122・広大な裂け目を前に
突然現れた地割れについて、大回りして避けつつ行くか、引き際をわきまえて帰るかの話し合い。
多数決の結果、どうなったかというと。
行くことになりました。
まさかの結果に思われますが、これが意外とそうでもなく。
まずオレンティナとルミティスは行く派でした。
これはわかります。様々な災いから人々を護る聖女を目指す者が、苦難に怯えて引き下がるなど本末転倒ですからね。
師である私が「傷つき倒れた人達がポーションを待ってます」などと言っていたのも前進を後押ししていました。
ここで戻れば困っている人を見捨てることになる、そんな認識に陥ってるのかもしれません。あの恩知らず共なんか見捨てていいのにとは思いますが、それは祖国と因縁を持つ私だけが抱くムカつきに過ぎす、関係ない二人にとって、自業自得の窮地に追い込まれつつあるエターニアの民は救済すべき対象なのです。
──個人的な恨みはともかく。
私は当然として、リューヤも帰宅派です。
別に怖いわけではないのですが、そこまで無理して行く理由もありません。どうしてもポーションを売り払いたいほど金に困ってもいないので。
ギルハはどっちでもいい派です。
ひよったのではなく、本当にどうでもいいからでした。
驚いたことに、これに同意したのは火乱さんです。
意外や意外、飯にありつけ護衛をこなせるのであれば、どこに行こうと戻ろうと一向に構わないとのこと。強気で意気揚々としてるわりには対応が受け身ですね。
となると、決め手は我が三人目の弟子となる、薄幸の才媛プリシラです。
御者の方やミラさんはオマケのようなものなので票には入りません。
そしてプリシラが選んだのが、急に降ってわいた大地の裂け目を避けつつエターニアに向かう選択だったのです。
「これまでの私は、物事を諦めの心境でただ受け入れ、流されていましたが……今は違いますわ。私には力が芽生えました。できる範囲で立ち向かい、ささやかながら乗り越えていきますの」
立派なことです。
どこか冷めた、客観的な感じは変わらずにしても、目が生きてきました。
最初の頃のような虚ろな目ではなく、先を見据えた目です。
まずはできることをやる。
できそうか確かめる。
良い思考です。
できるかどうかわからないけど立ち向かうなんてのは勝利を約束された英雄譚の主人公しかやってはいけません。
誰であれ一歩を踏み出さなければ成長すること叶いませんが、自分がどこに一歩踏み出そうとしているかわからないのは自滅と変わりありませんからね。
勇気と無謀は紙一重。
まずやってみろ、駄目だったとしてもやり直せる、失敗が人生の糧になる、負けにも意味がある、勝負しない奴は負けた奴以下……なんて無責任な焚き付けは、取り返しのつく程度の安い失敗しかしてこなかった、もしくはたまたま人生を巻き返すことができた、そんなラッキーな人達の妄言か、あるいは負け犬の負け惜しみです。
真の敗北とはそんな生易しくありません。
後からどうとでも取り繕ろえたり人生の先達ぶったり酒の肴に語ったりできるものではなく、抜き差しならないものなのです。
冒険者をやっていた頃、そうした言葉に触発された若者(私も年齢的に大差ない若者でしたけどね)の末路を、ちょくちょく見ました。
ゴミのようにダンジョンに転がる、見覚えのある装備品と、まだ十代半ばだった生前の面影など全く見当たらない骨をね。
失敗を恐れずに勇敢に挑めという言葉を素直に飲み込んだが故の末路。
そんなに手荷物なかったし暇だったから外に持ってって簡素に埋葬してあげたのですが、プリシラにはそんな最期は迎えてほしくないものです。
まあそれはオレンティナやルミティスもそうですが、二人は賢いだけでなく実力もありますからね。挑ませても大丈夫でしょ。
行けそうなところまで行って、駄目だったり、いよいよヤバそうなら帰る。
方針と呼べるものかどうか怪しい方針が決まったところで、旅商のリーダーおじさんに伝えます。
当然、おじさんは困りました。
