、あらゆる能力が一時的に向上する。
しかも、何人もの血を浴びれば浴びるほど能力向上はどんどん上乗せされていくのだ。
「くそっ、わかったよ!」
悔しげに言葉を返すと、ベルセルクは方向転換してロビーの窓へ肩から体当たりする。
そのまま勢いを弱めず、壁の破片とガラス片を撒き散らしながら外へと脱出した。
メデューサがホッとため息をついた。
ここで我を失わず、自分の指示に従ってくれて、本当に助かった。
これで流れも変わるだろう。
さて自分も外に行かねば。日のあまり射さない建物の中ならともかく、晴天の下ではこの二人も本来の力を発揮できまい。地の利を生かすのが戦いの基本だ。
「かかれっ!」
メデューサの号令と共に、ロビー内のそこかしこから毒蛇が白い影と黒い影に群がった。
本来暗殺用の使い魔だが、今はとりあえずこの二人を足止めしてくれればいい。
無謀な突撃を強いられた毒蛇の群れは、その牙を突き立てること当然かなわず、魔爪に引き裂かれ、炎の鳥に焼かれていくばかり。
しかし時間稼ぎにはなった。
蛇の神官は両腕で顔をガードしながら窓へと飛んで、そのまま窓を割って外へ。
数度地面を転がってから、素早く立ち上がる。この状況ではほんの遅れが致命的になりかねない。
今自分が割った窓を見る。
そこから外にいる自分を見つめるスィラシーシアに対して、メデューサは挑発的に笑った。
さあ、ここからが本番よ。ふふふ……吸血鬼の姫君はどう動くかしらね?
クリスティラ「私たちの出番まだなの?」
リューヤ「次回も無いらしい」




