137・次元を越えた陰謀
「牛頭と馬頭は倒されましたか」
顔を隠すベールの奥から、静かな、しかし不気味なほどに通る声が、こちらの耳に届きました。
「本来なら、そこの剣士では勝てぬレベルの鬼なのですがね。他のあやかしもそうですが……やはり、こちらの世界では十全に力を発揮できないようですね。干渉力が足りないということなのでしょう」
「こちらの世界? 干渉力?」
何を言ってるのかしら。さっぱりです。
「もしかして、立ったままお寝ぼけていらっしゃる? 寝起きであわてて来たのですか?」
「あなたにはわかりませんよ。しかし、彼はどうでしょうかね」
ベールで隠された顔が向いた先。
その方向は、リューヤのほうでした。
「……そういうことかよ。道理で、ガキの頃見た本に描かれてた妖怪どもがいたわけだ。それがお前の仕業ってことは……」
「ええ、私も日本人です」
そこまで言うと、喪服姿の黒幕は、赤いケープを外し、ベールも取り払いました。
その素顔は……
「どうです? 魅力的でしょう?」
黒髪黒目。
二十代後半くらいに見えますね。
顔の右半分には火傷の跡があり、ただれています。ベールで隠していたのはそれが理由だったのでしょうか。
声や物腰のわりには、やや幼く見える容姿なのは、リューヤとよく似ています。民族的な特徴なのかもしれません。
しかし、火乱さんとこの二人には、あまり近しいものがあるようには……うん、見えないですね。幼げな容姿ではないのです。
どういうことなのでしょう。
ニホン人と、この女性は言いました。
リューヤも同郷だとするなら、ヒノモトではない、ニホンと呼ばれる国がこの世のどこかにあることにはなりますが……そんな国名、聞いたこともありません。
「聞く必要もないっちゃないが……ま、一応聞いてみるか。あんた、どんな見返りで堕ちた神の手先になったんだ?」
「やり直しです」
「へえ、やり直しね」
「無理心中をしくじりましてね。意図的に車で崖から落ちたのですが、浮気したあげく、よそに隠し子までいた婚約者は助手席もろとも潰れたものの、私は楽に死ねませんでした。右腕がグシャグシャになり、燃える車内で逃げることもできず、最期の時を迎えていたその時──天の助けが舞い降りたのです」
『我が声が聞こえる者よ』
『このようなことで、無為に死なせるのは忍びない』
『我が御使いとして、この世ならざる、次元を越えた世界で働いてはくれぬか』
「どうせそのままでは焼け死ぬだけですからね。私は、二つ返事で飛びつき、そして──」
「こちらに来たのか」
「全てがうまくいき、あの方がこちらに顕現したあかつきには、この顔も……元通りにしていただけるでしょう。その後は、元の世界に戻るなり、この世界で好きにふるまうなり、どちらかを選ぶことになりますね。悩ましいことです」
「捕らぬ狸の~だな」
リューヤはオリハルコンの短剣を抜き、構えました。
もう聞くべきことはないし、話し合いでは解決はつかないと、そういうことですね。
私には二人の会話は不可解な点が多く、理解に苦しみましたが……この喪服の女性が、よからぬことを企む神の手先なのは、そこについては何とかわかりました。ギルハや火乱さんも同様の気持ちだと思います。
「浅はかですね」
女性が笑いました。
初めてこの女性が見せた、表情の変化でした。
「どうして私があなた達の前に姿をさらしたと思います? ──それはね、もう、逃げる必要がないからですよ」
めきり
女性の姿に、異変が起きました。
めきめき、びきっ、びきびきっ
めきゃあああ……
「これは……!」
火乱さんが息をのみ、たじろぎました。
「ねえ、ヤバくない?」
ギルハの声にも強い緊張が感じられます。
喪服女性の頭部から何本もの角が生え、体格も、筋肉質なものとなり、衣服がはち切れそうになっています。
しかも、角は頭だけではなく、肩や腕、足や、背中からも生えてきているようです。それはもう角とは呼べない気もしますが、ここは角で統一しておきましょう。
