42・槍と短剣
双子の剣士ピオとミオが鉄腕の魔術師ノルスに挑みかかったのと同時に、壮年の戦士ドリエゴルと若き盗賊リューヤの一騎討ちも始まっていた。
「気色の悪い避け方をしおってからに!」
「不可思議と言ってほしいもんだね!」
慣性を無視した、鋭角的なカーブからの突進を続ける槍使い。
威力は練気や肉体を鍛えた結果の産物だが、速度や壁に当たって弾かれたような方向転換はスキルによるものだ。
彼は、自身のこのスキルを『跳ね馬』と呼んでいた。跳躍や瞬足といったスキルの亜種である。
どんな相手であろうと数度跳ねれば串刺しにできた、無敵の能力。ドリエゴルはそう自負していた。
それが当たらない。
「ちいっ! なんだこの動きは!」
本来ならとっくに槍の飾りになってるはずの獲物が無傷のまま、軽口を叩く余裕すらいまだに見せている。
そう、一筆書きで五芒星を延々と書き殴るような荒々しい挙動を、リューヤは霧や煙のようにすり抜けていた。そう見えているだけで実際はちゃんと避けているはずなのだが、他者の目には、実体がないように映るのだ。
リューヤ──霞流也の師であり祖父でもある霞大玄から学んだ忍術の一つ、『朧』である。
気配を周囲に溶け込ませ、素早い動きと緩慢な動きを織り混ぜることで、一種の錯視を引き起こさせているのだ。要は桁外れに磨かれた体術によるまやかしと思えばいい。数百年の歴史を持つ秘伝である。
秘伝にしては気安く使いすぎな気もするが、リューヤはその辺を特に気にしていなかった。むしろ使わないと錆び付くとすら思っている。
(まさか、魔法とかモンスターとかが存在する、こんな異世界の奴らにも効くとは思わなかったよな……)
かつてリューヤが存在していた世界、すなわち地球で極めて対人戦に有効だったこの術は、こちらの世界でも文句無く通用するものだったのだ。
この術、あくまでもテクニックの類いなので、幻術等を打ち破る魔法で無効にすることが出来ないのが、さらに厄介なのである。
一度、幻を見破るスキルを持つ蛇獣人──リザードマンがリューヤと戦ったことがあるが、自信満々で挑んだその数秒後には困惑し、翻弄されたまま両目を切り裂かれ、何も出来なくなったところを槍の的にされて終了していた。
相棒であるクリスティラですら、リューヤのこの術を何らかの魔法に近いものだと誤解している。まずはこの誤解を解かない限り、誰であろうとリューヤに攻撃する糸口を見出だすことはできないだろう。
このままいけばこの槍使いも同じような末路を辿るに違いあるまい。
──まあ広範囲攻撃なら普通に通用するのだが。
「かわすのだけは得意なようだが、それだけでどうやって勝つつもりだ小僧! 男なら反撃のひとつくらいしてみるがいい!」
足を止め、槍使いが吼えた。
頭に血が昇ってるだけのように思えるが、これは誘いである。
いかに異様な回避の術を用いていようと、こちらに攻撃する時には実体を伴っているに違いない。たかが短剣ごときでこの鍛え抜かれた身体が致命傷など負うはずもないのだから、刺された瞬間すかさず掴んで、首でも締め上げればそれで済む。毒が塗られていても構わない。他人より耐性があるほうだし、毒消しの霊薬も懐にある。いざとなればそこで見物している長に魔法で癒してもらえばいい。
槍になどこだわる必要などない。要は勝てばいいのだ。使えるものなら言葉でも上役でも使う。
それが、歴戦の強者であるドリエゴルの柔軟な思考であった。
「どうしたものかな」
「怖じ気づいたか、坊主。そこの聖女くずれに泣きつくなら今のうちだぞ? フハハッ!」
今度は挑発だ。
どうしてもリューヤの方から攻めてくれないと打つ手がないのである。
スタミナ勝負でもいいが、まだ十代の若者相手ではちと分が悪い。熟練の戦士であろうと決して年には勝てないのだ。
「安い挑発だね。ま、乗ってやってもいいんだが……奥の手はナシだぜ。怪しげなのが見てる前で晒すのも嫌なんでさ。このまま仕留めさせてもらうよ」
「なにぃ?」
手の内をあまり見せずにお前を倒すと、そう遠回しに言われたドリエゴルが、口先だけでなく本当に激高していく。
冷静さを保っていた頭に一気に血が昇る。血管がこめかみに浮かび上がり、まるで皮膚の下でミミズがうごめいているようだ。
「あんた程度に本気は出さない、そう言ってんだよ、ロートルさん?」
「餓鬼がぁっ!!」
さっきまで一度もかすりすらしなかった事への屈辱が燻っていたところに、侮辱という新たな薪がくべられ、ドリエゴルの怒りが爆発的に燃え上がった。
攻撃の隙を逃さず掴むなど、悠長なことはもうやめだ。
槍を突き刺すとみせかけて突進の勢いを乗せたまま手放す。飛んでいった槍が刺さればそれで良し。外れても、避けたところを抱きつけばいいのだ。後は煮るなり焼くなり好きに料理してしまえ。
フハハ、この二段構えには初見で対応できまい。
ここまでやるのは久しぶりだ。過去に二度あったが、こんな若造にやる羽目になるとはな。
……まあいい。勝ちさえすればいいのだ。
ドリエゴルの腕から長槍がすっぽ抜けていく。
驚きは見せたものの、難なくかわすリューヤ。
「とった!」
自分より大柄で、しかも筋肉質な男性のタックルをもろに食らい、リューヤが呆気なく地面に押し倒されていく。
ついさっきまでの、幽鬼の舞踏じみた怪しげな動きとは比べ物にならない醜態であった。勝負ありとしか言いようがない。
「終わりだな」
「まあ、そうだね」
「余裕だが、まさか降参したら許してもらえる……などとは、思ってはいまいな?」
「駄目かい?」
リューヤに馬乗りになったドリエゴルが、わずかにフッと吹き出した。
「虫の息くらいで留めてやろうかと思ったが、お前のようなタイプは生かしておくと何を仕出かすかわからん。息の根を止めさせてもらおう。悪く思うなよ」
「そうか。なら仕方ない」
ドスドスドスッ!!!
──仰向けのリューヤの体から雷のように射出された何本もの手槍が、ドリエゴルの胴体に残らず命中した。
相手の動きを止めたかったのは、ドリエゴルだけではなく、リューヤもだったのだ。
「ぐぇはあっ!?」
高速射出された三本の槍の勢いを受け、血と絶叫を吐き出しながら後方へと飛ばされていく。どう判断しても致命傷だ。
リューヤはおもむろに起き上がると、死人の顔と化したドリエゴルに近づき、見下ろしてこう言った。
「あんたみたいな機動力も経験もあるタイプは、生かしておくとマズそうだしな。悪いがそのまま死んでくれ。その手槍はくれてやるよ。槍使いが槍無しだと、あの世でも格好つかないだろ?」
「……い、いらぬ……世話……だ…………ゴボッ、ゲボオッ……!」
さらに数回血反吐を吐くと、ドリエゴルは静かになった。