仕事を放棄するような形で戻るのは骨折り損になるので嫌でしょうが、しかし、どんな危険があるかわからないのは不安極まりないですもの。
かといってあまりに早く帰るのも、それはそれで雇い主であるウィレードラさんに言い訳できませんよね。
「知り合いからヤバい話を聞いたから直に確かめもせず戻りました」では「そうですね。正しいわ」とはならないでしょう。怒りの雷が落ちます。そのくらいの薄い理由でホイホイ帰られたら輸送というものが成り立ちませんからね。
言い訳できるだけの言い分が欲しい、それもまた悩みの一つなのだと思います。
あやふやな方針を述べてから、一分後くらいでしょうか。
だいぶ長期戦になるかと思いきゃ、そんなにしつこく悩み抜くこともなく、リーダーさんは我々の意見を受け入れてくれました。
「……オーガセンチピードのような魔物を、たった二人で仕留める……その腕前を信じましょう。ある種の賭けではありますが、そもそも商売とは賭けのようなものですからな、ハハッ」
最後の笑いはただの虚勢でしょうが、カラ元気も元気のうちです。
乗り気になってくれたのですから良し。
それから数日後。
ついに問題の場所、両国の中間辺りへと到着したのですが、
「うわあ……」
としか言えませんでした。
「はえー…………凄いね。ばっくり割れてる。橋でもかけないと渡れないよ」
「全くもって同感だな。ギルハの言う通りだぜ。こりゃひどい」
リューヤがぼやくのも無理ないです。
我々の目の前には、大地を乱雑に引き裂いたような広大で深い渓谷がありました。
これを登り降りするのは厳しいですね。
誤解のないように言うと、決して私が太めだからとかではなく、誰であろうと楽なものではありません。
さほど苦労しなくて済むのはオレンティナくらいのものでしょう。『歩行』のスキルがありますから。
リューヤも平気そうです。普段から得体の知れない体術を使ったりしてますもの。谷や崖とかを移動する技とか持ってるんじゃないでしょうか。
まあ何人かが行き来できたところで意味ないんですけどね。荷馬車ありますから。
「こんなものが、知らぬ間にできたと言うのですか?」
「……信じられない。しかしそうとしか……だが、こんなことが……」
リーダーさんが、自身の記憶とはあまりにも異なる光景に困惑しています。
よろめき、頭に手を当てながら、私の問いかけに対してどこか独り言のように答えました。
「プリシラ、とりあえずここまで来ましたが……どうします?」
「これを引き起こした何かが、向こう側にいるかもしれない──ですよね、先生?」
先生というのが誰を指している言葉なのかについては説明するまでもないでしょう。
「いるかもしれませんし、一仕事終えて、どこかで骨休めしてるかもしれません」
パッと見だと、それらしきものは、向こうにもこちらにもいないようですが……。
「あるいは、何かの仕業ではなく、天の怒りか地の嘆きかもしれません」
わかっているのは、不可解ということのみです。
「──進みたい、です」
プリシラの声には震えがありました。
「やっと、自分の力でどうするか選べるようになりました。だから進みたい。何かが待ち構えていても、できる限りギリギリまで」
「まあ、仮に向こう側にいたとしても、ここから谷沿いに遠回りするし、遭遇しないと思いますけどね」
「なんだ、そうなのか? 拍子抜けだな。俺の剣技をいよいよ披露したかったのだが」
一人残念そうなのは火乱さんです。
(……あんな風に見境なく挑んだら駄目ですよ。早死にしちゃいますからね……)
(……はい。あそこまで無茶なことは言いませんし、やりませんわ……)
聞こえぬよう、小声でのやり取り。
用心棒としてより反面教師としてのほうが役立っている、そんな女剣士さんでした。
そうして、行く手を阻む裂け目を眺めながら迂回していると──
──だんだん慣れてきて驚きも失せた、三日後の昼過ぎ、我々はついに裂け目の端っこに到達したのです。