唯一、角が何も生えてないのは、肩から指先まで真っ赤な金属の義手になっている右腕のみ。
「百聞は一見にしかず──これでお分かりでしょう? 信者や、甘言に乗せられた者どもを用いて人体実験を繰り返した、その成果がこれですよ」
こんな見た目になっても声は変わらないのが、不気味であり、不思議ですね。
「成果ね。でも、その力……根源はそれだけではないみたいですね」
右腕を中心に、炎のように猛烈なオーラを全身にみなぎらせている喪服女性。
そのオーラと連動して、祭壇に鎮座しているオリハルコンが輝き始めたのです。
「あれで増幅してるのか。チッ、こりゃ、かなり骨が折れそうだぜ」
リューヤも気づいたようです。
「あなたがそこまで言うとはね。まあ、私も同じ意見ですけど」
ダスティア嬢やロスさんなどとは比べ物にならない、まがまがしい雰囲気。
この女性は鬼神に近い存在へと変貌したとしか思えません。手加減などするどころか、こちらも本気の本腰でやるしかないですね。
「……ああ、なんて素晴らしいのでしょう」
陶酔しているような口ぶりで、鬼神と化した女性が両手を広げ、
「ご覧なさい、この絶大な力。この街を……そして、やがてこの国を守護する結界の要となるオリハルコンですが、このように、聖なる加護の力を際限なく高めることもできるのですよ」
などと満足そうに言いだしました。
その凶悪そうな姿に聖なる要素があるようにはとても見えませんけどね。
「オリハルコンを用いて国を救い、その功績を広めて信者を増やし、干渉力が高まりに高まったところで……大規模な儀式を用い、ヌァカタ神──建御名方様を、こちらの世界にお呼びする……」
タケミナカタ。
それが、この教団の、神の真名ですか。やはり聞いたことのない名です。
「その後、用済みとなったオリハルコンを材料に両腕を造り、タケミナカタ様に奉納すれば……もはや鬼に金棒です。タケミナカタ様が元の世界にお戻りになり、雲の上でふんぞり返っている神々を打ち倒すのも、不可能ではないでしょうね」
「そのために、あんな地割れも起こしたのですか?」
「ああ、あれは契約ですよ」
「契約?」
「この地の奥底に封じられている、いにしえの怪物と契約を交わしたのです。タケミナカタ様が復活したときには必ず封印を解くので、是非ともそちらの有する宝を寄越してほしい──とね」
「その宝というのが、そこにあるオリハルコンってことかい」
リューヤがそう言うと、女鬼神はにやりと笑い、
「食い意地の張った怪物でしてね。封印を解くだけでは足りぬ、裂け目を作るから、そこに生贄を放り込めと。そんなことを言うものですから」
「放り込んだのか。あの地割れに」
「ええ。どれほどの量で満足するのかわからなかったので、末端の信者だけでなく、近隣の村人や旅の商人、冒険者なども投げ込みました。百人ほど」
そうしたら怪物は喜んで、手持ちのオリハルコンの中でも一番良いものを、魔神のオリハルコンをやらを寄越してくれたと、女鬼神は言いました。
「うわ。よくやるぜ、全くよ」
「人のことは言えないのでは? 平気で人の命を奪うのは、あなたも、あなたの相棒であるそこの聖女さまも慣れたものでしょう?」
「一緒にしないでくれません? 私はやられたらやり返すだけで、あなたのように積極的に殺戮などやりませんよ」
「そういうことだな。あんたはあまりにやり過ぎてる。もうここで死んどいたほうが世のため人のためだ」
「ですね」
この女性は自制心が全く無くなってしまっているようです。
生かしておいて一利なし。完全に息の根を止めてしまうしかないですね。覚悟しなさい。
「大人しく殺されれば良いのに、無駄なことを……。人間に過ぎない、人の枠内の力しか持たないあなたたちが、鬼神となったこの私にどこまで食い下がれるのか……ひとつ、楽しませてもらいましょうか」




